悪徳貴族の華麗なる行く末
「また失敗しただと!!貴様ら、揃いも揃って全員能無しばかりか!?」
対象を取り逃がしたと言う報告を受けて、私は部下に怒鳴り散らした。
「大変申し訳ございませんモロー伯爵!次こそは、次こそは必ずや成し遂げてみせます!!」
「これで何度目だ、この馬鹿者!何度も何度も失敗ばかりしおって!!」
平身低頭に謝罪する部下の横顔に、思いっきり拳を見舞ってやる。
鈍い音が響き、部下は呻き声を上げながら床を転がった。
その体を何度も何度も足蹴にして鬱憤を叩きつけていく。
子供のように体を丸めて赦しを乞う部下の姿が、段々と弱々しくなり、無言でただ震えるだけの状態となった頃、ようやく頭を支配していた熱も落ち着きを取り戻し、多少の溜飲を下げる事ができた。
ハァハァハァハァ。
くそっ、何故たかが平民の小娘を始末する事が出来ないのだ!
第一王子への謀略もことごとく失敗するし、ここ最近は、全くもっていい事がない。
それもこれも、全部あいつのせいだ。
あの忌々しいルドルフとかいう、辺境の引き篭もりのせいで、私の思惑は潰されてしまうのだ。
初めて煮え湯を飲まされたのは、奴がまだ学生の時分である。
当時、学園一の美姫と名高いバンガード家の令嬢と、やっとの思いで縁談を取り付けたと思ったら、どこぞの平民に横から掻っ攫われてしまった。
聞けば、何でもあの引き篭もりが裏で暗躍したそうではないか。
そしてついこの間も、迷宮が暴走して荒れ果てたバンガードを我が物にしようとした時も、ファーゼスト家が出しゃばったせいで再建の目途が立ってしまった。
飢饉のため、各地から我が家に援助の申し込みが殺到した時も、あの小僧が『ジャガイモ』などと言う食物を裏で広めたために、折角の稼ぎがパーにされてしまうし、第一王子を謀殺して、第二王子を傀儡に仕立て上げる計画も、ファーゼスト家が送り込んだ毒味役のせいで、全て水際で防がれてしまっている……
忌々しい、全くなんと忌々しい男だ!
私がこれらの計画に、どれだけの金を注ぎ込んだと思っているだ!!
絶対に、絶対にいつかこの手で息の根を止めてくれる!!
まずは、裏から手を回して相手の弱みを探り、弱みがなければ無理矢理作り出してでも追い詰めてやるからな。
……だが、相手は王国随一の大家。
いくら引き篭もりの田舎者だとは言え、何の後ろ盾もないままではこちらが競り負けてしまう。
奴を陥れるためにも、私が更なる権力を手に入れるためにも、第一王子を謀殺する事は急務と言える。
しかし、このまま春を迎えてしまえば、フェルディナント殿下が正式に王太子に任命されてしまうため、その前に事に及ばなければならない。
くそっ、あの毒味役さえいなければ、今頃は第二王子が次期国王としての地位を固めていたはずなのに……
……もう時間が無い。
フェルディナント殿下を謀殺するには、もうこれしか方法が無い。
一か八かの賭けにはなるが、成功すればあの男の吠え面を目の前で見物する事ができる。
今に見ていろ!我が息子の成人祝いで全て決着をつけてくれる!!
そう意気込んで臨んだパーティーは、順調にその工程を消化していった。
まだ十三歳となったばかりの息子の、精一杯の拙い挨拶に始まり、立食パーティーへと続く。
用意されている料理は、我がモローの名に恥じぬ珍味の数々。
トリュフソースのパスタに、フォアグラのパイ包みや、キャビアを乗せたクラッカー。
高価な砂糖をふんだんに使用して作られた、ケーキやシュークリーム……
……そして、マカロン。
私がそれを知ったのは本当に偶然だった。
過去に一度、フェルディナント殿下は、私の派閥の貴族が主催するパーティーで毒によって倒れた事があった。
主催者の貴族を問い正しても毒を盛る意図は感じられず、また他の出席者には殿下を毒殺する動機のある者はいない。
その上、毒は全く検出されずに事件は迷宮入りとなってしまったのだ。
だが、たまたま私にはその事件の裏側を察する事ができた。
学生時代に師事していた恩師の蔵書の中に、『あれるぎー』に関する記述があったのを覚えていたからだ。
パーティーに饗されていた料理を調査した結果、殿下が患っているのは、恐らく『アーモンドあれるぎー』。
アーモンドを口に入れただけで、命に関わるような発作を引き起こす奇病である。
つまり、料理の中にアーモンドを仕込んでおけば、フェルディナント殿下のみを対象とした猛毒料理となるわけだ。
そしてそれは、『
おまけに、いくら調べられても毒は一切検出されないため、私の犯行を立証する事は不可能。
ついでに、何度も煮え湯を飲ませてくれたあの毒味役に濡れ衣を着せてしまえば、あの生意気な辺境伯にも嫌疑をかける事もできる。
多少、計画に穴が無いでもないが、時間も次善の案も無い為この計画を実行せざるを得ない。
幸い、殿下は当家自慢のマカロンを堪能したようだし、計画は順調だ。
後は殿下の発作が起こるのを待つのみである。
フハハハ、これで、これで私がこのサンチョウメ王国を牛耳る事ができる!
第一王子が死ねば、幼い第二王子を傀儡として、富も権力も思いのままだ!!
クックックッ、フハハハハ、アーハッハ…………
「少し宜しいでしょうか、モロー伯爵?」
ッハッハ…………あ?
心の中で高笑いを上げる私に声をかけてきたのは、あの憎きルドルフ=ファーゼスト辺境伯ではないか。
「これはルドルフ辺境伯、どうされたのですか?」
突然の登場に驚きはしたものの、すぐに仮面のような笑顔を貼り付け、ルドルフ辺境伯に顔を向ける。
「実は…………」
ルドルフ辺境伯はそう切り出して、私と二人きりで内密に話しがしたいと持ちかけてきた。
内密の話?
今更一体何の用だというのだろうか。
ルドルフ辺境伯の思惑がどこにあるかは分からないが、フェルディナント殿下が、マカロンを食したという事実を消す事はできないため、私の思惑が崩れる事はない。
いや、むしろこの男が何かしでかさないように、会場から遠ざけておく方が得策かもしれない。
この男の為す事は常識では計り知れないので、もしかしたら『あれるぎー』の発作も何とかされてしまうかもしれないのだ。
……良いだろう、その傲慢な面が醜く歪む瞬間を、間近で見せてもらおうではないか!
こうして私は、ルドルフ辺境伯の申し出を快く受けたのであった。
急な申し出だったため、貴賓を迎えるような準備が整っておらず、仕方なしに一般的な応接室へと案内する。
しかし、一体このタイミングで私に何の話しだろうか?
色々と心当りが多いため、逆に見当が付かない。
薄暗い廊下を先導して歩きながら後ろの様子を伺うと、辺境伯は何やら考え事をしながら、薄っすらと笑みを浮かべていた。
「ルドルフ辺境伯、どうかなさいましたか?」
私はその笑みに薄気味悪いものを感じ、問いかけずにはいられなかった。
「これは失礼、少し
私の声に答えるルドルフ辺境伯。
一体、何の話しをしているのか全く分からない。
これから行われる会談の内容を示唆する、何かの暗示だろうか?
「そうですか……」
相手の考えている事が読めないため、そう答える他なく、私は応接室へと足を進めた。
いつもより倍近く感じる時間を経て応接室へと到着する。
特別な物は何も無い、椅子とテーブルがあるだけの何の変哲もない一室。
「それではルドルフ辺境伯、そちらにお掛け下さい」
私は部屋の中に入ると、ルドルフ辺境伯に椅子に座るように勧め、自分も席に腰掛ける。
そして、一呼吸ほどの間を置いてから口を開いた。
「それで、私に一体どのようなご用件ですかな?」
「まずはモロー伯爵、この度はご嫡男のご成人、誠に目出度く存じます。また………………」
ルドルフ辺境伯はまず挨拶の言葉を述べ、続いて美辞麗句を並べて伯爵家を讃える。
そして、半ば儀礼のように世辞を交わした後に、ようやく本題を切り出してきた。
「さて、パーティーの主催者たるモロー伯爵の貴重なお時間を頂いたのは他でもありません。伯爵家の繁栄を祝って、私からとある贈り物がございます」
「ほほう、贈り物ですか」
『内密に』と言っていた割には、至って普通の内容だ。
ただ贈り物をするだけならば、このような場を設けなくても良いはずだが……
相手の申し出に首を傾げていると、ルドルフ辺境伯は懐から包みを取り出して私に差し出してきた。
いくら考えても相手の思惑が見えてこないため、取り敢えずその包みの中を確かめてみる事にする。
「こ、これは!?」
包みの中にあったのは純白の粉末。
それを見た瞬間、私は冷水を浴びせられたように総毛立つ。
あまりにもの出来事に思わず視線を上げると、そこには得意気な表情で頷くルドルフ辺境伯の顔があった。
「実は先日、我が領地で珍しい小麦粉が手に入りましてね、これをモロー伯爵に受け取って頂きたいのですよ」
『珍しい小麦粉』だと……ま、間違いない。
ルドルフ辺境伯は、私が麻薬組織を送り込んだ事に気が付いている!
あの組織は、一向に弱みを見せないルドルフ辺境伯に対して、無理矢理弱みを作り出すための一手。
まず、麻薬組織をファーゼスト領に潜り込ませ、そして麻薬の商談を持ちかける。
勿論、あの『黒麒麟』が取引に応じる訳がないので、辺境伯を現場におびき寄せ、そこに鉢合うようタイミングを見計らって、王国捜査官をしている姪に『麻薬取引』の情報をリークするのだ。
そうして、勘違いした王国捜査官が『麻薬取引』の現場を押さえてしまえば、いくらあの辺境伯と言えども言い逃れは出来ないはずだったのだが……
報告によると、計画はあと一歩の所で失敗に終わったそうだ。
あの小狡い辺境伯は、口先で王国捜査官を丸め込んで、まんまと逃げ切ったらしい。
……だが何故だ、あの組織には私と繋がるような証拠は一切無かったはず。
よしんば手掛かりあったとしても、私に辿り着くまでが、あまりにも早過ぎる!!
「この品を私に?」
「えぇ、左様でございます。モロー伯爵ならこの品を正しく扱えると思いまして…………受け取って頂けますか?」
私が体の震えを必死に抑えているのに対し、ルドルフ辺境伯は涼しい笑顔を向けてくる。
……つまり、ルドルフ辺境伯はこう言いたいのだ。
『貴様が私の領地に手を出した証拠は押さえてある。責任は取ってくれるんだろうな?』と。
もし私がこの場で否認しようものなら、王家にでも証拠を送り付けるつもりであろう。
ギリッ
思わず奥歯を噛みしめた。
貴公子然としたその笑顔の中に、悪魔の如き悪辣さを感じさせられる。
「ええ勿論ですとも。ありがたく頂戴致しましょう」
そう答える他に選択肢はなく、せめて煮え繰り返る腹の内を悟らせないように取り繕う。
「それで、私は辺境伯の真心に、何で以って応えれば宜しいでしょうか?」
私はルドルフ辺境伯の顔色を伺いながら問うた。
仕方無く相手の言い分を認めたものの、肝心の要求が分からない。
一体何を要求されるのか……
「いえいえ、お気になさらず。今後ともモロー伯爵と良い関係を築ければ、他には何も結構です」
だが、ルドルフ辺境伯は何も要求せずに、拍子抜けする程あっさりと言ってのけた。
そんな相手の行動に、より一層警戒が深まる。
こうまでお膳立てしておきながら、何も要求が無い訳がないからだ。
「しかし、それでは私の気が済まない」
それに、私の弱みを握ったままでいられるくらいなら、相手の要求を飲んで手打ちにした方がましというもの。
そんな私の様子を見て、ルドルフ辺境伯は肩を竦めて口を開く。
「では、こうしてはいかがでしょう?実は、他にもモロー伯爵のために用意した特別な商品があるのですが、そちらを高値で購入頂けませんか?」
その言葉に、冷たい汗が背中を伝う。
「何と、まだ何かあるのですか?」
麻薬組織の件だけでなく、まだ他に何かあると言うのか!?
「ええ、左様でございます」
くっ、こっちが本命か……
先程の麻薬組織のやり取りも、本命の要求を通すための前交渉に過ぎないという事だ。
ジリジリとした焦燥感が私を苛む。
会談が始まって以来、相手に主動権を握られ続け、このままでは相手の思うがままの結果になってしまう。
だが、それが分かっていながら、私にはどうする事も出来ない。
既にこの会談のペースは相手の物となってしまっているのだから。
――ゴクリ
固唾を飲んで、ルドルフ辺境伯の次の言葉を待つ。
「モロー伯爵は、花がとてもお好きと伺いましたので、飛び切り美しい一品をご用意致しました」
しかし、緊張する私の耳に飛び込んできたのは、全く理解の出来ない内容であった。
「花……ですと?一体、何の話ですか?」
何故この会話の流れで『花』が出てくるのだ?
意味が分からない。
「何をおっしゃいます、モロー伯爵は大変多くの花を愛でていらっしゃるではありませんか」
「ルドルフ辺境伯、貴方は一体何を言いたいのですか?」
一瞬、ルドルフ辺境伯の頭の中が、お花畑に埋め尽くされているのを想像したが、直ぐにその妄想を打ち消した。
目の前にいるのは『麒麟児』と呼ばれる程の貴族である。
そのような人間が、ただの馬鹿であるはずがない。
私が辺境伯の胸の内を懸命に考えていると、不意に部屋の入り口からノックの音が聞こえてきた。
コンコンコン
「失礼致します伯爵様、ファーゼスト辺境伯の家令達をお連れ致しましたが、お通ししても宜しいでしょうか?」
部屋の外から聞こえてきたのは、我が家の侍従の声。
その声に、ルドルフ辺境伯が反応する。
「おお、丁度良かった。モロー伯爵、今話していた品が届いたようですよ」
その言葉に、どことなく嫌な予感を感じながらも、私は許可を出した。
「……通せ」
ゆっくりと扉が開く様を緊張しながら見ていると、老齢の執事と、目を見張る程の美しさを備えた侍女が姿を表す。
そして、ルドルフ辺境伯はその場で執事を下がらせ、侍女を部屋の中へと招き入れた。
「こちらの花の名をフレデリカと言うのですが…………モロー伯爵は花はお好きではございませんでしたか?」
ルドルフ辺境伯の紹介に、ペコリと頭を下げて微笑む侍女。
その様子に、私の予想が良い意味で裏切られた事を悟る。
「…………なるほど、これは確かに綺麗な花でございますな、ハハハハ」
先程ルドルフ辺境伯は『花を売りたい』と言っていたはずだ。
私が何人もの愛妾を囲っており、見目麗しい女性に目がない事は周知の実。
その私に、これ程の器量良しを連れて来るのだから、それが意味する事は一つしかない……
「ハハハハ、気に入って貰えたようで何よりです」
私の考えを肯定するかのように、朗らかな笑い声を上げるルドルフ辺境伯。
成程、読めてきたぞ。
辺境伯はどうやらは私に貸しを作りたいようだ。
先程口にしていた『良い関係を築きたい』というのも、今後何かに付けて便宜を図って欲しいという意味なのだろう。
それが目的だと考えてみれば、ルドルフ辺境伯は中々交渉上手のようだ。
まず始めに私の弱みを提示して脅し、要求を飲ませて優位に立ち、続いて相手の欲しがる物を提示して懐柔し、屈服させる。
忌々しい相手ではあるが、その飴と鞭を使い分ける巧みな交渉術は、さすが『王国の麒麟児』と言った所か。
「いや、ルドルフ辺境伯もお人が悪い、そうならそうとおっしゃって下されば良いのに」
これ程の交渉術を見せられては、今回は身を引かざるを得ないようである。
散々邪魔をされた忌々しい相手ではあるが、私が下手を打ったのが悪い。
それに、これが落とし所と言うのであれば中々悪くない。
この花は相手の言い値で買い上げるとしよう。
「では、お買上げという事で?」
「ええ、これ程美しい花は久し振りですからな」
そう言って、可憐に佇む一輪の花に視線を向け、舌なめずりをする。
若く瑞々しい肢体に、どこか初恋を思い出させる初々しい仕草。
あぁ、その青い果実がもぎ取られる瞬間、一体どのような啼き声を上げるのだろうか……
これから訪れるであろうその時を想像すると、狂おしい程の猛りを覚える。
獣欲が身体を駆け巡り、思わず血の
「もし良ければ、こちらの花をモロー伯爵のお子様にいかがですか?」
私の息子に?
……ふむ、確かに息子も成人を迎えた事だし、そろそろ色を覚えてもいい年頃だな。
「息子の愛玩奴隷としてか?」
それに、息子の教育のために、私が色々と仕込んでやるのもまた一興か、フハハハハ!
私はルドルフ辺境伯の素晴らしい提案に、いやらしい笑みを浮かべて答えた。
「……奴隷?一体何の事か、私には分かりませんな」
しかし、ルドルフ辺境伯はおどけた口調でそう言うではないか。
……何だろうか、この温度差は?
…………何かがおかしい。
まるで全く別の話題を前にしているかのように、会話が噛み合わない感じがする。
私は何か致命的な勘違いをしているのではないだろうか?
その可能性に気が付いた時、私は体温が急激に下がる錯覚を覚えた。
不意に、目の端にキラリと光る物が映る。
何だろうか?
そう思い、私はチラリと侍女に視線を向けた。
相変わらず美しい容姿であり、そこらの平民では醸し出せない気品のような物を感じさせる美貌。
――キラリ
その美しさを引き立てるように飾られたアクセサリーに目が吸い寄せられる。
そしてその存在を確認した瞬間、心臓を鷲掴みにされたような衝撃が私を襲った。
ルドルフ辺境伯が、私に貸しを作ろうとしている?
妥協点を提示して、私を懐柔しようとしている?
とんでもない!
目の前の悪鬼はそんな事をこれっぽっちも考えていやしない!!
今も私の心臓に向けて、見えないナイフを突き付けているのだ。
ルドルフ辺境伯が連れてきた侍女が身に着けているのは、麦の穂というモロー家の家紋が入ったペンダントと、エッジ家の家紋が入った指輪。
先程の『こちらの花をモロー伯爵のお子様にいかがですか?』という言葉は、文字通り『この女を、娘として認知しますよね?』という意味の言葉だったのだ。
何故だ、何故この娘を辺境伯が連れている!?
始末に失敗していたとは聞いていたが、辺境伯が関わっているなど私は聞いてないぞ!
……クソッ、あの能無しどもめ!!
この侍女……いや、この女は私が始末するように闇ギルドに依頼をしていた小娘のようである。
それを確認するためにも、私はルドルフ辺境伯に聞かなければならない。
「ところでルドルフ辺境伯。こちらの花はどこで、どのように見つけて来られたのですか?」
「どこでと言われても、花などどこにでも咲いているでしょう」
私の問い掛けに、わざとらしく惚けた口調で返すルドルフ辺境伯。
その飄々とした様子に、苛立ちが募る。
「いえ、気になる事がございまして……詳しく教えて頂けませんか?」
……つい先日、私の子供が市井の中にいる事がまた発覚した。
普段であれば、そんなどこにでもある話しに耳を傾けはしなかったが、今回はモロー家の家紋が入った品を持っていると言うではないか。
それはつまり、私がその子供を認知しているのと同義であり、至急対応する必要があったのだ。
それに、私にも一つ心当りがあった。
それは初めて私が情を交わした女の事である。
あの時の私は、まだ貴族社会の事を知らぬ子供で、今の息子と同じぐらいの年齢だったであろう。
つい情に流されてしまった私は、家紋の入ったペンダントを渡してしまったのだ。
その後、女は突然モロー領から姿を消してしまい、行方が分からなくなり、以来その女は元々存在しなかった物として忘れる事にしていたのだ。
だから、突然現れた我が子の存在は寝耳に水であった。
家紋の入った品を持っている事が一番の問題だが、その年齢も問題である。
何故なら、初めて情を交わした女との子供という事は、今年成人したばかりの長男よりも年上と言う事になる。
基本的に年功序列の貴族の社会で、これは大きな問題を孕む事を意味した。
無論、市井で育った長女に、すぐさま権力が渡るような事は無いが、長男が跡を継ぐ頃にはどうなっているか分からず、他家に付け入る隙を見せる事になる。
そのような、問題を抱え込むぐらいなら始末してしまえと、闇ギルドと共謀して、闇に葬るつもりだったのだが…………
「モロー伯爵がそこまでおっしゃるなら構いません。こちらの花は私が伯爵領に来る道中、とある暴漢に手折られそうになっていた所を私が摘んで来たのです。確かエッジ領の辺りだったと思いますが……」
クソッ!クソッッ!クソッッッ!
また貴様か、また貴様が絡んでいるのかルドルフ=ファーゼストォォォ!!
一体、どこまで私の邪魔をすれば気が済むのだぁぁぁ!!!
荒れ狂う心の手綱を必死で握り、何とか体面を取り繕ってルドルフ辺境伯に相対する。
「…………なるほど、そう言う事でしたか、良く分かりました。それで、私はこの花に幾ら支払えば良いのですかな?」
一体何が目的だ!
これ程の手札を用意しておきながら、この私に何を要求するつもりだ、言え!!
「そうですな、今後も私に花の世話を任せて頂くと言う事でいかがでしょう?」
私の質問に、ルドルフ辺境伯はそう言って返した。
「な、なんですと!?」
今この小僧は、私の娘の面倒をファーゼスト家が見ると言ったか?
モロー家の家紋を持ったこの女の後見人を務めると、ルドルフ辺境伯はそう言ったのか!?
「おや、ご不満でしたか?」
「いえ、そう言う訳では…………」
マズイ、これはマズイ。
全くもって想定外の事態だ、ルドルフ辺境伯がモロー家の長女の後見人になれば今後何がどうなる、考えろ、考えるんだ………
あの娘が嵌めていた指輪には、エッジ家の家紋が入っていた。
という事は、既にエッジ家と縁が繋がっているという事だ。
そしてエッジ家は第一王子派の貴族であり、ファーゼスト家の寄子のような存在。
……つまり、モロー家の中で第一王子派と第二王子派に別れてしまうという事であり、後ろ盾に『麒麟児』がいるとなれば、そのパワーバランスは一気に傾く恐れがある。
そんな事が実現すれば、我がモロー家は、辺境の田舎者達の傀儡に仕立て上げられ、いいように扱われてしまうではないか。
どうすれば……
一体どうすればこの危機を回避する事ができる……
……くそっ、考えが纏まらぬ!!
一向に纏まる気配を感じさせない思考に私が唸っていると、パーティー会場の方からガヤガヤとした喧騒が聞こえ始め、そしてそれは段々と大きさを増していった。
しめた!
ようやくフェルディナント殿下が『あれるぎー』に倒れたようだ。
第一王子が死んでしまえば、後はどうにでもなる。
私が擁護する第二王子が権力の座に付いてしまえば、ルドルフ辺境伯が娘の後見人になろうとも関係ない!
後は、この騒ぎに乗じて時間を稼げばいいだけだ!!
「何やら騒がしいようですな…………ルドルフ辺境伯、この続きはまた後日で構いませんか?」
そう言って、無理矢理この会談を終わらせようとするが、目の前の男は一切慌てた様子を見せずに落ち着き払いながら、私を宥めるように口を開く。
「あぁ、それならご心配には及びません。先程会場に私の犬を置いてきましたので、きっと犬の芸に盛り上がっているのでしょう」
なん……だと!?
貴様はこのパーティーで何が起こるのか、知っていたと言うのか?
そのために、自分の手の者を会場に置いてきたと言うのか!?
「……犬と言うと、ルドルフ辺境伯がお連れになっていたアレですか?」
『
アレは、私の麻薬組織を壊滅させたという、憎きルドルフ辺境伯の右腕的存在。
誰にも気が付かれずに、麻薬組織の隠し金庫の中身に手を出せる程の凄腕の密偵。
「えぇ、アレは私の言う事を何でも聞くので、今日の余興に丁度良いと連れてきたのですよ」
ルドルフ辺境伯は、そう言って楽しそうな笑顔を浮かべた。
その様子は、まるで遊戯事に興じているかのようである。
「余興…………ですと?」
余興だと?
フェルディナント殿下を謀殺する企ても、『あれるぎー』という宮廷薬師すら欺く毒を使用する策略も、この男は余興と言って捨てるのか!?
「クックック、会場はさぞかし盛り上がっているでしょうね?」
心底おかしそうに笑い声を上げるルドルフ辺境伯。
私の企みなど児戯に等しく、全てお見通しであると言われているかのようだ。
「……そうだモロー伯爵にも、後で私の犬の芸を披露致しましょうか?きっとご満足頂けると思いますよ!」
その上、『
ルドルフ辺境伯のその言葉で、私は力が一気に抜けてしまい、長い息を吐きながら全ての体重を椅子の背に預けた。
……この男が手を回しているのであれば、フェルディナント殿下の命は保証されたような物だ。
それどころか、私が事件の首謀者である事が発覚していても、なんらおかしくは無い。
麻薬の事だけであれば権力で揉み消す事も可能であろう。
今更現れた長女の事も、問題ではあるが何とかする事はできた。
だが、第一王子の命を狙った事だけは言い逃れが出来ない。
一族が連座で処刑されても、何らおかしくはない重罪である。
―――チェックメイト、か。
「……ご安心頂けましたか?」
観念した私に向けて、ルドルフ辺境伯はそう問いかける。
破滅の未来が待っている私に向けて、何故そのような言葉をかけるのか?
……そうか、そういう事か。
ルドルフ辺境伯が後見人を務める私の長女。
そしてエッジ家との縁の証である指輪とペンダント。
つまりルドルフ辺境伯は、私の長女をエッジ家に嫁がせる事で手打ちとし、モロー家の存続を許すと言っているのだ。
第二王子派の筆頭貴族である私が第一王子派の貴族に下れば、それは王国中で繰り広げられている権力闘争の終焉を意味する。
「ええ、安心致しました。……では、先程の花の世話の件ですが、是非宜しくお願い致します」
代々続くモローの名を途切れさせる訳にはいかないため、私は唯々諾々とルドルフ辺境伯の提案を受け入れた。
「そうですか、それでは無事に商談成立ですね」
そう言って満足そうな笑みを浮かべるルドルフ辺境伯。
余計な血が一切流れずに権力闘争が収まる事が、余程嬉しいのだろう。
これが貴様の、『麒麟児』ルドルフ=ファーゼストの描いた結末か。
……そしてこれが『黒麒麟』ルドルフ=ファーゼストに手を出した者の末路か。
「これからどうです、まだ余興に間に合うかもしれませんので、一緒に見に行きませんか?」
「…………いえ、私は結構です」
私の謀略の後始末に向かうと言うルドルフ辺境伯に、私は頭を振って断る。
今の私には、椅子から立ち上がる程度の気力も無い。
「そうですか、それは残念ですが…………あっ、なるほどそういう事でしたか、これは気が付きませんでした」
情けない姿を晒す私に、皮肉を吐いて去ろうとするルドルフ辺境伯。
「これにて、私は失礼致しますので、後は…………ごゆっくりお休み下さい」
ゆっくり休め……か。
どうやら私は、命まで取られる事はないようで、隠居をさせられるらしい。
あの小僧に情けをかけられるとは、これはこれで腹が立つな。
クックック、負けだ、完敗だよルドルフ辺境伯。
口の中で短く笑い、それから部屋に残された我が娘の姿を見る。
よく見れば、私に良く似た所や母親の面影が見て取れる。
「………………お父さん?」
その声に、かつて情を交わした女の姿が重なり、胸が苦しくなる。
貴族としての重荷がなくなり、心が敏感になっているのかもしれない。
「亡くなった母や、お前がどのように生きてきたかを、私に教えてくれるか?」
今のこの時間は、気を利かせたルドルフ辺境伯の最後の気配りだ。
私は、娘に空いた席に座るように勧め、言葉を交わし始める。
奴の言う通りにするのは癪だが、残り少ない時間を娘とゆっくり語らうのもまた一興か…………
こうして私の、モロー伯爵としての最後の一日が終わりを告げた。
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