とある聖女の華麗なる嫁入り物語 その八

 ――そして、医療棟に昼食が運ばれてきた。





「…………何これ?」


 絶句したのは私だけではないようで、ポールさんを始め、皆が運ばれてきた食料を目にして唖然としている。


 ――塩。


 医療棟に運び込まれた食事は、それだけであった。

 自然、それを運んできた配給担当者に説明を求めるべく皆の視線が集まる。


「……ひぃっ!そ、そんな睨まないで下さい。これも、ゲオルグ様の指示なのですから!!」


 その説明を聞いた瞬間に、医療棟の担当者やヨーゼフさんは「……またか」と言わんばかりの溜息を吐いて、どこか諦めたような表情を浮かべた。

 ファーゼストの侍従達は分かり合っているようだが、私達には全く理解する事が出来ない。


「一体、ゲオルグ辺境伯は何を考えているのですか?もっと栄養のあるものを取らせなければ、患者は衰弱するばかりではないか!?」


「し、しかしそう言われましても、私にも何が何やら……」


 ポールさんが食ってかかるが、相手も困ったような顔をするばかり。


 ……たぶん、配給担当者も理由を知らないのであろう。


 先程ヨーゼフさんが言った通り、ゲオルグ辺境伯は多くを語らない人物だ。

 部下に指示の意味を理解させるよりも、とにかく言った通りに動けばいいと思っているような節さえ感じられる。

 きっと、ファーゼストの侍従達は、主人の意味不明な命令にいつも振り回されているのだろう。

 けれど、呆れたような表情をしていながらも、彼らからはどこか主に対する尊敬や信頼といったものが感じられる。


『……あのゲオルグ辺境伯が、無意味な事をするはずがない。これには、私達には思いもよらない理由があるに違いない』


 きっと、そう思っているのだろう。

 そう思えるだけの実績をゲオルグ辺境伯は積んできたのだろう。


 ……今なら、私もその気持ちが分かる気がした。


「ポールさん、今はゲオルグ辺境伯を信じましょう」


 私はポールさんを諌め、患者に食事を配るために手を動かす事にした。

 そして、少しでも患者のお腹が膨れるようにと水を用意し、塩を溶かして混ぜていく。


「――ちょっと待って!」


 その時、私達の手を止めようと声が発せられた。


「……あの、さっきゲオルグ様からを貰ったんだけど、みんなにも食べさせてあげられないかな?」


 声の主は、赤兎族のパン。

 その手には籠が抱えられており、彼はそれを私達に差し出してきたのだ。


 籠の中身は、ラヴァール産の林檎。

 赤兎族の故郷でも採る事ができるそれは、彼らの大好物である。


 配給された食糧が少なかったのは、パンに林檎を持たせていたから……?

 しかし、パンが持ってきた林檎は少なく、八二人もの患者が満足できるような量ではない。


「残念だけど、みんなが食べられる程の量ではないわ。だから、それは元気のある人だけで食べましょう?」


 私はそう言って諭そうとするが、パンは頭を振って拒否する。


「そんなの分かってるよ!それでも、みんなにこの味を思い出させてあげたいんだ。……だからさ、こうすればいいんだよ――」


 言うが早いか、パンは林檎の一つを持ってピョンと跳びはね、塩水が入った樽の上でそれを絞り始めた。

 一体、その小さな身体のどこにそんな力が秘められているのか……林檎は潰され、果汁が水の中へと滴り落ちる。


「ね?これで、全員に行き渡るでしょう?」


 ――林檎の果実水の出来上がりであった。


「……もう、先に一言ぐらい告げてからやりなさい。驚いたでしょう!」


 私は若干呆れながらも、仲間を想うパンに感心し、その頭を乱暴に撫でてやった。


 それから、みんなと手分けして林檎を絞っていき、塩入りの果実水を作り上げていく。

 それを患者の口へと運んで行き、それこそ舐めるように、少しずつ飲ませていった。


 相変わらず、あちらこちらから嘔吐する音が聞こえてきたり、バケツに下痢を流す姿が見て取れる。


 しかし、私達はそれらに負けないよう、汚物を焼却するために駆け回り、患者に果実水を飲ませ、消耗の激しい患者には『治癒ヒーリング』を唱えて回っていく……


 そうして、耐えるように時間を過ごしていると、やがて少しだけ変化が訪れた。


「――アメリア、気付いていますか?」


 初めにそれに気付いたのはポールさん。

 私は、ポールさんに言われて、ようやくその変化に気付く事が出来きた。


 ……いや、変化と呼ぶには少々語弊がある。

 何せ、患者は未だに下痢と嘔吐に苦しんでいるのだから。


 ――現状は何も変わっていない。


 しかし、それこそが患者に訪れた変化だった。

 そう、出来ているのだ。


 その事に気付いた時、私は驚きと喜びで意識が一瞬飛んでしまいそうだった。

 急に私がよろめいたので、皆に心配されて、再び休息を取るように言い渡されてしまったはご愛敬だが、それはさておき、重症化したら、早ければ数時間と経たずに死者が出るはずなのに、医療棟の中からはいまだに一人の死者も出ていない。

 碌な処置もしていないのに……『治癒ヒーリング』だって数えるほどしか唱えていないというのに、現状維持ができているのである。


 それだけではない。

 少しだけ……ほんの少しだけではあるが、老人のようだった患者の顔に生気が戻ってきているのだ。

 枯れ木のような皴が刻まれた肌に、僅かな張りが戻ってきているのだ。


 患者は嘔吐と下痢を繰り返しながらも、確実に快方へと向かっているのである!!





 ――その時、不意に何かが繋がった。





 嘔吐と下痢…………そして燃やされる汚物。


 ……そうか、そういう事だったのね!!

 だからゲオルグ辺境伯は『解毒キュア・ポイズン』を絶対に使わないように言っていたのね!!

 だから『解毒キュア・ポイズン』だけでは、患者は治らなかったのね!!


 昨日の私は、患者の症状を抑えるために『解毒キュア・ポイズン』を唱え、時間を稼いでいる間に自然治癒する患者が現れるのを期待していた。

 しかし、それは大きな間違いだったのだ。

復調キュア・コンディション』を唱えないままでは、病魔が体内に残ってしまう事は理解していたが、それだけでは駄目だったのである。

 患者を救うためには、やはり病魔を身体から追い出す必要があったのだ。


 ……では、どうすれば良かったのか?

 その答えは、ゲオルグ辺境伯が指示した汚物の焼却にあった。


 ゲオルグ辺境伯は、何故汚物の焼却を指示したのか?

 それは、汚物の中に病魔が潜んでいるからだ。

 じゃあ、その汚物はどこから排泄されたのか……


 ――当然、患者の体内からである。


 つまり、患者は嘔吐と下痢をする事によって、病魔を体外に排出していたのだ。

 だから、『解毒キュア・ポイズン』で症状を抑えてはいけなかったのだ!!


 ……しかし、それだけでは説明が付かない事がある。


 どうして、患者の病状は快方へと向かっているのか?

 どうして、病魔に吸われた寿命が戻りつつあるのか?

 一体、何が彼らの病状を劇的に改善させたのか?

 一体、何が今までと違うというのだろうか?


 …………そんなの決まっているではないか。

 今までの看病と比べて、明らかに変化した物があったではないか!?


 ――林檎の果実水。


 あれが決め手になったとしか考えられない!!


 部屋の中を清潔に保つのも、汚物を焼却してしまうのも、あくまで病魔の拡散を防ぐための物に過ぎないのだから、病状の改善は、あの林檎の果実水のおかげと見て間違いないだろう。


 食事を抜いた事が良かったのか。

 水が良かったのか。

 塩が良かったのか。

 林檎の果汁が良かったのか。


 果実水の何が良かったのかまでは分からないが、分からなくたって別に構わない。

 それに効果が見込めるのなら何だっていい、病気を治せるという事実こそが大事なのだから。


 目に見える症状の改善に、私達は大いに活気付いた。

 今までは、二割の確率で生き残るか、私の奇跡でしか治せなかった病魔が、人の手によって祓われようとしている。

 病魔との絶望的な戦いに、今初めて勝利が齎されようとしているのだ。


 そして数時間後――


 遂に、一人目の回復者が現れた。


 ……もしかしたら、二割の確率で生き残る人だったのかもしれない。

 ……もしかしたら、元々病状の軽い人だったのかもしれない。


 しかし……しかしである。


 症状の発症から半日程経った現在、いまだに死者を出さずに一人目の回復者が現れたのは、紛れもない快挙。

 その上、症状が落ち着いてきている人は他にも何人もいる。

 これから時間が経過すれば、回復者はその数を増していく事だろう。


 一人、また一人と容体が安定していき、病魔の気配が完全に断たれた人が増えていく。

 私が診て問題ないと判断した人は、ゆっくりと休養してもらうため別の場所に移ってもらい、段々と寝台にも空きが見られるようになってきた。


 私達は交代しながら食事や休息を取って看護を行い、それらは深夜にまで及んだ。

 その頃には、残る患者は数えるばかりとなっており、症状が深刻な者も少なく、このままいけばあと数時間程度でみんな治ってしまう事だろう。


 汚物の焼却。

 そして塩入りの果実水。


 たったこれだけの事で、今まで歯が立たなかった病魔を退治する事が出来てしまうなど、一体誰が想像できただろうか……


「ポールさん、この事実を持って帰れば、ひょっとしてラヴァールは……」


 だいぶ静かになった部屋の中で、私はポールさんに問いかけた。


 私達がファーゼストで手に入れた病魔の情報は、非常に大きい。

 今までその片鱗すら見る事の出来なかった病魔の正体が、次々に明かされているのである。

 病魔の正体が分かるだけで、各地の暴動はどれだけ減るだろうか。

 病人の汚物に病魔が潜んでいると分かれば、どれだけの感染が防げるだろうか。

 対処法が分かれば、どれだけの患者を救える事だろうか……


「そうだね、丁度私もその事を考えていたのだけれど……そう簡単にはいかないか……」


 けれども、ポールさんの口から出てくる言葉は否定的なものであった。


「どうして!?……この事を広めれば、どれだけの人が助かるか分からないじゃない!!」


「ちょ、ちょっと落ち着きなさいアメリア。……私だって広めたいのは山々ですが、私一人で広められる訳ではないんですよ」


 一人では何もできない……確かにそれは、私が身を持って理解した事だった。

 私は言いたい言葉をグッと堪えて、ポールさんの言葉を待つ。


「いいですか?理由はいくつかありますが、まず第一に、死の病魔が猛威を奮う最前線に、誰が広めるのですか?」


 ――そんなの、私達が……


「――当然、私達だけでは手が足りません。現在のラヴァールには、それほどまでにが広がっているのです」


 私の言いたい事を先回りして答えるポールさん。

 言っている事は理解できるだけに、悔しさが募る。


「それに、ラヴァール中に広めるとなれば、誰かが音頭を取らなければなりません。しかし、教皇聖下が病に伏せっている今、教会に評議会を纏めるような力はありませんし、評議会は評議会で誰が音頭を取るのかで非常に揉める事でしょう」


 ……言われてみれば、有り得そうな話である。

 商人らによって構成される評議会は、自身の利を優先させる傾向があるため、『病魔の情報』などという劇薬を持ち込めば、その利を得ようと醜い争いを繰り広げる様が目に浮かぶようだ。


「次に領地の問題。アメリアは詳しくないかもしれませんが、我が国では多くの場合が種族毎に分かれて暮らしていて、各種族の文化を尊重するためにそれぞれの領地では自治が認められています。当然、中には排他的な種族だっていますし、他からの病魔の伝染を嫌って、人の出入りを警戒している領地だってあるでしょう」


 確かに、私はそういった政治が絡む話からは遠ざけられていたため、あまり詳しくない。

 排他的な種族の話なんて、今初めて知ったぐらいである。


「この果実水だって、症例がファーゼストの一例だけでは効果の信憑性が薄いですし、各地で臨床試験を行って症例を積もうにもお金が掛かります。人を雇うにしても、根回しをするにしても、私達が単独で行動するにしても、何をするにもお金が無いと動けません。果たして、今のラヴァールにそれらを大々的に行うだけの資金が…………いや、待てよ……」


 急に言い淀むポールさん。

 お金の話になった途端に、何やらブツブツと言い出し始めた。


「……そうか、あの時の大金はそういった意味が……成る程、ゲオルグ辺境伯はそれを見越して、私に便宜を図って欲しいと言ったのか……」


 完全に私は置いてけぼりである……

 私が知らない間に、ゲオルグ辺境伯とどんなやりとりがあったのだろうか?


「……それなら、なんとかなるかもしれません。あのゲオルグ辺境伯が指揮を取るというなら、表立って反対するような勢力は、ラヴァールにはいないはず……」


 ポールさんは、そう言って一人だけ納得たように頷いている。


「あの、どういう事ですか?」


 何やら私の知らない所で、何かあったようだが、きちんと分かるように説明して欲しいものだ。


「実は、ファーゼストにやってきた初日の夜にゲオルグ辺境伯がやってきて、私に金貨の山を携え『便宜を図って欲しい』と言ってきたのです。あの時は何の事かサッパリでしたが、今ならその意味が分かります。あれは私達が『病魔の情報』を広めるための活動資金だったのです」


 ゲオルグ辺境伯からの活動資金?

 ……初耳である。

 ポールさんは、一体いつの間にそんな物を受け取っていたというのか。


 …………あっ、そうか、私が飛び出して、単独行動を取っていた時だ。

 それなら初耳なのも当然である。


 過去の自分勝手な行動を振り返り、私が苦い物を噛み締めていると、ポールさんは熱っぽく続きを語る。


「それだけではありません!ゲオルグ辺境伯は先日の条約において、我が国との通行許可を得ています。そして、国中に物資を行き渡らせなければならない性質上、それには特に制限が付けられていません。つまり……」


 そこまで言われれば、私にだって理解する事ができる。


「……つまり、ゲオルグ辺境伯はラヴァールの何処へだろうと、自由に行く事ができる」


 私が導き出した答えを述べると、肯定するようにポールさんは頷いた。


「恐らく私達には、現場の人間として、最前線に乗り込んで症例を積み上げていく事が望まれているんだと思います。ファーゼストでの経験を積んだ私達は、世界で一番病魔の退治に詳しい人間でしょうから」


 そして、そのために必要な資金は、既にゲオルグ辺境伯から受け取っている、と……


 ……何という事だろうか。

 先程ポールさんが上げた問題点も、ファーゼスト家が動くというだけで、その殆どが解決してしまったではないか。

 人手の問題も、組織としての問題も、国内の移動の問題も、そして何より金銭的な問題も……


 私がゲオルグ辺境伯を悪人と思い込んで突っかかっていたあの時、既に彼はラヴァールを病魔から救う算段を付けていたというのに、私は何という事をしてしまったのだろうか。

 ゲオルグ辺境伯の前に立ち塞がり、上辺だけを見て悪人と決めつけ、自身の無力さを棚に上げて彼の邪魔ばかり。

 不器用なあの人の、本当の優しさも知らずに私は……私は…………



 ――その時、急に身体に力が入らなくなり、視界が揺れて天井が映った。



 自身の愚かさに気付いたからだろうか。

 それとも、みんなが助かる事が分かってしまったからだろうか。

 とにかく、今まで身体を動かしていた糸のような物がプツリと切れてしまい、動く事が出来ない。


「――リア!?大丈夫ですか、アメリア!?」


 ……あれ?私、どうしちゃったんだろう?


 ポールさんの声が段々と遠のいていく。

 視界が段々と狭くなっていき、世界が黒く染まり始めた。


「落ち着い……いポールさん。今まで相当無理を…………ので、恐らく疲労…………考えら……り敢えず、宿直室…………しょう」


 医療棟の担当者が何やら言っているが、もうその半分も聞きとる事ができない。

 意識が、深い闇の中に飲まれていくようだ。


 ……けれども、不安はどこにも感じない。

 病魔は鳴りを潜め、医療棟には安らかな寝息ばかり。

 その上、ラヴァール中の病魔を祓う目処が立った今、何を心配する必要があるだろうか?


 私は優しい闇のかいなに抱かれながら、心穏やかに眠りへと落ちていったのだった。

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