第一章①

 まだ冷たい春の風が霊園の木々をで揺らし、片隅の無縁仏に今しがた供えられたばかりの花束から、青い花弁を一片さらっていった。墓前で手を合わせていた男はふとそれを見上げ、しばしその舞いゆく先を見つめていた。

 横の髪を刈り上げたバーバースタイルの黒髪にチャコールグレーのスーツと革靴。このような場所であれば遠目には喪服と見間違えられそうなものだが、つぶさに見ればそうではないと気付く。スーツにせよ革靴にせよ、その表面には小さな傷跡やしわが数多く見て取れて、それが彼の仕事着なのだと分かるのだ。

 ヒラヒラと流されていった花弁がやがて勢いを失い地面に落下すると、男は再び墓石に視線を戻した。

「あんまり来れなくてごめんな。……でもまた来るよ」

 男が申し訳なさそうな顔で躊躇ためらいがちに笑うと、ほころんだ口元に白いきばが――犬歯と呼ぶには鋭すぎる獣の牙がのぞいた。

 男はもう一度手を合わせてから静かにその場を去り、近くに停めていた銀色のセダンに乗り込む。シートベルトを締めてエンジンをかけ、ルームミラーを覗くと、そこには宝石のように赤いひとみをした20代後半の青年の顔があった。彼は胸のポケットから取り出した薄茶色のサングラスでそれを隠す。

 自分が亜人であることを恥じているわけではないが、そうしておいた方が仕事でも日常生活においてでも何かと都合がいいのだ。

『――続いて関東のお天気です。東京は曇りのち晴れ。午前中は雲が多いため気温も穏やかですが、午後になると晴れ間が広がり、日射しとともに火属性エルダーが活発となるでしょう。つのみやまえばしは――』

 ラジオを聞き流しながら車を走らせ始めると、それを待っていたかのように携帯電話がポンポロと鳴り響いた――『着信 ならはしヲーレン』。

 男はカーナビの画面に映ったその名前を見るなりまゆをひそめ、ステアリング横のドライブ通話のボタンを押す。

「はい、かみしまです」

『おう俺だ、楢橋だ。今どこにいる?』

あおやまです。事件ですか?」

『ああ殺人コ ロ シ だ。俺も今現場に向かってるが、お前もすぐに来い。住所はメールで送る』

「マジですか……了解しました、急行します」

 通話を切った神島じんはうんざりしたように息を吐く。彼の重たいためいきとは対照的に、スピーカーからはラジオパーソナリティの軽快な声が流れてくる。

『――さて今日のラッキー種族占い! 1位はエルフのあなた! おめでとうございまぁす! そして最下位は……狼男! ライカンスロープのあなたでしたぁ〜残念!』

 仁悟は不満げな顔でボリュームを少し下げて、アクセルを少し強めに踏み込んだ。


     *


 霧めく早朝の街。駐車場の一角に張られたブルーシートのテントと、無音の回転灯をけた数台のパトカー。パイロンと黄色いビニールテープで仕切られた規制線の前には、地域課の警官が門番よろしく仁王立ちをしていた。

 青いブルゾンを着た鑑識係が黙々と動き回るのを横目に、神島仁悟はその規制線の外側からブルーシートに向かって声を張った。

「ナラさーん、いますー?」

 しばらく返答を待っても反応は無く、仁悟は傍にいた警官に話しかける。

「なあアンタ、悪いけどこのテープがしてくれないか」

 しかし薄色のサングラスにスーツ姿の彼を一目見るなり、警官はいぶかしむように眉をひそめた。首を横に振り、それどころかおもむろに歩み寄ってきて逆に彼を問い詰めてきた。

「は? 身分証? いやいや俺は刑事だって。ほら――」

 仁悟は文句を言いながらジャケットのすそをずらし、ベルトに通した警察徽章バツジを見せた。面倒なこのやり取りはしかし彼にとって日常茶飯事であり、仁悟はうんざりした様子で溜め息を吐いた。するとそんな問答の声を聞きつけたのか、ブルーシートの囲いがまくれ上がり男が顔を出した。

 赤毛の角刈りに四角い顔。低身長ながらいわおの如くがっしりとした体格は、ドワーフと呼ばれる亜人種共通の特徴だった。そして規制線の中こんなところであれば、灰色のスーツにロングコートというかつこうは正しく刑事のあかしでもある。

「おう、来たか神島。なに突っ立ってんだそんなとこで。早く入ってこい」

 魔獣対策室長、楢橋ヲーレンはそう言って仁悟を手でまねいた。

「そう言われたってナラさん、結界があったんじゃ俺は入れませんよ」

 仁悟が嫌そうな顔でにらんでみせたのは現場を隔てている黄色いテープだった。それには『立入禁止』という文字の他に、縦長でアルファベットに似た記号のようなもの――ルーン文字が書き連ねられている。

 ヲーレンは「おう、すまんな」とそのテープを剝がして仁悟を中に招き入れる。すぐにそれが貼り直されるのを見つめながら、仁悟は不満そうに鼻を鳴らした。

「すみませんね。っつーかいい加減、俺も普通の人間扱いしてもらえないもんですか。現場に入れない刑事なんて所轄のいい笑いもんだ」

「無理言うんじゃねえよ。ただでさえ亜人の権利に関しちゃ世間が敏感なんだ」

「そういうの、いちいち騒ぎ過ぎなんじゃないかと思いますがね」

「怖いんだろうよ、人間様から見た亜人ってやつはな。人口で圧倒してるおかげで人間中心の社会になっちゃあいるが、一個の生物として見りゃ太刀打ちできるモンじゃねえからな。それが狼男の眷属ライカンスロープともなればなおさらだ」

「かもしれませんけどね、エルフは別口っていうのが腹立ちますよ」

「仕方ねえだろ。どこの国だって政治家や官僚の半分近くがエルフなんだ。だが亜人法なんて法律がある分、日本はまだマシなほうなんだぜ。それにおくびようで排他的ってのは、生物の在り方としちゃ正しい」

「そりゃそうですが。住みにくいことに変わりはないです」

 小さく文句を吐き捨てて、仁悟はブルーシートを捲る。四畳半ほどの青い狭小空間には、湿気と混じって血の臭いが充満していた。中にいた鑑識官に、

「ごくろーさまです。――ああひどいな、こりゃ」

 そう言ってから顔をしかめた仁悟の前には、あおけに倒れた女性の遺体。OLと思おぼしき彼女の顔はもんゆがんでいた。

 目を見開き、口からは大量の吐血の跡。緩やかなワンピースとその上のジャケットが無造作に切り開かれ、シャツや下着ごと下腹部周辺が無くなっている。傍らのトートバッグには人間のものとは思えない鋭い引っき傷があり、その周りに書類や化粧ポーチが散乱していた。

「どうだ、神島。お前の見立ては?」

 ヲーレンにそう問われた仁悟はかがみ込んで、そのせいさん極まりない光景を眺めつつ溜め息交じりにこたえる。

「見立てもなにも。獣対うちらが呼ばれたってのはそういうことでしょう? こりゃどう見ても魔獣の仕業だ」

「……だろうな。臭いから何か分かるか?」

「微妙ですね、被害者の香水が強過ぎて……イランイランかな。でもまあ臭いが薄いってことは、少なくとも昨夜の雨よりは前の犯行ってことになる。防犯カメラの映像は?」

「ここは昔からあるつきぎめ駐車場で、そういうたぐいのものは付けてねえんだそうだ。目撃者も今のところは無しだ。だが――」

 バッグに付けられた傷をヲーレンがあごで示すと、仁悟は小さくうなずいた。

つめあとが並行に3本か……。ゴブリンですかね」

「多分な。だがそれにしちゃあ間隔が広い。手がデカ過ぎるんだ」

「被害者の怪我は腹だけですか?」

「ああ、他に怪我は見当たらないそうだ。妙だろ?」

「ええ。ゴブリンってのは『欲の象徴』とされるぐらい強欲な魔獣です。中でも食欲と性欲に関しちゃ人間以上。女を襲うならまず犯す。でもこの犯人は……遺体の損壊状況から見て、そういうのに興味が無さそうだ。むしろ被害者ガイシヤを単なるとしてしか見てない感じがする」

「うむ、俺も同意見だ。とりあえずは検視を待つしかなさそうだな」

 これ以上は見当もつかないといった様子で、ヲーレンと仁悟は揃ってうなった。


     *


 オフィス街の真ん中にある建設現場で、太く甲高い鉄の音が晴れ渡る空に向かって響いている。

 あちらこちらで作業員が声を掛け合い仕事をしている中、ボーリング重機で掘られた穴の底で若い作業員がひと際大きな声を上げた。

「班長! なんか出てきましたー!」

 彼の足元には、古い木製のひつぎのような物がかい見える。するといかにも親方然としたドワーフの班長が上からのぞき込み、首を傾げた。

「なんだあ、そりゃあ?」

「箱みたいですけど、どうしますー? 深さ足りてるんで、埋めちまいましょうかあ?」

 作業員の非常識な提案に班長は「馬鹿いうな」と返した後、しばらく考えてから周りに指示を出す。

「お前らぁ! 手ぇ止めて、とりあえず先にそっち掘り出せ!」

 きゆうきよ始まった発掘作業は順調に進み、やがてワイヤーで固定された柩がゆっくりとクレーンで引き上げられると、他の場所で作業していた者たちも物珍しさに集まってきた。

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