悪徳領主の慈善事業

 練兵場で掻いた汗を浴場で洗い流し、汚れも落ちたというのに、どうにもスッキリしない。

 聖女と呼ばれる人間が、屋敷の中を我が物顔で歩いている事実に、言い知れぬ不快感が顔を覗かせるのである。


 一体、何故あの女がこの屋敷に居るのか……


 理由は幾つかあるが、一つは新しい教会を建てるための視察だ。

 しかし、これは聖女と呼ばれる人間が行う業務ではなく、本命の理由は、これから私が会う人物に関係する。


 応接室にて悶々とした思いを抱えたまま、私は時間を潰していた。


 コンコンコン


「失礼致します」


 ノックの音が聞こえ、続いて家令のヨーゼフが目的の人物を私の前へと案内する。


「お久し振りです、ルドルフ辺境伯」


 聖職者である事を示す白のローブを身に纏い、そこから覗く手足は色白で華奢。

 小顔で四肢はスラリと長く、人体の黄金比とも言える理想的なバランスを保っており、そして何より特徴的なのは、非常に美しい容姿をしている事にある。

 男性であるのに、線が細く中性的な顔立ちと、やや尖った耳の先。

 齢百歳を越えているにも拘わらず、一切の年齢を感じさせない若々しさ。

 彼は、エルフと呼ばれる長命の種族であり、隣国である神聖国家ラヴァールの要職に就く賓客である。


「遅くなってしまいましたが、ファーゼストへようこそクロウ卿。折角お越し頂いたのに、大したおもてなしもできないばかりか、家の者が随分とお世話になったようで、ご迷惑をお掛け致しました」


 私がそう声を掛けると、目の前の人物――クロウ卿は、氷のように冷たい眼差しをこちらに向け、私の向かいの席へと座る。


「いえ、こちらこそ、ファーゼスト辺境伯には多大なご恩がございますので、少しは恩返しができたのではと存じます」


 洗練された動作と、造られたように整った顔。

 そして人間味を感じさせない瞳が、どこか無機質で、彫像ような印象を与えている。

 態度は素っ気ないが、クロウ卿は、特に私に何か思う所がある訳ではない。

 初めて会った時からこうなので、元からそういう顔の造りをしているだけである。


「そう言ってもらえると、私も気が楽になります」


「人々を病魔の手から救い出すのは、私達の使命ですから」


 目を細め、至極当然といった口調でクロウ卿は答えた。


 私が留守の間、流行病に倒れた領民達を看病し、病魔を追い払ってくれたのは、クロウ卿と彼が管轄する獣人の一団だった。


 彼は、聖職者としての位階も高く、また精力的に活動を行っている事から、市井の者達からの支持も厚い。

 事務的な受け答えがやや目立つが、一貫して人々を救う姿勢は聖職者の鑑と言え、我が神敵の一員ではあっても、一定の尊敬を抱かざるを得ない。

 実際、ビジネスパートナーとしては、非常に優秀だ。


 それに引き替え、我が領兵の何と情けない事か……


「全く、肝心な時に病気で動けぬばかりか、クロウ卿の手まで煩わせるなど、なんたる体たらく。以後、このような事が無いよう、奴らは厳しく躾けますので、どうかご容赦を」


 こうして、私が頭を下げなければならないのも、奴らのせいである。

 有能な敵より無能な味方の方が恐ろしいとは、よく言ったものだ。


「彼らも病み上がりですから、どうか無理をなさらないように」


 聖職者らしい意見を述べるクロウ卿。

 しかし、私は首を横に振ってそれを否定する。


「いいえ、奴らに必要なのは、神の慈悲ではございません。強き心と身体を手に入れるための、試練こそが必要なのです」


 聖職者としては正しい言葉なのであろうが、領主の立場から言わせてもらえば、無知蒙昧な領民かちく共に慈悲そんなものは無用である。

 奴らは甘い顔をすると、すぐに付け上がるので、鞭を打つぐらいで丁度良いのだ。


「……厳しい事をおっしゃるのですね」


 立場の違いからくる意見の相違に、クロウ卿は珍しく感情の色を浮かばせた。


「ええ、辺境の民は、強くあらねばなりませんので」


「…………そう、ですか」


 それに対し、辺境の領主として当たり前の心得を述べるが、クロウ卿は言葉を詰まらせる。

 気を悪くしたのではと思い、私はこの話題を終わらせるべく、会話の舵を切る事にした。


「……まあ、我が領兵の事などどうでもいいでしょう。そんな事よりも、ラヴァールでの活動はいかがでしたか?あちらでも流行病が蔓延したと聞きますが…………」


 ……何かを噛み締め、僅かに強張ったクロウ卿の口元が、妙に印象的だった。





 ――神聖国家ラヴァール。


『神聖』と頭に付く通り、ラヴァールは神を至高の存在として崇める宗教国家であり、各国の教会を束ねる総本山が存在する国である。

 また、神の名の下に、地上に存在する全ての種族が、等しくその生を祝福されているという考えから、かの国には獣人やエルフを始め、多種多様な種族が生活しているのが特徴で、中でもエルフは、その長き寿命を生かして、古き時代からの伝統と信仰を、そのままの形で受け継いでいるそうだ。


 教会の頂点に位置する教皇も当然エルフであり、なんと齢五〇〇歳を越え、我がサンチョウメ王国の建国に直接携わったという、歴史の生き証人でもある。

 しかし、最近は年齢のせいか体調が芳しくないようで、表舞台には姿を表さず、政治は評議会に、神事は後進のエルフに任せっきりにしていると聞く。


 目の前にいるクロウ卿は、エルフの中ではまだ若い方だが、精力的に活動を行っており、教皇からの覚えもめでたく、教皇の秘蔵っ子とも右腕とも呼ばれる、神聖国家ラヴァールの最重要人物の一人だ。


 そんな人物が何故、隣国の辺境にまで足を運んでいるのか。

 それは、彼が管轄する獣人の一団に理由があった。


 獣人は、身体の一部に獣の特徴を有する人種で、身体能力が高く、病に対しても高い抵抗力を保有している。

 中でも、クロウ卿が管轄する一団は、癒やしの魔術にも高い適正を持つ種族で構成されており、彼らはそれを生かして、各地を巡り病気や怪我の治療を行う活動に勤しんでいるのだ。


 この一団の設立には、我がファーゼスト家が一枚噛んでいるという事もあり、クロウ卿らは、その活動の結果や各地の情報を報告するために、何年かに一度ファーゼスト領に寄る事になっているのである。


 クロウ卿からの報告によると、各地でとある病が蔓延したそうだが、治療法が確立していた事と、クロウ卿が率いる一団がそれを広めていた事が功を奏し、無事に沈静化したそうだ。





「…………ふむ、では流行病は終息し、被害は大した物では無いという事ですね?」


 報告を一通り聞き終え、私は得た情報に満足していた。

 遠い地の出来事というのは、中々耳に入ってくるものではなく、こうして生の声を聞く事が出来るのは、とても貴重な機会だからである。


「ええ、これも皆の信仰の賜物。神のお導きかと存じます」


 クロウ卿はそう言って目を伏せ、聖印を切った。


「いえいえ、全てはクロウ卿の努力の賜物でございましょう。私もその一助ができて誇らしい気分です」


「……」


 私の賞賛に、クロウ卿のいつもの冷たい視線が僅かに揺らいだ。

 照れているのだろうか?

 …………全く、分かり辛い男である。


「これからも、クロウ卿のご活躍を応援させて頂きたく存じます……ヨーゼフ」


 そう言うと、ヨーゼフは金貨の詰まった袋を取り出して、クロウ卿へと手渡した。

 クロウ卿は、ズシリと重たい袋を受け取り一礼する。


「ルドルフ辺境伯の信仰心に感謝を」


「……いえ、ほんの心付けですよ」


 ――国境を越えてを病人を救う、神の御使い達。

 の教えに反する一団に、何故こんな支援をしなければならないのか。

 残念ながら、この一団の設立に私は関わっておらず、私は先代である父の事業を、引き継いだに過ぎない。


 しかし、この『人々を救う』という、御柱様への背信とも呼べる行為には、デメリットを補って余りあるメリットが存在するため、現在もこうして金貨を積んで活動を後押ししている。

 目的は、現場の最前線で日々研ぎ澄まされていく『最先端の医療技術』だ。


 人間とは死に逝く定めを持った生き物だが、それから逃れようとする生き物でもある。

 それが権力者であれば尚の事であり、もし死の運命に抗えるのならば、どれだけの金貨を積んでも惜しくはないと言う者ばかりである。


 実際に、一般的には死病とされる病を患った権力者に、治療法を巨額で売り付け、金を巻き上げつつ恩を売った事は数知れず。

 その上、無茶な要求を飲ませて、より多くのかちくを苦しめた事例は枚挙に暇がない。

 少数の人間を救ったとしても、圧倒的多数の人間を苦しめる事ができれば、御柱様への供物としては十分。

 最終的に我がファーゼスト家は、大きな影響力を得る事ができるという次第だ。


 事実、我が父はこの成功を元に、聖女と呼ばれる人間を娶る事を許され、教会内で確かな地位を築いた。

『最先端の医療技術』というのは、それ程強力な政治的切り札なのである。


「……ああそうだ、これは世間話なのですが、是非クロウ卿に聞いて頂きたい事がございまして」


 私はわざとらしく言って、クロウ卿の注意を引いた。


「何でございましょう?」


「実は先日、隣のエッジ領の嫡男が結婚を致しまして、二人の門出にを贈りたいのですが、何か良い案は無いかと思案している所なのです。……ここだけの話、既に新婦のお腹には命が宿っているようでして」


 声を落とし、内緒話をするかのようにクロウ卿へと話し掛ける。


「それはめでたい。では、帰る際にはエッジ家に寄らせてもらい、私からも神に祈りを捧げさせて頂きましょう」


 どうやら、私が何を言いたいのかきちんと伝わったようで、クロウ卿は一つ頷いて快諾してくれた。


「おお、なんと有り難い事か。徳の高いクロウ卿の祝福とあれば、母子共に健やかな出産が約束される事でしょう」


 クックック、こうして高度な医療団を、ある程度好きに動かせるのは、やはり強力な手札である。

 彼らに診てもらえるのであれば、何かあっても大抵の問題は解決する事ができるだろう。

 ダグラスとフレデリカの仲を取り持ったのは私なので、彼女には元気な子供を産んでもらわなければ困るのだ。

 たとえそれが、誰の血を引いている子供か分からなくても……クククッ、クハハハハハ!


 そうしてクロウ卿との面会でやるべき事も全て終わり、後は退室を促すだけとなった頃、それを待っていたかのように応接室の扉が開き、ある人物が顔を覗かせた。


「お久し振りです、クロウ先生。お元気でしたか?」


 ノックも無しに現れたのは、我が母、聖女アメリアである。


「アメリア、入室する時はノックをしなさいと、あれ程教えたでしょう?」


 クロウ卿の目が冷たく光り、聖女を射抜く。

 しかし聖女は、一切悪びれた様子を見せずに笑みを浮かべる。


「は〜い先生、次から気を付けま〜す♪……えへへ、怒られちゃった」


「…………全く、君は何歳いくつになっても変わりませんね」


 クロウ卿も聖女の言動には慣れた物で、そう言ってため息を一つ吐くだけだった。

 …………が、しかし。


「クロウ先生ったら、こんなオバさん捕まえてヤダもう!エルフから見たら分からないのかもしれないけど、もういい歳なんですよ?最近、お腹周りだって気になってきたし……」


「…………」


 流石のクロウ卿も、これには言葉を失くしたようだ。


 母よ、クロウ卿が言っているのは、そういう事ではない。

 貴様の外見の話は一切していないのだが、分からないのだろうか?

 ……ああ、この女の舵取りができる我が父の、なんと偉大な事か。

 うっ、頭痛が……


 母は元々ラヴァールの出身であり、クロウ卿は、聖女である母の教育係を務めた恩師に当たる。

 この女を教育するなど、どれだけの試練があったか想像する事もできないが、二人の仲は非常に良好で、クロウ卿がファーゼストに訪れる度に、二人は親交を温めている。


 その結果、私は何日も母と顔を合わせる事になり、頭痛に苛まれる日々を送る事になるのだが……


「…………でね、でね、そしたらる〜くんが、私の手作りクッキーを食べてくれたの!!」


「…………そ、そうですか」


 見ると、聖女の勢いに圧倒され、あのクロウ卿の顔が引き攣ったように強張っているではないか。


「さてクロウ卿、難しい話は以上ですので、この後は母上とゆっくり旧交を温めてはいかがでしょうか?…………ヨーゼフ、クロウ卿らを案内したまえ」


 私は、クロウ卿の反応を待たずに、二人を連れ出すよう指示を出した。


 ……決して、クロウ卿を聖女の生贄に捧げた訳ではない。

 退室するクロウ卿から、何とも言えない視線が向けられるが、私がそれに気付く事はなかった。


 ――誰が何と言おうと、私は気が付かなかったのだ!




 ……それにしても不思議な縁である。

 教会の総本山で生まれ、聖女とまで呼ばれた母が、国を離れ辺境と呼ばれるファーゼストに嫁いでいるのだから。


 御柱様の御利益による物と言ってしまえばそれまでだが、一体どのようにして、神々の恩寵深き聖女を悪魔の毒牙にかけたのだろうか。

 ……どんな卑劣な手段で、聖女を神の下から奪い去ったのか、今度父上に聞いてみる事にしよう。


 そう考えをまとめ、私はあの女のいない午後を満喫する事にした。

 そしてその日の夜は、久し振りに頭痛から解放され、床に就く事ができたのだった。

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