■リエリア外伝

悪役令嬢の穏やかな思い出




物心がつき、人の言っている話の意味を理解できる頃になると、自分には変わったあだ名が付けられていることが分かった。


どうやら私は『悪役令嬢』と言うらしい。


悪役と言うくらいだから、悪いのだろう。

何が悪いのかはさっぱり分からないが。

その昔、悪役令嬢という意味が分からず、両親にどういう意味か無邪気に聞いことを思い出した。あの時、両親は悲しそうな困ったような、そして怒ったような、どれにせよ負の感情を全て混ぜ合わせたような顔をしていた。二人の表情の意味を察することはできなかったが、幼いながらも決して良い意味ではないのだろうなという事だけは理解した。


だが不思議なことに私は何ひとつ悪いことなどしていない。

知らず知らずのうちに、というのも考えにくい。

だって、私は舞踏会にも王都にもほとんど出ずに、領地ばかりですごしているのだから。

両親も社交界には出ずに、領地の見回りと領民との触れ合いで一年を過ごす。一度、親戚のハルバート様がやって来て『やっぱり普通とは違う奴らだな』と言われた。


どういうことか分からずに『普通』について聞けば、一般的な貴族家というものは、父親は領地経営のほか、伯爵家ともなれば王都にタウンハウスを置いて他の貴族との交流を持ち、政治にも参与するものだという。母親は、他の貴族夫人を家に招いてお茶会を催したり、反対に他家の夫人から誘われお茶会に行くものというのだ。

遊び歩くのが仕事なのか聞けば、お茶会では様々な情報交換が行われ、また流行についてもいち早く情報が手に入るんだとか。


へえ、どうでも良い。


きっと母もそのようなことには興味ないと思う。ドレスは気に入ったものを着れば良いし、新聞や使用人、領民との話からでも情報は入ってくるのだから。

父も領地経営はしっかりとやっているようだし、王都に行く予定も気もないからタウンハウスは不要。ネズミと蜘蛛のすみかをお金をかけて用意してやる必要もない。政治などは父の好きにすれば良いと思うが、王都にも行かない時点でその気がないのだろう。


しかし、そう伝えるとハルバート様は「なんでお前達みたいのが伯爵で、うちが子爵なんだよ!」と怒りだしてしまった。


そんなこと先祖に聞いてほしい。生まれたときから父も伯爵家なのだから、文句を言われても困る。


ハルバート様はそのあとも色々と怒っていた様子だったが、そのどれもが私には理解なかった。結局、ハルバート様は自分が予想した反応が得られないと分かり、ルーイン子爵様の元へと戻っていってしまった。



その日の夜、夕食の席でハルバート様に言われたことを両親に聞いてみた。

それが普通なのかと。

両親は普通なんかないと言い切った。そして、もし私がそんな両親を望むのなら、そうしたって良いよとも。


「ううん、今のお父様とお母様がいいの」


両親はホッとしたように「そう」とだけ言っていた。




夜、ベッドでひとり寝ようとしていると、両親がやって来て両側からベッドの中に入ってきた。


「リエリア、何か嫌なことでもあった?」

「ないよ。だって私の周りは皆優しいでしょ? この間はコックのアージュさんがね、マルニードさんには内緒だって言って、イチゴの飴をくれたのよ。イチゴをひとつ丸々飴で包んだやつ。すっごく美味しくてまた食べたいな」


母はクスクスと笑って「じゃあ今度のおやつにたくさん出してもらうよう、アージュに言っておくわ」と言ってくれた。やった。


「リエリア、外にお友達がほしいかい?」

「いらない。外って、家を出たら領民の皆が遊んでくれるもの。昨日はユックとライナスを見つけたから何してるのって聞いたの。そしたらね、二人とも川に魚を釣りに行くって言うから一緒に連れてってもらったのよ。ワンピースの裾が濡れちゃったけど、昨日はお天気良かったし、岩に三人で座ってたら乾いちゃった」

「それは楽しい経験をしたね。それで魚は釣れたのかい?」

「ちっともよ。というか、魚すら見なかったわ」

「あっはははは! そりゃあ残念だったな。よし、今度領地を見回った時は、父さんが魚がいる場所をしっかりと探しておいてあげるよ。ユックとライナスにも教えてあげなさい」

「やったあ! 二人も絶対喜ぶよ」


二人は、私が両手をわざわざ布団から出して天井に突きだしたのを見て、また笑っていた。


「大好きよ、リエリア。この世の全ての人があなたの敵になったとしても、私たちだけはあなたを愛してるわ」

「僕も愛してるよ、我が天使。君が生まれてきてくれて心の底から感謝してるよ。こんな幸せな日々が送れるだなんて。幼い頃の僕は想像もしていなかったよ」


両側から頬にキスをされる。くすぐったくて、嬉しい。


「でもね、きっとマルニードさんもアージュさんもユックもライナスも、このシュビラウツ領の皆は私たちの敵になったりしないと思うの」


「それもそうだ」と、父と母はまた笑った。


この領地内にいて、悪役令嬢なんて言葉は聞かない。

いつもその言葉は、外の世界から向けられてきたものだから。

だから、やはりハルバート様の言うことは私には分からなかった。父がタウンハウスに行って、母がお茶会に行って、そんな毎日とても寂しくないかしら。自分を愛してくれる人達に会えないのは寂しい。触れあえないのはひどく苦しい。

もしそれが貴族の役目だというのなら、貴族でなくなってもいいと思う。本当に自分を愛してくれる人が、自分が愛せる人が隣にいてくれることこそ幸せだと思う。

私の世界はこのシュビラウツ領の内側だけでいい。それだけで充分だ。


皆が「リエリア」と、「リエリア様」と呼ぶ。

温かな声音で、私に笑顔を向けて。


いつまでもこの世界にいたい。

外側の嫌な人達にはもう放っておいてほしい。なんと呼んでもいいから、この私の幸せな世界にだけは踏み込まないでほしい。

私は大きくなって、父と母が小さくなっていくのを最後まで見届けて静かに過ごしたい。その中で、もし私を好きだと言ってくれる人がいたら、その人と結婚して子供をうんで、その子を精一杯愛してあげたい。

私がいる、この温かな繭の中の心地よさを子供にも与えたい。


だから、誰も壊さないで。


何も望まないから、この内側の世界だけはそっとしておいて。



そう願いながら、私は父と母に抱きしめられて眠った。

これが私が十歳の時のこと。



――――――――

次回は、14歳~15歳のリエリア『悪役令嬢の覚醒』

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