黒い牙(ブラックファング)の華麗なる活躍(前編)

 はぁ~、一体何で俺はこんな所にいるんだろうか……


 仮面から覗く景色を見て、思わずため息をつく。


 直接顔を合わせる事も畏れ多い程の上級貴族が集まり、一生口にする事も無いだろう美食が並び、人生をかけても購入する事が出来ないような宝飾があちこちに飾られている、そんな絢爛豪華なパーティー。


 そんな中、一人だけ仮面を付けている俺は、場違いに浮いているようで、こちらを見ながら噂話に興じる気配が複数伝わってくる。


 くっ、なんだって俺がこんな目に……

 それもこれも、全て黒麒麟に手を出したのがいけねぇんだ。


 黒麒麟に手を出さなければ、パウロさんに出会う事もなく、麻薬組織のアジトに潜入する事も無かったはずだ。

 パウロさんに出会わなければ、誘拐されたフレデリカを助ける事も無かったはずだ。

 フレデリカを助けようと思わなければ、黒麒麟に再び捕まる事も無かったはずだ…………


 ……はぁ。


 もう一度ため息が漏れる。


 もし時間が巻き戻って、あの時に戻れたとしても、恐らく俺はやけくそになりながら、もう一度、黒麒麟が乗った馬車を襲撃しているだろう。

 そうしなければ、パウロさんは麻薬の運び手として裏組織に目を付けられていたかもしれないし、フレデリカは闇ギルドの人間に殺されていたはずだから。


 野盗になって、どこかで垂れ死ぬ未来より、今の状況の方がよっぽどマシなのは分かるんだが…………


「なぁ、この仮面何とかならねぇのか?」


 せめてこの仮面がなければ、こんなに目立つ事もねぇのに。


「貴様の不細工な面で、祝いの席を汚すつもりか?《《番犬》》らしく黙って、突っ立っていろ」


「だがよ、これじゃぁまるで…………」


 まるで俺が、黒麒麟に仕えるファーゼスト家の人間に見えるじゃねぇか。

 さっきから、こっちを見て噂話をしている連中も、絶対に俺の事を凄腕の護衛か何かと勘違いしていやがるぞ。


 なのに……


「黙っていろと言ったのが聞こえなかったのか?」


 黒麒麟の野郎は、そう言って俺の意見を封殺する。

 まるで、周囲の連中にそう思わせる事が目的だと言わんばかりの態度だ。


 一体、何を考えていやがるんだこの野郎は?

 そんな事をして一体何になるってぇんだ?


 黒麒麟の頭ん中は、これっぽっちも理解できねぇが、どちらにせよ、命を握られている俺に選択権はねぇ。

 結局は黒麒麟の言う事に従わざるを得ないって事だ。


 はぁ、俺のクソみたいな人生は、一体どこへ向かっていやがるんだか…………




 心の中でぼやきながら、時間が過ぎるのをひたすら我慢して待つ。


 途中、聖女様や『裁きの鉄槌ジャッジメント』なんていうビッグネームと顔を合わせる機会もあったが、この二人は黒麒麟の両親なので、当然と言えば当然の邂逅であった。


 ただ、第一王子なんていう雲上人まで目の前にやってきた時には、さすがの俺も心の底からぶったまげたもんだ。


 確かこの王子様は、現在、第二王子派の連中と権力争いの真っ只中だったはずで、そう言えばこのパーティーの主催者は、第二王子派のモロー伯爵だったような…………


 …………あれ?これってもしかしなくても、何か起こるんじゃねぇか?

 ひょっとして、このパーティーって、とんでもねぇ爆弾が隠れてるんじゃねぇのか?


 ま、まぁ、黒麒麟の下で犬を演じる俺には、全く関係無ぇ話しだよな。

 俺みたいな社会の底辺を這いつくばる人間には、雲上人達が繰り広げる謀略なんて、関わりになるはずがねぇもんな。


 うんそうだ、きっとそうに違ぇねぇ!




 …………はい、そんな風に思っていた時がありました。




 雲行き怪しくなったのは、黒麒麟がモロー伯爵と一緒に会場から出て行こうとして、こんな事を言い出した事に始まる。


「それではお集まりの皆さま、本日は皆さまのために、私が飛びきりの余興をご用意致しました。この者は見ての通り、私のにございまして、皆様のお言葉に応えるよう言い付けてございます。是非何なりとお申し付け下さいませ」


 はぁっ!?

 何だよそれ、そんな話し聞いてねぇぞ俺ぁ!

 しかも、そんな言い方をしたら、どんな無理難題を吹っ掛けられるか分からねぇだろうが!

 あんの野郎ぉ、俺をこの会場で独りに置き去りにして、一体どういうつもりだぁぁ!


 俺の心の叫びも虚しく、黒麒麟の姿は扉の向こうへと行ってしまい、扉の閉まる音だけが耳に残る。

 そして、人々の声が波のように広がり、次第に会場が喧騒としてくる。


「ルドルフ辺境伯の余興だと………」


「あの仮面の男は一体何者だ…………」


「あれはもしや、ファーゼスト・フロントに現れた…………」


 周囲がざわめく中、真っ先に俺の所にやってきたのは、一人の着飾ったご令嬢だった。

 どんな無茶振りをされるか分からず、思わず身構えてしまう。


「あ、あの、貴方が『黒い牙ブラックファング』……様でいらっしゃいますか?」


 ……は?ブラックファング様?誰が?

 なんだそりゃ、なに言ってやがるんだコイツは?


 良く分からんが、なんか思っていたのと違わないか?

 てっきり俺は、平民の俺を犬畜生のように扱って、笑い物にするつもりかと思っていたんだが……


 ……ってかコイツ、どこかで見た気がするんだよな。

 こんな美人の貴族、知り合いにいたっけな?


「はっ、失礼致しました、私はシルヴィア=ブライトと申しまして、王国捜査官の一隊を率いております。実は先日、ファーゼスト・フロントに赴いた時に、貴方の活躍のすぐ側におりまして……」


 げっ、思い出した!

 こいつ、『堅物』シルヴィアじゃねぇか!?

 迷宮都市にいた時に、俺がどれだけこいつに追い回された事か。

 ま、まぁ、犯罪ギリギリの行為に、手を出した事が無いと言えば嘘になるが……

 ってか、ファーゼスト・フロントで見た官憲って、こいつだったのか。

 ば、バレなくて良かったぁ。


「あの、もし良ければファーゼスト・フロントで何があったのか、直接お聞かせ頂けませんか?」


 そう言って、どこか顔を赤らめながら上目遣いをするシルヴィア。

 その姿に思わずドキリと胸が高鳴る。


 追い回された時は、そんな事を思った事もなかったが、こうして着飾って化粧をすると、しっかり貴族のご令嬢に見えやがる。


 ……ごくり。


 お、女って化けるもんなんだな……


 そう俺がドギマギして、言葉に詰まっている時、それは唐突に起きた。


「キャァァァァァァ!!」


 ドサリと何か重たい物が倒れる音が聞こえ、続いて絹を割くような誰かの悲鳴。

 人々の視線の集まる先を辿ると、そこには白目を剥いて床に倒れる第一王子と、ひたすら第一王子の名前を呼び続ける侍女の姿があった。

 第一王子の意識は既に無いようで、顔色は蒼白。

 体中に赤い湿疹を浮かべ、更には手足が痙攣する様子すら見せ始めていた。


 毒でも盛られたのだろうか?

 一体誰が?


 第一王子を中心に人垣が築かれる中、ヒソヒソと囁き声が飛び交う。


 誰が毒を盛ったかって?

 そんなの、第二王子派の連中に決まってんじゃねぇか。

 こいつら本気で言ってんのか?

 分かってて言ってるんなら、貴族の奴らって本当に腹黒で恐ろしい連中だな……


 どこか遠い世界の出来事のように思いながら、事の推移を見守っていると、鋭く凛とした声が上がる。


「道を開けなさい!事は一刻の猶予を争います!!」


 築かれた人の壁を割って進むのは、神々の奇跡を行使する聖女様。

 今まで囁き合っていた連中も息を潜め、聖女様が第一王子の下まで駆け寄る姿を固唾を呑んで見守る。


 全く、第二王子派の連中も何を考えてんだか。

 聖女様がいる場で毒を盛っても、成功する訳無ぇってのに。


 聖女様は、第一王子の側で泣き喚く侍女を押し退け、両の手を組んで神に祈りを捧げ始める。

 その姿はまさしく『聖女』そのもので、どこか侵しがたい神聖な空気を漂わせていた。


 五秒……十秒…………


 聖女様が祈りを捧げ始めて何秒が経っただろうか。

 その頃には、第一王子の侍女も落ち着きを取り戻しており、聖女様の様子をじっと見守っていた。


「『解毒キュアポイズン』」


 静かに呪文を唱える声。

 その声は、不思議と会場にいる全員の耳に届いていた。


 聖女様が神の奇跡を行使すると、第一王子の体は光に包まれ、次第に光は体の中に吸い込まれるようにして消えていった。


 そして、光が完全に消え去った結果、第一王子は何事も無かったかのように…………







 再び痙攣を繰り返した。







「嘘っ、毒が消えない!どうして!?」


 取り乱した様子を見せる聖女様の姿に、再び会場が騒然となる。

 当然であろう、聖女様の奇跡をもってしても解毒が出来ないなど、一体誰が予想できただろうか。


「あ、悪魔の毒だ……」


 誰かがポツリと呟いた。


「神の奇跡をも恐れない、悪魔の毒が盛られたんだ!!」


 今度は、はっきりと耳に届く大きさで聞こえた。

 その言葉が聞こえるや否や、ざわめきが一層大きくなって会場を席巻する。


「静まりなさい!悪魔の毒なんて聞いた事もないわ!!…………だけど、『解毒キュアポイズン』が効かないなんてどうして……」


 聖女様が一喝するも、今度は収まる気配をみせない。

 周囲がざわめく中、聖女様はもう一度手を組み、再び神への祈りを捧げ始める。


 五秒……十秒…………


 同じだけの時間のはずなのに、先程の何倍にも感じられる時間を経て、聖女様は再度神の奇跡を行使する。


「『耐毒レジストポイズン』」


 唱えた呪文は、体内から毒を消し去る『解毒キュアポイズン』ではなく、毒に対する抵抗力を高めるための呪文。


 成程、原因は分からねぇが、毒を取り除く事が出来ねぇ以上、第一王子の体に備わる力を強化して、毒を乗り越えるのは悪くねぇ手だ。


 ましてや『聖女』と呼ばれる程の術者が行使する術。

 今や第一王子の体は、普段の何倍もの抵抗力を有している事だろう。


 聖女様の奇跡を受け、現存するどんな毒も跳ね除ける程に強い抵抗力を持った第一王子は…………







 一層、激しく痙攣をし始めた。







「なっ…………」


 予想外の症状に絶句する聖女様。

 第一王子は激しい痙攣を繰り返し、その命が、もはや風前の灯火である事は誰の目にも明らかであった。

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