先代悪徳領主の嫁奪り物語 その一
――その昔、神聖国家ラヴァールで、とある病魔が猛威を奮った。
病魔は狡猾で、人体に隠れ潜んで周囲を欺き、体内で着々とその数を増やしていく。
そして、機が熟すと毒を撒き散らして宿主を殺し、その体を自身の苗床としてしまうのだ。
初めの犠牲者は、ラヴァールの僻地にある、小さな漁村に住む一人の子供であった。
子供は村でも評判の悪ガキで、日頃からあの手この手で家業から逃げ回っていたため、体調不良を訴えたが、それが聞き届けられる事はなく、その翌日、症状が重症化してこの世を去った。
次の犠牲者は、そこから少し離れた村に住む老人であった。
老人は、いつ天に召されても不思議ではない年齢で、普段から病気がちだった事もあり、病魔に侵されると、糞尿を垂れ流しながらぽっくりと逝ってしまった。
続く犠牲者は、魚を仕入れて町へと卸す商人であった。
商人はある日突然、激しい嘔吐と下痢に襲われ、家族の看病も虚しく「寒い、寒い……」と言いながら帰らぬ人となった。
ぽつり、ぽつりと消えていく命の灯火。
一人また一人と、櫛の歯が欠けていくように、姿を消していく隣人。
ひたひたと忍び寄る死神の足音に、人々は言い知れぬ恐怖を感じ、ラヴァール国内に不安と不満の嵐が吹き荒れる。
事態の深刻さに、国がようやく動き出した時にはすでに遅く、病魔は着々とその数を増やして、ラヴァールに根を下ろしていたのだった。
「――それでは、神聖国家ラヴァールからの要請の内容を確認させて頂きます」
その場に座る面々を見回して、私は口を開いた。
王城の会議室に備えられた、大理石の机。
その向かって右側に座るのは、我がサンチョウメ王国の政治を担う新進気鋭の宰相、ジョシュア=カンパク=トヨトミ。
そして、『王国の胃袋』と呼ばれる穀倉地帯を治める領主、モロー伯爵。
対して、向かって左側に座るのは、隣国ラヴァールからの使者。
高齢の教皇に代わり、教会の屋台骨となって支える枢機卿と、教皇の秘蔵っ子と名高い若きエルフ、クロウ卿。
そして、ラヴァールの行政機関である評議会から、狼人族の議員が一人。
最後に、それらの間を取り持つべく、わざわざ辺境から王都に呼び出されたこの私、ゲオルグ=ファーゼスト。
この六人が、会議室を重々しく彩る面子である。
我々は今、神聖国家ラヴァールを襲う未曾有の災害に対して、対応を迫られていた。
「ラヴァール評議会からの要請は主に二つ。一つ、我が王国からの生活必需品の輸送。一つ、難民となったラヴァール国民の一部受け入れ。相違ありませんか?」
「相違ございません」
私の問いに、汚らしい獣混じりの議員が頷いて答えた。
三角形の耳をピンと立たせ、私の発言を一言も聞き漏らさぬよう傾聴する姿は、まるで飼い馴らされたペットのよう。
犬畜生風情が、私に直答する事実に不愉快な思いが募るが、相手は隣国の地位ある存在。
下手な対応は、他の面々の心象を悪くするため、不快感を押し殺し、外見を取り繕って会議を進める。
「ジョシュア閣下、難民の受け入れ体制はどうでしょうか?」
「はい。我が王国が受け入れる難民はおよそ一五〇〇人。その内の五〇〇人を王都で、五〇〇人をモロー伯爵領で、残る五〇〇人を一〇の領地で分けて受け入れます。既に各領地との折衝は完了しており、すぐにでも難民の受け入れが可能です」
打てば響くと言うように、宰相の口から淀みなく現状が告げられた。
いくら事前に連絡があったとはいえ、全ての根回しが済んでいるあたり、敏腕宰相の名が光る。
「サンチョウメ王国の迅速な対応に、感謝致します」
ジョシュア閣下の有り難い言葉を前に、
そうやって、畜生らしく
「続いてモロー伯爵、物資の備蓄はいかがですか?」
私は、中々顔を上げようとしない頭の悪い狼から視線をはずし、会議を進めるべくモロー伯爵に水を向けた。
「はい。昨年、一昨年と豊作が続いたため備蓄は十分。我が領地の備蓄だけでも、半年はラヴァールを食わせる事が可能でしょう」
「そんなにも……」
ラヴァール側の席から、思わずといった呟きが漏れる。
流石は『王国の胃袋』と呼ばれるモロー伯爵だ。
有事に対しての備えに余念がないし、何より稼ぎ方を心得ている。
少し前に耳に入ってきた、モロー伯爵が家畜用の飼料を大量に買い付けたという情報は、そういう事なのだろう。
「さて、このように我々王国には、ラヴァールの憂慮に対し十分な支援を行う用意がございます……」
要請に対する確認が一通り済んだ所で、私は短く間を取り、視線をラヴァール側の席へと向けた。
「……しかし、政治とは、あちらを立てればこちらが立たずと、中々ままならない物で、これらを潤滑に行うために、いくつか決まり事を設けさせてもらう事をご了承頂きたい」
さぁ、ここからが本番である。
人道支援と言えば聞こえは良いが、何せこれらの支援は、我が国の負担となるばかりで、利益はない。
負担を強いられる貴族にも旨みがなければ、とてもではないが、協力を望む事はできないだろう。
しかし、疲弊した隣国の弱みに付け込んで、利益を貪る事は容易だが、弱りきって魔の領域の侵蝕を許してしまっては本末転倒。
生かさず殺さず、それでいて甘い汁を絞り取る匙加減が必要となる。
ラヴァール側の使者も、支援に対価が必要となる事は、当然の事と承知しており、私の視線を受けてごくりと唾を嚥下する。
「まずは、支援を担う貴族家に対して、両国間の通行許可と関税の免除。……通行許可は当然の事ですが、支援物資に関税が発生しては、支援の意味がありませんからね」
私は、当たり前の事を、再確認するかのように話しかけた。
その内容に、張り詰めた空気が少しだけ緩むのが感じられる。
「ゲオルグ辺境伯のおっしゃる通りかと」
獣混じりの出来損ないから上がる肯定の声に、私は内心ほくそ笑み、モロー伯爵へそっと視線を向ける。
すると、モロー伯爵も薄っすらと笑みを浮かべて、視線を返してきた。
……取り敢えず、一つ目のハードルはクリアと。
「続いて、受け入れる難民は、各領主の責任の下で我が王国の法に則って生活を送って頂きます。……難民とはいえ、我が王国民となるのですから、無法は許容致し兼ねます」
「当然の事ですね」
今度は枢機卿から肯定の声が上がった。
というより、この内容を否定されれば、我が王国は難民の受け入れを白紙に戻すだろう。
宰相のジョシュア閣下に視線を向けるが、彼は澄まし顔を対面へと向けるだけで、その心の内を測る事はできない。
否定されようのない条件に、自国の利益を盛り込むのだから、やはり侮れない人物だ。
……当然の如く、二つ目のハードルもクリアと。
私は自国の宰相から視線を切って、ラヴァール側の席へと向き直り、最後の言葉を告げるべく口を開いた。
「……以上です」
「…………は?」
私が告げた瞬間、使者ら全員が目を剥いて私を見る。
評議会の
「『以上です』と申し上げたのですが?」
「そ、それでは、支援物資に対する代価は!?」
犬っころは商人でもあるため、無償で物資が手に入る事が信じられ無いようで、臭そうな唾を撒き散らしながら、私に問いかけた。
「ございません」
思わず鼻を摘んでしまいそうになるのを、必死で堪えながら、私はそれをバッサリと切り捨てる。
「ラヴァールの友に、最大限の感謝を!!」
すると、アホな狼はテーブルに頭を擦り付け、涙を流し始めるではないか。
やれやれ、どうやらラヴァールの評議会は、アホでも務まるボンクラばかりの集まりらしい。
いや、人間になり損なった出来損ないばかりの集団を、貴い血を引く我々と同列に考える事が、そもそも間違いというものか。
突き付けられた条件の裏も読めず、与えられた
支援を行うための通行許可と関税の免除?
クククッ、確かに間違ってはいないが、果たしてそれは『いつ』まで有効なのか。
そして、その特権を『支援を担う貴族』が所有するという文言が、何を意味するのか。
つまり、一つ目の条件は、主にモロー伯爵を対象とした、交易のフリーパスの発行を意味する、それも無期限の。
これによりモロー伯爵家は、今後、砂糖を始めとした高価な輸入品を無税で仕入れる事が可能となり、また主産業の小麦や加工品の輸出にかかる費用も抑えられる。
普段取引する量が多いだけに、その
当然ながら我がファーゼスト家も、他の地域からの輸入物資が生命線であるため、この利権を手に入れる貴族として、既に名を連ねている。
これぐらいの旨みがなくては、誰がわざわざ王都に足を運んでまで、面倒な仕事を引き受けるものか。
そして、難民達に対する王国法の適用。
クククッ、これも王国法を『どのように』適用するのかを明確にしていない一つの罠。
王国法では、領地は国王陛下の名において、貴族に貸し与えられている物で、各領内ではそれぞれ自治が認められている。
難民達は『各領主の責任の下で王国の法に則って生活を送る』のだから、当然、王国民として税を納めなければならないし、生活苦などで首が回らなくなれば、王国法に則り、実質的な奴隷に身を落す事となるだろう。
つまり、難民を受け入れる領地は、使い潰す事のできる労働力を得た事に他ならない。
おまけに王国法では、領主の許可なき領民の移住は認められていない。
ラヴァールの災禍が終息した後、たとえ難民達が帰国を望もうとも、領主が首を縦に振らなければ、彼らは帰る事ができないのである。
そして当然ながら、奴隷のように扱える労働力を手放す馬鹿な領主など存在しない。
支援物資の代価が無い?
そんな都合の良い話など、ある訳がないだろうが。
たかが建前に泣いて感謝するのは、阿呆のする事よ。
ん?では、実際に目の前でわんわん泣くこいつは一体……
ああそうか、犬畜生だから
「――卿らの寛大な御心に感謝致します。それでは教会からも、聖女を含む使節団を派遣する事で、友好を示したく存じます」
心の内で獣混じりの議員を扱き下ろして悦に入っていると、思いもよらない所から声がかかってきた。
声の主は、今まで沈黙を守っていた若きエルフ。
クロウ卿はその整った顔に微笑を浮かべながら、にこやかに使節の派遣を提案してきた。
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