第一章②

「何ですかね、これ」

「知らん。かんおけみたいに見えるが」

「まさか死体が入ってるんじゃ……」

「それならそれで警察に通報すりゃいいだけだ。お前ちょっと開けてみろ」

 若い作業員は降ろされた柩のワイヤーをほどき、ふたを動かそうと踏ん張った。

「あれ……っ、重てえな――」

 しかし一人の力ではビクともせず、かつぷくの良い男が数人でよってたかって、バールまで持ち出して開封を試みるも、その蓋は一向に開く気配がなかった。だがそうこうしているうちに表面にこびりついていた土が徐々に剝がれて、蓋や側面に彫られていた文字と紋様が顔を出した。

「んだこれ? 魔法陣――?」

「みたいに見えるが。……随分古いやつだな」

「スゲえ、班長ってルーン文字読めるんですか?」

「なわけねえだろ。中卒だぞ、俺は」

 そんなやり取りの間に、その文字が淡い光を放ち始める。そして携帯のヴァイブレーションの如く棺が小刻みに震えたかと思うと、勢いよく蓋が吹き飛んだ。

「うおっ!!」

 分厚い木の蓋は数メートルも飛び、地面に激しくたたきつけられて粉々に砕け散った。

 そしてその軌道を目で追っていた一同の後ろで、柩の縁に内側からゆっくりと手が掛けられる。おもむろに起き上がった人影は、落ち着いたふうでじっくりと辺りを見回しながら言った。

「……どこだここは。いやそれよりも、いつかが問題か」

 その声に振り向いた作業員らはあつにとられた。蓋がはじけ飛んだことも、長らく地中に埋もれていたらしき箱から人が出てきたことも驚きだったが、それよりも何よりも、声の主である青年が並外れて美しかったからである。

 しさとなまめかしさ。あるいはしとやかさと雄々しさ。男性的な魅力と女性的な魅力を最大限に保ったままそれらを両立させたような、幻想的なぼうの人がそこにあった。

「な……なんだ、アンタ……」

 問いかけようにも思わず息をんでしまい、言葉に詰まるドワーフの班長。そんな彼に向かって、棺の男は平然とした様子でよどみなく応えた。

「失礼だな。まず君が名乗れ」

 そして軽やかに棺を飛び出し、緑色のローブに付いていたほこりを払う。

「――と普段ならたしなめるところだが、教えておこう。僕の名前はサジュエル・L・ロッシュ。アールヴの賢者にして魔王を滅せんとする者だ。覚えておきたまえ」

「は? あ、あーるぶの……賢者? エルフじゃないのか?」

「アールヴだと言ったぞ。見たところ君はドワーフか。なんだそのかぶとは? 随分と目立つ色だな」

「兜……? ヘルメットのことか?」

「そんなもので剣を防げるとは到底思えないが、まあいい。それよりも魔王はどうなっている? 復活したのかね? 勇者と聖剣は?」

 目を丸くしているドワーフにサジュエルが矢継ぎ早にく。しかし自分で問い掛けておきながら彼は、返答できずに固まっているドワーフに手の平を向けて制した。

「いや、やっぱりいい。君たちのその間抜けでけた顔を見る限り、まだ復活はしていないようだ。ならば間に合うな。やはり僕が来て正解だったというわけだ」

 サジュエルはそう言って自分だけ納得すると、ローブのすそをひるがえして早々にその場を後にする。堂々と立ち去る彼の後ろで、作業員たちはずっと呆気にとられたままだった。


     *


「驚いた。想像以上に文明が発展している――」

 行き交う人々でにぎわう街中を、建ち並ぶビルや街頭ビジョンを見回しながら、歩くサジュエルはそうつぶやいた。

「建物がどれもちょっとした城のようじゃないか。……あれはなんだ? 四角い水晶板のように見えるが、遠隔魔法で視たものを映し出しているのか? それに皆が持っているあの小さな石板はなんだ? 耳に当てたり指でなぞったりしているが――」

 平日の昼間だったのでサラリーマンが多く、その大半がスマートフォンやタブレットを扱いながら歩いている。多くが人間であるものの、中にはドワーフやエルフ、またバステスという猫の耳と尾を持つ亜人も混ざっていた。

「変化しているのは建物だけではないな。各種族がそれぞれの文化圏を越えて共同で社会を形成しているとは。ライザスがいた時代に比べると、相互理解や尊重の精神が根付いているということか」

 しかしいずれにせよ、少なくとも服装については、サジュエルのようないかにも魔法使い然としたローブをまとっている者などどこにも見当たらない。

よろいを着ている者はいないのか。さっきのドワーフがかぶっていた妙な兜も頑丈そうには見えなかった。つまり防御魔法が極めて発達しているか、そもそも防具で身を固めるほどの危険がない、ということだな。街の雰囲気からすれば後者か」

 そんなふうに好奇心と自問自答でぶつくさと独り言をこぼしながら歩く彼に対し、逆に街ゆく人々からも好奇の視線が刺さる。

 裾がくるぶしまであるような丈長のローブは当然誰から見ても異様だったし、それに彼はかなり背が高かった。履物の厚みを差し引いても190センチ近い。つまり容姿が極めて端麗であるという最大の特徴を抜きにしても、彼はよく目立つのだった。

「ふむ。やはりこの服装はまないか。だがまあいい。それよりも今は――」

 言いながら、周りから向けられる奇異の目などさして気にも留めない様子で、サジュエルが赤信号の交差点を渡ろうとした時だった。

 果たしてスピードを緩めることなく真横から1台のトラックが突っ込んできた。運転手が気付くもブレーキは間に合わず、トラックはそのまま巨大な質量兵器となって彼を跳ね飛ばす――かに思われた。しかし、

「なんだ、止まれないのか」

 いちべつをくれたサジュエルの数十センチ手前で、トラックは視えない壁に激突した。壁面に沿って拡がった透明の波紋が一瞬だけ魔法陣を浮かび上がらせる。それと同時にサジュエル以外の時間の流れが急激に遅くなってゆく。

 トラックのフロント部分がゆっくりと、メキメキとひしゃげて、一斉に砕け散ったガラスが粉雪のように輝き、車体からあふれ出た部品が左右に弾けていく――。

 サジュエルの眼にはそれら全てがスローモーションのように映っていた。

「……なるほど。登場は予想していたが、馬の無い馬車とはこのような構造か。ほとんど魔法が使われていないというのは意外だ。しかし理解はできた」

 ゆっくりと流れる時間の中でひとつひとつの部品をつぶさに観察していたサジュエルが、そう評しながら指をパチンと鳴らすと、巨大な魔法陣が車と彼の間に現れた。魔法陣はグルグルとまわりながら、スキャナーよろしくトラックの前方から後方へと通過していき、その進行に合わせて車体はみるみるうちに復元されていった。

「だが止まれないなら安全性には難有り、だな」

 トラックが完全に元通りになり運転手にも怪我が無いことを見て取ると、サジュエルは再び歩き出す。その一歩目と同時に、減速していた時間も通常の速さを取り戻した。

「……? あれ――?」

 トラックの運転手は車が交差点の真ん中で静止していることに気付き、混乱しながら辺りを見回していた。周囲の人間も、サジュエルがかれるであろう瞬間を目の当たりにしながらも、ぶつかったと思った直後に車が突然ピタリと静止し、その前を彼が何事も無かったかのように歩いてゆく光景を見て困惑している。

 ざわついて一層強まる衆人環視のもと、しかしサジュエルは変わらず平然と交差点を渡ってゆく。しかしそうして彼が歩き始めてしばらくすると、どうやら誰かが呼んだらしい警察官が走ってきて、サジュエルを後ろから呼び止めた。

「すみません、ちょっとよろしいですか。さっきそこの交差点で魔法不正使用の通報がありまして。聴きたいことがありますので、署までご同行を」


     *


 六畳程の取調室には、1個の机に向かい合う形で椅子が2脚。部屋の奥側にはサジュエルが脚を組んで座り、手前には若い男性警官が姿勢良く座っている。換気が悪いのかそれとも狭くて殺風景な見た目のせいか、何となくどんよりとした重い空気があった。

「いい加減にしたまえ。僕の名前はサジュエル・L・ロッシュだ」

「……あのね、ロッシュさん。一応そうお呼びしますけどね? 戸籍課にも亜人登録局にも照会しましたけど、そのサジュエルなにがしっていう名前の人は存在しないそうですよ。外国の方ならパスポートぐらい持ってないんですか」

「だから何度も言っただろう。そんな物は持っていない。僕は魔王を再び封印するため悠久の眠りにつき、そして目覚めたばかりなのだ」

「はいはい。それでご職業は?」

「僕は賢者――勇者を導くアールヴの賢者だ」

 自信と誇りに満ちたサジュエルの前で、警官は淡々と調書にペンを走らせる。

「……無職、と」

 そして彼がいつたんペンを置くのを見てサジュエルが言う。

「職務質問とやらは終わりだな? では僕は帰らせてもらおう」

 すると「ダメに決まってるでしょ」と警官が引き留めた。

「――あのね、分かってます? 今のところあなたから、ちゃんとした情報は何も得られてないんですよ。完全に不審者です。さすがにこれじゃあ帰せませんよ」

 聴取に当たっている警官が怒るというよりあきれた表情でそう告げると、

「馬鹿なのか君は。情報が得られないというのは君のちようほう能力に問題があるせいだ。少なくとも僕は今ここに存在しているし、こうして君と話をしているだろう?」

「だから言葉だけじゃ信じられないって話をしてるんですよ」

「信じられないというならば、噓を見抜くすべを身につけたまえ。それをしない君の怠慢の責を僕に押し付けるな」

 サジュエルが迷惑だとでも言いたげにフンと鼻を鳴らすと、警官は深いいきを吐き出してから「少し待っていてください」と一言告げて席を立つ。そして自分には手に負えないと判断したのかそのまま部屋を出ていった。

 

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