悪徳領主と白い粉

 不届きな三人組を簀巻きにした後は特に何事もなく、その日の昼過ぎには自身の領地まで帰ってくる事ができた。


 ここ、『ファーゼスト・フロント』は、文字通り我がファーゼスト領の玄関であり、荒れ地ばかりの自領のために、様々な物資を運び入れるファーゼストの生命線とも言える街だ。


 この街から私の屋敷までの距離は、丁度丸一日。

 今日は、この街でゆっくりと過ごし、明日は一日掛けて屋敷まで帰る予定である。


 日中は特にやる事も無いため、このまま、宿の中で旅の疲れを癒す事にする。


 街で一番上等な宿屋という事もあり、部屋に備え付けられているベッドはそれなりの質であり、身を預けると間もなく睡魔が訪れた。








 …………そろそろか?








 微睡みから抜け出して目を開けてみると、日はとっくに暮れており、夜の暗闇が『ファーゼスト・フロント』を黒く染め上げていた。


 思った以上に疲れていたのか、ベッドから起き上がると身体の軽さを感じる。

 空腹を感じたので、部屋の中に用意されていた軽食を腹の中に収めると、外套を羽織って、そのまま部屋を出た。


 部屋の外にヨーゼフが待機していたので、一言告げておく。


「いいか、私はこれから寝る。分かったか?」


「……かしこまりました。ルドルフ様はいらっしゃるのですね」


 ヨーゼフは、私が羽織っているを一瞥すると、私の言葉を復唱する。

 私はそれを確認すると、そのまま宿を出て、夜の『ファーゼスト・フロント』に繰り出した。


 さて、何故こんな時間に、こんな回りくどい真似をしたかというと、それはこれから向かう先に理由がある。

 最近この街に現れた麻薬組織と取引を行うためだ。


 麻薬。

 それは、一度その魅力に取りつかれてしまえば、抗う事の出来ない悪魔の薬。

 それは、一度その味を覚えてしまえば、二度と抜け出すことのできない破滅の薬。


 当然、王国では所持する事も使用する事も禁止されているし、取引する者は厳しく罰せられる。

 ……だがしかし……だからこそ金になる。


 麻薬には依存性があり、一度その虜になってしまえば、この薬なしには生きる事はできなくなってしまい、もし薬が切れようものなら、つらい禁断症状が襲いかかる。

 そのため、一度味を覚えてしまえば、麻薬の誘惑を絶ち切る事は困難を極め、ほぼ全ての中毒者が、更なる麻薬を求めて金を吐き出し、最期は廃人と化す。


 そしてこの薬の恐ろしさは、その影響は本人だけに留まらないという事もあげられる。


 例えば、自分が辛い目にあっている時に、友人ががあると勧めてきたら、断る事ができるだろうか?

 例えば、友人が麻薬を使用したりしていれば、『自分も』と興味本位で手を出す人間もいるのではないだろうか?

 例えば、親が麻薬を使用していれば、子供にも使用を促したりするのではないだろうか?


『興味本意でやっただけなのに』

『少しだけだし、自分なら大丈夫』


 そう言って、気軽に手を出した人間を、どれだけ絶望の谷に突き落としてきた事だろうか。


 そんな麻薬を、我がファーゼストが売り捌けばどうなるか。

 勿論、官憲等に目を付けられないように、コッソリと取り扱う必要はあるが、それが一体どれ程の金貨と絶望を生み出すのか、想像するだけで笑いが止まらない。


 そうして闇の中を歩いていくと、倉庫が併設された、小規模な商会の建物が見えてきた。

 パッと見た限りでは、何処にでもある一般的な商会だが、その実、裏では様々な後ろ暗い取引が横行している。


 全く、いつの間に私の領地に潜り込んだ事やら。

 今回の儲け話が無ければ、即刻潰している所だ。


 私は、そのまま躊躇する事なく、建物の中へと入って行った。


 中では、カウンターの奥に愛想の悪い男が一人で座っており、こちらの姿を確認すると、声を掛けてきた。


「こんな夜更けに何用だい?」


「ここでの取引をしたいと、招待されたのだが?」


 事前に知らされていた符丁を用いて、男に答える。


「名前は?」


だ」


「……エーの部屋だ」


 男は、顎で部屋の奥を示して、短く呟いた。

 それを聞いて、男の隣を通り過ぎようとすると、声が掛けられる。


「そういや、昼間にあんたの使いがしに来たんだが……」


 はて、何の事だろうか?

 特に指示などをした覚えはないが、おそらくヨーゼフが気をきかせて顔を出したのだろう。


「それが何か?」


「あっ、いやぁ、その、それなら良いんだ。何でもねぇ」


 男は、私の言葉を聞くと慌てた様子で言い繕った。


 何でもないのなら、一々呼び止めるなと言いたいが、受付の男を罵った所で、時間の無駄だ。


「ふんっ」


 不機嫌に鼻を鳴らして、部屋の奥へと歩いていく。


 その先は、通路になっていて、少し進むと五つの部屋が並んでいた。

 見ると、一番手前の部屋にはアルファベットで『A』の文字が飾られている。

 私はそれを確認すると、扉を開いて中に入った。


 部屋の中では、テーブルを挟んだ向かいに、一人の男が座っており、蝋燭の火に照らされた顔は影が濃く、裏の世界を生きる『匂い』のようなものを感じさせる。


 男は私の姿を認めると、声を発した。


「誰だ?」


「取引相手に向かって『誰だ?』とは、口のきき方がなっていないようだな」


 そう男に言い放ち、部屋の中にゆっくりと足を入れると、乱暴に席へ着く。


「……ルドルフ様」


 男は、そう呟いたが、勘違いされては困る。

 貴族がこんな場所で、怪しい取引をしていたと噂が広まれば、他の貴族に弱みを見せてしまう事になる。


だ……間違えるな」


「し、失礼致しました、ランドルフ。私の名前は……」


「無駄話はいい、さっさと取引内容を話せ」


 男が名乗ろうとするのを遮り、先を促す。

 私がそうであるように、こんな場所で取引をする相手の名前など、どうせ偽名だ。

 怪しい連中との信頼関係など、あってないようなもの。

 利益だけの関係を築いた方が、よっぽど信頼ができるという物だ。


「……かしこまりました。では早速こちらをご覧下さい」


 そんな私の思いが伝わったのか、男は数瞬思考を巡らせた後、足元の鞄から、袋を取り出してテーブルに広げた。


「ほう、これが人を虜にする魔法の薬か?」


 袋の中を覗くと、一掴みほどの粉が納められていた。


「人を虜にする魔法の薬とは、中々上手い表現をなされますね」


 男は、そう言って小さく笑う。


「しかも。かなりの上物だな?」


 麻薬は、特定の植物から抽出されるというが、ここまで白いという事は、魔術か何かで不純物を取り除いているに違いない。

 かなり上質のブツだ。


 クックック、これは予想外の掘り出し物だな。


「ランドルフ様も一つ試してみますか?」


「クククッ、そうやって私も虜にするつもりか?私はに溺れるつもりはない」


 私は、男の誘いを丁重にお断りする。

 あのように自然な態度で麻薬を勧めてくるとは、裏社会の人間は本当に怖い。

 貴族でさえも操り人形にしようというのだから、油断をしていると足元を掬われてしまいそうだ。


「それは残念ですね……」


 男は、心底残念そうな顔をして肩を竦めた。


「それで?貴様らは一体何を望む?」


 このまま、交渉を長引かせるとどんな罠が待ち受けているか分かったものじゃない。

 多少、性急ではあるものの、話の先を促す事にする。


 私の言葉に、男はしばし考え込むと、慎重に言葉を選びながら、しゃべり始めた。


「……私たちの事を見逃して頂きたいのです」


「ほう?」


「私達が、この地に根を張るためには、領主様の許しが必要となります。ランドルフ様は定期的に、この品が手に入り、私共はこの地で繁栄する。如何でしょうか?」


 つまり、麻薬組織が私の領地で横行する代わりに、麻薬の一部を上納するという事か。

 ……ふんっ、私も甘く見られたものだ。


「貴様らは、こいつが規制品だという事は理解しているな?……それだけか?」


 たかだか、その程度の利益を示した程度ではリスクに見合わん。

 私の膝下で、大手を振っていたいなら、もっと大きな利益を示さねば話にならん!


「確かにその通りでございます。こちらもお納め下さいませ」


 男はそう言って、鞄の中から小箱を取り出してテーブルの上に置く。


「これは?」


「ただのにございます」


 お菓子?

 確かに嗜好品は高価ではあるが、今回の取引と一体何の関係が?


 場違いな提案に首を傾げ、訝しげに小箱を開ける。

 そして、その中身を見て、私は目を見開く事になる。

 そこには、の丸い形をしたが、積み重なっていたからからだ。


「いかがでございましょう、私共の自慢のは?」


 男の言葉に我に返り、その意味する事が浸透してくると、次第に笑いが込み上げてくる。


「フハハハハハ!とは恐れ入った。なかなか洒落た貢ぎ物だな」


「何か不都合でも?」


「いや、気に入った」


 お菓子の詰まった小箱を懐に入れ、満面の笑みを浮かべる。


「それでは?」


 男は身を乗り出してくるが、私はこう告げる。


「残念だが、私はので、期待には応えられそうもない……」


「な!?」


 男は気色ばんで席を立ち上がるが、私は、それを手で制して言葉を続ける。


「……だから、今後はが取引を行おう」


 男は、徐々に言葉の意味が理解できてくると、表情を一変させる。


「………………それは、つまり……」


 ここにいるのは、あくまでも『ランドルフ』だ、決して『ルドルフ』ではない。

 ファーゼスト領の領主は、断じて、今回の取引に関わってはいないのである。


「そういう事だ」


 そう言って、私も席から立ち上がり、男に手を差し伸べる。

 男は迷わず私の手を取り、固い握手を取り交わした。


「フフフフ」


 どちらともなく、笑い声が漏れ出す。


「フハハハハハ!」


 込み上げる気持ちは止まらず、部屋中に笑い声が響き渡った。


 これで、晴れて私も裏社会の人間だ。

 今後は、こいつらから上納される金と薬をバラ撒き、王国中に不幸を撒き散らす屑の仲間となるのだ。


 そして、万が一こいつらの存在がバレてしまっても、切り捨ててしまえばいいだけだ。

 所詮こいつらは、私に金と薬を運ぶだけのトカゲの尻尾に過ぎないのだから。


 また、こいつらと取引を行っているのは『ランドルフ』であるため、もしも私に被害が及ぶようであれば、知らぬ存ぜぬを押し通せば良い。

 裏社会の人間など、信用ならない屑ばかりのため、こうして予防線を張っておかねば、逆に私が売られかねない。


 まぁ、何か事が起きれば、貴族としての強権を使用すれば済む事だ。

 それまでは、せっせと御柱様への貢物を拵えるとしよう。


 その後は、男と細かい打ち合わせを行い、夜は更けていく…………




















「そこまでだ!全員この場から動くな!!」


 ……そこへ、無粋な闖入ちんにゅう者が現れた。

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