悪徳領主と復讐の料理人

 オーレマインの日は短い。

 鉱山の麓にできた街のため、山が太陽を遮り、平地よりも日の入りが早いのだ。


 普段であればまだ明るい時間帯だと言うのに、体感時間とのズレに違和感を感じる。

 いつもであれば食事を取る時間であるが、オーレマインでは既に夜のとばりが降り始めている。


 馬車に揺られながら、私はオーレマインの街並みを眺めていた。


 暗くなるにつれ、ぽつりぽつりと明かりがともり始める。


 ファーゼスト領ではあまり見られない光景だ。

 明かりを灯すのにも燃料代が掛かるため、ファーゼスト領では特に事情がない限り、皆、日が沈むと共に眠ってしまうのだ。


 だが、ここオーレマインでは、燃料代など知った事かと、店先には明かりが灯り、今からが本番だと言わんばかりに、街は活気を見せ始める。


 特に活気を見せるのが、酒場だ。

 この都市ではドワーフの比率が多いため、今日の仕事を終えたドワーフ達が、続々と酒場へ繰り出しているのだ。


 明かりが増えると共に、次第に街は喧騒としてくる。


 全く騒々しい街だ。


 夜という黒のキャンバスに浮かぶ明かりは、星々の如く煌めき、地上に夜空が舞い降りてきたかと思う程に美しいのに、実際は酒宴と酔いどれの集まりかと思うと、風情も何もあった物ではない。


 はぁ。


 ため息を一つ付いて、窓から目を反らす。


 折角ライアン殿とオーレマインに来たのだからと、街でも指折りの料理店に予約を入れたのだが、半分無駄になってしまった。


 というのも、結局あの後、酔っ払いじじいとその息子が、スズキ領に越す事になったため、その手続きで、ライアン殿にゆっくり観光する暇がなくなってしまったのだ。


 あの工房に頼んで大丈夫かとも思ったが、ライアン殿には何か考えがあるようで、「心配には及びません」と軽く言われ、特に問題にはしていないようだった。

 それどころか「流石、ルドルフ殿です」と何やら感心される始末だ。

 何の事だかさっぱり分からない。

 重鎧を切った事だろうか?

 あれぐらいならライアン殿でも切れると思うのだが…………


 そんな訳で、私は予約していた店に、一人で向かう事になった。

 今から他の店を探すのも馬鹿らしいので、そのままその店で夕食を取る事にしたのだ。


 ふと馬車の揺れが止まる。

 続いて静かにノックの音が響き、御者をしていたヨーゼフが馬車のドアを開ける。


 どうやら到着したようだ。


 馬車からゆっくりと降りると、目の前には魔道具の明かりにライトアップされた、雰囲気の良い洒落た外見のレストランが見えた。

 入り口の脇には一人の男性が立っており、こちらの姿が見えると、恭しく腰を折り、声を掛けてきた。

 おそらく、店の支配人であろう。


「ファーゼスト辺境伯閣下でございますね。どうぞ、ご案内致します」


 男の案内に従って店内へと入り、席に着く。

 店内は、魔道具の灯りによって、ほんのりと照らされる程度で薄暗く、テーブルの上に飾られているキャンドルの火が揺らめき、幻想的な雰囲気を醸し出している。


 薄暗いのは他のテーブルの客が気にならないようにとの配慮だろう。

 まあ、今日に限って言えば、この店は私ののため、そもそも気になる客などはいないがな。


 ふん、いくら高級レストランとは言え、平民ブタと一緒に食事など、雰囲気も何もあった物ではない。

 折角の外食なのだから、気分良く食べたいものだ。


「ワインは何に致しましょう?」


 男が聞いてくる。

 少し考えたが、今日のメニューは料理長のと言う事で、詳しい話は聞いていない。

 せっかく技術の粋を凝らして料理を提供してくれるのだから、合わせるワインに口出しをするのも野暮と言うものだろう。


「任せる」


「かしこまりました」


 去って行く男の姿を見送ると、テーブルに飾られていたナプキンを二つに折って膝の上に乗せてしばらく待つ。


 さて、今日のメニューの事で分かっている事は、前菜、スープ、メインディシュ、デザートで構成されるコース料理だと言う事だ。

 何でも、ここの料理長は五年程前に王都からやって来た天才料理人だと言う事らしく、私の名前で予約をすると、是非提供したい特別な料理があるとの事だった。

 貴族である私にな料理を申し出るとは、平民にしては、なかなか殊勝な態度である。

 料理長がそこまで言うのならと、心配りを受ける事にしたのだ。

 ライアン殿と一緒にそれを堪能出来ない事がいささか心残りではあるが、それは言っても詮なき事だ。


 一体どんな料理が運ばれてくるのだろうか。

 貴族に対してと言ってはばからないのだから、期待が出来そうだ。


 そうして、先に運ばれてきたワインに口を付けつつ待っていると、ようやく一品目の皿が運ばれてきた。


―前菜―

 テーブルの上に置かれた透明なカップの中には、オレンジ色をしたクリーム状の物の上に、琥珀色をしたゼリー状のソースが掛かっている。

 見た目で似ている物を上げるならば、プリンや、アイスクリームと言った所だろうか。


 一体これはどんな料理かと思い、給仕に視線を向けるが、「どうぞ、お召し上がり下さいませ」と一言告げると、彼は去って行ってしまった。


 能書きはいいから食べてみろと言う、料理長からのメッセージだろうか。

 不遜な態度だ。

 良いだろう、これでもし不味ければ、その態度の責任はしっかりと取って貰う事としよう。


 右手に置かれた小さなスプーンを手に取り、器の中身を一すくいして口へと運ぶ。


「……!!」


 …………なんという事だ、言葉にならない。

 見た目で騙されたが、これは確かにだ。

 優しい甘さが、舌にねっとりと絡み付き、濃厚な旨味を含んだソースと混ざりながら喉を通る。

 この自然な甘さは、野菜か!?

 野菜を潰してクリーム状に仕立て上げるとは何という発想。

 そして、このソース。

 肉と野菜の旨味が詰まったこれは、濃縮されたコンソメスープ。

 それをゼリー状にして、ソースに仕立て上げてしまうとは……


 器からもう一掬いして口へと運ぶ。


 口の中に広がるアンサンブルをもう一度確かめ、その奥深い味わいに舌を唸らせる。

 そうしてもう一口、もう一口としている内に、とうとう終わりがやって来た。

 前菜なのだから、そもそも量は少ない。


 満足感と共に、もっと食べたいという物足りなさを感じつつ、それを誤魔化すかのようにワインを口に含んだ。


 頃合いを見たのか、給仕が「失礼致します」と言って皿を下げていく。


 ぐぬぬ、確かにこれは余計な能書きは必要ない。

 口にすれば旨いのが分かるのだ。

 料理は耳で聞く物ではない、口で食べる物なのだと改めて認識させられた。


 悔しいが、料理長の不遜な態度は不問にする事としよう。


 もう一度ワインを口に含み、次の料理を期待して待つ。

 そうすると、それほど間を置かずに次の一皿が運ばれてきた。


―スープ―

 先程の一品とは打って変わって、一般的な黄色のポタージュスープが運ばれてきた。

 なるほど、先程の品は謂わば出会い頭の一撃。

 奇をてらった一皿でこちらの興味を引き、主導権を得るための一品。

 ここからが、本番だと言うことか。


 丸く大きなスプーンを片手にスープを一掬いし、それを音を立てずに口に流す。


「…………!?」


 …………ば、バカな!

 これはコーンポタージュではない、別の何かだ!!

 くっ、またもや見た目に騙されるとは…………

 良く見れば、店内の照明のせいで見にくいだけで、コーンポタージュとは、やや異なった色をしている。

 この甘みの正体はカボチャと……他に何か野菜が数種類。

 何かは分からないが、それらが見事に調和して、程よい甘みと旨味を一皿の中に詰め込んでいる。


 止まらない、全くもって手が止まらない。

 味の正体を探ろうと、スープを口にするが、するりと喉の奥へと逃げていってしまい、次から次へと右手を運ぶ。


 そんな事を続けていると、気が付けば深皿の底がキレイに見えていた。


 …………はっ、私は一体何をしていたのだ。


 しっかりと味わって飲むつもりが、目の前には何も残っていない。

 これは何の魔法だ?

 先程料理を食べ始めたばかりだというのに、もうメインディッシュとなってしまった……

 このレストランの中は、時間の流れが他とは違うと言うのか?


 静かに現れた給仕が、皿を下げる様を無言で見つめる。

 しかし、給仕は「失礼致します」と短く言うのみで、持ってきたパンをテーブルに置くと、現れた時と同じように静かに去って行った。


 パンをちぎって口に放り込みながら、メインの皿がやって来るのを待つ。

 メインディッシュと言えば当然肉料理。

 前菜、スープとこれだけ驚かせてくれたのだ、一体どんな料理を用意している事だろうか。


 今まで味わった中で、一番記憶に残っている肉は、魔獣であるグレートホーンのステーキだ。

 一匹のグレートホーンから、極僅かしか取れない部位を、絶妙な火加減で焼いたステーキ。

 噛めば噛むほど汁が溢れ、肉の旨味をこれでもかと味わえた。


 さて、この店はどんな肉で楽しませてくれるのか?

 やはりグレートホーンだろうか、いや、この時期なら森豚や七色鳥という選択肢もある。

 勿論、どの部位をステーキにするかでも、味の印象はガラッと変わる。


「失礼致します」


 メインディッシュに思いを馳せていると声が聞こえ、待ちに待ったそれが目の前に供される。


―メインディッシュ(肉料理)―

 …………何だこの塊は!?


 皿の上には何の肉か、何処の部位か全く分からない楕円形の肉の塊があった。

 程よく焼き目の入ったたそれは、確かに肉である事が分かるのだが、ステーキとは似ても似つかない。


 メインディッシュに供される肉料理と言えば、ステーキが華。

 何の肉にするか、どの部位を選ぶか、どう焼くか、どんなソースと合わせるか、それを考え創意工夫していくのがメインディッシュとしての肉料理ではなかったのか。


 …………とにかく、食べてみるとしよう。


 皿の左右に置かれたナイフとフォークを手に取り、肉塊を一口大に切り分ける。


 スッと、何の抵抗も見せずにナイフでと、断面からは溢れる程の肉汁が流れ落ちた。


 何だこれは、何なのだこれは!?

 これほどまでに柔らかい肉など見た事がない。

 それに何だ、次から次へと溢れて来るこの肉汁は…………はっ、しまった。

 このままでは、肉汁がなくなってしまうではないか!


 止めどなく流れていく肉汁に危機感を覚え、急いでフォークでかぶり付く。


「………………!?」


 口の中一杯に広がる肉の旨味。

 舌で押し潰せるほどに柔らかい肉の繊維。

 飲み込んだ後にも残る、甘い肉の脂。


 至福。

 これを至福と言わずとして何を幸せと呼ぶのか。


 ……なるほど、あらかじめ肉を細かく砕いてから焼いたのか、それならばあの柔らかさにも納得がいく。

 そして、何種類かの肉を混ぜているのだろう、そうでなければあれほど奥深い味は出せない筈だ。

 更に玉ねぎといった野菜もおそらく、入っているのだろう。


 …………くっ、私とした事が、味の正体に見当がついても、残りが楽しめないではないか!


 そう、私が我に返った時には既に遅く、出された物は全て腹の中へと収まっていた。


 確かな満足感を抱え、膝のナプキンで口を拭う。


 ここの料理長は魔術師か何かか。

 料理を食べ始めたと思ったらいつの間にか終わっている。

 いにしえの魔術師は、その莫大な魔力を使って時を操る事ができたと言われているが、ここの料理は正にそれだ。


「……ご満足頂けましたか?」


 聞きなれない男の声が聞こえた。

 見ると、白いコックコートを身に付けた男が、一枚の皿を手に立っていた。

 男は、給仕がテーブルの上を片付けるのを確認すると、手に持っていた皿を私の前へと配膳する。


「貴様が今日の料理を作った料理長か?」


「はい、閣下のお口には合いましたか?」


 私の言葉に男は、肯定する。


「ああ、しっかりと堪能させて貰った」


 文字通り、時間を忘れる程楽しませて貰った。

 あれだけの味を出すのに、どれ程の研鑽を積んだだろうか。

 褒めてつかわそう。


「大変光栄なお言葉ありがとうございます……ククッ」


 そう言って一礼する料理長だったが、どこか笑いを噛み殺しているようだった。

 ……気のせいか?


「貴様、名前は?」


「トニーと申します」


「トニーか、覚えておくとしよう。」


 こ奴は平民かちくではあるが、優秀な平民かちくだ。

 例えそれが貴族にんげんではなくとも、私に益をもたらすのならば、名前を覚えておくだけの価値がある。


「ありがとうございます……ククッ」


 トニーはそう言って再度頭を下げる。

 ……まただ、また笑いを堪える気配。

 まあいい、これだけ有能な人物だ、多少の態度は不問としよう。


「……もし貴様が望むのなら、知り合いの貴族や、王都の料理店を紹介してやるが、どうだ?」


 これだけの技術があれば、貴族に仕える事も容易だろうし、少なくとも王都で店を出せばたちまち評判の店となるだろう。

 そんな人物が、こんな街でくすぶっている事に勿体無さを感じ、そう提案した。


「大変光栄なッププ……失礼。大変光栄な事ではありますがッププ…………もうダメだ、我慢していられるかプハ、プハハハハハハハハ!!」


 何が面白いのか、トニーは急に笑い出す。

 それも心底おかしそうに、腹の底から笑い声を上げる。


「…………貴様、何を笑っている」


 今までの幸福な時間が打って変わって、不愉快な物へと変わっていく。


「私を王都から閣下が、王都の店を紹介すると言うのです。これが笑わずにいられますか!?」


「……何?」


 私が追い出した?

 確かに、値段が高いばかりで不味い料理を提供する者に、を取ってもらう事はしばしあったが、トニーはその中の一人だったと言うのか?

 ……覚えがないな。


「やはり、閣下は忘れていらっしゃるようですが、私は一日たりともあの時の屈辱を忘れた事はありませんよ!」


 当時のトニーの技術うでの無さが悪いのだ。

 それを、あたかも私の責任かのように言うとは逆恨みもいい所だ。


「ふん、知らんな」


 第一、私が一々、平民の事など覚えているワケがないだろう。

 素知らぬ顔でそう告げたが、次の瞬間、私はトニーの発言に耳を疑う事になる。


「プハハハハ、今日の料理に何が入っていたのかも知らず、良くそんな顔ができますね」


「何……だと。…………貴様、一体何を入れた!?」


 逆恨みも甚だしいが、トニーは私に相当な恨みを持っている様子。

 そんな恨みを持った者が、食事に混入する物など一つしかない。


「何を入れたか?……プハハハ、閣下が私にした仕打ちを考えれば、何を入れたかなんて決まっているでしょう?それが私の復讐なのですから」


「……なっ!?」


 やはり、毒か!?

 急いで口の中に指を突っ込み、料理を吐き出そうとする。


「今更そんな事をしても無駄ですよ、一体どれだけの料理を食べたと思っているのですか」


 その言葉に歯噛はがみする。

 用意されたそれが毒とも知らず、時間も忘れて旨い旨いと残さず平らげたのだ。

 それは、さぞかし滑稽な姿だっただろう。


「貴様、…………ただで済むと思っているのか?」


「プハハハ、あれだけ食べておいて、ただで済む訳がないでしょう?きっちりとお代は頂きますよ」


 クソッ、皮肉のつもりか!?

 旨い毒料理の対価に、私の命を払えと。

 そんな事させるか!


「トニー、貴様の名前は覚えたからな!…………ヨーゼフ、ヨーゼフ!!」


 そう言って、急いで店の外へと駆け出した。


「おっと、何処へ行こうと言うのですか?」


 後ろからトニーの声が聞こえるが、そんなものは無視だ。


 トニーよ、貴様の誤算は貴族を侮っていた事だ。

 私が毒に対して何の用意もしていない訳がないだろう。

 ヨーゼフは、長年我が家の家令を勤めるベテラン。

 彼の用いる回復魔術の中には、ありとあらゆる毒に対処する物がある。


 店を出て、馬車へと駆け込むとヨーゼフを呼ぶ。


「クッ、店の者に謀られた!ヨーゼフ、とにかく後は任せたぞ!!」


 痛み始めた脇腹を押さえ、ヨーゼフが対処をするのを静かに待っていた。















 しばらく馬車の中で待っていると、ヨーゼフが戻ってきた。

 私にこのような仕打ちをした店の対処を任せていたのだが、ヨーゼフの口からは信じられない事実が告げられた。


 結局、トニーの復讐とやらは、狂言であり、料理に毒物は入っていなかったというのだ。

 あれだけの事を言っておきながら、何もなかったと言うのか。


 勿論だからといって、ただで済ませる訳にはいかない。

 さて、どうしたものか……


 トニーの料理は、今回の狂言を抜きにしてしまえば極上の物であった。

 私の舌をあそこまで唸らせるとは、惜しい人材。

 よし、そのレシピを根こそぎ開示させ、更に今後も新しい料理ができる度に、そのレシピを献上させる事で勘弁してやろう。

 一流の料理人のレシピなんぞ、秘匿されて当たり前。

 文字通りのそれを、残らず吸い上げ、料理人としての生命をファーゼストに縛り付けるのだ。


 クククッ、この程度の罰で済ます、私の広い心に感謝するのだな。

 もっとも、この先、一生こき使われる人生が幸せかどうかは知らんがな。


 殺して憂さを晴らしても良かったが、それで得られる怨念など微々たる物。

 あやつには、長い人生を苦しみ抜いて、御柱様の糧となって貰おう。


「クックックッ、フハハハハ、アーハッハッハッハ!」


 得られるであろう利益を思うと笑いが止まらない。

 トニーよ、とんだ料理を食わせてくれたものだ。

 そんな貴様に、一言くれてやろう。


「…………ご馳走様」


…………ぶッ、ブハハハハハハハハハハハ!

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