先代悪徳領主の嫁奪り物語 その四

 ――状況は最悪だ。


 監査のタイミングに合わせたかのような、の発生。

 そして、予定よりも一日早い聖女達の来訪。


 こちらには、運命を司る御柱様の加護があるというのに、この状況は一体何だというのだ?

 まるで聖女の身に宿る加護が、御柱様の加護を打ち消しているかのように、私に不利となる事態が、次から次へと発生するのである。


「ゲオルグ様、聖女様ら御一行のご対応は、いかが致しましょう?」


「うるさい、少し黙っておれ!」


「し、失礼致しました!」


 ……取り敢えず、聖女達は寝室へと追いやってしまえば良いだろうか。

 実際、日も暮れている事だし、こんな時間から顔合わせ等を始める訳にもいくまい。


 そう考え、伝令にやってきた侍従には、今日は聖女達を寝室へ通し、明日面会する旨を伝える。

 すると、侍従は指示を復唱し、すぐさま聖女達の下へと去っていった。


 その後ろ姿を見送って息を吐く。


 よし、これで時間を稼ぐ事ができる。

 夜の間にヨーゼフが証拠びょうにんを処分してしまえば、後は適当な理由をでっち上げて、聖女の追求を躱せば良いだろう。


 ……しかし、どこか嫌な予感が拭いきれない。

 私を取り巻くこの状況は、果たしてこれで改善するだろうか?

 運命を味方にしているはずのファーゼスト家に降り注ぐ不運の連続。

 そこには、間違いなく御柱様を封印した神々の思惑が絡んでいる事だろう。

 だとすれば、今回の聖女の訪問自体が、神々からの宣戦布告だったのではのではないか?


 そう考えれば、この程度で終わるはずがないというのは、当然の結論だった。


「申し訳ございませんゲオルグ様。教育中の赤兔族が一人、屋敷を抜け出しているようでございます」


 そして遂には、あのヨーゼフまでもがトラブルの報告をしてきた。

 ……やはり間違いない、これは最早、私と聖女による神魔の代理戦争と言っていいだろう。


「だったら何だ、いいからさっさと捕まえて来い!何度も言わせるな!!」


 そう怒鳴りつけ、再び対応に当たらせる。

 無言で一礼し、部屋から去っていくヨーゼフの姿を見ながら、私は拳を握った。


 良かろう。

 これが神魔の争いの一端だというのなら、御柱様の忠実なる下僕である、このゲオルグ=ファーゼストが相手になってやる。

 怨敵に目に物を見せられる、またとないこの機会に、御柱様へ勝利の二文字を捧げると致しましょうぞ!!


 まずは、先に相手の手を潰す必要があるな。

 ……ふむ、相手が聖女とその加護であれば、いくらヨーゼフといえども力不足は否めない。

 やはりここは私自身が動かなければ、この流れを止める事はできないか。


 そう考え、私は脱走したという赤兔族の汚物クソガキを探す事にした。


 一体あの汚物クソガキは何処へ行ったのだろうか?

 当てもなく闇雲に飛び出したのだろうか?

 ……いや違う、辺境の地で着の身着のまま外に飛び出せば、命が無い事など、子供でも知っている。


 一体何故脱走などをしたのだろうか?

 教育しつけに耐え切れずに逃げ出したか?

 ……いや違う、本格的な教育しつけはまだ始まっておらず、担当者にも、優しく接して奴らを懐柔するように言い付けておいた。


 、そして……


 ……その二つの答えは、恐らく今朝の長老との会話にあるだろう。

 あの時長老は、奉公に出た子供達しょうひんに対してこう言っていたはずだ。

『できればその、直接会いたいと思うのですが……』と。


 赤兔族は仲間との絆が強く、その反面、酷く寂しがり屋な種族である。

 大人である長老でさえもが『会いたい』と言っていたのだから、赤兔族の中でも幼い子供しょうひんが、ホームシックにかかったとしてもなんら不思議ではない。


 であれば、脱走者の居場所は、恐らく仮設住居に住む家族の下。

 そう結論を出し、私は赤兔族の村落へと出掛ける事にした。


 部屋を出て、まずは厨房へと向かう。

 このまま正面玄関に向かった場合、聖女達と鉢合わせてしまう可能性があるため、厨房の奥にある搬入口から外へ出るのだ。


 万が一にも聖女らに悟られぬように、慎重にルートを選択して、周囲の気配を探りながら廊下を進む。

 そうしてしばらく歩いていると、無事に誰にも出会う事なく厨房の前まで辿り着く事ができた。


 音が鳴らないように気を付けながら、ゆっくりとドアノブに手を伸ばす。


 ――その瞬間、手も触れていないのに、勝手に扉が開いた。


 何事かと驚き身構えるが、何の事はない、厨房側から人が出てきただけであった。


「あっ……」


 しかし、驚いたのは向こうも同じのようで、目の前のは間抜けな声を上げて、そのまま逃げようとする素振りを見せる。

 私は反射的にその腕を掴んで、少年を捕まえる事に成功した。


 我が家の見習い従者である事を示す制服に袖を通し、特徴的な兎の耳と赤い瞳を有した少年。

 屋敷の赤兎族しょうひんは、聖女達の目に触れないように、どこかの部屋へと一纏めにしているはずだが、どうしてこいつはこんな場所に居るのだろうか。


 ……そうか、こいつが脱走して私の手を煩わせる、赤兔族の少年ゴミクズか。

 丁度良い、探しに行く手間が省けた。

 それに、聖女らに先んじて証拠クソガキを確保する事ができたのは、正にである。


「こんな時間に何処へ出掛けていた?」


 少年ゴミクズが逃げないように、腕を掴む手に力を込めながら問い詰める。


「あ、あの、その……」


「ふん、どうせ仮設住居の家族の所だろう。……勝手に外へ出るなと言わなかったか?」


 ひょっとしたら、殺気が漏れてしまっていたのかもしれない。

 少年ゴミクズは小動物のように怯えるばかりで、私の質問に答えようとしない。


「答えろ!」


「ひっ!ご、ごめんなさい!!」


 そのオドオドした態度に耐えきれず、私は少年ゴミクズの胸倉を乱暴に掴んで持ち上げる。


「貴様は、自分が何をしたのか分かっているのか!!」


 一体何のために屋敷に閉じ込めていると思っている。

 貴様らを愛玩動物ペットとして、調教して変態共に売り払うためだ。

 折角、外との接触を断って情報を遮断しているというのに、何を勝手に外出している!

 おまけに、今は聖女がやって来ておりタイミングも悪いというのに、なんという事をしてくれるのだ!!


「ご、ごめんなさい。で、でも僕、家族に会いたくて、それで一緒に食事をしてきただけなんです……」


 足を浮かせ、もがき苦しむ赤兔族の少年ゴミクズ


 ……いや待て、今この少年(ゴミクズ)は何と言った?


『赤兎族』、『食事』、そして『今朝見てきた村落の光景』。

 それらが頭の中で一つに繋がり、とある単語が脳裏に浮かんでくる。


 ――『食糞』

 それは、吐き気を催す程の汚らわしい文化。


 この……この、糞喰らいめがぁぁぁ!!


「汚い手で触るな!!」


 もがき苦しむ汚物クソガキの手が触れようとした瞬間、私は思わず殴り飛ばした。


 この汚物クソガキは糞を食したその手で、あろう事か私に触れようとしたのである。

 いや、そう考えれば汚いのは手だけではあるまい、その衣服に汚物が付着していないと、誰が言い切れるのだ。

 ……くっ、後で念入りに、この手を消毒しておかなければ。


「良いか、貴様らがいつどこで汚物を喰らっていようとも勝手だがな、その軽はずみな行動のせいで、一体どれだけの被害をこうむると思っている!?」


 もしも、先に聖女がこいつを見つけていたら、屋敷で赤兎族を飼っている事と、食中毒が発生した事が露見してしまい、どれ程の弱みを握られる事になっただろうか。

 その結果、大悪魔の治めるこの地に神々が介入するようになったら、どうしてくれると言うのだろうか。

 だというのに、この少年ゴミクズは呑気に家族と食事を取っていたと言うではないか。


 ――決して許される事ではない。


 私は少年ゴミクズに、その身が汚物ゴミクズである事を理解させるべく、再び拳を振り上げた。

 ……と、その時。


「――やめなさい!!」


 鋭い叫びと共に、少年ゴミクズとの間に割って入る影があった。


 聖職者である事を示すローブに身を包み、不思議な雰囲気を纏った黒髪の女。

 荒事とは縁遠い体躯をしているにも拘らず、この私を前にして怯んだ様子を見せずに睨み上げてくる。


「……何だ貴様は、一体何のつもりだ?」


 私の殺気に当てられて、なお立ち向かってくる程の女であれば、私の記憶に残っていそうなものだが、初めて見る顔だ。

 一体何者だろうか。


「それは、こちらのセリフです!それとも、である私を、先程のように殴りますか?」


『聖女』と、確かにこの女はそう名乗った。


 この者が聖女?

 クククッ、ずいぶんと勇ましい女ではないか。


 こうして、悪魔の使徒を前に臆する事無く対峙する姿勢は気高く、美しさすら感じさせる。

 いくら宿敵といえども、その強き在り方はどこか好ましく思えた。


 ……しかし、まずいな。

 何故ここに聖女が居るのか分からないが、厄介な人間に、厄介な場面を見られてしまった。

 しかも、聖女が背中に庇っているのは、ファーゼスト家の不祥事を示す生きた証拠。

 それを確保されてしまえば、我々が不利になるのは火を見るよりも明らかである。


「部外者が口を挟むな、これは我が家の問題だ!!」


 そう殺気を込めて恫喝してみるも、聖女は僅かに身体を強張らせるだけで一切引く様子を見せず、そればかりか、瞳に一層強固な意志を灯して私に立ち向かってきた。


「いいえ、彼はラヴァールの国民です」


であろう?」


 私は聖女の言い分を一蹴した。


 これでは、当初の方針を変更せざるを得ない。

 証拠を隠滅し、知らぬ存ぜぬを通して煙に巻くつもりであったが、赤兎族しょうひんは見つかってしまい、おまけにファーゼスト家の見習い用の制服を着ている事からも、我が家の関与は否定できない。

 更には、少年ゴミクズの口から食中毒の事が漏れてしまう事も考えられるため、ここで下手な言い訳をしては、後で私の立場を悪くする可能性がある。


 聖女の監査をやり過ごす事が出来ないのであれば、正面から押し通るしかあるまい。


「だからといって、あのような狼藉を見過ごす事はできません!!」


 少年ゴミクズに対する扱いを非難し、私を睨みつけてくる聖女。

 だがしかし、聖女はこうしたやり取りには不慣れなのか、その論調は感情を優先させており、具体的に私をどう非難したいのかが、はっきりしていない。


「ふん、自分達の手に余ると、国から放り出しておきながら、今更どの面を下げて保護者を気取る?」


「なっ!?」


 なので、私は再び聖女の言い分を一蹴した。

 私が赤兎族の少年を殴ったから何だと言うのだ、そんなものいくらでも理由をでっち上げられる。

 ここが王国で、私が貴族で、相手が平民なのだから、悪いのは平民に決まっているだろうが。

 それに、難民が王国法の下で王国民として認められているのは、条約の中にもはっきりと明記されているのだ。

 この場合、私はを行っているだけなのだから、それを非難されるのは見当違いも甚だしい。


「そこな兎の庇護者は私だ、は引っ込んでいろ」


 私は逆に聖女の行いを非難し、詰め寄って圧を強めた。

 あくまでも正当性はこちらにあるという姿勢を崩さない。


「い、嫌です、どきません!!」


 すると、聖女は反論するでもなく、感情に任せて声を張り上げた。

 それはまるで、無理を通そうと駄々をこねている子供か何かのようである。

 そして何を思ったのか、手を伸ばして無理矢理証拠クソガキを確保しようと動くではないか。


「手を触れるな!!」


 それは私の所有物だと言っているのに、何を勝手に確保しようとしているのだ。

 全く、口で勝てないからといって強引な手段に出るとは、油断も隙もあったものではない。


「…………」


 行動をたしなめられ、奥歯を噛み締めて私を睨む聖女。


 ……ふむ、これまでの言動から察するに、聖女は交渉事や駆け引きに関しては、それほど得意ではないのではないか?

 考えてみれば、教会の中で蝶よ花よと大事にされてきた人間が、そういったスキルを身につけている可能性が低い事は容易に想像ができる。

 これは、相手が神々の寵愛を受けた宿敵だからと、少々買い被っていたのかもしれないな。

 いや、これまでは神々の寵愛がもたらす加護によって、物事が都合よく回っていたのだろう。

 事実、運命を司る御柱様の加護を打ち消して、ファーゼスト家が不利となる状況を作り出していた。


 だが、加護が打ち消されてしまったのは、聖女も同じだったのではないか?

 神々の加護によって大悪魔の加護が影響を受けるのであれば、その逆があったとしてもおかしくはない。

 恐らく、お互いの加護が影響し合って、相殺されている状況なのであろう。

 いや、ファーゼスト家が振り回されている現状をみるに、神々の加護の方がやや上回っているのかもしれない。

 封印されている御柱様と現役の神々であれば、忌々しい事に後者に軍配が上がるのであろう。


 しかしである。

 いくら、神々の加護のせいで不利な状況であろうとも、それらの使徒である私と聖女の差は歴然。

 世間知らずの小娘の相手など、海千山千である私に取っては、赤子の手を捻るも同然である。


 ――これは好機だ。


 食中毒の発生、突然の訪問、赤兎族の脱走、そして聖女による証拠の確保と、最悪の状況ではあるが、それを采配する聖女が素人であれば、付け入る隙はいくらでもある。

 当初は相手を過大評価してしまい、やり過ごす事を中心に考えていたが、この機に謀殺してしまう事を考えてもいいかもしれない。

 むしろ大悪魔の膝元で、聖女の加護が薄れているこの機を逃してしまえば、今後その首に手をかける機会など一生訪れないであろう。


 ――方針が決まれば、後は行動に移すのみである。


「……ちっ、そんなに大事なら、そいつから目を放さないようにしておけ」


 私はそう言い捨て、聖女の態度に根負けしたフリをして、その場を去る事にした。


 折角、聖女がご執心なのだから、その目を赤兎族の少年ゴミクズに釘付けにしていて貰おうか。

 この後、聖女は赤兎族の少年ゴミクズからファーゼスト家に不利となる証言を引き出して、大騒ぎするだろうが、それに構う事は無い。

 その証言が利用される機会など、そもそも与えなければ良いのだから。


 クックックッ、フハハハハ、アーハッハッハッハ!


 その後、私は適当な従者を捕まえて、聖女らの一団の責任者の部屋を聞き出した。

 意外にも、一団の責任者はクロウ卿ではなく、その補佐であるポールとか言う人間だそうで、思わぬ追い風に笑みが浮かぶ。


「クククッ、名前も聞いた事のない下っ端が相手であれば、交渉も容易であろう」


 私は、そのままポール卿の部屋へとおもむき、静かにノックを告げた。

 夜分遅くの訪問であったが、そもそも相手が予定外の日時にやって来たのだから、嫌とは言わせない。


「どうぞ」


 返事が返ってきたので、私は静かに扉を開けて部屋の中へと入る。

 すると、そこには聖職者を示す白いローブに身を包んだ、一人の壮年が立っていた。


「初めましてポール卿、この度はファーゼスト家にお越し頂き、誠にありがとうございます」


「ゲ、ゲオルグ辺境伯ではありませんか!?この度は――」


 突然の訪問に驚くポール卿の言葉を遮って、私は自分の言いたい事を告げる。


「夜も遅いので、早速用件をお伝えしたいのですが宜しいでしょうか?」


「……それは、聖女様の事でしょうか」


 勿論その通りである。


「ええ、今後の事について、ポール卿には少々便宜を図って頂きたいと思いまして……」


 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。

 もしも聖女の上司を味方にする事ができれば、謀略の幅が一気に広がるため、私はポール卿に調略を仕掛ける事にした。

 最近の聖職者には、その地位を悪用する生臭坊主が多いと聞くので、買収に応じる可能性は高いし、もし応じなければ、聖女と一緒に大地の肥やしにしてしまうだけである。


「ほんの心付けではございますが、まずはこちらをお受け取り下さい。聖職者と言えども、先立つ物が無ければ何かと不自由でしょうから」


 私はそう言って、金貨の山を叩きつけた――

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