とある聖女の華麗なる嫁入り物語 その終

 ――夢を見ていた気がする。


 とても……とても恐ろしい夢……


 世界が闇に覆われ、大切な人達が魔に蝕まれて、次々と消えてしまう夢。


 そこは、誰もが下を向いて生を諦め、人々の心に不安という名の汚泥が沈殿する世界だった。

 暗くて、昏くて、明日も見えないような暗闇に閉ざされた世界。


 どこにも逃げる事が出来ない袋小路。


 ……そこで私は、黒い炎に出会った。


 世界の果てでひっそりと燃える、とても分かりづらい炎。

 闇の中で、闇と同化するように燃えているのに、とても暖かい熱を放ち続ける不思議な炎。

 光を嫌って黒々と燃える黒炎は、闇の中にあって、闇に混じりながら、闇を払い続けいていた。


 何が燃えているのだろうか?

 どうして燃えているのだろうか?

 何の為に燃えているのだろうか?


 ……それは誰にも分からない。


 誰にも理解される事なく、ただひたすらに、炎は闇を払い続けていたのだった――





「――貴方は……貴方はこのような事を、いつまで続けるのですか?」





 床が軋む音で目が覚める。

 すぐ隣から感じられる誰かの気配。


 夢かうつつか分からないような私の問いに、は答えを返してきた。


「ふん、知れた事よ。貴様がそれを知ってどうするというのだ?」


 聞き忘れようのない、重く響く声。

 枕元から聞こえてくるそれは、とても刺々とげとげしくて、他者の存在を寄せ付けない、距離感のようなものを感じさせる。


「これで良く分かっただろう?いかに聖女と言えど、貴様が何もできない無力な存在だという事を」


 そう言って、ゲオルグ辺境伯は枕元に手を添え、私の顔を覗き込んだ。


 まるで、巌のように武骨な顔立ち。

 とても澄んだ、紫水晶のような瞳。

 そして何より、薄暗闇の中にくっきりと映る黒髪が、夢で見た黒炎を彷彿とさせる。


 ゲオルグ辺境伯の厚い唇が動き、言葉を紡ぐ。


「……死が恐ろしいか?」


 ……死は恐ろしい。

 大切な人が死んでいく事には、とてつもない恐怖を覚える。


「……命が惜しいか?」


 ……命は惜しい。

 尊い命が消えてしまう悲しみには、耐えられそうもない。


「神は何をしてくれた!?祈って、神は助けてくれたのか!?」


 ……祈りは届かなかった。

 私の奇跡が齎したのは、ほんの僅かな救い。


「貴方は……」


 ……神は助けてくれなかった。

 だけど、その代わりに、貴方を遣わして下さった。

 貴方という人間に巡り会わせて下さった。


「その結果、赤兔族達はどうなった!?それが答えだ!!」


 その結果、貴方は一人で病魔を祓ってしまった。

 神の力を借りずに、人の手で魔を祓える事を教えてくれた。




 だけど……




 私は目を閉じて考える。


 絶望的な病魔との戦場を照らす、眩いばかりの希望の光。

 その到来に人々は感謝するだろう。

 神の救いだと、皆、感謝の祈りを捧げるだろう。


 だけど……だけど、果たしてそれでいいのだろうか?

 確かに、神の奇跡としか言い表しようのない事ではあるが、私達は、神に感謝するだけでよいのだろうか?


 瞼の裏に浮かんでくるのは、まるで神の奇跡を毛嫌いするかのようなゲオルグ辺境伯の姿。

 その姿はとても偽悪的で、独善的で、不信心極まりない。

 しかしその反面、何者にも屈しない力強さがあった。

 その力強さで、本当に病魔を祓ってしまった……


 私達は、その力強さにこそ、気付かなければならないのではないだろうか?


「……言い残す事はそれだけか?」


 そう呟くゲオルグ辺境伯の声が、どこか寂しそうに思えてしまう。

 誰にも理解されず、世界の果てで周囲を暖め続ける黒い炎の事が、どうしても頭から離れない。


 ……貴方は、これからもずっと、一人で闇を払い続けるのですか?


 きっと、私に問われるまでもなく、黒炎は燃え続けるのだろう。

 今までそうだったように、これからもずっと燃え続けていくのだろう。


「……私……と……なら…………えますか?」


 私は、そんなゲオルグ辺境伯の力になりたいと思った。

 一人で出来る事など限られている。

 ゲオルグ辺境伯なら、侍従を手足のように使って上手くやるのかもしれないが、その侍従にも心の内を理解されないだなんて、寂しいではないか。


「何だ、言いたい事があるなら、もっとはっきりと言ってみろ」


 ゲオルグ辺境伯の問いに、私は脳裏に未来を思い描きながら答える。


「もしも……もしも、私が貴方の言う通りになれば、みんなを救ってくれますか?」


 きっと、私の力なんか無くたって、ゲオルグ辺境伯はラヴァールを救ってしまうだろう。

 だけど、聖女としての名前と力があれば、もっと多くの人を救えるはず。

 ……ううん、ラヴァールだけじゃない。

 私が力を貸せば、今回の病魔だけじゃなく、世界中で起きる多くの不幸を減らす事ができるはずだ。

 もっともっと多くの人が笑って過ごせる世界を作れるはずだ。


「よかろう!ならば誓え、そうすれば他の者も一緒に助けてやろう」


 すると、ゲオルグ辺境伯は口の端を持ち上げながら、私のを受け入れてくれた。

 ひょっとしたら、ゲオルグ辺境伯は私を便利な駒の一つ程度にしか、考えていないのかもしれない。

 聖女わたしとのパイプが、今後の役に立つという打算的な考えで、この申し出を受けたのかもしれない……


「救いが欲しいのなら、私の手を取るがいい」


 けれど、今はそれでもいい。

 ファーゼスト家の侍従達と同じように、ゲオルグ辺境伯の手足の一つとなって、ラヴァールから出来る限りの援助を行っていこう。

 それは、確実に人々を救う事に繋がるのだから。


 そうして、信頼を一つ一つ積み上げていって、いつかは彼を支えられる程の柱となれればいい……


「さあ誓え、我らの神の名の下に!」


 そう言ってゲオルグ辺境伯は私に向き直る。


 ……ああ、そうか。

 私は、この人に会うために生まれてきたのだ。

 この人に会うために、神の寵愛を授かったのだ。


 私はその時初めて、自身が生まれてきた意味を理解した。


 神の奇跡を必要とせず、自分の足で大地を踏みしめるこの人に出会うために。

 人間わたしたちおやの手を離れて、自分の足で歩くための、導きの黒炎の一助となるために。


 きっと、それが私の使命なのだろう…………




















「聖女アメリアよ、汝、病める時も、健やかなる時も、喜びも悲しみも全てを私と共に背負い、いかなる困難が立ち塞がろうとも我が妻として共に在る事を誓え!!」




















 ……ほえ?










 …………妻?










 ………………ふえぇぇぇェェ!?










 なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?


 えっ、誓うってそういう事?そういう事なの!?


 いや、急にそんな事を言われても困るというかなんというか、はもっと段階を経て、徐々にと思っていたわけで……

 そ、それに、私にも心の準備という物が必要なわけで、いきなりの事でびっくりしたというかなんというか……こんな風に誰かにププププロポ-ズされるなんて、か、考えた事もなかったのです……


 ででで、でも確かに、おおおお嫁さんになるなら、これ以上ないぐらいに、この人を支える事が出来るでしょうし、わわわ私の使命にも沿うので吝かではないというかなんというか……


 ……あっそうだ、それにこの人、凄く不器用で誤解されやすいから、きっと私が間に入らないとラヴァールの人と揉め事を起こすと思うのよね。

 やっぱり、私が支えていかないと駄目なんだわ、うん、きっとそうよ…………


 ゲオルグ辺境伯は、誓いの言葉を述べると私に手を差し出してきた。

 いつもはそれらを見守る立場だったが、こうして自分に向けられるのはとても新鮮な気分である。


 私を見つめる真剣な眼差しに、高鳴る鼓動。

 顔が熱を帯び、口の中がカラカラに乾いていくのが分かる。

 部屋中が不思議と神聖な空気に満たされるのを感じながら、ゲオルグに手を重ね、私は返事を告げた。


「…………はい、死が二人を分かつまで」


 ――瞬間、光が私達を包み込んだ。

 地平線から昇る朝日が窓から差し込んで、新たな一日の始まりを告げる。

 まるで私達の新しい門出を祝うかのように……


 なんというだろうか。

 タイミング良く昇る太陽になものを感じて惚けていると、不意に手が引っ張られ、私はゲオルグ様に力強く抱き締められた。


「いや、死が二人を分かつとも、だ」


 耳元で囁かれる、永遠の愛の誓い。


 …………はい、喜んで。


 私は心の中でそう答え、ゲオルグ様に体重を預ける。


 ――トクン。


 一際大きく高鳴る心臓。

 そして、重なるお互いの唇。


 すると、目に見えないのような物が、私達を固く結び付けるのが感じられた。


 ……ああ、これが夫婦になるという事か。

 これが、神に誓いを立てるという事か。

 きっと、今まで私が祝福してきた夫婦も、この絆を感じていたに違いない。


 私は神に見守られているのを感じ、本当の愛という存在を知るのだった。

























 ――その昔、神聖国家ラヴァールで、とある病魔が猛威を奮った。


 病魔は恐るべき感染力で次から次へと宿主を増やしていき、取り憑かれた者は米の研ぎ汁のような白い水便を流して、最後にはシワシワの老人のようになって息を引き取ったという。


 日を追うごとに犠牲者は数を増していき、その勢いは国を滅ぼさんとする程だったとか……


 しかし、我が物顔でラヴァールを蹂躙する病魔であったが、ある日を境に、その勢力は急速に衰える事になった。

 ゲオルグ辺境伯と聖女アメリアが、力を合わせて病魔に立ち向かったからだ。


 二人は、死の最前線とまで呼ばれた現場に、赤兎族を中心とした多くの人員を送り込み、新たに発見された対処法を実施して、なんと国中の病魔を一斉に祓ってしまったのである。

 その時に生まれた、赤兎族を中心とした医療団は『赤獣人せきじゅうじん』と呼ばれ、今でもファーゼスト家の支援を受け、国境を越えてを病人を救っているのは、皆の知るところであろう。


 そして、ラヴァール中を荒らし回ったこの病魔は、ゲオルグ辺境伯が発見した対処方によって、コロッと治ってしまった事から、後にこう呼ばれるようになった。










 ――『コロリ』と。

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