とある聖女の華麗なる嫁入り物語 その六

 ……何故……どうして?


 その単語が頭の中を繰り返し流れていく。

 山場は越えたはずだったのに……もうこれ以上患者が増える見込みはなかったのに……


 私は医療棟にあふれ返る患者を前に、呆然と立ち竦んでいた。


「聖女様、全部で82人です……」


 医療棟の担当者が告げる致命的な数字。

 一体どうしてここまで患者が増えてしまったのか?

 何故、新たに40人もの患者が現れたのか……


 ……いや、原因ははっきりしている。

 私が現状を読み間違えてしまっただけだ。


 今日新たに訪れた患者が40人という事は、残りの42人は昨日から処置を行っている患者だという事である。

 そして、昨日の夕方に処置した患者は、全部で47人。

 ……つまり、たったの5人しか治らなかったという事だ。

 しかも『解毒キュア・ポイズン』で時間を稼いだ患者は、一切回復しておらず、むしろ病魔の気配が色濃くなってすらいた。


 それに、新たに訪れた患者の中に、二日前に私が完治させた者が交ざっているのも気掛かりである。

 退院する時には病魔は祓われていたのだから、集落の中でもう一度取り憑かれたとしか考えられず、他にもまだ症状の発症していない患者が集落に残っている事は、容易に想像ができる。

 恐らく、病魔は既に集落全体へと広がってしまっているのだろう

 その事に気付けなかった事が、何よりの過ちであった。


 もしも、私がファーゼストに到着して、早々に全員を診断していれば、もっと違った未来があったかもしれないのに……


 ……何故……どうして?


 その単語が、再び私の中を駆け巡る。


「……りして下さい。聖女様、しっかりして下さい!!」


 誰かに肩を揺さぶられ、私の意識は現実に引き戻された。

 疲労のせいか、どうにも頭がぼーっとしており、足元もふわふわとして覚束ない。


「……大丈夫です、心配をお掛けしました」


 心配そうにこちらを見つめる医療棟の担当者に告げ、私は頭を振って意識を保った。


「それならいいのですが……それで、これからいかが致しましょうか?」


「……」


 そう問われても、私の中に返すべき答えは存在しない。


 ――患者数、82人。

 この人数を全員救う事は絶対に無理。

 患者の命を繋ぐのに『解毒キュアポイズン』は必須だが、全員に二回唱える事は出来ず、かといって一回だけでは、やがて症状が再発して死に至ってしまう。

 何より、集落に残っている全ての赤兎族が潜在的な罹患者なのだから、そこまで手を回す事など不可能であった。


 ……最早打つ手なし。

 私はこの地でも命の選択を迫られた。


「――そんな顔をしないで下さい、聖女様」


 そんな時、立ち並ぶ寝台の一つから、身を起して私に優しく語りかける人影があった。


「昨日も申し上げましたように、もし助からぬというならそれは天命というものです」


「長老……」


 土気色の顔に、無理して笑みを浮かべる赤兎族の長老。

 その顔は病魔に寿命を吸い取られ、今や長老と呼ぶに相応しい皴が刻まれている。


「どうか、死に逝く我らの冥福を祈って下され……うっ、うおぇぇぇぇっ!!」


 しかし、途中で吐き気を堪え切れず、赤兎族の長老は足元のバケツに嘔吐してしまった。

 彼は患者を看病し続けた事によって、自らも病魔に侵される事になってしまったのだ。


「ダメです、無理をしてはいけません!!」


 私は急いで駆け付け、黄色い液体を吐き出す長老の介抱を行った。

 背中をさすり、口元を清潔な布で拭ってやる。

 一旦落ち着いた様子を見せる長老だったが、それも束の間、続いて激しい下痢に襲われ、水のような便をバケツに流してしまった。

 ファーゼスト家の家令が白く濁ったバケツの中身を回収し、新たなバケツを用意してくれる。

 それを横目に、私は長老の身の回りを整えていった。


 寝台に横たわり、浅い呼吸を繰り返す赤兎族の長老。

 だが、しばらくして症状が落ち着いてくると、長老は再び無理に笑みを浮かべ、私に優しく語りかける。


「どうか、聖女様は気に病まないでくだされ……」


 何度も吐き戻し、度重なる下痢で動くのも辛いはずなのに、ただただ私を心配して語りかけるのだ。

 既に体温は失われており、その身体は驚くほど冷たいというのに、長老の語る言葉は、私の心を温めようとしてくれている。


 ――それでようやく私は命の選別を行う踏ん切りがついた。


 中途半端な治療では病魔は復活してしまう事が、今回の事で良く分かった。

 だから、『治癒ヒーリング』無しの処置に加えて『耐病レジスト・ディジーズ』を唱える事で、再発も完全に防ぐ必要がある。


 患者の総数は82人……しかし、この方法で救える人数は…………25人。


 私は長老の手を取り、感情が溢れてしまわないように、なるべく平坦な声でそれを告げていく。


「この中から25人だけ助けられます。誰を優先して救いましょうか?」


 だが、どうしても涙が溢れてしまう。

 これから死ぬのは私ではないというのに、一番辛いのは私ではないというのに涙が零れてしまう。

 どうしようもなく、胸が軋んで悲鳴を上げてしまうのである。


 私の泣き顔を、何とも言えない表情で見つめる赤兎族の長老。

 やがて彼は目を閉じ、少し考えた後にこう答えた。


「……我らには救いは不要です。そうすれば、その分だけ集落に残されている者が祝福を得られるでしょう?」


 長老の決断に、思わず息を飲んでしまった。

 確かに重症者を治すより、まだ症状の発症していない者を治す方がはるかに負担は軽く、多くの人数を対応する事ができるだろう。

 しかし、それでは――


「――それでは長老たちが!?」


「……私は、より多くの仲間を生かすために、多くの仲間を見捨ててこの地に逃れて参りました。ですので、今回もより多くの仲間を生かすために、我らを見捨てて下さい」


 私はそれ以上、掛ける言葉を見つける事ができなかった。

 それが一番多くの赤兎族を助けるための方策だと、私自身も分かってしまったからだ。


「お願いします聖女様。貴女が残る同胞をみて下さるのなら、我らは安心して神の御下に逝く事ができます」


 私は涙を拭い、どうにかして笑顔を作って長老の手を取った。


「……分かりました」


 きっと、今の私はとても酷い笑顔を浮かべているだろう。

 にじみ出てくる涙を目に溜め、頬の筋肉は引き攣って度々痙攣を起こし、これでもかというぐらいに歯を食いしばっている。

 本当に無理して作った笑顔。

 ……だと言うのに、長老はそれを見てどこか安心したような表情を浮かべるのである。


「こうして、聖女様に最期を看取ってもらえるなんて、神に感謝しなければなりませんね……」


 そして長老は私の手を握ったまま、静かに目を閉じて祈りを唱え始めた。


「神よ、遍く我らを愛する偉大なる神よ――」


 まるで、それが最期の祈りであるかのように。










 ……神よ。










 …………遍く我らを愛する偉大なる神よ。









 ……どうか……どうか私の声が聞こえているなら、お応え下さい。

 善良な者が、何故悲しき想いを享受せねばならないのでしょうか。

 正しき者が、何故悲しい別れをせねばならないのでしょうか。





 ――今まで、どれだけこうして問いを重ねてきただろうか。

 目の前で命が消えていく度に、どれだけの祈りを捧げた事だろうか。

 ……しかし、何度問うても神からの返答は無い。





 神よ……人を愛し、慈しむ神よ。

 どうか、私の願いをお聞き届け下さい!

 どうか、どうか救いの手を現世に遣わして下さい!!





 ――今まで、どれだけ救いを求めてきただろうか。

 目の前で命が零れ落ちる度に、どれだけの涙が流れた事だろうか。

 ……真摯な祈りも虚しく、今日も神からの返答は無い。


 無情な現実を突き付けられ、心が折れてしまいそうだ。

 何もできない自分が悔しくて、無力で、非力で、ふがいなくて、どうしようもなく嫌になる。





 何が聖女だ……たった数十人しか救えなくて何が神の使いだ!?

 いつもいつも、その何十倍もの人を死なせて何が神の愛し子だ!?





 私を見てるなら助けてよ!?

 私を愛しているなら救ってよ!?

 神よ、遍く我らを愛する偉大なる神よ、その偉大なる御力で彼らの病魔を祓ってよ!!










 ……ねえ?










 …………応えてよ。










 ………………お願いだから。










 助けてよ!


 お願いだから、助けてよ!!


 もう誰でもいいから、こんな運命から彼らを助けてよ!!!















「……どうした、誰も死なせないのではなかったのか?」















 ――その時、初めて私の問いに、答えが返ってきた。


 はっきりと耳に残るような、重く響く力強い声。

 顔を上げると、そこにはあの男が立っていた。


 辺境の主ゲオルグ=ファーゼストが、私の仲間を連れて立っていたのだった。

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