冒険者ガッシュの事情(後編)
あれからどれだけの時間が経っただろうか。
すでに日は傾き始め、空は赤く染まり始めていた。
「ちっ、少しずつけしかけやがって、鬱陶しいんだよ!」
散発的に襲い掛かってくるゴブリンを蹴散らしながら、思考を巡らす。
相手は数に物を言わせて、こちらの疲弊を狙っている様子だ。
体力のある内に包囲を突破するべきなのだが、視界の端に、狼に跨がったゴブリン
包囲を突破できたとしたとしても、奴らをどうにかしないと被害は抑えられない。
だが、このままではジリジリと体力を削られるのを待つばかり。
被害を覚悟で包囲を突破するしか手立ては無さそうだ。
「よく聞け! 今から包囲を突破する! まず、俺が包囲に穴を開けるから、そしたら全力で駆け抜けろ。俺が
何人かの被害は出るだろうが、仕方がない。
このまま体力を消耗し続ければ、俺も含めて全滅する未来しか待っていないのだ。
だが、その決心は些か遅かったようだ……
ゴブリンの一団がゆっくりと動き出す。
獲物が十分に疲弊したと見て、仕止めに動き出したのだ。
ゴブリン
クソっ、出鼻を挫かれた!
こちらの動きに合わせるようにして動き出したゴブリンに、動揺する村人達。
このままでは、包囲を突破する事も難しい。
ゴブリンの癖に、嫌らしいタイミングで動き出してくれる。
「ぼさっとするな! 腹ぁ括って包囲を抜けるぞ!!」
村人達に檄を飛ばして、何とか動揺を鎮める。
ゴブリン達はもう動き出している、考えている余裕は無い。
「…………」
村人達の覚悟を背中に感じ、俺は全身に力をみなぎらせる。
魔力を体中に巡らせ、身体能力を何倍にも引き上げて大きく息を吸う。
「ウオォォォォォォォォォォォ!!」
俺は野獣のような獰猛な雄叫びを上げ、駆け出した。
背中からは、同様に獣ような雄叫びが続いてくる。
舞い上がる土煙。
迫るはゴブリンの波。
響き渡る獣達の雄叫び。
宙を舞うゴブリン
踏み鳴らされる大地…………
――――宙を舞うゴブリン
「うぉぉぉぉぉ???」
思わず間抜けな声を上げて足を止めると、ゴブリン達との間に、ゴブリン
首の曲がったそれは、明らかに息絶えている。
ゴブリン達も、地面に叩き付けられたそれが、自分達のリーダーだと認識すると、呆然として足を止めた。
戦場に場違いな静寂が訪れる。
訳が分からず丘の上を見上げれば、そこには立派な黒馬に跨がった少年がふんぞり返っていた。
あの時の貴族の少年だ。
その場の視線が、少年に釘付けにされる中、いち早く我に返ったのは、少年のすぐそばにいたゴブリン
自分達のリーダーの仇を取るべく少年に襲い掛かる。
少年は優雅に馬から降りると、流れるような動作で腰の刀を引き抜く。
「邪魔だ」
少年は呟き、その夜空のように漆黒の刀身を閃かせる。
それは、一閃、二閃と弧を描き、鬼と見紛う二つの巨体を、まるで野菜か何かを切るかのように、事もなげに始末した。
あの若さで、ゴブリン
その様子を見た最後の一体は怯んで後ずさるが、隙をついた黒馬が全身のバネを駆使して蹴飛ばす。
鈍い音を上げて宙を舞うそれは、高らかな放物線を描いてゴブリン
どうやらゴブリン
あ、ありえねぇ。
丘からここまで、いくら高低差があるとはいえ、これだけの距離を飛び越えてくとなると、一体どれ程の力で蹴られれば可能なのか。
どうやら、あの黒馬も並みではないようだ。
その隣に立つ少年は、血脂一つ付着していない美しい刀身を腰に納めると、丘の上からゆっくりと俺達を見下ろした。
「クックックッ、フハハハハ、アーハッハッハッハ!」
ゴブリン達も含めて皆の注目を集める中、少年は高らかに笑い声を上げる。
「ゴブリン狩りを見物しに来てみれば、逆に狩られているとは、何の冗談だ? クハハハ、何だコレ、何なのだコレは!? おい、Aランク(笑)冒険者様、貴様は私を笑い殺す気か、クククッ、フハハハハハ!!」
静寂とした戦場に、場違いな笑い声が響き渡る。
だが、段々と少年の言葉の意味が理解できるにつれ、俺の心に火が灯る。
「い、今から狩る所なんだよ! そこで大人しく見ていやがれ!! おいお前ら、あんな子供のお貴族様に舐められっぱなしで、この先冒険者が続けられると思うなよ」
他の冒険者に声をかけるが、言うまでも無かったようだ。
あそこまで
「精々私を楽しませるがいい、フハハハハ!!」
少年の高笑いを耳にしながら、ゴブリンの集団に飛び込む。
ゴブリン達は、未だに放心しているようで、草を刈るより簡単に倒すことができる。
そこまでして、ようやくゴブリン達が我に返った。
統率者のいなくなったゴブリンなど、烏合の衆だ。
それぞれが好き勝手に行動するものだから、戦場は混乱を極めた。
一番機動力の高いゴブリン
あれは、村に残していった冒険者達か。
それを見て動揺したゴブリン
それを見た、他のゴブリン達は更に混乱を極める。
元々知能の低い奴らは、リーダーを討ち取られただけでも、どうしたらいいかも分からなくなっているのに、逃げる事も出来ないという事を強く意識してしまい、パニックを起こしてしまったのだ。
パニックがパニックを引き起こし、戦場はもはや混乱の
足元にうずくまるゴブリン。
それを踏み潰して逃げ回るゴブリン。
放心して立ち尽くすゴブリン。
半狂乱に得物を振り回すゴブリン。
それらが、沈黙するまでに時間はそれほど掛からなかった。
ゴブリンの死体、死体、死体。
二百はあるかと思われるそれらを見渡し、俺はようやく一息つくことができた。
周りを見渡すと、軽症を負っている人間はいれども、死者や重症者といった被害は無し。
ゴブリンとはいえ、あれだけの数を相手にして、素人である村人にすら被害がないとは……
それもそのはず、半分以上のゴブリンが同士討ちで死んでいったのだ。
俺達が相手にしたゴブリン達は、ほんの一部でしかない。
俺は、こんな状況を作り上げた張本人を見上げる。
ゴブリン達が周りに居なくなったタイミングで、ゴブリン
動揺したゴブリン
全く、何て奴だ。
その用兵の巧妙さにぐうの音も出ない。
一冒険者である俺には見渡す事の出来ない視点。
これが、人を率いる貴族の視点というものか。
俺は今まで、貴族という物を誤解していたのかもしれない。
少なくとも、あの少年がいなければ、ここにいる人間の何人が生き残っていられただろうか。
『鉄壁』と呼ばれ、いい気になっていたが、俺は何も守れていなかったのだ。
それを教えてくれた少年に、とにかく礼を言いたい。
今まで持っていた貴族に対するわだかまりもどこかに消え、足早に少年へと近付いていく。
なんと声をかければいいのか分からないが、とにかく心のまま、思った感謝の気持ちを伝えたくなったのだ。
そして、そうする事で何か、今までとは違う新しい自分になれるような、そんな予感があった。
少年を目の前にして、口を開こうとする。
「頭が高い!」
「ふごぁぁぁぁぁぁぁぁ」
目まぐるしく、景色が回り流れ、少し間を置いて身体中を衝撃が襲う。
何が起きた?
体に走る衝撃と、頬の痛みをこらえ、体を持ち上げる。
どうやら俺は、地面に倒れ伏していたようだ。
「ハァハァハァ……」
衝撃が足に来たのか、立ち上がる事ができず、荒い息をあげる。
あの一瞬で何が起きたのか。
少年の体がブレたと思ったら、宙を舞っていた。
頬の痛みと合わせて考えれば、俺はどうやら殴り飛ばされたらしい。
「ゴブリンごときに醜態を晒す無能が、何様のつもりだ! 糞虫は地面に這いつくばっていろ!」
「ふごぁぁぁぁぁぁぁぁ」
背中をかつてない衝撃が走り抜ける。
気が付けば俺は、天と地を何度も交互に見ながら宙を舞った。
今度はかろうじて目にする事ができた。
この少年に蹴り飛ばされたのだ。
「ハァハァハァ」
たまらず荒い息を吐く。
そうだった、俺は村人達の命を危険に晒した張本人だった。
いくら被害が無かったとは言え、それは、この少年の用兵によるものなのだ。
「ふん、こんなカスがAランク冒険者とは…………興が醒めた、私は先に帰る」
黒馬は、その言葉を聞くとゆっくりと動いて、主人に身を寄せる。
少年はそのまま黒馬に跨がって、それ以上何も言わないまま去っていった。
そんな少年の言葉に、気付かされる。
自分がどれだけ閉じた世界にいたのかを。
それを、あんな年端もいかない少年に教えられるとは、何やら複雑な思いが湧いてくる。
俺は、あの少年の手によって、目が覚めた。
『鉄壁』と呼ばれ持て囃されてはいても、所詮は井の中の蛙。
上には上がいるという事を教えられ、俺は新しい世界の扉を開くことができた。
去って行く少年の後ろ姿を見送りながら、俺は本当の自分に気が付くことができたのだ。
冒険者として、迷宮では遂ぞ満たされることの無かった心が、あの少年に出会った事によって、満たされる。
そうか、俺はこれを求めていたのだ!
『鉄壁』と呼ばれた殻を打ち破り、俺に、遥か高みを教えてくれる存在を。
……そうか、俺の求めていた刺激はここにあったのか!
あの少年は、確かファーゼスト家の者だと言っていたな……
次の旅の目的地が決まった。
待っていろ、絶対お前に認めさせてやるからな!
ふらつく体に活を入れ、俺達は村への帰路に就いた。
…………その間、村人達がどこか俺と距離を取っていたような気がしたが、気のせいだろうか?
十年程の後、ファーゼスト領のとある村では、村長が領主に蹴り飛ばされている姿が、良く見られたという。
※
× 俺は、あの少年の手によって、目が覚めた。
○ 俺は、あの少年の手によって、目覚めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます