田舎貴族の華麗なる一日
私の名はジャック=ジャガトラ。
小さな村をいくつか治める、地方貴族だ。
私の治める村は、主に農作物を生産しており、都市部への食料供給の一翼を担っている。
しかし今年は、不作だったため、村は危機を迎えている。
王国へ納税をしてしまえば、自身の食べる分が無くなってしまうからだ。
そのため、近隣一帯を取りまとめているモロー伯爵に、食料を分けて頂けるようにお願いをしたのだが、王国全体が不作のため、麦の相場も上がっており、領民の胃を満たす分を確保するためには、二百枚もの金貨が必要との事だ。
はっきり言って足下を見られている。
いくら貴族と言えども、私ぐらいの規模の家にそんな額の蓄えがあるはずもない。
それはモロー伯爵も分かっている筈だ。
つまり、モロー伯爵は足りない金額の分だけ、何かを差し出せと言っているのだ。
特に大きな利権も無い私の領地から差し出せる物と言えば、領民ぐらいしかない。
大抵の領地では、飢饉などの時には口減らしのため、余裕のある所に奉公と言う名目で売られていくそうだが、私はその様な事を認めたくはない。
王国法で定められているからでは無い。
人が、奴隷としてその人生を他者に束縛されるなどあってはならない事だ!
ただ現状、誇りを売らねば餓死する未来しかない。
私は、一縷の望みをかけ、ファーゼスト家に頼ることを決めた。
あの家は、辺境にあり、土地が痩せているにも関わらず、飢えとは無縁と聞く。
おまけに、悪い噂は聞こえてこない。
ひょっとしたら、私のような小さな家に対しても、助力を頂けるかも知れないと思ったからだ。
勿論、爵位に差があり、何の縁も無い私が直接訪問するのは失礼にあたり、社交界で冷たい目で見られる事にはなるが、私は所詮田舎領主。
社交界で失うべき外聞などない。
そう思い、遠い辺境の地にまでやって来たのだが、実際に対面したファーゼスト家の当主の対応は、にべもないものだった。
当然と言えば当然か、我が領に差し出せる物など多くはない。
噂を聞き、勝手に聖人君子だと思っていたが、相手も貴族。
治めるべき土地と民があり、その血税を他家に無償で提供することなど、できるはずがない。
「ふん、貴様の領地の事だ。責任は貴様が持つべき物だろ」
「…………」
彼のその言葉で、ようやく私は冷静になることができた。
何故私は、何の考えもなく、何のあても無いのに貴重な時間を費やしてここまで足を運んだのだろうか?
自身の不甲斐なさで頭が一杯だったからだろうか?
頼るべきモロー伯爵に、領民を差し出せと言われ頭に血が上っていたからだろうか?
分からない。
あの時は、気が動転していて冷静ではなかった。
ファーゼストに来れば、噂に名高い名領主が救ってくれると本気で信じていた。
……もしかしたら、悪魔か何かが、私にそう囁いたのかも知れない。
そんな私の苦悩を余所に、目の前の男は何かを思い付いたのか、不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。
「そうだ、いい案を思い付いた。ドクイモなら我が領にもたくさんある。それで餓えを凌いでは如何か?」
「ドクイモだと?」
この男は、ドクイモと言ったか?
正気か!?
毒を持ち、地方によっては悪魔の植物とも言われるドクイモを平気で食せと言うのか!?
「食べられない物でもないだろう?」
確かに、確かに食べられない事はない。
気を付けて食べれば、腹痛ぐらいで済むかもしれんが、アレは家畜の餌だ。
私は、民に豚の餌を食えと言わねばならぬのか……
「ぐぬぬ……」
果たして我が領民は、そうまでして生き長らえたいと思うだろうか?
分からぬ。
私は領主として、この提案を受けるべきなのだろうか…………
悩む私に、目の前の男はこう呟いた。
「冬を越せない家畜は、潰すしかなかろう。潰すかどうか、貴様の好きにするがいい。」
それは悪魔の囁きだったのかもしれない。
潰す?
我が民を家畜のように他家へ出荷すると言うのか?
モロー伯爵が言ったように、民を差し出して生き長らえようというのか?
そんな事が認められるか!
そんな事をさせるものか!
この時、私は覚悟を決めた。
我が民に何と思われようが構わない、何と罵倒されようが構わない。
飢えで死なすぐらいなら、他家に売るぐらいなら、私は豚の餌を食えと民に命じよう。
我が民の明日を守れるのならば、私は喜んで命じよう。
「…………それ以外に方法は無いか。ルドルフ殿、お願いできますかな?」
私は、これから自身に向けられるであろう、罵声を思いながら、そう言った。
「ドクイモは、我が領でも処分に困っていたところだ。格安で譲ろう。……ヨーゼフ、後は任せる。」
「はっ、お任せ下さいませ。それでは別室にてご案内をさせて頂きます。どうぞこちらへ。」
そう言って案内する家令の後に続いて、私は部屋を去る。
辺境の館とは思えない程の長い廊下を歩いて、数分もした頃だろうか。
案内された部屋は、どうやら私に宛てられた客室のようだった。
そこは、私程度の田舎貴族には、勿体無い程の豪華な部屋であったが、ファーゼスト家の中ではこれでも最低限の部屋なのであろう。
ファーゼスト家の財力について改めて驚かされていると、ここまで案内をしてくれた家令が声を掛けてきた。
「ルドルフ様のお噂を頼りにしていたのに、宛が外れた…………そうお考えでしたか?」
不意を突かれたその言葉にドキリとする。
「ルドルフ様にも、きっと深い考えがあっての対応だと思われます。」
ふん、あの振る舞いの裏に、どんな思惑があるというのだ。
「それに、ドクイモの食し方についてであれば、少々お教えできる事がございます。一度、それをお試し頂けませぬか?」
「ドクイモの食べ方とな?」
ルドルフ殿の態度はさておき、ドクイモについては興味が引かれる。
この者たちは、豚の餌を、わざわざ調理したことがあると言うのだろうか?
「はい。今でこそファーゼスト領は豊かで、食べる物に困りませんが、私が若い頃などは、ドクイモで飢えをしのぐ事など、日常茶飯事でした。なので、ドクイモの調理の仕方などはお手の物なのです」
それは興味深い話だ。
この豊かなファーゼスト領の裏に、その様な歴史があったとは。
ドクイモを食えと言わねばならない私に対する心配りであろうか?
とにかく有難い事である。
そんな事を考えていると、誰かが部屋を訪れる気配があった。
コンコンコン
部屋がノックされると、一人のメイドがカートを引いて姿を表した。
「私どもが、普段食べている物ではございますが、どうぞお試し下さい」
家令はそう言うと、目の前の机に皿を次々と並べていく。
潰されたドクイモが、白い山の様に盛られているもの。
ざく切りにしたドクイモを油で揚げたもの。
薄くスライスした物を、これまた油で揚げたものなど、様々なバリエーションの物が用意されていた。
うむ、豚の餌とは言え、こうして皿に盛られていると、普通の食卓のようだ。
「どれ、一つの頂こうか…………」
だが、所詮は豚の餌。
私は恐る恐るといった手つきで、白い山の様になっているそれに手を出した。
口に入れた瞬間衝撃が走る。
な、なんだ、これは!!
口の中に広がるこの満足感。
ホクホクとした食感の中に感じる微かなスパイス。
ただ塩と胡椒で味を付けだけの物が、何故こうも腹を満たすのか。
油で揚げた物も旨い!
外はパリパリしているにも関わらず、中はホクホクとしており、ドクイモの持つ甘みと、振りかけられた塩とが絶妙に合っている。
薄切りにしたドクイモは、その食感が堪らない。
噛むたびにパリパリ、ザクザクと心地よい音を立て、口の中に広がる塩味と合わさって、幾らでも食べられそうだ。
気が付けば、皿に盛られていた料理はすっかり消え去っており、私の腹は満足そうに膨らんでいた。
……これが豚の餌だと?貴族の食卓に上ってもおかしくはない味ではないか!?
私でさえ、手が止まらなかったのだ。
この味で、領民が不満を持つなどあり得ない。
これで、毒さえなければ、一体どれだけの民が飢饉から救われるだろうか。
そう嘆く私に、一枚の紙が、スッと差し出された。
「ジャック様、ドクイモの毒性部位の除去についてこちらに記しておきました。料理長自ら書き記した物ですので、お間違いはございません」
なんと!?
ドクイモから毒性部位を取り除けるというのか!?
あの味で、毒性が無く、更には育成も容易とくれば、この芋は王国全体の飢饉を救うのではないか!?
なぜ、これほどの作物が豚の餌として見向きもされないのか……
うぬぬ、偏見とは恐ろしい物だ。
ちょっとした思い込みで、こんな作物が側にある事に、今まで気が付かなかったとは。
そこまで考えて、はたと気が付く。
侍従が知っている事を、果たして主人であるルドルフ殿が、知らなかっただろうか?
王国の麒麟児と言われるルドルフ殿が、自身の膝元で食されている物を知らないなど、あり得ないのではないか?
ならば、彼はあのような振る舞いをしながら、この作物を私に預けようとしてくれた事になる。
考えろ、考えるんだ。
あの家令が言ったように、これにはきっと深い訳があるはずなんだ。
何故だ、何故彼は自分の口からは語らず、このように遠回しに私に伝えようとしているのだ。
……そうか!
モロー伯爵か!
私の領地は、モロー伯爵のすぐそば。
モロー伯爵に断られた支援を、ファーゼスト家がしたとなっては、伯爵家の面目は丸潰れ。
それを避けるためにも、あのような態度で私を遠ざけたのか。
支援の内容も豚の餌であるドクイモだ、同情は集めても恨みは集めない。
はっ!?
それだけではない!
我が領は、農業がその中心となる。
育成が容易なドクイモを増やすなど造作もない。
この作物を王国中に広めれば、飢饉を救える。
そのチャンスが今、私の中にあるのではないか!?
つまり私は、ルドルフ殿から、その大任を任されたのではないか!?
そうか、この地は辺境のため、市場に物を卸すには距離がありすぎる。
また、荒れ地ばかりのため、恒常的に大量の作物を作り続けるには不向きだ。
その点、我が領なら作物を大量に生産するノウハウもあるし、普段から都市部に食料を卸しているため、市場にも違和感無く流す事もできる。
考えれば考えるほど、ルドルフ殿の深い考えに頭が下がる思いだ。
あのような態度を取ってまで、王国を救おうとするその姿。
このジャック=ジャガトラ感服致しました!
我が名に懸けて、必ずやドクイモを王国に広めてみせましょう。
「ジャック様、ドクイモにつきましては、明日の朝に馬車に積んでご用意致します」
「ああ、助かる。私のするべき事も見えたし、有意義な時間を過ごせた」
「それはようございました。それでは私どもは失礼致します、ごゆっくりとお休み下さいませ」
そう言って、去って行く家令を尻目に、私はこれからの事を思案する。
如何にして、ドクイモを広めていくのか。
まずはその名前を変えてしまおう。
もう毒は無いのだから、「ドクイモ」はおかしい。
そうだな、ジャガトラ産の芋で、「ジャガイモ」と名付けよう。味は確かなのだから、皆の偏見さえ無くなれば、瞬く間に広まっていくだろう。
まずは我が領内からだ。
なぁに、他に食べるものは無いのだ、皆喜んで食べるだろう。
それから都市部に流し、屋台や料理屋に売り込んでいき、ゆくゆくは、王国中にジャガイモを広めていくのだ!!
そう心に誓った。
そして私は、このような幸運に巡り会えたことを神に感謝した。
ファーゼストにやってこれた幸運を、運命の女神に感謝した。
神は私を見捨ててはいなかったのだ。
そうだ、あの時私に囁いたのは悪魔なんかでは無い。
きっと運命の女神様が、ファーゼストに行けと私を導いて下さったに違いない!
誇りを失うことなく、領民を守る事ができた事を、悪人風の領主と、どこかに存在する女神様に、深く深く感謝をするのだった。
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