料理人トニーの華麗なる復讐

 厨房の中に、何かをすり潰す音だけが響く。


 丁寧に丁寧に。

 形が残らないように、ペースト状になるまでひたすら、をすり潰していく。


 遂に、遂にこの日がやって来た。

 どれだけこの日がやって来ることを待ち望んだ事だろうか。


 私がこのオーレマインにやって来て早五年。

 いつかこの日がやって来ると、信じて待った甲斐があった。

 五年前、私を王都から追い出したあの傲慢な貴族が、今日、私の店にやって来るというのだ。


 今日こそが私の復讐の時。

 クククッ、これを口にした時、あの貴族は一体どんな反応をするだろうか……


 その瞬間を思い浮かべると、暗い愉悦が込み上げてくる。


 私は、いつこの日が来てもいいように、ある場所と秘密裏に契約を結んだ。

 そして今日は、特上品質のブツを用意して貰ったのだ。


 古い物だと特有の匂いがするので、口に入れてもバレないように、今日の朝一に収穫された物だ。

 また、生のままではとても口には入れられないため、一度熱を通して柔らかくし、違和感がなくなるまですり潰す。

 さらに、熱を通すと甘味がでるため、他の食材と合わせて、一つの料理として味を調和させる。


 あの貴族に復讐するために、今日まで研鑽を積んできたのだ、まず間違いなくバレる事はない。


 用意したブツの下処理をしながら、私はあの日の事を思い出していた。


 私はこの五年間、あの日受けた屈辱の事を忘れた事は無い。


 あの日は、今日と同じように、丁度季節の変わり目を感じる、肌寒い日だった。





 あの日、私はいつもと同じように、王都のとある店の厨房で働いていた。


 そこは王都でも指折りのレストランで、当時の私は周囲に、その腕を知らしめていた。


 きっかけは、店内のコンペに私が参加した事に始まる。

 コンペに提出した料理が評価され、実際に店頭に並べてみると、これが大ヒット。

 それから新しいメニューを開発するも、次から次へと評判になり、幾つかは店の看板メニューになる程だ。


 それ以来、私は天才料理人として評され、上司には目を掛けて貰い、この若さで次期副料理長、ゆくゆくは料理長の座も約束されていた。


 そんなある日の事だ。

 突然とある貴族から、食事の予約が入ったのだ。

 その日は、たまたま料理長が所用で店におらず、副料理長が音頭を取って事に当たる事になった。

 その時、普段から副料理長に目を掛けて貰っていた私は、料理の幾つかを担当する事になったのだ。


 副料理長からは「好きにやれ」と言ってもらえ、全身全霊を以て事に当たる事にした。


 私は今まで温めていたアイディアを、ここぞとばかりに料理に込め、出来上がった料理をその貴族に供した。


 王都で培った経験の集大成とも言えるその一品は、間違いなく王都でも史上に残る程の料理となったであろう、自慢の一品。

 今までコンペに提出した料理も、店の看板になったメニューも、全ては、この一品を作り出すためだけにあったと言っても過言ではない。


 私の全てを注ぎ込んだ一皿。





 ………………それを、その貴族は床にブチ撒けたのだ。





 今でも、あの時の事を有り有りと思い出すことができる。


「おい、誰がこの料理を作ったのだ」


 その時の私は、厨房にいたのでテーブルの様子が分からず、その声を聞いて、てっきり称賛の言葉を頂戴するとばかり思い、喜び勇んで姿を現した。


 だが、テーブルに顔を出して見ると、なにやら様子がおかしく、不穏な空気が漂っていた。


「貴様が、これを作ったのか?」


 貴族の男は、不機嫌さを隠そうともせずに床を指差す。


 私はその様子に戸惑いながらも、床に目を向けると、信じられない物が目に飛び込んできた。

 丹精込めて作った自慢の料理が、床にぶち撒けられていたのである。


 何故だという困惑する気持ちと共に、怒りが沸いてくる。


「閣下のお口には、合いませんでしたか?」


 怒りに支配された私の口から出てきたのは、謝罪の言葉ではなく、問い詰めるかのような、非常に憮然とした物だった。


「フン!こんな物を私が口にする訳がないだろう」


 貴族のその言葉に更に怒りが募る。

 この貴族は、私の全てを込めたと言っても過言ではない一皿を、見ただけで床にぶち撒けた言うのだ。


「では、閣下は一口も食べずに、私の料理を評価するのですね?」


 いくら、私のプライドを踏みにじられたとは言え、貴族に物申すなど、愚か者のする事だ。

 だが、その時の私は、そんな事も分からないぐらいに、どうかしていた。


「…………ほう、私に口答えするとは、いい度胸だ。這いつくばって謝罪をすれば許してやろうと思ったが止めだ。……クククッ、今後は王都で仕事ができると思うなよ。」


 その貴族はそう言って、代金も払わずに去って行った。


 そこまでして、ようやく私は、何をしてしまったのかに気が付いた。

 貴族に対してあのような態度を取ってしまった事に、頭を抱えるがもう遅い。


 案の定、貴族の不興を買った私は、身の振り方を考える羽目になったのだ。


 翌日、いつものように店に出向くと、早々に料理長と支配人に呼び出された。

 嫌な予感はしていたが、予想通り、支配人からは解雇クビを告げられたのである。


 話を聞いてみると、王都の主だったレストランには手が回っているらしく、私を雇う店は無いだろうとの事だ。


 あの貴族は本気で私を王都から追い出すらしい。


「ハハハハハ」


 笑いしか起きない。


 さすがに憐れに思ったのか、支配人が他の街にいる知り合いの店を紹介してくれ、私はそこで世話になる事になった。

 仕事の心配はしなくて済んだのは幸いだったと言えよう。


 こうして私は、工房都市オーレマインに身を寄せる事になったのだ。


 後で耳にしたところによると、あの貴族は大層な人参嫌いだそうで、私の料理にそれが入っていた事が、今回の件の真相だそうだ。


 何と下らない話だろうか。

 私はたかが人参ごときに、料理人としての未来を潰されたのだ。

 全く、冗談じゃない。

 結局あの貴族は、料理の中に人参が入っているのを見ただけで、料理を床にぶち撒けたのだ。


 料理人として、これ程の屈辱があるだろうか。

 怒りで我を忘れそうになる。


 それ以来、私は、何かに取り憑かれるように、料理の研究を始めた。


 私をこのような目に遭わせてくれた貴族に、絶対に目に物を見せてやると、復讐を誓ったのだ。


 そうして日々を過ごしながら、私は、機会が訪れるのを虎視眈々と待っていた。




 そして、ようやくその時がやって来た…………




 今日の昼前ぐらいの事だ。

 貴族の侍従を名乗る人物が店に訪れて、今夜、店を貸し切りたいと言ってきたのだ。

 五年前と同様に、突然の話だ。


 店内は騒然となったが、いつでも対応できるような心構えをしていた私は、冷静に対応をする事ができた。

 落ち着いて、貴族の名前を聞く。


 ルドルフ=ファーゼスト辺境伯。


 侍従の口から出てきたのは、待ちに待った復讐相手。

 思わずニヤけそうになるのを必死に抑えて、侍従に一つの提案をする。


「ルドルフ様に、料理を提供させては頂けませんか?」と。


 侍従は、特に疑う事もせずに肯定の意を示して帰って行った。

 あまりにも簡単に事が運ぶので、拍子抜けしてしまったぐらいだ。

 こうも簡単に準備が整ったのは、オーレマインでの信頼を勝ち得ていた事が大きかったのかもしれない。

 やはり、普段からの行いを、神様は見ておられるようだ。


 こうして、再びあの傲慢な貴族に巡り会えた事を、神に感謝し、祈りを捧げる。


 さて、ここからは時間との勝負だ。

 今から夜まで、そう多くの時間はない。


 私は、この日のために、秘密裏に契約したツテを頼り、急いでブツを用意して準備に取り掛かる。







 待ちに待った待望の機会だ。

 準備は滞りなく完了し、待ち人も、先程支配人が店内へと案内をしてきた。


 五年もの歳月で醸成された私の怨みは、最早抑えられそうにない。

 私は、それらを皿の上に込めながら、手際良く料理を仕上げていく。


 前菜、スープとテーブルまで運ばれた皿であるが、洗い場に返ってきた時には何も無い綺麗な状態となっていた。


 それを見て、私は復讐が成った事を確信する。

 私の恨みと五年間の研鑽は、あの時の貴族に気付かれる事なく、無事に胃の腑へと収まったようだ。


 その様子に満足し、私はを自らの手で運ぶ事にした。


「……ご満足頂けましたか?」


 テーブルの上を見ると、予想通り、メインディッシュは綺麗に片付いてた。

 その事に思わず笑いが込み上げてくるが、必死に堪える。


「貴様が今日の料理を作った料理長か?」


「はい、閣下のか?」


 何も残っていない皿を見れば一目瞭然ではあったが、この貴族の口から直接聞かずにはいられなかった。


「ああ、しっかりと堪能させて貰った」


 はっきりと、満足そうに貴族は答える。


「大変光栄なお言葉ありがとうございます……ククッ」


 五年前は一口も食べずに料理を評価していた男が、私のをしっかりと堪能したそうだ。

 何を食べさせられたのかも知らず、のんきな物である。


「貴様、名前は?」


「トニーと申します」


「トニーか、覚えておくとしよう。」


「ありがとうございます……ククッ」


 この期に及んで、名前を聞いてくるなど、ずいぶんと余裕な様子。


「……もし貴様が望むのなら、知り合いの貴族や、王都の料理店を紹介してやるが、どうだ?」


 極めつけにこの台詞だ。

 自分で王都から追い出しておきながら、王都の店を紹介してやるなど、何という言い種だ。


「大変光栄なッププ……失礼。大変光栄な事ではありますがッププ…………もうダメだ、我慢していられるかプハ、プハハハハハハハハ!!」


 あれだけの事をしておいて、今更、手の平を返したようなこの態度は、一体何だと言うのだ。

 あまりにもの滑稽さに我慢ができず、腹の底から笑い声を上げてしまった。


「…………貴様、何を笑っている」


 貴族は、ここまでして、ようやく様子がおかしい事に気が付いたようだ。


「私を王都から追い出した閣下が、王都の店を紹介すると言うのです。これが笑わずにいられますか!?」


「……何?」


「やはり、閣下は忘れていらっしゃるようですが、私は一日たりともあの時の屈辱を忘れた事はありませんよ!」


 あの日、私の全てを懸けた料理は、この男の人参嫌いによって地に棄てられたのだ。

 これを屈辱と呼ばずに何と言うのか?


「ふん、知らんな」


 だが、貴族は素知らぬ顔で答える。


 全く、どこまでも傲慢な男である。

 だが、その余裕がいつまで保てるか楽しみだ。

 果して、この話を聞いても平気でいられるだろうか?


「プハハハハ、今日の料理に何が入っていたのかも知らず、良くそんな顔ができますね」


 今日用意した料理は全て、ある物が盛られたコース料理だ。


「何……だと。…………貴様、一体何を入れた!?」


「何を入れたか?……プハハハ、閣下が私にした仕打ちを考えれば、何を入れたかなんて決まっているでしょう?それが私の復讐なのですから」


 私は人参によって王都を追放されたのだ。

 それならば、人参で復讐するのが筋というもの。

 つまり、この貴族に、大嫌いな人参をそれと分からない形で食べさせるというものだ。


 前菜は、人参のムース。

 スープは、かぼちゃと人参のポタージュ。

 メインは、人参ハンバーグ。


 プハハハハハハハハハ。

 あれだけ絶賛していた料理には、全て閣下の大嫌いな人参が入っているのですよ!!


「……なっ!?」


 貴族は、急いで口の中に指を突っ込み、料理を吐き出そうとする。


 おやおや、吐き出したい程までに人参が嫌いですか?

 それなのに、あんなにたっぷりと食べるなんて、閣下もやればできるじゃありませか、プハハハハハハハハ!


「今更そんな事をしても無駄ですよ、一体どれだけの料理を食べたと思っているのですか」


 それに、あれだけ旨い旨いと食べておきながら、今更吐き出す事に何の意味があるのですか?

 良いじゃありませんか、人参が食べられるようになったのですから、素直に喜んだらどうでしょうか。

 プハハハッ、あぁー良い気味だ。


「貴様、…………ただで済むと思っているのか?」


 貴族がそう言って睨み付けてくる。


「プハハハ、あれだけ食べておいて、ただで済む訳がないでしょう?きっちりとお代は頂きますよ」


 ただ?何を言っているのですか?

 五年前の時は、一口も食べなかったのでお代は頂きませんでしたが、今日は違います。

 まさか貴族ともあろうお方が、料理店でしっかり食事をしたのに、お金を払わないなんて言いませんよね?


「トニー、貴様の名前は覚えたからな!…………ヨーゼフ、ヨーゼフ!!」


 そう言って、貴族は店の外へと駆け出していった。


 まだ、本日のコースは終わってないというのにどうしたというのだ。


「おっと、何処へ行こうと言うのですか?」


 途中で席を立って、それも大声を出しながら走るなんて、テーブルマナーがなっていませんね。


 最後の一品は、私の自信作だというのに勿体無い。


 皿の上に盛られたそれは、素材の甘さを最大限に生かした逸品。

 閣下も一口食べれば、その魅力の虜となるでしょう。


 さぁ閣下、好き嫌いはいけません。


 デザートのキャロットケーキを召し上がれ!!

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