悪徳領主の訓練
――冬が終わる。
寒さに凍える夜が明け、
冬の残り香のような雪解け水を糧に、新緑は見渡す限り大地の讃歌を奏でていた。
春。
それは、辛く苦しい冬の季節の果てにやってくる、神に祝福された
新たな生が、ここからまた始まる――――
「でぇぇぇぃやぁぁぁぁ!!」
気合いと共に剣戟が振り下ろされる。
速度はあるが素直なその剣筋を見切り、僅かに体を横にずらす事で難なく一撃を躱した。
渾身の力で繰り出された一撃は大きな隙を生み、反撃を加える絶好の機会だったが、相手も隙が出来る事など折り込み済み。
剣士の背後から、鋭い風切り音を鳴らしながら次が迫る。
一対一であれば決定的な隙であっても、二人が相手であれば、連携してそれを補ってくるのは当然の戦術。
一撃目を躱した私の隙を狙い、槍の穂先が突き出される。
そして更には、先程振り下ろされた剣先が、必殺の三撃目として上を向く気配。
だが……
「ぬるい!一から出直して来い!!」
すり足で行われた移動によって、私の体勢は一切崩れていない。
繰り出された槍先は首を傾けその狙いを外し、跳ね上がる剣戟は、速度が乗る前に踏み込み柄を押さえて止めた。
「なっ!」
一瞬の内に連携を無効化した事で、相手は動揺をみせる。
僅かに生まれた意識の空白。
当然、その致命的な隙を見逃す手はない。
「止まるな馬鹿者!!」
練った魔力で脚部を強化し、轟くような震脚を大地に叩きつける。
地響きと共に、大地から突き上げるような力が身体を伝う。
それを練り上げ、至近距離から剣士の腹部に肘鉄を見舞った。
「ふごぁぁぁっ!」
体をくの字に曲げて宙に浮く剣士の身体。
それを目くらましにして、その背後にいる存在に肉薄する。
槍使いが、私を見失って慌てる姿が目に映る。
隙だらけだ。
「敵から目を逸すんじゃない、この未熟者め!」
私の声でようやく気付いたようだが、もう遅い。
これだけの時間があれば、距離を詰める事など造作もない。
既にここは、槍の間合いの内側。
拳を固く握り、未だに間抜け面を晒す槍使いの横顔を打ち抜いた。
「ふごぁぁぁっ!」
槍使いの身体がきりもみして飛び、勢いのままに地面を転がっていく。
地に倒れた二人に視線を向けて残心。
彼らがピクリとも動かない事を確認する。
「そこのゴミをさっさと片付けろ!!……次は誰だ!?」
次の相手を求めて練兵場内を見回すが、まともに立っているのは、救護の人員だけで他には見られない。
今回再訓練を言い渡された人間は、全員がもれなく大地と熱い抱擁を交わしていたのである。
「ふん、主の前で全員居眠りとは随分余裕だな。……貴様ら全員、一から根性を叩き直してこい!!」
地に転がる負け犬達に再々訓練を言い渡し、私は侍女からタオルを受け取って汗を拭う。
流行病ごときに倒れる軟弱者め。
こんな者達が我が領地の精兵を名乗るとは、ずいぶんと兵の質が落ちたものだ。
……全く、こいつらのせいで、モロー伯爵のパーティーで危うく大恥を晒す所だったではないか。
お陰で、パーティーに汚らしい駄犬を同行させる羽目になってしまい、そのせいで思うように身動きが取れなかったのである。
もしあの時、犬を使った『余興』を思い付いていなければ、いくらか私の名を落としていた事だろう。
まぁ、そのお陰でモロー伯爵への手土産が手に入ったのだから、悪い事ばかりとも言えないか。
……そういえば、あのフレデリカとか言う女は元気にしているだろうか?
ふと、先日モロー伯爵家で行われたパーティーの事を思い出す。
実は、あのパーティーの後に、いくつもの大きな出来事が起きたのである。
一番大きな出来事は、なんと言っても、あのモロー伯爵の引退である。
何が原因かは分からないが、丁度息子が成人した事もあって、すぐさま爵位を移譲し、引き継ぎが終わり次第、隠居するとの事だった。
それに伴い、派閥争いは第一王子派の勝利で決着を迎え、王国内は安定を取り戻しつつあった。
まさか、あのモロー伯爵がこうも簡単に敗れてしまうとは思っていなかったが、それだけ政治の中枢が、魑魅魍魎の魔窟だという事なのだろう。
しかし、そこでモロー伯爵が取った、次の一手もまた妙手であった。
予定通り、私がフレデリカを回収しようと、話を持ち掛けた時の事である。
なんとモロー伯爵は、フレデリカを自身の娘として、モロー家の一員に加えると言うではないか。
ちょっと調べれば、第一王子派のエッジ家の次期当主が、フレデリカに熱を上げている事は分かるのであろう。
その事を利用し、彼はエッジ家と婚姻関係を結んで自家の地位を守ったのである。
そして極めつけは、彼女が妊娠しているという事実。
クックック、エッジ家に嫁いだフレデリカから産まれてくるのは、一体誰の子供なのか…………
あの短期間で種を仕込むのだから、さすがはモロー伯爵である。
政争で負けても、ただでは起き上がらないらしい。
穀倉地帯という王国の要所を押さえている事もあり、モロー家の発言力はそれほど落ちていないというのが、私の見立てだ。
やむを得ず世代交代をしてしまったが、今後は私がたっぷりと麻薬の援助をするので、しっかりと巻き返しを果たして欲しい。
二つ目の出来事は、『
何でも、奴は一人で麻薬組織を壊滅させたそうで、おまけに神出鬼没。
時には、貴族の令嬢を闇ギルドから救い出し、時には、国の要人の生命を取り留めるなど、冗談としか思えない功績を積んでいるにも拘わらず、その正体は謎に包まれている。
奴は、今後私が麻薬を広める過程で、大きな障害となる事は間違いない。
可能なら、今すぐにでも処分したいところだが、手掛かりが全く無いのでは手の打ちようも無い。
恐らく、どこかの有力な貴族が匿っていて、情報を漏らさないようにしているのだろう。
……全く忌々しい事だ。
そして最後の出来事は―――
「―――キャーー!る〜くん、格好いい〜♪」
練兵場に響く、澄み渡るような声。
救護の人員に混じって、美少女としか形容できない人物が、大はしゃぎする姿が目に入る。
「凄い、凄〜い!多人数相手に、一歩も引けを取らないなんて、素敵だわ♪」
一〇代と言っても通用する程の、若い顔立ちと肌の張り。
絹のように艶を持った黒髪は、陽光を反射して輪を作り、正に地上に降り立った天使を彷彿とさせる容姿をしていた。
「ねぇねぇ、疲れたでしょう?お水でも飲む?そ・れ・と・も…………」
……まごうことなき、我が母である。
いい歳したオバさんが、少女のように振る舞う姿は、正直言って見るに堪えない。
それが自身の母親であれば尚更であろう。
私は、あえてそれを視界に入れないように気を付けながら、その場を去ろうと努める。
…………が、しかし。
「……えいっ!」
視界に入れなかった事で、それに対応するのが遅れてしまった。
背中に感じる僅かな衝撃。
そして続く、暖かく柔らかな温もり。
「お母さんが、直接神様にお願いしてあげるね♪」
「えぇい、放せ!放さぬかぁぁぁ!!」
「もぅ、良い子だから暴れないの!!」
振り払おうと藻掻くが、腰で固く繋がれた手が解ける事はなく、右へ左へと振り子のように揺れるばかり。
そして、時間が経つにつれ、神の奇跡によって疲労が癒えていくが、その事が余計に腹立しい。
「うへへ〜、るーくんの汗の匂いだ〜〜」
聖女はひとしきり抱擁すると、ようやく私の拘束を解き、頬を上気させながら恍惚した表情を浮かべた。
身体の疲労は完全に取れているというのに、まとわりつくこの疲労感は、一体何だというのだろうか?
一刻も早くこの女の前から去るべく、私は浴場へと足を進めた…………
「…………久し振りに、一緒にお風呂に入る?」
「絶対に止めろ!!」
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