第20話 『賢王』
「黙れ、ナディウス!!」
ずっと背を向けていた父親が肩越しに向けた目は、真っ赤に血走っており、ゾッと背中に寒いものが這い上がってきた。
「お前には分かるまい……六代目の苦しみなど……っ!」
「シュビラウツに見捨てられるのが怖かったか、ファルザスの王よ」
イースが憐憫の眼差しと声音を、肩を怒らせた国王に向ける。
この場においてナディウスだけが『六代目』の意味を分かっておらず、国王とイースの間で視線を彷徨わせていた。
「息子に伝えてもなかったのね、五代条項を……隠す話じゃないでしょうに」
「黙れ小娘!! 能力もない者に話したところでどうなる! 馬鹿に憐れみを向けられるなど不愉快の極みだ!!」
ナディウスは言葉が出なかった。
父親のセリフはまさか自分のことを指しているのか。
能力のない馬鹿だと言われているのか。実の父親に。
顔を青くして唇を震わせているナディウスに、リエリアは小さく肩をすくめると五代条項について説明した。しかし、聞き終えてもナディウスの顔色は変わらなかった。
「今まで私が賢王と呼ばれるために、どれだけ周囲に気を遣い骨身を砕いてきたか……元より取り繕う顔を持たぬお前では分かるまいて」
「じゃあ父上がリエリアを婚約者にしたのは、リエリアに……シュビラウツに捨てられないようにするため……? それだけのことで……僕はミリスと無理矢理別れさせられたんですか……」
「何がそれしきだッ! 王家の威信に関わる問題だぞ! これだから自分のことしか考えぬお前は馬鹿だと言うのだ!」
自分のことしか考えていないのは、はたしてどちらだろうか。
この父は、本当に賢王と民に讃えられた者と同一人物なのか。
クスクスと、華奢な嘲笑が聞こえた。
目を向ければ、リエリアが至極楽しそうに笑っているではないか。
「そうよね、嫌われ者のシュビラウツに選ばれなかったとなれば、その程度の王だったんだって見られる恐れがあるものね。実に虫のいい王様だわ。今まで貴族達をまとめるための生け贄としてシュビラウツを使っておいて、いざ捨てられる可能性がでてきたら、捨てられないように婚姻で縛り付けようだなんて」
「……っ見損ないましたよ、父上」
「ハッ! 表層しか見ない馬鹿に見損なわれても痛くも痒くもないわ」
「父上……っ」
こんな父親の言うことを聞いて動いてきた自分が馬鹿だった――と思ったが、そこでひとつ疑問が浮かぶ。
「リエリアを留めるための婚姻だったら、何故リエリアが死んだ後でも、ここまで必死になって結婚させようとしたんですか……?」
ロードデールに行かれるのが嫌だったのなら、それはリエリアが亡くなった時点で心配無用となる。しかし、父は何が何でもリエリアと結婚させようとした。
そして、金庫の中身を欲しがっている。
「……商人……君は父上に毒を飲まされたんだったよな」
「ああ。あれは効いたね」
「それは父上に指輪の印章を渡した時か?」
「ああ。マルニード宛てに、俺と会いたいっていう陛下からの手紙が届いてね。殿下の話から、俺がシュビラウツ家にいることは分かってたんだろう」
「それで、どんな話をしたんだ」
「殿下にしたのと同じ話さ。屋敷と墓地と北西部の土地さえくれたら、その他の全てを渡すって」
「……商人が貰おうとしたその中に、父上の欲しいものが入っていた?」
「あら、正解よ。殿下」
リエリアは、ひらりと金庫から最初に取り出した一枚の書類を振って見せた。
「これは、我がシュビラウツ家領の北西にある山の権利書なんだけど」
山がどうしたというのか。
「その山で特殊鉱物がとれるのよ」
「特殊、鉱物……って、その金庫か!」
またしてもリエリアは「正解」と言って、目を細めた。
どこかで聞き覚えがあると思えば、以前商人が金庫は特殊鉱物で作られており、破壊不能だと言っていたのを思い出した。
「陛下が一番の欲しかったのは、シュビラウツの財と言うよりこの鉱山なのよね?」
挑発するように、下から見上げ国王を眺めるリエリアは、とても物静かで暗い令嬢とは言えなかった。
とことん自分は彼女についてなにも知らなかったのだなと、今になって思う。
こんな令嬢が、婚約者に結婚式をすっぽかされただけで首を吊るなどと、到底考えられない。もし、自分が彼女のことをもっと知っていたら、最初からこんな茶番に付き合わずにすんだのだろうか。
「そういえば父上は、南部の鉱脈がどうこうと……」
「そうそう。だから北西部の土地を欲しがった俺を、陛下は殺したわけ。いやまあ生きてるけど……鉱山のことを知る可能性のある者で、かつ、邪魔者だったから」
さらりと言われた重たい言葉に、また頭が痛くなってくる。
「どうしてカウフ・シュビラウツが領地ごとファルザスへの編入を求めたか分かる? この鉱山をどちらの国にも渡さないためよ」
「この鉱物で作った武器を用いれば、ロードデールとファルザスとの軍事バランスを逆転させることなんか容易いからな」
現在停戦が保たれていたのは五代条項と、ロードデールが農産国であり、ファルザスはロードデールからの輸入食糧で食卓が彩られているからだ。
軍事力で敵わないロードデールは食糧でファルザスに媚び、軍事力に長けたファルザスは、行使しない見返りに食の豊かさを享受している。しかし、もしロードデールが軍事力までもったらどうなるか。均衡はあっという間に崩れ去るだろう。たとえ、ロードデールがその武力を行使しなくとも、ファルザス側は喉元に刃を突きつけられ続けるようなものだ。生きた心地がしない。
「陛下は大方、隣領で特殊鉱物が出て、その鉱脈の源がシュビラウツ家領にあるって知ったのね。父は亡くなる一年ほど前から、よく差出人不明の手紙をもらっては溜息を吐いていたわ。あの手紙も全て陛下だったんでしょう。私を嫁にって話か、鉱山を国に譲れって話か何かは分からないけど……」
父を見遣れば、大きな背中が小刻みに揺れていた。
全てを露わにされ、追い詰められ、嘆くほかないのだろう。と、思っていたのに、次の瞬間、父の口から聞こえてきたのは空気を割るような笑声だった。
「あっはははは! よくそこまで推理できたものよ! さすがは智将の血といったところか」
分厚い手が拍手する音と笑い声は、まるで家臣の功績をたたえているかと錯覚するほど、陽気なものだった。
「認めるのね?」
しかし、拍手が止んだ途端、同じくピタリと笑い声も止まる。
「……国王である私が……この私が! たかがいち貴族相手に何度も娘を未来の王妃にしてやろうと言っていたのに、それをあの男は断りおった。しまいには、五代条項のことまで出して、娘はロードデールに行かせるとまでな」
「当たり前じゃない。あなたたち王家が今までシュビラウツにやってきたことを考えれば、この国にいる理由なんてないもの。真実を国民に話さず、間違った認識を訂正せず、自分たちに都合の良い『マト』にしてきた人間に、どうやって懐けと言うの」
「ははっ、どうせ元より、ファルザスに五代以降もいるつもりは無かったんだろう?」
「そんなことないわ。もし、ファルザスが……王家がシュビラウツに対する世間の目を変えてくれていたら、ただの貴族として受け入れてくれたのなら、私はきっとこのままファルザスにいたわ」
「信用できるか」
国王は吐き捨てるように言った。
そんな父を、リエリアはなんとも言えない、憐憫と呆れと嫌悪の混じった顔で見つめていた。
「さて、リエリア卿。これで満足かね? あいにく王である私は忙しい身でね、お子様の推理ごっこを聞いている暇はないんだよ。私はこの国の王としてこの土地をロードデールに渡すわけにはいかないし、生きているのなら、リエリア卿、君もファルザスのものだ」
「私は私のものよ。それに言ったでしょう、私はもうこの人と結婚をしたって」
「そうか、それは困ったな」
困ったと言いつつ、その声はまるで『明日は晴れるだろうか』と言う程度の、平然としたものだった。
「大人しく私のものになってくれないのならば、この場にいる全員には死んでもらわなければならないな」
「――っ父上!? 何を、言っているのですか……」
ナディウスは咄嗟に国王の背にしがみついた。
「仕方ないのだよ、ナディウス。これしか私の望みを叶える方法はない」
「しかし、人を殺すなど……!? もう良いではありませんか!! リエリア、大人しく鉱山をよこせ! その他のものはいらないから! でないと、父上がまた罪を重ねてしまう!」
リエリアの眉間にきゅうと深い皺が寄った。
「この期に及んで、やはり自分のことばかりなのね……殿下も立派に陛下の血を引いてるわ」
初老とは言っても身体が大きな国王は、ナディウスの静止などものともせず、一歩一歩とリエリア達の方へと近付いていく。
「元よりリエリアは死んでいた。くわえて異国の商人が死のうが、シュビラウツの使用人が死のうが誰も気にはしない。だが私が亡くなれば大問題だ。今日、私がシュビラウツ家に行くことは、王宮の者達なら誰もが知っている。それどころか平民や貴族も私が南部へ向かったのは見ているからな。その中で、私が少しでも傷を負って帰ったら、どうなるだろうなあ? 王を傷つけた大罪としてまず屋敷の使用人は全員死刑だろう。それどころか領民にも咎があるかもな? ということで、やはりこの場の解決方法は私以外に死んでもらうことだけだ」
「私以外って……父上!? まさか……っ! まさか、息子である僕までもを!?」
「できが悪いとは常々思っていたが、お前には失望したよナディウス。お前は弱いからな。生かしておくと懺悔だとか言ってペラペラ喋りそうだしな。跡継ぎは心配するな。また産ませればいいだけだ」
「父上――――ッ!!」
ナディウスの目からはボロボロと涙があふれ出し、頬を濡らした。ぐずぐずになった顔を父の背に押しつければ、邪魔だとばかりに手で払われ、ナディウスは床に尻餅をついた。
それでも国王は息子を一瞥もしない。
今、彼の目に映っているのは、獲物と定めたリエリアだけだ。息子である自分の姿など映ってやしない。
いや、今までも父が自分を見てくれていたことなどあっただろうか。
「――っ! ……っふ……ぅく…………ッ!」
ナディウスは、吐き出しようがない感情を、何度も床に拳を打ち付けることで発散させた。
その背後でキィと音がした。
「え」と思い、振り返った先の光景にナディウスの目が点になる。
一方、国王によってリエリアは部屋の奥まで追い詰められていた。
リエリアを守るようにイースが彼女の身体を抱きしめ、その前には間に入るようにしてマルニードが立ちはだかっている。
そして、国王の手には豪奢な飾りがついた短剣が握られている。
実に準備の良いことだと、リエリアは皮肉に片口をつり上げた。
「悪事はばれるものよ、陛下」
「気遣い感謝するよ。だが、死人に口なしと言うだろう。それに私は『賢王』だ。皆が私の言葉を信じるさ!」
国王が短剣を振り上げた。
「そんな言葉、僕が伝えさせない!」
しかし、突如乱入してきた声に、国王の動きがピタッと止まった。
振り向いた先――部屋の入り口にいた者の姿に、「お前は」と国王は目の下を痙攣させた。
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