とある悪魔の華麗なる布教
地の底に、どこか上機嫌な響きが広がっていく。
「腐った性根が醸し出す、悪人の上質な諦念………ふふふっ」
豪奢な寝具に身を預ける人影は、手元の黒い
「長年積んだ悪徳のせいで魂は肥え太り、そして築き上げた地位が一瞬で
唾液と混ざった靄が、舌を黒く染めて糸を引いた。
頬を上気させ、チロチロ舐めながら笑みを浮かべる様は
「んんっ…………はぁぁぁ……」
喘ぐような響きをさせながら口の中の物を
人影は恍惚とした表情を浮かべ、甘露のような負の念をもう一度口にする。
「人の不幸は蜜の味ぃ〜〜♪」
神々によって封印された古の大悪魔は、グラス一杯程度の負の念をチビチビと味わって悦に入っていた。
久し振りに手元にやってきた人間の負の念である。
次はいつ味わえるか分からないため、大事にしながら少しずつ摂取する必要があるのだ。
「…………のう、本体や?」
大悪魔に良く似た声が発せられるが、大悪魔はその声に構う事なく、昏い感情が
「メシウマー!他人の不幸で飯が美味ぁ〜い!!」
「それは良かったのじゃ…………」
そんな様子を心配する大悪魔の分身だったが、一心不乱に黒い靄に舌を這わせる本体の姿に言葉を詰まらせる。
「ぷはぁ〜っ!かぁぁ〜〜、うんめぇぇ〜〜♪」
あまりにも親父臭い本体の一言に、分身の口から出てきたのは次のような言葉だった。
「………………運命を司る悪魔だけに?」
「ぶふっ、運命を司る悪魔だけに『うんめ〜〜♪』とか…………ぶふふっ、ヤバイ、下らなさ過ぎる!ブフフッ……ふひ、ふひひひひひひひ!!」
腹を抱えて笑いながら手足をバタつかせる本体に、冷たい視線を向け、ため息を吐く分身。
「はぁ…………」
本体が醜態を晒しながら現実逃避をするのも仕方無い。
大悪魔の背後に視線を向ければ、そこには山と積み重なった感謝の念があるのだから。
「きちんと負の念が届く事がこんなに幸せだったなんて、妾はどうして忘れていたのじゃろうか?」
『背後にある大量の感謝の念を、忘れているからじゃ』と、そう思っていても口に出さない分身は、良く出来た分身体なのだろう。
そんな本体想いの分身体は、もう一つの大きな問題をどうにかするために、本体の前に進み出た。
「うん?そんな顔をしてどうしたのじゃ?……おおそうか、妾が独り占めしているのが不満なのじゃな。それならそうと言えば良いのに…………ほれ、はしらちゃんも一杯どうじゃ?」
上機嫌な顔で黒い靄のような物を差し出す大悪魔。
散々舐め回したために、それは既にピンポン玉サイズにまで縮んでしまっていたが、大悪魔が悪びれる様子は一切無い。
分身は、無表情でズカズカと近付き、躊躇する事なく負の念を一飲みにする。
「あむ!!」
そして、甘美なその味を一切楽しむ事なく飲み下した。
一瞬の出来事に、大悪魔は何が起きたのか分からずきょとんとし、そして何も無くなった手の平を見詰めた後に、正気に返ってわなわなと震え出した。
「ののののののじゃぁぁぁぁぁ!!なんて事をするのじゃ、吐け、吐くのじゃ、はしらちゃぁぁぁぁん!!」
顔中の至る所から、文章にするのも憚られるような液体を撒き散らして、分身に詰め寄る大悪魔。
分身の肩に手をめり込ませ、ガクンガクンと前後に揺らす。
「あれがどれだけ貴重な物か分かっておるのか!?妾があれをどれだけ待ち望んでいたのか、ついこの間生まれたばかりのはしらちゃんに分かるのか!?分かったら吐け、吐くのじゃぁぁぁ!!」
ブチン
されるがままの分身から、そんな音が聞こえてきた。
「だぁぁまらっしゃぁぁぁぁぁいぃぃぃぃい!!!」
「ぴぇぇっ!!」
あまりの剣幕に身を竦める大悪魔。
「…………のう本体や、ちょっとそこに座るのじゃ」
分身は静かに告げ、固い地面の上を指差す。
「なななな何じゃと!ぶ、分身の癖に、わわわわ妾を誰じゃと思うておる!」
分身の
……が、分身は一切表情を変えずに、再び同じ言葉を口にした。
「…………のう本体や、ちょっとそこに座るのじゃ」
そう静かに告げ、固い地面の上を指差す。
「いや、だから、お主は分身で妾が本体じゃから……」
「…………のう本体や、ちょっとそこに座るのじゃ」
分身は再び静かに告げ、固い地面の上を指差す。
「え〜っと、あの、はしらちゃん?」
「…………のう本体や、ちょっとそこに座るのじゃ」
分身は静かに告げ、固い地面の上を指差す。
「あの、せめてベッドの上で…………」
「…………のう本体や、ちょっとそこに座るのじゃ」
分身は静かに告げ、固い地面の上を指差す。
「………………」
「…………のう本体や、ちょっとそこに座るのじゃ」
分身は静かに告げ、固い地面の上を指差す。
「………………あ、はい」
分身の言うがままに、大悪魔は大人しく固い地面の上に座った。
その様子に、ようやく分身に表情が戻る。
大悪魔が話を聞く体制を整えた事を確認し、分身は語り始める。
「さて本体や、現実逃避したくなる気持ちは、分からぬでもないが、今わらわ達が大きな問題に直面しているのは分かっておるか?」
分身の眼は真剣その物で、正面に座る本体の瞳を射抜く。
そんな真剣な雰囲気に当てられ、大悪魔も真面目に考え込んだ。
そして、数秒の時間を置いてから答えを紡ぐ。
「…………ハイ!分かりたくもありません!!」
「…………………………チッ」
小さな舌打ち。
しかし、何も無い地下空間には思いのほか大きく響き、大悪魔を厳しく責め立てる。
大悪魔は固い地面の上で、足を正座の形に組み直した。
「……さて、今わらわ達が大きな問題に直面しているのは分かっておるか?」
「…………え〜っと、回収できる負の念以上に、アホみたいに感謝の念が送られてくる事……じゃろうか?」
悪魔のような表情で大悪魔を見下ろす分身の顔色を窺いながら、大悪魔はおずおずと答えを述べた。
「まぁ、確かにそれが一番の根本的な問題じゃな……」
返ってきた分身の言葉に、大悪魔はホッと胸を撫で下ろす。
どうやら、分身の地雷をこれ以上踏み抜く事は避けられたようだ。
「……じゃが、それは今に始まった事ではあるまい」
だが、分身の続く言葉に身を固くする大悪魔。
一体、感謝の念が届く事以外に、何が問題だと言うのだろうか?
「のう、本当に忘れておるのか?」
他に心当たりが無い様子の大悪魔に、分身は呆れつつも現実を突き付ける。
「もうじき、わらわ達を神として祀る教会が建つではないか」
「のぉぉぉぉぉうぅぅぅぅぅ!そうじゃったぁぁぁぁぁぁ!!」
今まで必死に目を背けていた現実を直視し、大悪魔は吠えた。
「嫌じゃ嫌じゃ、このままだと妾は本当に女神になってしまうのじゃぁぁぁぁ!」
分身はやれやれといった表情で肩を竦め、大悪魔が狼狽える様を傍観する。
落ち着くまでに時間がかかる事を知っているのだろう。
―――何故教会が建てられる事が問題なのか。
それは、人々の祈りがより具体的な物になってしまう事にある。
今まで人々は、ルドルフという人物を通して、漠然と幸運な巡り合わせに感謝していたが、これからは教会に存在する『運命の女神』に祈るようになってしまう。
それは、ファーゼストに存在する『何か』が、女神として人々に周知されていく事を意味する。
その事が人々の間で広まりきってしまえば、ファーゼストに存在する『何か』を聞いて悪魔を思い浮かべる者は居なくなる。
そして、いつしか悪魔は、神々の中の一柱として数えられる事になるだろう。
「そ、そんなの嫌じゃ……えぐっえぐっ…………」
叫び過ぎて疲れてきたのか、とうとう涙を流して泣き崩れる大悪魔。
そんな本体に、分身は寄り添い優しく声をかける。
「安心するのじゃ、わらわに良い考えがある!」
自信満々の分身の姿に、大悪魔は救いを見出す。
「……は、はしらちゃぁぁぁん!!」
先に不安に突き落としておいて、後から自身の手で救い上げるという、正に悪魔的な手法だが…………まぁ、する方もされる方も同一の存在だから問題はあるまい。予定調和である。
「よいか、教会という環境を逆手に取るのじゃ」
「うん?どういう事じゃ??」
言いたい事が分からず、首を傾げる大悪魔。
分身は、ポンコツな本体にも分かるように噛み砕いて説明を始めた。
「わらわ達の教会が建つという事は、わらわ達の信者が沢山できるという事じゃ。当然、
分身の説明を聞き、大悪魔は驚愕に目を開く。
「なっ!そ、それはつまり……」
「そうじゃ、今まで散々迷惑をかけられたあの一族を通さずに負の念を集める事ができるのじゃ!」
大悪魔の瞳に理性の色が戻り、次第に力が灯り始める。
「ふふふ、ふはははははは!あの一族さえ居なければ、妾の復活を邪魔する者はおらぬ!!」
「うむ、あの一族を通すから因果がねじ曲がるのじゃったら、あの一族を通さなければよいのじゃ」
「すごい……すごいぞ、はしらちゃぁぁぁぁん!!」
「ぬははははは!さぁ本体よ、教会に訪れた信者達へ『不運』を撒き散らすのじゃ!」
分身の案に、調子を取り戻す大悪魔だったが、その案を実行するにあたり、懸念が一つある事に気が付いてしまう。
「…………あっ、でも悪魔としての力が大分弱くなってきておるから、どうしようかのぉ」
考え無しにホイホイ全力で加護を与えていたのでは、全ての信者に加護が行き渡らず、結果的に力を弱めてしまう結果になりかねない。
「むっ、では……一人当たりに授ける加護の力を弱めたらよいのでは?」
「おっ、そうじゃな。そうすれば、沢山の信者に加護を与えられるのじゃ」
……これで問題は全て無くなった。
後は、訪れた多くの信者に加護を授けて、負の念を直接回収するだけである。
一人当たりから回収できる負の念は少なくなってしまうが、どうせあの一族が用意する教会には、大量の人間が訪れるに違いない。
単価は少なくとも、数が多ければ採算は合うのだ。
これから訪れるであろう輝かしい未来を思い描き、運命と因果を司る大悪魔達は、顔を見合わせて笑い声を上げるのだった。
「「ふはははははははははは」」
だが、悪魔達は知らない。
それがただのフラグであるという事を…………
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