とある商人の華麗なる一日
私の名はハンス、今はしがない商人の真似事をしている。
もともと裕福な家庭に育った私は、子供の頃から教育を受け、学園で学問を修め、学者としての人生を歩んできた。
そんな私に、ある時、転機が訪れる。
ひょんな事から、「ヒラガナ」の記載がある本を手に入れたのだ。
これは大賢者イトウの書に違いないと思い、解読を進めていくと、どうやら、とある作物の栽培方法について記載されているようだった。
私は好奇心に勝てず、知り合いの農家に依頼して、その作物を育てる事にしたのだが、どうもそこから成分を抽出して精製した物は、王国では規制品に類する物だったらしく、その事が領主の耳に入ってしまったのだ。
金に汚い事で有名の領主は、栽培のノウハウを渡すように脅してきたが、素直に言う事を聞いたとしても、身の安全が保証されるか怪しかったため、私は隙を見て資料と一緒に逃げ出した。
それからは、領主の追手から逃げるようにして土地を渡り歩き、そして、私と同じように土地を追われた一団に出会い、その中の一人と心を通わせ、今はファーゼスト領の片隅に隠れるようにして暮らしている。
当然、ファーゼストの領主には無断で住んでいるため不法行為である。
見つかれば最悪極刑もありうるだろう。
だが、厳しい辺境では、隠れながら自給自足していくには限度があったため、どうにかして街から物資を手に入れてくる必要があった。
私は、私と境遇を同じくする一団と、そこで出会った妻のために、自身が追われる事となった原因の作物を使って、近場の裏組織と取引を行う事を決めたのだった。
日が暮れて、すっかり暗くなったファーゼスト・フロントを歩き、目的地を前に足を止める。
「はぁ……」
思っていたよりも小さい建物を前に、重たいため息を吐く。
これから持ち込む品がこの組織の資金源となり、どこかで誰かが不幸になる事を想像すると胸が軋む。
だが、私達が生きていくためには、こうして裏組織を頼らざるを得ない。
込み上げてくる吐き気を飲み込み、意を決して建物の中へと踏み入れた。
中に入ると、愛想の悪い男がカウンターの奥に座っており、こちらの姿を確認すると声を掛けてくる。
「こんな夜更けに何用だい?」
「……ここで小麦粉を買い取ってもらえると聞いたのだが?」
私は、男の問いかけにやや緊張しつつも、事前に調べておいた符丁を用いて、男に答えた。
「名前は?」
「ハンスだ」
「新規の持ち込みだな?悪いが、別口の商談が入ってるんで、アーの部屋で少し待ってな」
男はそう言って、部屋の奥を顎で示す。
……アーの部屋?
何かの暗号だろうか。
「ちっ、通路から一番手前の部屋だよ」
部屋が分からず、その場に立ったままいると、男がぶっきらぼうに場所を伝えてきた。
私は、良く分からないまま部屋の奥に進み、とりあえず通路から一番手前にある部屋まで移動する。
入口には『A』というアルファベットが飾られており、他の部屋には、『I』や『U』や『E』といったアルファベットが飾られている。
成程、どうやら大賢者イトウの書にちなんだ部屋番号が割り振られているようだ。
わざわざ暗号のような、分かりにくい番号を割り振らなくともいいと思うのだが、裏組織の考える事は良く分からん……
取りあえず扉を開けて部屋の中に入り、椅子に座って時が過ぎるのを待つ。
「はぁ……」
また、ため息が漏れる。
ここ最近は、裏組織と渡りを付けたり、取引用の品を精製したりと忙しく、身体的にも精神的にも疲労がピークに達していた。
部屋の中ではする事がなく、時間だけが過ぎていき、気が付くと、私はテーブルに突っ伏して意識を手放していた。
不意に部屋の扉が開かれる。
その音に驚き、思わず声を上げる。
「誰だ?」
そこまでして、ようやく自身が眠ってしまっていた事に気が付く。
これから大事な交渉を行うというのに、気が抜けていたようだ。
眠気を意志の力で振り払って、急いで頭を切り替える。
「取引相手に向かって『誰だ?』とは、口のきき方がなっていないようだな」
だが、扉の向こうから現れた人物が、あまりにも予想外だったため、切り替えたはずの頭が真っ白になって、機能停止寸前になる。
かろうじて口から出てきたのは、目の前のお方の名前だけだった。
「……ルドルフ様」
現れたのは、辺境の地ファーゼストを統べる、王国の麒麟児その人。
ルドルフ様は、テーブルの向かいまでゆっくりと進むと、乱暴に席へ着かれた。
何故この方がここにいる!?
この方にバレないために、この裏組織に渡りを付けたというのに、何故目の前にいるのだ!?
突然の出来事に、頭の中で目まぐるしく思考が繰り返されるが、答えは出ない。
何故わたしは、この地で、このお方の目を掻い潜って隠れ住む事ができるなどと思っていたのだろうか。
冷静になって考えてみれば、このお方が、自身の領地で起こっている事を把握できていないなど、あるはずがないというのに。
こうしてルドルフ様が出てこられたという事は、私達に沙汰を言い渡しに来たに違いない。
不法居住者である我々は、おそらく、法外な税金を申し渡されるか、それができなければ実質的な奴隷として王国売り払われる事になるだろう。
もしかしたら見せしめのために、処刑となるかもしれない。
居住地にいる皆の未来のために、この街までやってきたというのに、そこで領主様から不法行為の沙汰を言い渡される事になるとは、なんという皮肉だろうか……
「ランドルフだ……間違えるな」
……ん?今、ルドルフ様はなんと申されたか?
ランドルフと聞こえたが聞き間違いだろうか?
ルドルフ様の顔は、学生時代に何度か目にしたことがあり、知っている。
なので、目の前の人物が別人ではなく、ルドルフ様であることは疑いようもない。
私は、ルドルフ様の態度に疑問を浮かべながらも、取りあえず話を合わせる事にする。
「し、失礼致しました、ランドルフ様。私の名前は……」
「無駄話はいい、さっさと取引内容を話せ」
取引内容?
……そうか、私がこの組織に何を持ち込んで、何をしようとしていたのかも、お見通しというわけですね。
「……かしこまりました。では早速こちらをご覧下さい」
私は、ルドルフ様の言葉に観念し、足元の鞄から袋を取り出して、純白の粉をテーブルの上に広げて見せる。
これの名を砂糖という。
それは、一度その魅力に取りつかれてしまえば、抗う事の出来ない天使の薬。
それは、一度その味を覚えてしまえば、二度と抜け出すことのできない幸福の薬。
しかし、その精製技術は他国の貴族が独占しており、王国内ではごく限られた経路でしか入手する事ができないため、非常に高価であり、社交界においては富の象徴として用いられる事もある。
そのため、扱う商人は限られており、粗悪品や紛い物が流通しないように規制がされている。
私は、その技術を解き明かしてしまったため、富と技術を独占しようとした領主に追われる事になったのだ。
「ほう、これが人を虜にする魔法の薬か?」
ルドルフ様は、袋の中を覗き見て、感心したように頷かれる。
魔法の薬……確かにそうかもしれない。
自身の成果がどんな物かを試した事があるが、たった一匙で、幸福という言葉がどういう物か、実感できるほどの物だった。
天上の甘露とは、砂糖の事を指した言葉に違いない。
「人を虜にする魔法の薬とは、中々上手い表現をなされますね」
「しかも白い。かなりの上物だな?」
そう言って頬を緩ませるルドルフ様。
それもそのはず、ここまで白い砂糖というのは、まずお目にかかれないからだ。
砂糖と言えば、一般的には黒色か茶色が常識とされている。
しかし、私が読み解いたイトウの書では、砂糖は白色が常識とされており、私は書かれていた魔道の
「ランドルフ様も一つ試してみますか?」
「クククッ、そうやって私も虜にするつもりか?私はそいつに溺れるつもりはない」
何とかルドルフ様の機嫌を取ろうと誘ってみるが、丁重に断られてしまった。
「それは残念ですね……」
賄賂を受け取るつもりはない、そういう事だろうか……
「それで?貴様らは一体何を望む?」
ルドルフ様はそう言って、私の顔を直視なされた。
こちらの心の内を見透かすような、真っ直ぐな瞳。
それを見て、私は、自分が何か思い違いをしている可能性に思い当たる。
先程から、ルドルフ様は一体何をおっしゃっているのだろうか?
ファーゼスト領の中で、不法に暮らす私達を裁くためにここにいるのではなかったのか?
それなのに、わざわざ偽名を名乗り、こうして私との対話の場を設けて下さるのは、そこには何か意図があるはず。
我々を捕らえるだけならば、居住地に兵を向けるだけで事足りるのだ。
なのに、こうして私と取引を行う姿勢を見せるのは何故…………
不法居住者……取引…………偽名………………まさか!?
ルドルフ様のこれまでの発言が、今ようやく一本の線でつながった。
ルドルフ様が、我々の事を始めから知っていたという事であれば、我々が貴族に睨まれた訳ありの集団だという事もご存知のはず。
そこへ、わざわざ姿を現したのにも関わらず、本名を明かさないという事は、これは公式の会見ではないという事。
さらに、取引と言う事は、私が持ってきた対価に応じる用意があるという事。
つまり、ルドルフ様はこうおっしゃっているのだ。
『ここにいるのは領主ではないので、お前達を取り締まる事はない。立場上、表立って支援する事は出来ないが、何か困っているのであれば、取引に応じよう』と。
おぉ、神よ!この地へ導いて下さった事を感謝致します!!
隠れて暮らすしかない我々を、罰するどころか自領に匿い、その上、生活の支援までしてもらえるとは。
学生時代から、様々な偉業を聞いてはいたが、ルドルフ様の名君ぶりに、改めて頭が下がる思いだ。
そして今、同時に試されている事にも私は気が付いた。
分不相応な知識を持った私が、身の丈に合わない野心を持っていないか、匿うに値する人間かどうか見極めるつもりなのだ。
先程から私を直視する瞳は、嘘偽りを許してくれそうにない。
私は、今日ここへやって来た理由を素直に述べる。
「……私たちの事を見逃して頂きたいのです」
「ほう?」
「私達が、この地に根を張るためには、領主様の許しが必要となります。ランドルフ様は定期的に、この品が手に入り、私共はこの地で繁栄する。如何でしょうか?」
私は……いや、私達は長い逃亡生活で、心身共に疲れ果てている。
安心して住める環境を心から欲しているのだ。
それらが提供されるための対価は、私の知識の産物ならば、十分であろう。
それに、ルドルフ様程の人物であれば、この品を適切に扱って下さると信頼できる。
「貴様らは、こいつが規制品だという事は理解しているな?……それだけか?」
やはり、ルドルフ様は全てお見通しのようだ。
私がイトウの書から読み解いた知識が、製糖技術だけではない事も、ご存知でいらっしゃる。
もう隠す必要は無いため、ルドルフ様の言う通りに、全てを差し出す事にする。
「確かにその通りでございます。こちらもお納め下さいませ」
私は、鞄の中から小箱を取り出してテーブルの上に置いた。
「これは?」
「ただのお菓子にございます」
ルドルフ様はゆっくりと小箱を開け、その中身を見て、驚きで目を丸くされる。
ふふふ、こうも驚かれると、私も作った甲斐があったと言うものだ。
私も、実際に出来上がった物を見た時は、文献で知っていたのに、これ程の物かと驚いた物である。
「いかがでございましょう、私共の自慢のお菓子は?」
小箱の中には、黄金色の丸い形をしたお菓子が、積み重なっている。
その正体は加工された砂糖、その名を『べっこう飴』と言う。
社交界では、これでもかと砂糖が使用されたお菓子が、富の象徴として扱われると聞くが、このお菓子は砂糖のみで作られた、謂わば富の塊。
しかも黄金色に輝き、丸く成形されたその姿は、正に金貨その物。
富を表すお菓子として、べっこう飴以上の物があるだろうか?
「フハハハハハ!黄金色のお菓子とは恐れ入った。なかなか洒落た貢ぎ物だな」
「何か不都合でも?」
「いや、気に入った」
ルドルフ様は、その価値を理解されているようで、小箱を懐に入れると、上機嫌に笑みを浮かべた。
「それでは?」
「残念だが、私は領主ではないので、期待には応えられそうもない……」
「な!?」
ルドルフ様の言葉に、思わず席を立ち上がる。
頭に血が上りそうになった私だが、ルドルフ様は手で落ち着くように示され、言葉を続ける。
「……だから、今後はランドルフが取引を行おう」
……そうであった。
ルドルフ様はその立場上、私達のような不法行為を働く者を、擁護する事はできない。
「………………それは、つまり……」
だから、ランドルフという架空の人物が、今後は私達と取引を行って、裏から手を回して下さる。
つまり、私はルドルフ様の目に適い、その領地に隠れ住む事を許されたと。
そういう事ですね?
「そういう事だ」
ようやく全てを理解した私に向かって、ルドルフ様は手を差し出す。
私は、感謝の想いを込めて、固くその手を握った。
「フフフフ」
どちらともなく、笑い声が漏れ出す。
「フハハハハハ!」
居住地で待っている妻や、他の面々の事を思い、笑いが込み上げてくる。
日陰で暮らす事を余儀なくされ、もう二度と日の光の下を歩けないと思っていた私は、今日という日を忘れる事はないだろう。
これからは、私の製糖技術が、人々の笑顔のために使われるのだ。
その事の、何と素晴らしい事だろうか。
明るい未来に思いを馳せ、今日という日が過ぎていった…………
そこへ、王国捜査官が足を踏み入れてきた。
…………えっ?麻薬??何の事???
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