とある聖女の華麗なる嫁入り物語 その七

 どうして……どうして、この男がここに居るのか……

 無力な私を笑いに来たのだろうか?

 それとも、病人達を火葬する最後通告をしにきたのだろうか?


「……どうして?」


 気が付けば、私の口から言葉が漏れていた。


 どうしてか?……そんなの決まっている。

 彼が……ゲオルグ辺境伯が、まだ患者の命をからに決まっているじゃない!

 ポールさん達をここに連れてきた理由なんて、それ以外にある訳ないじゃない!!


「どうして貴方は、そんな……」


 その時、私はファーゼスト家にまつわる様々な逸話を思い出していた。

 曰く、初代ファーゼスト辺境伯は、教皇聖下の親友であったとか。

 曰く、彼らは過酷な辺境に立ち向かう勇敢な戦士だとか。

 曰く、自身にも他人にも厳しい、厳格なる教導者なのだとか。


 そして、誰よりも慈愛に満ちた、父神のような存在なのだとか……


 ――不意に顎に手が添えられ、私は無理矢理上を向かされた。


「っッ!!」


 目に映るゲオルグ辺境伯の顔。

 強面の厳つい容貌が迫り、鋭い眼光が私を射ぬく。


「もう終わりか?神のご加護とやらもネタ切れか?」


 そして、私を責め立てる。

『赤兎族の命を諦めるのか?』と私を責め立てるのだ。


 私がどれだけ、頑張っているのか知らない癖に……

 私がどれだけ、救ってきたのか知らない癖に……

 私がどれだけ、救えなかったのか知らない癖に……

 私がどれだけ、涙を流してきたのか知らない癖に……


 私がどれだけ、みんなを救いたいのかも知らない癖に、この男は私に『赤兎族の命を諦めるのか?』と責め立てるのだ。


 確かに私は聖女だ。

 他の人の何十倍もの奇跡を行使する事だって出来る。

 ……だけど……だけど、八二人もの患者を一瞬で治すなんて事は出来やしない。

 百六十人もの赤兎族全員を救う事なんて不可能である。


 こんなの、どうしたって諦めるしかないじゃない!

 諦めたくないけど、無理なんだから仕方ないじゃない!!


「……だって……だって、もうどうしようもないじゃない!私一人じゃできないもん!!私一人じゃどうしようもないもん!!!…………もう、限界だもん!!!!」


 どうして私は一人しかいないの?

 聖女が何人もいれば、何百人だって救えるのに……


 どうして私一人だけが、こんな力を持って生れてきたの?

 そしたら、私一人が背負わなくても良かったのに……


 どうして……どうして神様は私だけにこんな試練を課すの?





 …………みんなの命がすごく……すごく重たいよ……





 ――何かが決壊した。


 心の中に溜まっていた淀みのような感情が、次から次へと溢れ出てくるのである。


 涙が止まらない。

 私の身体なのに全然言う事を聞いてくれず、それどころか、全てを吐き出してしまえと言わんばかりに、心の栓を引き抜いてしまうのだ。


 涙が流れる。

 嗚咽が漏れる。

 声が枯れる。

 息が苦しい。

 しゃっくりが止まらない……


 みんなが見ているというのに……私は『聖女様』でなければいけないというのに、私の心がそれを拒んで子供のように泣き続けてしまう。


「――聖女様」


 そんな私に声が掛けられた。

 家族のような存在であるポールさんの聞き慣れた声。

 しかし、今日のそれはいつもと違って、どこか申し訳なさそうである。


「私の過ちをどうか、どうかお許し下さい……貴女とて人間だというのに私は、私は……」


 そう言って、ポールさんは懺悔するかのように頭を下げた。


 ポールさんが謝る事なんて一つもない。

 聖女であろうとしたのは私だ。

 みんなの期待に応えたいと思っていたのも私だ。

 何より、多くの人を救いたいという想いは間違いなく私の偽らざる気持ちだ。


 色んな感情がごちゃごちゃに混ざって言葉に出来ない。

 私の口から出てくるのは、泣き声と嗚咽としゃっくりばかり。


 すると、他のみんなも寄ってきて、次々に頭を下げ始める。


「申し訳ございません……私が頼りないせいで貴女は……」


「お許し下さい……貴女ばかりに頼っていた私をお許し下さい……」


「どうか、どうか一人で抱え込まないで下さい……」


「聖女様……私達にも貴女の背負う業をお分け下さい」


 家族のような人達の言葉が、私の心の中に入ってくる。

 散々感情を吐き出して、空いた心の空白に、暖かい温もりが入り込んで埋まっていくのが感じられた。


 ……ごめんなさい、私の方こそごめんなさい。

 みんなを救えなくてごめんなさい。

 みんなを助けられなくてごめんなさい。

 泣く事しかできない聖女で、本当にごめんなさい。


 そう言いたいのに、私の口からは嗚咽と泣き声が混ざった、言葉にならないような声しか出てこなかった。


 ――不意に身体が持ち上げられ、私は部屋の隅へと追いやられた。


 部屋の真ん中で泣き喚く私を、ゲオルグ辺境伯が連れていってくれたのだ。

 そして、不敵な笑みを浮かべて私に告げる。


「貴様はそこで黙って、見ているがいい!……ヨーゼフ!」


 まるで、神の奇跡など必要ないと言わんばかりの、自信に満ちた声。

 不敬な――とは、もう思わない。

 彼は最初から神の手助けなど必要としていなかったのだから。


 きっと、最果ての辺境という過酷な環境がそうさせるのだろう。

 ゲオルグ辺境伯はとても現実的で、運命や偶然といった曖昧な物を嫌うように思える。

 そう考えてみると、最初に会った時に感じた違和感の正体が見えてくるような気がした。


「いいか、もう聖女に奇跡を使わせるな。下手な処置をさせると、復活してくるかもしれん。特に『解毒キュア・ポイズン』だけは絶対に使わせるな」


 泣き止まない私を余所に、ゲオルグ辺境伯はヨーゼフと呼ばれた家令に指示を出していく。

 しかし、漏れ聞こえてくるその内容の意味が全く分からない。


 ……下手な処置で病魔が復活する?

 ……『解毒キュア・ポイズン』が逆効果?


 一体、ゲオルグ辺境伯は何を考えているのか……いや、きっと彼には何かが見えているのだろう。

 そうでなければ、こんな指示を出す訳が無い。


「いや、もし聖女に反応があるようなら……そうだな、『治癒(ヒーリング)』でも唱えさせていろ」


 そう言って、ゲオルグ辺境伯はこちらにチラリと視線を投げる。

 非常にぞんざいで、私が居ても居なくても変わらないといった、全く期待の籠っていない視線。

 腹立たしい事ではあるが、今はそれが頼もしく感じられた。

 ……それに、誰かにという状況が、とても新鮮である。

治癒ヒーリング』はそれほど難易度の高い奇跡ではない。

 それこそ、使い手はごまんといるのだから、ゲオルグ辺境伯がどれだけという存在を当てにしていないのかが分かる。


 ……つまりゲオルグ辺境伯は、神にも聖女わたしにも頼らずに、この状況を好転させる秘策があるという事だ。


「後は、頃合いを見て私に知らせろ……だいたい、明日の夜明け前でいい。分かったな?」


 しかも、たった半日程度で済むと言うではないか。


 本当に、本当にそんな事が可能なのか……


 もし、本当にそんな事ができるならそれは…………





 ――それは、それこそ神の奇跡ではないか!?





「はっ、畏まりました」


 恭しく拝命する家令の声を背に受け、ゲオルグ辺境伯は医療棟を去っていった。

 この場に私の仲間と、希望の二文字を残して……





 しばらくの間、そのまま私は部屋の隅で、みんなが働く様子を見守っていた。


 奇跡を行使しないのであれば私に出番は殆どないし、病人の介抱をするのであれば、疲れ切っている私よりも新たにやってきたポールさん達の方が何倍も戦力になるため、私は気分が落ち着くまでしばらく休んでいるように言われたのだ。


 だが、こうして現場を少し離れた場所で見ていると、今までは気が付かなかったような所にも目が向くようになる。


 例えば、部屋の汚れ。

 この医療棟の中は、今まで見てきたどんな救護所よりも清潔に保たれているのだ。

 昨日まではこうではなかったと思うが、どうして急に改善されたのだろうか。


 理由は明白。

 ファーゼスト家の家令――ヨーゼフさんが、汚れという汚れを片っ端から処理しているからだ。

 バケツに汚物が溜まれば、すぐさまそれをどこかへと持っていってしまい、吐瀉物などで汚れた布があれば、すぐに新しい物と交換してしまうのである。


 私の鼻は既に麻痺してしまっているので分からないが、恐らく臭いもそこまで酷い物ではなくなっているだろう。


 それから、外に立ち上っている煙。

 恐らく何かを燃やしているのだろう。

 それなりの規模で燃やしているのか、多くの煙が立ち上り、全く消える様子がない。


 一体どうして急にこのような事を始めたのだろうか?

 気になった私は、ヨーゼフさんの手が空くのを見計らって、聞いてみる事にした。


「あの、ヨーゼフさんちょっと良いですか?」


「ええ、丁度手が空いた所です。それで、いかがいたしましたか?」


 疲れを微塵も感じさせないファーゼスト家の家令。

 私は、忙しい彼の邪魔にならないようにと、手短に質問を投げる事にする。


「外の煙ですけれど、あれは一体何を燃やしているのですか?」


 すると、ファーゼスト家の家令から、信じられない答えが返ってきた。


「あれは、集めた汚物を焼いているのです」


 ……汚物を……焼く?

 どうしてわざわざそんな事をする必要が?


「……何故そんな事をする必要があるのか、私もゲオルグ様にお伺いしたのですが……何分、多くを語らない方ですので、詳しい理由までは存じ上げません」


 疑問が顔に出ていたのだろうか、ヨーゼフさんは私が気になっている事を語ってくれた。


「赤兎族の食糞用の物まで回収していますので、このまま続けば、彼らの健康にも影響が及んでしまうと思うのですが……」


「そうですか……良く分かりました、ありがとうございます」


 私がお礼を述べると、ヨーゼフさんは再び汚物を集めて燃やす作業へと戻っていった。


 ……一体どういう事なの?


 これらがゲオルグ辺境伯の指示によるものなら、全ては病魔の退治と繋がっていると考えるのが自然である。

 それなら、集めた汚物とその焼却には、一体何の意味があるのか……


 燃やされた汚物。

 一向に終息する気配をみせない病魔。

 掻き集められた食糞。

 そして、初めてゲオルグ辺境伯に会った時に感じた違和感。


 ……そうか、そういう事だったのね!


 それらが一つに繋がった時、ようやく私はゲオルグ辺境伯が指示している本当の意味を理解する事が出来た。





【病魔は、吐瀉物や汚物の中に潜んでいる】





 それが、この病魔の特徴なんだわ!!

 だから、ゲオルグ辺境伯は汚物を徹底的に集めて、焼却処分をしているのよ!

 これ以上、病魔が広がらないように。

 だから、ゲオルグ辺境伯は食糞用の物まで回収しているのよ!

 それを経由して、新たな患者が生まれないように。


 その事実に気付いた今なら、初めてゲオルグ辺境伯に会った時の、あの態度も理解する事ができる。


 ……恐らくゲオルグ辺境伯は、病魔に取り憑かれている赤兎族が誰なのか分かっていたのだろう。

 その証拠に、この地で一番始めに発症したのは、ファーゼスト家に十人だった。

 今となっては、その時既に病魔が広がっていたのかどうかを調べる事は出来ないが、彼が病魔に取り憑かれた者だけを集落から離して屋敷に隔離していたことは事実。


 ……なのにあの子は……パンはあろう事かそこから抜け出して、家族の下に帰ってしまった。

 一緒にを取るために、帰ってしまったのだ。


 成る程、ゲオルグ辺境伯が激怒するのも理解できる話である。


 それが原因かどうかまでは分からないが、事実、赤兎族の間には病魔が広がってしまっている。

 この事を皆が知れば、口さがない人たちはパンを責めるかもしれないし、パン自身も強い責任を感じる事だろう。


 ひょっとしたらゲオルグ辺境伯は、自分が憎まれるような立ち回りをして、パンに向けられる感情を逸らしているのかもしれない。

 ……いや、流石にそれは私の考え過ぎか。


 とにかく、ゲオルグ辺境伯が病魔の正体に気付いている事は間違いないようである。

 どこでどのように知ったのか分からないが、この際そんな事はどうでもいい。

 病魔に苦しむ赤兎族達を救ってくれるのなら、例え彼が悪魔だろうと、私は縋って助けを求めるだろう……


「――よし!」


 私は声に出して自分に気合を入れた。


 部屋の隅で休憩するのはもう十分である。

 思いっきり泣いた事で、心の底に溜まっていた淀みのような物も流れ、心は軽い。

 ゲオルグ辺境伯に抱いていた疑念も晴れた事だし、やるべき事がはっきりと見えてきた。

 何より、みんなが助かる希望が見えているというのに、私一人がうずくまっている訳にはいかない。


 私は思い切って立ち上がり、看護の一員として働くべく行動を開始したのだった。





 そして、医療棟に昼食が運ばれてきた――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る