第19話 さあ、真実を見ろ
十七の時、突然父と母を失った。
強く、優しく、子供の目から見ても恥じることなど何一つない気高い人達だった。たとえ裏切りの貴族と呼ばれていても、リエリアにとっては胸を張って誇れる両親だった。
母は元々シュビラウツ家領の領民だったらしい。
外から嫁いできてくれる貴族がいない以上、やはり同じ領内での嫁探しとなっていたようだ。代々がそうやって来たと聞いていた。平民の女にしか相手にされないと、他の貴族達からは揶揄されていたようだが、仲睦まじくお互いを愛し合っている両親を見ていると、揶揄する方がどうかしているとすら思えた。
表面しか見ない者達のなんと愚かなことか。
外側からどう思われようと、シュビラウツ家は幸せだった。
心優しい領民や使用人に、愛情をたっぷり与えてくれる両親。
いつかは自分もそんな伴侶を得て、この地で穏やかに過ごせればと……そんなことを思っていたある日、全ての希望は瓦解した。
火事だった。
仕方ない。
事故だったのだ。
誰もがそう思っていた――最初は。
しかし、ひとつずつ、ひとつずつ状況が明らかになっていくに従って、腑に落ちない点がいくつも浮かび上がってきた。
なぜ、深夜に両親は寝室ではなく『執務室』にいたのか。
なぜ、二人の亡骸は重なるようにしてあったのか。
なぜ、母は金庫を抱いていたのか。
あの夜、リエリアが聞いた足音は、いったい誰のものだったのか。
そして、事故ではないと判じるに至った決定的な証拠は、母の腹部にあった。
金庫をしっかりと抱きしめていたからだろう。誰かも分からなくなるほど燃えた遺体の腹部だけ、僅かに燃えずに往事の状態を保っていたのだ。
金庫から引き剥がした母の腹部には、見覚えのある夜着の布が残っていた。
べっとりと、どす黒い血が染みついた布が。
まさかと思い、父の方の遺体も調べれば、父の背からも刺創がいくつも見つかった。
父と母は火事で死んだのではない。
何者かに殺され、火に焼かれたのだ。
◆
「じゃあ何故、父と母は殺されなければいけなかったのか……そんなの、心当たりが多すぎて分からなかったわ」
シュビラウツは嫌われていた。
しかも、財は他の貴族達よりも遙かに多くあった。
嫌いな者達が自分たちより裕福な生活を送っている。嫉妬を買うには充分な理由だった。
しかし、はたしてそれが、殺すほどの理由になるだろうか。
「そこで、もしかしたら金庫の中にあるものが原因かもと思ったの。金庫を抱えて死ぬだなんて、どう見ても不自然だったもの」
その中にあるものを犯人が欲しがり、しかし両親は頑として渡さなかった。そこで犯人は逆上して、もしくは無理矢理奪おうとして殺した――そう考える方が自然だった。
「金庫は開けられた形跡はなかった。つまり犯人は欲しいものを奪えずじまいだった……人を殺してまで欲しがったものを、犯人がそれきりで諦めるとは思えない。だから私は遺言状を作ったのよ。犯人が金庫の中の何を欲しているかまでは分からなかったから、シュビラウツ家の全てを賭けた遺言状を」
犯人なら、この機会を逃すことはしないだろうと踏んで。
「全ての明らかにするのに三年……三年もかかってしまったわ……」
リエリアの目は金庫に向いていたが、その瞳はどこか遠くを見つめていた。
「分からない……分からないぞ、リエリア……。貴族殺しは大罪だ。そんなこと警吏に任せ、法の下の裁きを受けさせれば済む話じゃないか」
リエリアは鼻でナディウスを嗤った。
「シュビラウツの為に誰が動いてくれるというの?」
「先代当主様と奥様が亡くなられた時、わたくし共の耳には弔辞よりも先に、シュビラウツ家の財の行方を気にする声ばかりが入ってきましたなあ」
マルニードは相変わらずほほと柔らかく笑いながら言っていたが、声音からははっきりとした怒気が伝わってくる。
「だ、だとしても、わざわざ遺言状を作って死んだふりまでしなくとも……! 財を欲しがる者を見つけたいのなら、それこそ婚約者を募るだけで良かっただろう! シュビラウツの何かがほしいのなら、絶対に手をあげるはずだ!」
「馬鹿ね。婚約者には家格が大きく関わってくるものよ。もし犯人が平民だったらまず婚約者にはなれないし、王家が出てきたらおしまいじゃない」
事実、王家が出てきてリエリアはナディウスの婚約者となっていたのだから。
「それに、あなたの言う通りなら、両親はあなたが殺したことになるわね、ナディウス殿下?」
「ち、違う!! 決してそんなことしない!? それどころか今の今まで事故だと思っていたんだから!」
「そうね、あなたみたいな馬鹿には無理だって今回の件で分かったわ」
貶されたというのに、ナディウスは犯人ではないと言われたことにどこか安堵していた。それと同時に、あなたに『は』という言い方が引っかかった。
「遺言状を出して、案の定平民も貴族も全てうちの財を目当てに群がったわ。でも、印章の壁があると知って、皆アッサリひいたわ。それでもその無理難題を知っても諦めなかったのがルーイン子爵家と王家だったわね。その執着から、私はこの中の誰かが犯人だと確信したわ」
「子爵家と王家のみ? リエリア、その商人は何者なんだ。そいつも遺言状の候補者に上がってきた奴だぞ。もしかしてそいつが犯人じゃないのか。君にここまで取り入るだなんて、しかも財がその男のものになったということは……」
言葉が途切れるのが恐ろしくて、ナディウスは自分から話題をふった。
まるでその不安な心の内を見透かしたように、リエリアはケラケラと笑った。
「彼は私の協力者よ。三年前からの」
「さ、三年前……!? そんな昔からか!?」
「俺は、犯人をあぶり出すための監視者みたいなもんだよ」
驚きに声を上げるナディウスに、イースは苦笑していた。
「シュビラウツ家の先代様が亡くなったと聞いて、俺は父からの弔辞を届けるためにシュビラウツを訪れた。商取引で先代様に会うことはあっても、ファルザスまで赴いたのはそれが初めてでね……驚いたよ。停戦の英雄を、ファルザスでは裏切りのなんて、馬鹿みたいな渾名で呼んでるんだからさ」
へらへらとしていたイースの目が鋭くなった。
「あの貧民街の少年……テオって言うんだが覚えてるか、殿下?」
以前とうってかわり言葉遣いすらも尊大なものになっていたが、ナディウスはそれが当然のことのように感じられた。彼がまとう空気は間違いなく商人のそれではなかった。
気圧されるような形で、ナディウスは「覚えている」と頷く。
「あの少年を探し出すのに三年かかったよ。シュビラウツ家の火事について知っている者や、あの日シュビラウツ家領に近付いた者がいなかったか、随分と聞き回ったさ。おかげで今じゃ自国のロードデールより、ファルザスのほうが知人が多いくらいだ!」
「あの少年は墓荒らしのはずだ。シュビラウツについて知っていることなんかないはずだ」
「正確には盗人らしいがね。金を見せたら色々と話してくれたよ……多分、犯罪に対する罪悪感も何もないんだろうな、ああいう子は。生きるために罪をおかすことが当たり前だったんだろう」
王子相手に金銭を要求するくらいだ。そのくらいの図太さがあっても不思議じゃない。
しかし、そんな輩と貴族であるシュビラウツにどんな関係があるのか。
「テオは、火を付けたのは自分だと言ったよ」
「な――っ!? だ、だったら、あの少年がリエリアの両親を殺したんじゃないか!」
「いや、少年は『火を付けたのは自分だ』と言っただけだ。盗みに入ろうとした部屋に偶然人がいて、驚いた拍子に燭台を倒してしまったらしい。彼はそのまま逃げたと言っていたよ」
「そこにいた人はリエリアの父親だったんだろうさ。じゃあやっぱり火に巻かれて亡くなったんじゃないのか。傷は、火事で倒れてきた家具でとか……」
「はは! そう思うだろう? 事実、俺もそう思ったし、テオもそう思っていたようだったよ」
実に含みのある言い方をする。
「だが、テオが見た者の特徴は――」
そこで突然、国王の声がイースの言葉を遮った。
「はははっ! そんな浮浪者の言葉など当てにならんな。どうせ物盗りが夫妻を殺した上で火を放ったのだろう。川に落ちて死んだところで天罰よ」
ナディウスの場所から国王の顔は見えないが、対面するリエリアの目がスッと細くなったのは見えた。温度が消えた、冷めたと言うよりどこか落胆したような色をしている。
いったい彼女の目には何が見えているというのか。
「テオが見たのは、白髪の恰幅が良い老齢の男だ」
国王の言葉に取り合わず、遮られた先の言葉をイースが続けた瞬間、ナディウスの目はリエリアから国王の背へと向いていた。
「…………え?」
シュビラウツの者はほぼ領地からは出てこない。とは言え、一度くらいはナディウスもシュビラウツ伯爵に会ったことはあった。
そして、とてもテオが証言したような姿をしていた記憶はなかった。
白髪というにはまだ黒髪の割合が多く、確かにしっかりとしたガタイではあったが、恰幅が良いとまでは言えない。ついでに老齢と言うほど老けてもいない。たしか亡くなった時点でまだ四十そこそこだったと思う。
テオの証言にあるような姿はむしろ――。
「リエリアが聞いた足音は誰のだったんだろうな?」
「足音?」
「火事の日夜、私は誰かが駆け去って行くようなドタドタとした足音で目を覚ましたのよ。もし、テオが私の父を見ていたのなら、父も逃げたはずだから執務室から遺体が見つかるはずがないのよね」
「とすると、考えられる可能性はひとつ。テオが見たのは先代様じゃない。その時すでに、先代様と奥方様は机の陰で死んでいて、テオは逃げる犯人を目撃してしまったんだ」
「ねえ、殿下? どうしてテオは死ななければならなかったのかしら?」
「そ、それは……?」
リエリアとイースから交互に与えられる情報に、ナディウスの頭はそろそろついていけなくなりはじめていた。
テオには父が毒を盛ったのかもしれない。
では何故?
偽の印章を渡したことの口封じか?
「ちなみに、盗掘していたテオを昏倒させて偽造印を持たせたのは俺だよ」
「はあ!?」
「テオが王宮に偽造印を持ち込むのは予想がついていたからな。どう出るか試させてもらった……まさか、最悪の結果になろうとは思わなかったがな」
「……っ」
思わず視線を逸らしてしまう。
「ねえ? テオは王宮で何かを見たのじゃないかしら?」
「何か……?」
と、疑問に首が傾ぎかけた時、ナディウスは牢屋でのテオの様子を思い出した。
『まさか』
テオは、父と自分が牢屋に現れて明らかに動揺していた。
『あ、あんた……』
テオは掠れ声を発しながら、父を指差し『こ、国王!? う、うそ、だっ――』と言っていた。その先の『だって』に繋がる言葉を確か父が『騒ぐな』と遮ったのだったか。
自分の首が、まるでできの悪い軋んだ人形の首にすげ変わってしまったかのようだった。ギギギと、国王の背に向けられたナディウスの顔は凍てついている。
「何か心当たりがあったようね」
リエリアは嘆息した。
「子爵家が脱落して、残るは殿下か陛下の二択だったのよ。薄々殿下には人は殺せないとは分かっていたけど、陛下はあまりにも表には出てこない人だったから、掴みかねてたの」
でも、とリアリアは続ける。
「この場ではっきりしたわね。一番誰がこの金庫の中身を欲しがっているのかって……」
金庫の中身を一番欲しがっている。
それはつまり――。
「ち、父上……ま、まさか……テオだけでなく、リエリアの両親を…………う、嘘ですよね?」
父は反応しなかった。
それが無性に苛ついた。
「なぜ、そんなにシュビラウツの財がほしいんですか!! 人を殺してまで欲しがるものじゃないでしょう!?」
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