とある聖女の華麗なる嫁入り物語 その三

 ラヴァールに蔓延する病魔は、幾つもの奇跡を重ねなければ完治できないため、一般的な術者には、対処する事が非常に困難だと言わざるを得ない。

 何より、病魔の抵抗力が非常に高く、並の『復調キュア・コンディション』では効果が無い事が、この病の治療を困難にしている大きな要因だ。


 そのため私は、二回分の奇跡を重ねる事で『復調キュア・コンディション』の威力を高め、病魔を祓う事に成功している。


 しかし、病魔を祓う事ができたとしても、病魔が吐き出した毒を消さなければ、患者の症状が改善される事はないため『解毒キュア・ポイズン』を追加で唱える必要があり、その上で消耗した体力を回復させるための『治癒ヒーリング』を唱えて、ようやくこの病を完治させる事が出来るのである。


 そして、私が一日に行使する事が許されている奇跡の回数は、約一〇〇回。

 本当はもう少し行使する事が出来るのだが、自身らに『耐病レジスト・ディジーズ』を唱えていたり、緊急事態に備えて余力を残す必要もあるため、実質的には一〇〇回が、一日に使用出来る奇跡の上限である。


 分かるだろうか?

 と呼ばれる私でさえも、この病からは、一日に二五人程度しか救う事ができないのである。

 ……そしてこの病魔は、一日もの時間があれば、容易に患者を死に至らしめる事ができる。


 何十人もの人間をこの手で救ってきたその一方で、私は、どれだけの人間が死に逝く姿を看取ってきただろうか?


 平等であるはずの命の選択。

 救える命と救えない命の線引きに何度も悩み、そして線の外側で命がこぼれる度に、胸の奥から何かが軋む音が聞こえてくる。


 その度に、私は何故だと神に問いかけた。

 何故私に、命を選別させるのかと問いかけた。


 ……答えは、いつも返ってこない。


 もしも、答えが無い事が答えだというのなら、それはどれだけ残酷な事なのだろうか?

 それが、聖女に与えられた神の試練だというのなら、私はどうすればいいのだろうか?


 ……神からの答えは、いつも返ってこない。


 私は全てを救いたい。

 命の選別など、何故する必要があるのか?

 全てを救えなくて、何が聖女か?


 ――だから、私は足掻く。

 絶対に、九人の赤兔族を救ってみせる!!


 ファーゼストの侍従に案内された医療棟で、ベッドに横たわっている赤兔族の少年少女達に、私は何度も何度も奇跡を施していった。


「あともうちょっとだから、頑張ってね!」


 病魔の毒に苦しむ少年少女に、笑顔を向けて励まし、神に祈りを捧げる。

 一つ奇跡が起こる度に病状が改善していき、患者の顔に生気が戻る度に、私の心が活力を取り戻す。

『救える』という事実が、私の背中を後押ししてくれているのだ。


 そして、神に祈りを捧げ続ける事、数十分。


「…………ふぅ」


 その場にいる全員の処置が無事に完了すると、私は胸に溜まっていた息を吐いた。

 目の前には、すやすやと安らかな寝息をたてて眠る、九人の赤兔族達。

 その姿に、思わず笑みが浮かんでくる。


 ――良かった、間に合った。


 流石に、連続で何十回もの奇跡の行使は大きな負担で、鉛のような疲労が身体に付き纏うが、それよりも全員を救えたという事実が、私の頬を緩ませる。


「……これで、もう大丈夫ね」


 最後に、全員に『耐病レジスト・ディジーズ』を唱えて、私は処置の完了を告げた。


「聖女様、この度は誠にありがとうございました!」


「いえ、人々の苦しみを癒やすのは、私の使命ですから」


 口々に感謝の言葉を述べるファーゼストの家の侍従達。

 私はそれらに笑顔で応え、それから「もう夜も遅いので……」と言って、休ませてもらう事にした。

 丸一日馬車に揺られていた事もあり、そろそろ体力の限界である。


「それでは、私が部屋まで御案内させて頂きます」


 その申し出に私は頷き、ファーゼスト家の侍従の後ろに付いていく。

 部屋を出る前に、救った九人の赤兔族の姿を振り返り、無事な様子を目に焼き付けてからその場を後にした。


 医療棟を出て屋敷の中に入り、まるで迷路のような廊下を右へ左へと進んでいく。

 すぐに現在地が分からなくなってしまったので、私は道順を覚える事を放棄し、案内人の背中を追う事に専念した。


 ……それにしても、本当に良かった。

 もしあの時、ファーゼスト・フロントを出発していなければ、あの子達は夜明けを待たずに、命を落としていただろう。


 私は、この危機を教えてくれた存在に、感謝の祈りを捧げた。

 尊い命が溢れて消えてしまう前に、私をこの地へと導いてくれた事を、深く感謝した。


 ――だけど、何故だろうか?


 まだ何か引っかかる物がある。

 まだ何かを見落としている気がするのである。


 ……ダメだ、疲労が重なって頭が働かない。


 そんな時、廊下の向こうから、信じられないぐらい大きな怒声が響いてきた。


「貴様は、自分が何をしたのか分かっているのか!!」


「ご、ごめんなさい。で、でも僕、家族に会いたくて、それで一緒に食事をしてきただけなんです……」


 不穏な気配を感じ、急いでその場に駆けつけてみると、一目で高価だと分かる衣装を身に纏った男性が、怒りに顔を染めながら、赤兔族の少年の胸倉を掴み上げているではないか。


 苦しそうにもがく赤兔族の少年。

 そして、その手が男に触れた瞬間――


「汚い手で触るな!!」


 男が拳を振り抜いた。

 鈍い音を立てて少年の身体が宙を舞い、勢い良く壁に背中を打ち付けて激しく咳き込む。


「良いか、貴様らがいつどこで汚物を喰らっていようとも勝手だがな、その軽はずみな行動のせいで、一体どれだけの被害をこうむると思っている!?」


 だというのに、男は赤兔族の少年に詰め寄り、再び拳を振り上げようとするではないか。


「――やめなさい!!」


 私は叫んで、二人の間に割って入った。

 目の前の男の迫力は想像以上で、まるで魔物を相手にしているような錯覚を覚えるが、下腹に力を込めて踏ん張り、顔を上げてキッと睨み上げる。


「……何だ貴様は、一体何のつもりだ?」


「それは、こちらのセリフです!それとも、である私を、先程のように殴りますか?」


 男の問いに、伝家の宝刀である『聖女』の称号で立ち向かう。

 しかし、男は『聖女』の単語に一瞬だけ反応するも、その名を気にする素振りを見せない。


「部外者が口を挟むな、これは我が家の問題だ!!」


 そればかりか、怒鳴って私を威圧してくるではないか。

 初めて身に浴びる罵声に、体が竦んでしまいそうになるが、ここで私が引いてしまえば、少年が再び暴力に晒されてしまう事を思い、何とかその場に踏みとどまる事に成功した。


「いいえ、彼はラヴァールの国民です」


であろう?」


 男は鼻で笑う。

 私が震える心に叱咤しながら、必死で立ち向かっているというのに、男は心底人を馬鹿にしたような笑みを浮かべるのである。


「だからといって、あのような狼藉を見過ごす事はできません!!」


 負けない。

 聖女である私が、悪意に屈するわけにはいかない!!


 歯を食いしばり、男の眼を射抜くつもりで睨み上げる。


「ふん、自分達の手に余ると、国から放り出しておきながら、今更どの面を下げて保護者を気取る?」


「なっ!?」


 男の放ったその一言に、私は胸が抉られるような気がした。

 事実であるからこそ、余計にそれが心に響いてしまうのである。


 難民となった者は、その全てが病魔の被害の生き残りだ。

 そのため、病魔の影を恐れるあまり、彼らの受け入れを拒否した街や村は数知れず、ラヴァールだけではどうにもならなくなったために、他国の援助を仰いだのである。

 もしも、サンチョウメ王国が受け入れを拒否していれば、難民となった者の多くは、その屍を野に晒す事になっていていたであろう。


「そこな兎の庇護者は私だ、は引っ込んでいろ」


 口は悪いが、男の弁は正しい。

 むしろ、誰もが言い淀むであろう難民の事情を、正しく表現していると言っていいだろう。

 ラヴァールは、彼らに対して『死ぬ』か『他国で暮らす』かの選択を迫ったのだから。

 そんな私達に、他国の事情に口を挟む権利がどこにあろうか。


 だけど……


「い、嫌です、どきません!!」


 目の前の被害者を見捨てて、何が聖女よ!

 悪意と暴力に屈して、何が聖女よ!!


 私は赤兔族の少年を悪意から護るために、抱き寄せようと手を伸ばす。


「手を触れるな!!」


 それを遮るような男の怒声。

 その迫力に思わずビクリとしてしまうが、私は男を見据えて一歩も引かない姿勢を見せる。


「…………」


 空気が張り詰めような沈黙。

 私の身体は強張り、指先は震え、呼吸も浅く、気を抜くとその場にへたり込んでしまいそうだ。

 しかし、目は逸らさない。

 絶対に譲らないという気持ちを込めて、無言の訴えを続ける。


「……ちっ、そんなに大事なら、そいつから目を放さないようにしておけ」


 先に根負けしたのは男の方だった。

 男はそれだけ言い捨てると、私達を残したまま、その場を去ってしまった。

 先程までの圧迫感が消え、私は思わず胸を撫で下ろす。


 ――ブルリ。


 今更ながら、自分が大量の汗をかいている事に気が付き、寒さに身が震えてくる。


「――ごめんなさい、ごめんなさい……」


 すぐ側から聞こえてくる涙混じりの声。


 ……そうだ、そんな事よりも、今はこの子の手当てをしなくちゃ。


「大丈夫だった?すぐに、怪我を治してあげるからね――」


 そう言って、赤兔族の少年に目線を合わせようとしゃがんだ瞬間、彼からを感じ取った。


「違うんです、僕が悪いんです。ゲオルグ様はダメだって言っていたのに、僕が…………」


 泣きじゃくる少年から漂う病魔の気配。


 ――そうだった、どうして私は見落としていたのだろうか。

 医療棟を出てくる時に、ベッドに寝ていたのは全部で九人。

 しかし、始めに治療した赤兔族の少年も含めて九人なのだから、一人足りない計算になる。


 という事は、この少年が最後の一人?

 見た所、自覚する程の症状はないようだが、他の九人同様に病魔の気配を強く感じる。


 ……あれ、ちょっと待って。

 だとすると、先程の男の言っていた内容に違和感が……


 何となく引っ掛かる物を感じたが、疲れのせいで考えが纏まらない。


 取り敢えず、泣きじゃくる赤兔族の少年が落ち着くまで抱きしめ、その間に怪我と病魔を奇跡で癒やしてしまう。

 しばらくすると、腕の中からはスースーといった寝息が聞こえ始め、ファーゼスト家の侍従が私に代わって赤兔族の少年を抱き上げた。


 正直、私の力では寝ている少年を運ぶのは難しかったので助かる。


 ファーゼスト家の侍従は、少年を抱いたまま私を部屋へと案内し始め、その道中で、申し訳なさそうに口を開いた。


「あの、ゲオルグ様の事を誤解しないで下さい。あの方は素晴らしい方なのです、きっと先程の事も何か理由があったに違いありません」


 何となく察してはいたが、やはりあの男がファーゼスト家の当主、ゲオルグ=ファーゼストだったようだ。


「理由?」


「ええ、私には分かりませんが……」


「……その子を殴るのに、一体どんな理由があったのかしらね?」


 私の皮肉に、ファーゼスト家の侍従は苦笑いを浮かべて黙ってしまう。


 駄目ね、この人に当たっても仕方ないのに……

 やっぱり疲れているのね。


 口数が減ってしまったファーゼスト家の侍従に、心の中で謝罪を述べて、私は長い廊下を黙々と歩く。

 そして、ようやくたどり着いた部屋は、世俗に疎い私でさえも一目で豪華だと分かる、贅の限りを尽くした一室だった。


 部屋の扉が閉まって私一人になると、高価な丁度品には目もくれず、天蓋付きのベッドに身を投げる。


 想像していた以上の柔らかい感触。


 これを用意したのが先程のあの男だと思うと、どこか釈然としないものを感じたが、しばらくすると全く気にならなくなった。


 気にするのも忘れるぐらいの、深い眠りについたのだから。










 そして翌日――

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