第21話 選ばれた青年

 開いた扉の向こう側に立っていたのは、礼儀正しく腰の前で両手を重ねたメイドと、メモとペンを手にした青年だった。

 メモとペン。

 それは彼――ハイネのトレードマーク。




        ◆




『もしかすると、ロードデール王国も仰ぐ王が違えば、ファルザス王国と同じ道を辿っていたのかもしれない』――と、かつてイースさんが僕に語ってくれたことがあった。




■10月28日(取材23日目)


 カウフ・シュビラウツがファルザス王国の貴族となったことを、ロードデールの民が知った時、彼らは怒り悲しんだ。しかも、領土までロードデールへと持っていくとは、恥知らずだと指をさして罵った。


 彼らにとっては、領土を削られ、シュビラウツ家の向こう側にあった国境線が、突然すぐそこにやって来たのだから、至極当然の反応だったのだろう。

 もしかすると再び戦争になったとき、シュビラウツは遠慮なく新たな国境線を踏み越え、実家に帰るような顔して槍を突き出してくるのかもしれないという恐怖が、ロードデールの民達の怒りをさらに増幅させた。


 言い換えれば、それほどにシュビラウツは、ロードデールでは頼りにされ、愛されていた貴族だった。

 民は、シュビラウツへの批難を口にしながら王宮へ詰めかけた。

 停戦などせずに、今のうちに裏切り者のシュビラウツごとファルザスを叩こうと、口々に言い募った。

 当初、ロードデールの国王は停戦協定について詳しい事情は話していなかった。隠すべきことではないと国王は思っていたが、カウフが国民へ話すことを望まなかった。


 カウフは、両国からの全ての敵意を背負うつもりだった。それが戦争を率いた自分の責任であると信じて疑わなかった。

 しかし、盟友であるカウフの本意を知らず罵る国民を前に、国王はカウフとの約束を破った。

 心優しきカウフが罵られる状況に、黙っていられなかったのだ。


『信じよ、皆の者!』


 王は、王宮に詰めかけた者達を前に、バルコニーから身を乗り出さんばかりに叫んだ。


『皆が知っているカウフ・シュビラウツという男は、そのように薄情な男だったか!』

『彼は私達を裏切ったのではない! 私達に背を向けたわけではない! あの地に留まり続けることで、私達をその背で守ってくれているのだ!』

『ロードデールが今日も平和であれるのは、シュビラウツがいてくれるからだ! 断じて、私がいるからではない!』


 王は全てを国民につまびらかに、『頼む』と頭を下げた。

 これ以上の犠牲を出さぬために、敵国へと生け贄のようなかたちで渡ったカウフ。


『もし、ここでシュビラウツの背に石を投げるようであったら、二度とシュビラウツはこの国には戻ってこないだろう。恩を仇で返すような民であってくれるな、ロードデールの子らよ。忘れるな。何代先でも伝え続けよ。シュビラウツは我が国の英雄であると』






 

「僕は、イースさんからこの話を聞いたとき恥ずかしかった……自分が、ファルザスの民であることが、ものすごく恥ずかしかったんです」


 部屋の入り口では、涙でぐちゃぐちゃの殿下がへたり込んでいるし、奥では陛下が短剣を握った右手をマルニードさんに向けて振り上げていた。

 これが自分が住む国の統治者達かと思うと、嫌悪感がこみ上げてくる。


「全て聞かせてもらいました」


 陛下の掲げた右手がゆっくりと下ろされる。一緒に、左右の足を交互に半回転させ、身体ごとこちらへと向いた。


「確か、ルーマーとかいうゴシップ誌の記者だったな。今回の遺言状の件を取り上げていた」

「はい。殿下にも取材させてもらいました」

「記者。私の言うとおりに記事を書けば、欲しいものはなんだってくれてやるぞ。一生遊んで暮らせる金をやってもいい」

「いりません」


 生まれて初めて、こんなに近くで陛下を見た。

 殿下と違って身体も大きく、吐き出される言葉は重厚で武人のような迫力がある。

 だが――。


「ああ、貴族になりたいか? よかろう、男爵位を授けてやるぞ」

「いりません!」


 中身はがらんどうな人としか思えなかった。


「僕は何があっても、この真実を白日の元にさらす!」

「やめろっ! ファルザスの子が、なぜ自国の王を苦しめるようなことをする。このことを発表したとて、誰も幸せにはなれぬ! それどころか、記事を書いたお前は売国奴と罵られるかもしれん。もしかして、そこのロードデールの商人にでも誑かされたか!?」


 陛下の皺が刻まれた目元が、さらに濃い皺を刻んだ。

 それが威嚇する狼のようで、思わずたじろいでしまう。やはり王なだけあって、向けられる圧は常人にはない攻撃性があった。

 僕は強く頭を振って、陛下の圧を振りほどく。


「――っ違う! これは僕が決めたことだ! イースさんには僕からお願いしたんだ」


 確かに最初は良いネタだとしか思ってなかった。

 今やこの遺言状騒動は、平民も貴族も巻き込んでファルザス全体の娯楽となっている。自分が書いた記事を、万民が楽しみにしている全能感に酔いしれたこともあった。


 だけど、それもほんの一時だった。

 取材を進めているのに、次々と謎が浮かび上がった。

 謎を追えば追うほど、皆嘘にまみれたことばかり口にしていた。

 もう何が本当か、誰が嘘を吐いていないのか分からなかった。


「僕は、いつしか取材と言うより、純粋に本当のことだけを知りたくなっていた。そして、この騒動の元凶であるリエリア様のことを知るために、マルニードさんを尋ねたとき、『全てを見届けてください』って言われた。僕は記者として……いや、ひとりの人間として、どんな真実が待っていようと、絶対に最後まで目を逸らさないって決めたんだ。たとえ、自分の国の王様が醜悪であろうとも」

「醜悪とは酷い。私は王としての体裁を守っているだけに過ぎんよ。それこそ、国民に頭を下げる王など情けなくていかんだろうが!」

「僕はたとえどんなに情けなくても、真実をちゃんと伝えてくれる王様がいい! 嘘ばっかりの卑怯者なんか嫌だ!」

「あっはははは! 真実とは笑わせる。そこの商人が死んだと言って我が息子を欺いておいて」

「あれは、イースさんの存在をギリギリまで匂わせないためだ。もう一度命を狙われたら堪ったものじゃない! マルニードさん達は記事にするかどうかは、僕の自由だって言ってくれた。だから、僕は必ずこれを記事にする!」

「誰がゴシップ誌の記事などを本気にすると思う! それに小さな新聞社くらい、記事が出る前に王の力で潰してやろう!」

「それでも僕はやる!」

「――っく! させると思うてか! ナディウス、その記者を捕まえろ!」


 陛下の声にハッとした。前方にばかり気を取られ、足元に殿下がいるのを失念していた。

 ここで捕まるわけにはいかない。


「やばっ!」


 足を掴まれないよう後ろへ飛ぶようにしてさがったが、どういうわけか殿下が僕を捕まえようとする気配はない。床の上で四肢をついて震えている。


「……ぃ……っ」

「何をしている、ナディウス!! さっさと動かんか愚図が!」

「――ぃ、いやだッ! なんで自分を殺そうとした奴の言うことなんか聞かなきゃいけないんだよ!」


 初めて殿下が陛下に向かって反抗したことに、その場にいた誰もが目を丸くした。


「黙れ、出来損ないが!」

「お前が黙れよ!! 人殺しの父親なんか、殺される前にこっちから捨ててやるよ!」


 言うが早いか、殿下は入り口にいた僕に「どけ」と体当たりするようにして駆け去って行った。

 メイドの人と一緒に呆然と彼の背中を見つめる中、部屋の中からは「ナディウス! 戻ってこい!」という陛下の虚しい叫声だけが聞こえていた。


「あーあ。息子にも見捨てられて、どうすんのかねえ、陛下?」

「黙れ……っ」


 間違いなく自業自得とは言え、息子に見捨てられた父親の姿はとても憐れに見えた。


「陛下。私は、本当は犯人を殺したいほど憎んでいるわ。だけど、ここであなたを殺しても、なんの解決にもならないし、私の気が晴れることは少しもない。だから、このまま生かして王宮へ帰してあげるわ」


 リエリアさんが、怒りやら困惑で顔を赤や青にして唇を噛んでいる陛下の背を、トンと押した。多分、そんなに強い力じゃなかったと思う。

 だけど、陛下はその場に膝から崩れ落ちてしまった。


「国民に蔑まれ、家族に見捨てられた恐怖に震えると良いわ。その身で、シュビラウツが味わってきた苦しみをしっかりと感じて。まあ、シュビラウツには信頼できる者達が大勢いたけど……あなたはどうかしらね?」


 陛下は無言で床を殴っていた。




 

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