第3話 高貴な依頼人

 倒れていた少女はクローナがベッドへと運んだ。


 アイリは少女の状態を確かめはじめる。

 見たところ7歳前後の女の子。服装からは農民に見える。顔に疲れが見えるが呼吸は安定していた。


「眠ってるだけだね。魔力切れかも」

気味ぎみですし、栄養失調えいようしっちょうという可能性もありえますね」

「たしかにクローナと比べると華奢だねえ」


 アイリはからかいの目を向ける。

 クローナの身体は恵まれているのだ。背丈は成人男性と同じくらい。筋力も体力も引けを取らない。

 そして受付嬢の制服の上からでもわかるスタイルの良さ。

 健康的な身体なのは間違いがなかった。


「な、なんですか。どうせ無駄にデカい女ですよ」

「いやいやいや。クローナはいい女だよ! 私のこと抱っこしてくれるし!」


 ごまをする手つきでアイリがすり寄る。

 クローナは冷めた目つきでスッと身を離すと、眠っている少女を優しい手つきで抱きかかえた。

 いわゆるお姫様抱っこである。


「帰ります。もちろんアイリさんはご自分で歩いてくださいね」

「そ、そんなあ~~~! 引きこもりの私のスピードじゃあ半日かかるよ!? 置いてかないで! 私を一人にしないで!」

「ウソつかないでください。昨日は一人で侵入して一人で帰ってきたんでしょう」


 クローナは唇を尖らせる。

 その表情にアイリが慌てたとき、アイリのポケットがもぞもぞと動いた。


「およ?」


 驚いたのもつかの間、しまったはずの白い封筒が

 便箋びんせんが空を舞い、ひとりでに折りたたまれて重なっていく。

 やがて手紙は鳥の形になった。

 クローナは呆気あっけにとられる。


「これは……?」

魔導伝書鳩レターピジョンだね! 手紙を鳥の姿に変化させて自由に飛ばせたり、手紙の内容を読み上げさせたりできる魔道具なんだよ」

「初めて聞きました。便利なモノですね」

「いや~? 濡れたり汚れたりしたら手紙としてはアウトだし、もっぱら室内でしか使えないんだよねえ。だから今だと見かけるのは貴族の屋敷くらい……のはずなんだけど」


 アイリが解説する目の前で、魔導伝書鳩レターピジョンは羽ばたいて旋回する。

 紙の鳥はポッポゥと鳴いてから渋い男性の声でアナウンスを始めた。


『まもなくお時間となります。会合かいごうまでまもなくとなります』


 アイリの目が点になる。


「会合? クローナなにか知ってる?」

「手紙を渡してくれた従者の方は特にそのようなことは言ってませんでしたが。……ていうか読んでなかったんですか?」

「だって依頼だって解ってたし……別にいいかなって……」


辺境伯へんきょうはく令息れいそくとの会合は、書面通りギルドにて行います。繰り返します、辺境伯ご令息との会合は、書面通りギルドにて行います……』


 アイリとクローナは目を合わせた。


「……へ、辺境伯? じょ、冗談だよね」

「……もし遅れでもしたら……減給どころじゃ……」

「も、もしかしてギルドマスター怒って、あたし、あの部屋から追い出されちゃう?」


 クローナはごくりとつばを飲みこんだ。

 少女を抱えたまま、クローナはしゃがんだ。


「アイリさん、私の背中にしがみついてください」

「え、でも」

「急いで!」

「ひゃい!」


 アイリがわたわたとクローナの背に抱きついた。

 クローナは勢いよく立ち上がり、駆け出す。前に少女一人、後ろにアイリを背負っているとは思えない速度でダンジョンの通路を走り抜けていった。


「減給は嫌ですっ……!」


 うす暗い道には悲哀ひあいの叫びがこだました。



 * * *



 冒険者ギルドの二階。

 アイリの住む部屋から一番離れた場所に、応接室があった。

 ソファとテーブルが備えつけられた部屋で、禿頭とくとうで筋肉質の男──冒険者ギルドのマスター・ゴリゴルは対面に座る青年へ頭を下げた。


「いや、申し訳ございませんハルベルト様。アイリのバカはどうやらトラブルに巻き込まれているようでして……」

「いや、よい。急に押しかけることになったうえ、連絡の不備があったのはこちらの不手際だ」


 ハルベルトと呼ばれた男は鷹揚おうような口調で応じた。

 しめやかに言葉を紡ぐ唇はつややかで、顔つきは女と見紛みまがうほどに美麗びれい金糸きんしのような髪は背後で美しく編みこまれている。

 だが、弱々しいところはない。

 厚い胸板から発せられる声は芯が通っており、鍛えられた体であると察せられた。優秀な冒険者と比べても勝るとも劣らない覇気はきを放っている。

 仕立ての良い服にも着せられている感がない。

 さすがは次期当主だとギルドマスターは納得した。


 ハルベルトが、テーブルに置かれたティーカップを持ち上げて唇を湿らせる。


「それよりマスター・ゴリゴル氏。アイリという人物は名のある探偵だと聞くが、まことに優秀な者なのだろうか」

「は、はぁ……あやつは、確かに非凡ひぼんな才を持ちますが……うつけ者といいますか、破天荒はてんこうといいますか……」

「ほう、ゴリゴル氏をして非凡とな。さぞ優れたる才覚の持ち主なのだろう。だが」


 ハルベルトはカップを置く。


「それだけに件のウワサは気になるな。なんでも無断でダンジョンに立ち入っているというではないか」

「む……その、ですな」


 禿頭とくとうでマッチョ、おまけに強面こわもてなゴリゴルが縮こまっているのは奇妙な光景だった。

 対面のハルベルトが首を傾げる。


「優秀ならば冒険者にさせればよかろう。15より若ければ年齢制限に引っかかるが」

「歳は18です。が、いわく、自分は探偵だから冒険者にはならない、と。ワケのわからないことを言うやつでして」

「ほう? それは奇妙きみょうな────」


 破砕音はさいおんがして、ハルベルトの言葉がさえぎられた。

 木の板がゴリゴルとハルベルトとの間を吹っ飛んでいく。衝撃と音が去って、ようやく二人は事態を把握する。

 応接室のドアが吹き飛ばされたのだ。

 目を向けると、褐色かっしょく黒髪くろかみの受付嬢・クローナが立っていた。

 腕には少女を抱えており、さらに背中にはもう一人の影があって。


「ゴリゴルのおっちゃん、おは~」


 ダンジョン探偵アイリが、クローナの背からひょこっと顔をのぞかせて手を振った。

 背負われていても部屋着だと分かる。

 辺境伯との会合に遅れた挙句、ドアを破壊しての到着、そして部屋着で、しかもハルベルトを無視。

 れいしっするにも限度がある。ゴリゴルは顔面蒼白がんめんそうはくになった。

 部屋が緊迫感に包まれていく。ハルベルトが険しい顔で立ち上がった。

 アイリと視線がかち合う。


「そなたがアイリーン・アイロニーナか」

「アイリでいいよ。そういう貴方は辺境伯のご令息かな?」


 ハルベルトは面食めんくらった。

 自分に対して敬語を使わない人間など数えるほどしかいない。冒険者ギルドのマスターで、年上のゴリゴルでさえ丁寧な応対で自らを出迎でむかえたというのに。

 だが、目の前の銀髪ぎんぱつ赤目あかめの少女はひざを折るつもりはないらしい。

 面白い、とハルベルトはかすかに口角を上げる。


「いかにも、ハルベルトでいい」

貴方あなたが依頼人かな。てっきりもっとしたが来るかと。意外と信頼されてるのね、私」

「ああ、報酬としてダンジョンへの立ち入り許可証を発行しようかと考えていた」

「おっ!? 気が利くじゃ~ん!」

「それもたった今、消え去りそうだがね」

「えっ、なんでさ! ケチ! あっ、もしかして気を悪くさせちゃった? 敬語を使ってないから? ごめんね。探偵と依頼人は対等だっていうのが私のモットーで」

「なるほど。それではこちらも相応そうおうの態度にさせてもらうぞ。君からは客人をもてなす気を感じない。身だしなみにも言葉遣いにも」


 二人は目を逸らさず、言葉を淀ませなかった。

 ハルベルトの怒りが滲む物言いに、アイリはフッと微笑む。


「今朝連絡してきていきなり会いたいだなんて言ってきた紳士はどこの誰だったっけ? 熱烈なラブコールは嬉しいけど、淑女レディに会いに来るならもう少し余裕を持って伝えてくれないと。こっちにもいろいろ準備はあるのよ」

「ぬ……」


 ハルベルトが初めて言い淀む。

 彼としても部下の不手際で急なスケジュールになってしまったことには罪悪感を抱いていたのだ。

 その感情を読み取ったアイリが先ほどよりも意地の悪い笑みを浮かべる。


「あれあれ図星ずぼしぃ? ハルベルト殿は伴侶はんりょさがしに苦労しそう──ぐえっ」


 アイリが首根っこを掴まれていた。

 掴んでいるのはクローナだ。


「アイリさんだって人のことは言えないでしょう。手紙を読んでなかったんですから」

「あっ、クローナのバカ! それを言うんじゃないっ!」


 ハルベルトは呆気あっけに取られた。

 まさか伯爵家からの手紙を無視する人間がいるとは考えもしなかったのだ。

 クローナが、子供を叱る母親のようにアイリをさとす。


「バカはアイリさんです。失礼な態度を取って、伯爵家の御令息をからかって……。探偵ってのはそんなしょうもない職業なんですか?」

「でも……」

「黙って仕事をすればダンジョン立ち入り許可証をくださるかもしれないんですよ? あたしはどっちでもいいです。アイリさんはどうします? 不要に騒いで好機を逃しますか? なんともですね」

「むぅ……解ったよ、悪かったよ。事件の話を聞くよ。私は探偵だからね」


 クローナがアイリを解放する。


「さてハルベルト。改めて聞かせてよ。君の持ってきた事件ってやつを」

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