先代悪徳領主の嫁奪り物語 その終

 夜明け前。

 東の空が薄っすらと明るさを帯びて夜の終わりを見せる頃、ようやくはやってきた。


 ――コンコンコン。


「……お時間にございます、ゲオルグ様」


 聞き慣れたノックの音が、これから取り行われるの始まりを告げる。


「ご苦労。では、今から向かおう」


 私は扉の向こうのヨーゼフに告げると、もう一度身なりを確認してから部屋を出た。


 たった半日程度の時間が、どれだけ待ち遠しかった事か。

 あまりに興奮しすぎて、一睡もする事ができなかったのである。

 これ程までに血が騒ぐのは、初めて魔獣を狩りに行くと知った、幼少の時以来ではないだろうか。


「……ふう」


 自身の気を落ち着けるために、私は息を大きく吸って吐いた。


 いかんいかん、これから取り行われるのは、神聖なる儀式だ。

 このように気が急いていては、大事な所で粗相をしてしまうかもしれぬ。

 神々の愛し子に手をかけ、その血の一滴までもをに捧げるという、偉大なる儀式。

 ファーゼスト家の歴史を振り返っても類を見ないこの偉業は、厳粛に取り行われるべきである。


 私はもう一度息を吸い、気を落ち着けてから生贄聖女の下へと赴いた。


 医療棟という名の、汚物と絶望に満ちた式場。

 日中は、うるさいぐらいの苦悶にあふれた建物であったが、今では厳かな静寂に包まれている。

 まるで、草葉の陰にいる参列者が、固唾を飲んで儀式を見守っているかのような錯覚に陥る程に。


「ここから先は私一人で行く、貴様はここで控えていろ」


「畏まりました。聖女様は、宿直室にてお休みになられております」


「そうか」


 医療棟の入口にヨーゼフを置いて、私は一人宿直室へと向かう。


 神々の使徒たる聖女に引導を渡すのは、悪魔の使徒たるこの私の役目。

 神と悪魔の代理戦争の幕引きを、他の誰かに任せられようはずもない。

 観客は不要。

 生贄の最期の叫びの一節までもが御柱様への供物なのだから、それを聞くのは私一人で十分である。


 私は宿直室の扉を静かに開き、寝台に横たわる聖女の姿を確認した。

 薄暗くて良く見えないが、起死回生の一手を狙っているような、そんな不穏な気配があるようには感じられない。


 軋む床の上をゆっくりと歩いていき、その命を摘み取らんと手を伸ばす――


「――貴方は……貴方はこのような事を、いつまで続けるのですか?」


 不意に声がした。

 寝ているとばかり思っていた聖女から聞える、小さくか細い声。


 ……なんだ、起きていたのか。

 まだ問答ができるような我が残っているとは、流石は聖女というべきだろうか。

 しかし、聖女の声は弱々しく、あとほんの一押しで掻き消えてしまいそうである。

 どうやらこの場で、聖女の中に残っているかすのような希望すらも、消し去ってやる必要がありそうだ。


「ふん、知れた事よ。貴様がそれを知ってどうするというのだ?」


「……」


 これから死にゆく人間が知る必要はない。

 貴様は、ただただ絶望に果てて、その苦悩を御柱様に捧げていればよい。


「これで良く分かっただろう?いかに聖女と言えど、貴様が何もできない無力な存在だという事を」


 私は伸ばした手を枕元に添え、聖女に言葉を重ねていく。


「……死が恐ろしいか?」


 その一言一言が聖女を追い詰めるように。


「……命が惜しいか?」


 その一言一言が死神の足音に聞こえるように。


「神は何をしてくれた!?祈って、神は助けてくれたのか!?」


 この世に救いはないと聖女の魂に刻みつけるかのように、その心を蹂躙していく。


「貴方は……」


「その結果、赤兔族達はどうなった!?それが答えだ!!」


 現実から目を背けるかのように、そっと静かに目を閉じる聖女。


 そして沈黙――


 現実とは、くも無常なものである。

 聖女もこの地にやってこなければ、その身を守る加護によって、健やかな人生を送れたのかもしれぬのに。

 ……まあ、これもだと思って諦め、このような宿命を背負わせた神を恨むのだな。


「……言い残す事はそれだけか?」


 ここまで徹底的に追い詰めてやったのだから、これ以上何かを言う力など残ってはいまい。

 何もないなら、それが貴様の最期だ。


「……私……と……なら…………えますか?」


 何かに縋るような、懇願するかのような声。

 聖女の目尻から涙があふれ、そのまま真っ直ぐに垂れていく。


「何だ、言いたい事があるなら、もっとはっきりと言ってみろ」


 恐らく、これが最期の言葉となるであろう。

 心が限界を迎えているのか、息もただ絶え絶えといった様子で、これ以上の責め苦は聖女を物言わぬ人形としてしまう可能性がある。

 廃人と化した人形の魂を御柱様に捧げる訳にはいかないため、私は聖女の次の言葉を最後に幕を引く事にした。










「もしも……もしも、私が貴方の言う通りになれば、みんなを救ってくれますか?」










 だが、聖女が口にした予想外の言葉に、今度は私が沈黙する番だった。


 ……まさか、このような展開になるとは。

 流石の私も、こんな事になるとは想像すらしていなかった。

 追い詰め過ぎて、気でも触れてしまったのだろうか?

 いや、ここまで追い込まれてなお、聖女は自分の身を犠牲に赤兎族を救おうとしている。

 最後の最後まで、聖女は聖女であるという事だ。


 しかし、聖女が悪魔の手先になるなど、一体何の冗談だ。

 あの糞喰らいの獣混じりの為に、何が聖女をそうまでして駆り立てるのか、全く以って理解する事が出来ない。


 だが……





 ……有りだな。





 聖女の全てを贄とするのなら、またとない申し出である。

 私の言いなりになるという事は、まさに悪魔の先兵になるという事ではないか。

 一時の平穏を得るための迂闊な一言が、更なる地獄への一歩だという事に気が付かないとは愚かな……


 クククッ、ここで殺してしまうなどとんでもない、向こう何十年と、死ぬまで現世の苦しみを味あわせてやらねば、あまりに勿体ない。


「よかろう!ならば誓え、そうすれば他の者も一緒に助けてやろう」


 私は約束を守る男だ、貴様がというのなら、残りの赤兎族に手を出さないと誓おうではないか。

 貴様が誓うのならば、残りの赤兎族の生死などどうでもよい!

 奴らの命ごと、貴様にくれてやろうではないか!!


「救いが欲しいのなら、私の手を取るがいい」


 その代わり、貴様は私の所有物だ。

 私が民を虐げる様を、指をくわえて見ているがいい。

 悪魔へ贄が捧げられる様を、呆然と見ているがいい。

 ……なあに、退屈はさせないさ。

『聖女』の名を、この私が有効活用するのだ、他所事を考えている暇なんぞありはせん。

 それに、ちゃんと貴様にもは取っておいてやる。

 きちんと、貴様にも直接手を下させてやるから、ゆっくりと堕ちていくがいいさ。


 一生、私の隣でな!クハハハハハハ!!


 ……うん?

 それではまるで、契りのようではないか。

 一生私の隣で苦しみぬくという、悪魔の契り……


 ……良い、良いではないか!!

 フハハハハ、神の愛し子をおとしめ、悪魔の子のつがいとするなど、なんたる皮肉。

 神々が血涙を流して悔恨に暮れる様が目に浮かぶようだ!


「さあ誓え、の名の下に!聖女アメリアよ、汝、病める時も、健やかなる時も、喜びも悲しみも全てを私と共に背負い、いかなる困難が立ち塞がろうとも、我が妻として共に在る事を誓え!!」


 私は寝台に横たわる聖女の目の前に手を差し伸べる。

 僅かに揺れる聖女の瞳。

 しかし、躊躇いながらも、聖女は私に手を重ねてこう言った。


「…………はい、死が二人を分かつまで」


 ――瞬間、光が私達を包み込んだ。

 地平線から昇る朝日が窓から差し込んで、新たな一日の始まりを告げる。

 まるで我らの新しい門出を祝うかのように。


 私は、重ねられた手を引き寄せ、聖女の身体を乱暴に抱き寄せた。

 どこかほうけた顔を見せる聖女。

 その耳元で、私は聖女の誓いを訂正するように囁いた。


「いや、死が二人を分かつとも、だ」


 クックック、死んでも逃げられると思うなよ?

 によって、貴様の魂は既に御柱様へ捧げられているのだから……





 クックックッ、フハハハハ、アーハッハッハッハ!!





 ――そして、私は無垢の白をけがしたのだった。

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