第2話

 ギルド舎からひとっ走りしてクローナは足を止める。抱えたを叩いた。


「ぺぅ!」


 おしりが鳴く。じたばたと暴れるのでおしりアイリを下ろした。


「なにすんのさクローナ!」

「着きましたよー。ほら、ダンジョンです」

「む?」


 アイリが振り返る。

 石造りの塔が斜めに屹立していた。

 なぜ倒れないのか解明されていないが、学者によれば先史文明の古代技術によるものではないかとのこと。


 存在からして未知である迷宮に、謎を愛するアイリが惹かれるのも無理はなかった。


「ダンジョン! やっほほほーい!」


 アイリが裸足のままためらいもなく走り出した。クローナは迷わず首根っこを掴む。

 ぐえ、とカエルの鳴き声が出た。


「なにすんのさクローナ!!」

「アイリさんだけだとダンジョンには入れませんよ」

「? 昨日行ってきたよ?」

「掟破りだという話をしているんです! 受付嬢のあたしの前で不法侵入するつもりですか?」


 クローナは首元から革紐に通された金属のプレートを引っ張り出す。

 ギルド公認のダンジョン立ち入り許可証だ。


「冒険者でもないアイリさんがダンジョンに入るには目付け役のあたしが居ないとダメだって何度も言ってるでしょう」

「え! クローナって目付け役だったの!?」

「はい??? ひと月前にギルドマスターを交えて顔合わせしたでしょう??? 逆になんだと思っていたんですか!」

「友だちだと思ってた……」


 しょぼしょぼとしおれるアイリ。

 クローナは虚を突かれて頬を赤らめる。


「……目付け役と友人とが両立できないとは言いませんがそれはさておき!」


 ひと息で言い切ると、クローナはアイリを引き寄せた。

 顔を近づけて声を落とす。


「捕まりたくなければあたしの後ろにいてください」


 アイリが唇を尖らせながらも「隣じゃだめ?」と上目遣いをする。

 クローナはうぐ、と言葉を詰まらせるも、彼女の潤んだ瞳を見ては了承せざるを得なかった。



 門番たちに通行証を見せる。アイリは部屋着で裸足だったため彼らはギョッとしたが、隣のクローナに気付いて納得の表情になった。クローナがはた迷惑な『名探偵』の目付け役であると知っていた。

 彼らは勇ましく敬礼をする。


「お勤めご苦労様です! 《黒獅子》クローナ・レオナ殿!」

「や、やめてください。とうに捨てた名です……」

「《黒獅子》? なにそれ、自分で名乗ってたの?」


 アイリがちょっかいを入れるものだからクローナは恥ずかしくなり、無視をして迷宮の入り口へと進んでいく。

 ダンジョンに入ると内部はうす暗かった。壁にかけられた松明が心許なく灯っている。


「相変わらず陰気な場所ですね」


 足取りを不安にさせるほど暗くはないが、通路の先まで見渡せるほど明るくもない。

 目を細めながらクローナは慎重に歩いた。

 隣のアイリがクローナの服の裾を摘まむ。


「クローナ、こっち向いて」

「? どうしました?」

「魔法かけるから──《暗視ナイトビジョン》」


 アイリが手をかざすとクローナの黒目が赤く光る。アイリは自分にも魔法をかける。元から赤い瞳がよりいっそう輝いた。


「これで暗いとこでもばっちりだねっ」

「む……ありがとうございます」


 クローナは目を凝らす。

 先ほどよりもずうっと奥まで連なる松明の灯りが見えた。

 一本道の先にはひらけた空間がある。

 冒険者たちが探索の準備をする簡易拠点、『はじまりの間』だった。


「早く行こうよクローナ!」

「ちょっと……引っ張らないでください」


 モンスターの跋扈するダンジョンに拠点を築けているのは、拠点に魔物除けの結界が展開されているからだ。

『はじまりの間』は、ダンジョン内部でも安全な空間を確保しようと尽力した先人たちの努力の証だった。

 二人はそんなセーフゾーンを目指して歩き出す。

 通路の先、ひらけた空間が顔を見せた。

 冒険者たちが開拓してきた拠点『はじまりの間』だ。

 壁面には松明がかけられていて灯りは充分。

 中心の焚き火の痕が冷たいのはまだ朝早くだからだ。昼前になれば探索前の打ち合わせが行われるスペースにも、今はまだ沈黙の幕が降りていた。

 それを破るようにアイリが高い声を上げる。


「うっひゃい! ベッド空いてるじゃん!」


 部屋の隅には、積み上げた藁にシーツを被せた簡素なベッドがあった。

 長時間の探索を行うパーティーのためギルドが用意しているのだ。

 アイリが大の字に寝転ぶ。


「ふぁー、きもちいーなー」

「ちょっとアイリさん、まさか休むつもりですか?」


 クローナが、呆れたという風に腰に手を当ててため息をつく。


「まぁねー。待ってれば来るんだから」

「待つってなにをです?」

「モンスターだよー」

「ひょっとしてスライムですか?」


 スライム。

 駆け出し冒険者でも苦戦することのないモンスターだ。ぶよぶよのゼリー状で動きが遅く、刃も通りやすい。

 彼らは弱すぎてダンジョンの生存競争に負け、第一層に追いやられてしまったのだ。

 ダンジョンは階層が浅いほど人間からの襲撃を受けやすい。

 そのため、第一層にはスライムという追いやられたモンスター以外は生息していないのだ。


「ちゃうちゃう。私が待ってるのはスケルトンだよ」

「へ?」


 クローナの目が点になる。


「スケルトンって、あのスケルトンですか? 動くホネの?」

「そう、死霊モンスターの。浄化魔法で倒せるやつ」

「アイリさん、冗談言わないでください。一層にはスライムしか居ませんし、深層のモンスターが階を移動するなんて聞いたことないです」

「と、思うでしょ? でも来るよ、スケルトン」

「いやいやいや。もしいたとしても『はじまりの間』には魔物除けの結界が張ってありますよね」

「でも、来る」


 アイリが余裕の笑みを浮かべて断言するので、クローナはムッとした。なにかを隠されているような気がしたのだ。


「根拠はなんです」


 クローナとしては拗ねてチクリと刺したつもりだった。

 だが、アイリは瞳を輝かせた。《暗視ナイトビジョン》の魔法も相まって、いつもよりもキラキラとしている。


「えーっ、聞きたい聞きたい? 仕方ないなぁ~っ」

「いきなりはしゃぎ出したのが気に入りませんけど……聞かせてください」


 アイリは指を一本立てる。


死霊術師ネクロマンサーが絡んでるかもしれない」

「えっ」


 死者を従え、操る禁忌の魔術師。それが死霊術師ネクロマンサーだ。

 生物の生き死には魔術の中でも高度であり、誰でも使えるわけではないとされている。

 つまり存在自体が希少なのだ。クローナも見たことはない。


「記事にあったでしょ、隣町で墓荒らしがあったって」


 クローナが斜め上を見て記憶を探る。

 確かにあった。

『名探偵、ダンジョンに現る!』の見出しには負けていたが、思い返せばそんな記事もあった。


「ありましたね。まさかそれが関係あるとでも言うんですか」

「死霊術師が墓から白骨遺体を奪っているって考えたんだろうね。だから私に手紙を寄越したんだろぉ。依頼主は教会か、教会が貴族に泣きついたか」

「ちょ、ちょっと待ってください。アイリさんが今日ここに来たってことは、死霊術師が潜んでるっていうんですか?」


 クローナの背筋が凍る。

 人の尊厳を冒涜して遺体を操る禁忌の魔術師。そんな邪悪が迷宮を闊歩している。

 考えるだけで脂汗が滲む。

『はじまりの間』を生ぬるい風が通り抜けていった。


「だとしたら重罪人だね。許せないよ!」

「鶏の骨で同じことしようとしてたアイリさんに言われても釈然としませんが……そうですね、恐ろしい話です。もしも家族や友人の遺体を弄ばれたらと思うと」


 クローナが唇を噛んだそのとき、カランカランと音がした。ダンジョン奥から一定のリズムで近づいてくる。

 音が止んだ。

 通路からスケルトンが姿を現した。

 うす暗い部屋で白骨が二本足で直立している。成人男性ほどの背丈で、覇気のない立ち姿だった。

 クローナが拳を握って臨戦態勢を取る。アイリを守るように立ち位置を変え、白骨を睨みつける。

 アイリはクローナの背中に声をかける。


「ちょい待ったって、なんか……いや、誰かを掴んでる?」


 スケルトンの背。何者かが背負われていた。白骨に両腕を掴まれて、籠のように背負われていたのだ。

 クローナが喉の奥をきゅっと絞った。


「スケルトンが人間をさらってる……?」


 クローナの中で警戒度が一段上がる。

 スケルトンの首が突如として動いた。

 落ちくぼんだ眼窩がアイリとクローナを捉える。

 ぎこちなく一歩目を踏み出し────


 白骨は音を立てて崩れた。


「えっ」

「おおっ、これは予想外!」


 アイリがベッドから体を起こし、狼狽えるクローナの横を通り過ぎていく。

 スケルトンの残骸と相対した。


「む? これは……革袋か?」


 骨の中には小さな巾着が紛れていた。


「中身は……なんだ、スライムの核か。ふむ」


 スライムの討伐証明に用いられる、心臓部である。

 アイリはすぐに興味をなくし、地面に伏した人物へと目を移す。その肩をつかんでぐいっと仰向けに寝転がした。


「あら~、可愛らしいこと」


 顔を見せたのは、まだあどけなさの残る少女だった。

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