黒い牙(ブラックファング)の華麗なる活躍(中編)
『
『
体中に浮かぶ赤い湿疹。
第一王子を亡き者にしようとする、第二王子派の陰謀。
首筋を掻き毟っていた第一王子の様子。
パーティー会場を見回した時に感じた違和感。
「これ『あれるぎー』なんじゃね?」
一連の騒ぎを傍観していた俺は、誰ともなしにポツリと呟いた。
意図せず口からこぼれたその呟きは、そのまま周囲の喧騒に溶けて消えてしまう。
え~っと、どっかの本で読んだ気がすんだよな~。
どこだったっけな、たぶん師匠の書庫で見つけた『イトウの書』ん中だったと思うんだけど…………まぁ、いっか俺には関係ねぇ話だし。
ってか、こんなお偉方の陰謀に巻き込まれてたまるかってんだ。
黒麒麟に目ぇ付けられてんのに、これ以上権力者に睨まれたら、命が幾つあっても足りやしねぇよ。
そう思い、気配を消しながら、人混みの中に紛れるようにして隠れようとする……
…………が、ある人物の
「『あれるぎー』って何ですか!?」
第一王子の侍女が、耳聡く先程の呟きを捉えていたようで、必死の形相で俺に迫る。
「何か知ってるんですか!フェルディナント殿下を助けられるんですか!?」
ちょっ、おい、勘弁してくれ。
何となくそう思っただけで、確証なんざこれっぽっちもねぇんだ。
それに、『あれるぎー』つっても、聞き齧った程度の知識しかねえっつぅの!
掴み掛からんばかりの勢いの第一王子の侍女に驚き、慌てふためいていると、渦中にいたもう一人の女性から声を掛けられる事になる。
「……ワンちゃん、何か知ってるの?」
ゾワッ
静かな迫力を含んだ声色に肌が粟立つ。
見ればそこには、息子に甘えてデレデレに溶けていた面影はどこにもなく、『聖女』の名に相応しい……いや、鬼気迫ると呼んで差し支えない程に、真剣な眼差しを向ける聖女の姿があった。
「いや、その、知ってるっつーか何つーか……『
『あれるぎー』に関する、にわか知識を披露する事は躊躇われたため、取り合えずそれらしい事を言ってお茶を濁す。
……だがまぁ、もしこれが『あれるぎー』なら、あながち間違った対処法じゃねぇはずだ。
「まさか、呪術を使ってフェルディナント殿下を呪うつもり?」
「……いや、まぁそうなるのかな?」
だが問題なのは、肝心の手段だ。
特定の対象に、負の影響を及ぼす魔術。
それは一般的に呪術と呼ばれ、忌み嫌われている。
対象を衰弱させたり、不安に陥れたり、酷い物だと物狂いにさせたり、生命を奪うような呪いもあるため、術によっては禁術に指定されている物もある。
「確かに、やってみる価値はあるわ……でも、呪術なんて一体誰が…………」
「………………」
当然、聖女様や第一王子の侍女は勿論、貴族のパーティーに出席するような人物に、呪術なんて怪しい魔術を扱える者は、普通は存在しない。
俺というイレギュラーを除けば。
正直に言おう、俺は学園で片っ端から何でも学んだ。
それこそ、師匠の目を盗んで禁書に指定される書物にだって目を通した。
そのため、一般的な術師よりも効力は落ちるが、呪術だって例外なく扱う事が出来る。
…………これ、不味くねぇか?
どう考えても、他に呪術を使える奴なんざいねぇし、言い出しっぺの俺にお鉢が回ってくるパターンだ。
よし、今ならまだ俺が使えるとは知られてねぇはず、しらを切ればバレる事はねぇ。
第一王子の命運を託されるなんざ、真っ平御免だからな。
「……はっ、もしやるーくんはこれを見越して」
だが、聖女様は何かに思い至ったようで、俺を強く睨み付ける。
「るーくんは何でも応えるって言ってたわよね?……貴方、使えるのね?」
クソッ、バレてるじゃねぇか!?
ま、まさか黒麒麟の野郎、本当にこうなる事を見越して俺を置いていきやがったのか!?
……あり得る、黒麒麟の底知れなさを考えれば、十分あり得る話だ。
第二王子派の企みぐらい、予め察知していたとしても不思議じゃねぇ。
もはや確信めいた表情で、俺に詰め寄る聖女様。
その圧倒的なまでの
「なら、やれるわね?」
お断りだ!
………とは、口が裂けても言える雰囲気じゃねぇよな、とほほ。
「時は一刻を争います。私の『聖女』の名の下に、殿下に呪いを施しなさい!」
そう言って聖女様は一歩脇に逸れて、第一王子までの道を譲ってくれた。
だぁぁ、もう、どうしてこうなった!
周囲の貴族達が、俺の一挙手一投足に注目しており、固唾を飲んで見守っている。
そして、目の前には今にも死神の手に掛かろうとしている、この国の次期国王候補。
えぇい、こうなったらやってやる、やってやるさ!
こうなる事が黒麒麟の野郎の想定内なら、どうせ逃げられやしないんだ!!
俺は内心やけくそになりながら、無言で第一王子の体に手を触れた。
俺が扱える術は、全て中途半端な効果しかないため、精一杯の呪いを込めて呪術を唱える。
「『
いつも通り、俺が唱えた術は、通常の術者が行使する何分の一という微妙な効果を発揮する。
だが、今回はそれが丁度良い塩梅になったようで、第一王子の症状はみるみる収まっていった。
激しい痙攣は鎮静化し、掠れていた呼吸音も落ち着きを取り戻し始める。
そんな様子を見た第一王子の侍女が、ポツリと感想を漏らす。
「……凄い。何て繊細な術なの」
ほっとけ!!
落ちこぼれの俺には、この程度の術の行使で精一杯なの!
全力でこれだけしかできないの!
ってか、気を抜くと術が保てなくなるから、黙っててくれ。
「ワンちゃんの気が散るから黙ってなさい」
「えっ、はい、すみません」
しばらくして、なんとか無事に呪いをかけ終わると、第一王子はあれ程激しい症状を引き起したというのに、容態はすっかり安定し、今では穏やかな顔付きで寝息を立てている。
「ふぅぅ、何とか峠は越えたようだ……」
そう言って俺は、胸の中の空気を全部吐き出すように一息ついた。
隣にいた毒味役の侍女も、目に涙を浮かべながら喜びの声を上げる。
「良かった……殿下が助かって本当に…………」
良かったぁ、本当に良かったぁぁぁ。
もしも第一王子が死んでたら、俺が呪い殺したって言われて、王族殺しの大罪を背負う羽目になっていたかもしれねぇ。
いくら聖女様がやれって言ったからって、俺が処刑されない保証なんか、どこにもねぇからな。
「ふふん、るーくんの連れてきた人間なんだから、これくらい当たり前よ!」
だってぇのに、ドヤ顔を浮かべながら息子自慢をし始める聖女様。
……全力で親バカを披露するその姿に、少しだけイラっとしてしまったのは秘密である。
「あとは、殿下が意識を取り戻したら毒を吐かせて、専門の医師に任せときゃ大丈夫だろう。呪いは二、三日で解けると思うから、その間は病気には十分気を付けてくれよ」
折角助けたのに、後で病気にでもなって、言い掛かりをつけられちゃぁ、たまんねぇからな。
「そうね、殿下の寝室をしっかり浄化しておくわ」
聖女様が直接事に当たるんなら、そっちは大丈夫そうだな。
あとは……
「他に、何もねぇように見張っておいてくれよ?」
病床に伏せる第一王子に、
「この子が付きっきりだから大丈夫よ……うふふふふふ」
そう言って聖女様は、第一王子の侍女に意味深な視線を向け、含みのある笑い声を上げた。
何やら聖女様が
…………………けっ、もげろ!
さて、一時はどうなるかと思ったが、無事に山場を乗り越えたようで、あとはパーティーが終わるのを待てば、ミッションコンプリートだ。
それも、第一王子が毒に倒れるというハプニングが発生したため、すぐにでもお開きになる可能性が高い。
正直、貴族達の陰謀渦巻くこんなパーティーからは、さっさと距離を置きたいのが本音だ。
今後も黒麒麟に付け狙われる現実は変わらないが……
まぁ、なるようにしかならねぇか。
はぁぁ。
不透明な未来に不安を覚えるが、考えていてもしょうがない。
なんてったって、あの黒麒麟様の考える事だ。
俺みてぇな凡人が考えを巡らせたって、その深謀の欠片さえ見る事は出来ねぇ。
でもまぁ、今回の結末は悪くねぇんじゃねぇか?
第一王子は死んでねぇし、俺はでけぇ仕事をやり遂げた。
ひょっとしたら、それに見合った褒美だって貰えるかもしれねぇ。
それに何より、誰かが泣いて終わる結末じゃねぇのが一番だ。
はてさて、今後はどんな成り行きになる事やら…………
「そ、そこの侍女を捕らえよ!フェルディナント殿下に毒を盛った大罪人であるぞ!!」
会場の空気を一変させる不穏な声。
続いて、剣呑な雰囲気を漂わせる屈強な男達が、人垣を割って入り、第一王子の侍女を取り押さえようと近付いてくる。
「は?」
おいおい、空気を読めよ。
やっとの思いで第一王子の命を救ったってぇのに、今度は何だ?
このままハッピーエンドでいいだろ?
一体誰がこの結末にケチを付けようってんだ……
…………ちっ、んなもん考えるまでもねぇか。
事件の黒幕である、第二王子派の貴族のお出ましだ。
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