第18話 さあ、堕ちて

「ごきげんよう陛下、そしてナディウス殿下」


 現れたのは、ヒールをはいた二本足でしっかりと立ち、顔色も悪くなく、部屋の背景が透けているわけでもない、どこからどう見ても生きているリエリアだった。


「リ、リエリア!? こ、これはどういうことだ!」


 震える指先でリエリアを示し、口をはくはくさせるナディウスのほうが、顔色を失ってまるで幽霊のようだ。


「君は首を吊って死んだはずじゃ……!?」


 こてん、とリエリアは首を傾げる。真っ黒なストレートの髪が、さらりと肩から流れ落ちる。


「あら、マルニードや家人達は誰ひとりとして、私が死んだなんて言ってないと思うけれど?」

「そ――ッ!? いや、でもしっかりと葬儀もやっていたし……」

「棺の中をご覧になりました? 私の遺体を一度でも見まして?」


 クッ、とナディウスは唇を噛んだ。

 確かに遺体を直接見たわけではないのだから。


「じゃあ、あの遺言書はなんだ!! 死んだから公表されたはずだろう!!」

「もう、マルニードったら気が早いわよね。私の姿が見えないからって、焦って手違いで新聞社に流してしまうだなんて……」

「申し訳ございません、お嬢様。いやはや、わたくしも年なもので……お嬢様の人捜しの記事を載せるはずが、間違ってお預かりしていました遺言書を新聞社に渡してしまうとは」

「――っ白々しい!」


 そんなことあるはずがない。

 遺言書であれだけこちらはあたふたと駆け回っていたのだ。それを一度も止めなかったのは、その手違いを良しとしていたからだろう。

 つまり、これはどういう状況だ。

 リエリアが生きていた。

 しかし遺言状は有効なのか?

 いや、遺言状の前にリエリアが生きているということは、先ほど婚姻書を出したことで自分は彼女の夫になったということで……。

 いやでも、彼女は先ほどその印章は偽物だと……。

 あまりにも予想外の展開に、ナディウスは唸りながら頭を掻きむしった。


「印章が偽物だろうと関係ない」


 そこへ、国王の野太い声が響き渡る。どっしりとした重みのある声は、息子に落ち着けと声音で言っていた。


「たとえ印の大きさが違おうと、印影は同じなのだ。教会が貴族院に登録照会をしても問題になることはないだろう。つまり今頃しっかりと婚姻書は受理され、ナディウスとリエリア卿は正式に夫婦となっている」


 ポン、と国王の手が金庫に置かれる。


「リアリア卿の生死に関わらず、シュビラウツ家の全てはナディウスのものだ」


 勝ち誇ったように国王の片口が吊り上がった。


「そんなにほしいかしら? 嫌われ者のシュビラウツ家の財が?」

「元々君は息子と結婚する予定だったのだ。ほしいほしくないの話ではない。元よりこの財は王家のものとなるものだ。確かにシュビラウツは貴族や国民に良くは思われていなかった。だからこそ、我が王家が後ろ盾となってやったのだよ、婚約者という立場を与えて」

「与えて……ね」


 何がおかしいのか、リエリアは顔を逸らし口元に歪な笑みを浮かべていた。


「さあ、リエリア卿。君の義父である私に本物の印章を渡したまえ。君を含め、全ては王家のものとなったのだから」

「それはちょっと困りますねえ」


 またもや、場にそぐわぬ陽気な第三者の声が部屋に響いた。

 リエリアの件から声の出所は分かっていた。

 ナディウスと国王はいっせいに、リエリアが出てきて半開きになっていた壁へと視線を向ける。


「だって、彼女は俺の奥さんなんでね」


 出てきたのは、ナディウスには見覚えのある顔――商人のイースだった。

 思わず「何故」と叫びそうになったナディウスだったが、しかし、ナディウスよりも真っ先に反応を示した者がいた。


「何故生きている!?」


 国王だった。


「確かにお前は死んだはずだっ!」


 ナディウスは目の前に立つ父の背を、恐怖で引きつった顔で見つめた。


「ち……父上……?」


 額からツーと冷たいものが流れ落ちる。その冷たさが、どうにか時が止まってないことを教えてくれていた。

 薄々とは気付いていた、はずだ。

 あえて考えないように、明確な答えを出さないようにしていた。

 だって、もし理解してしまったら、それは父が人を――。


「……っどういうからくりだ」

「いえね、育ち的に毒には慣れてまして。それと、毎度同じ毒をつかうのは感心しませんよ。テオ……ああ、あの貧民街の少年に使ったものと同じのだったでしょう? ちょっと少年を調べさせて貰いましてね、念のためそこいらに効く毒消しを持ち歩いてたのですよ」


 ナディウスは耳を塞いだ。


「次に狙われるのなら、自分だろうと思っていましたし」

「だが、あの記者の小僧はお前の遺体が上がったと!」

「ははっ! ゴシップ記者の言葉を信じるだなんて、陛下は随分とお優しい」

「――ッもう、やめてくれよッ!!」


 国王とイースの会話をナディウスの悲痛な叫びが遮った。


「~~ッうぅう……何がしたいんだよ、リエリア! 僕たちをどうしたいんだよ!?」


 今までの会話と、知らされた事実だけをつなぎ合わせていくと、自分の父親は少年と商人を毒殺したということになる。商人はどうにか生き延びたが、しかし殺意を持って毒を使ったことには変わりない。


 ――父上が……? 父上が、人を、殺したのか……ッ?


 どんなに自分に厳しくとも、それは賢王としての矜持があるからだと信じていた。

 しかし――。


「もうやめてくれっ! 何も聞きたくない、知りたくない……もう、全て終わったんだ。その金庫をもらって全てを終わりにしたい……」

「だから、その権利はあなたにはないんですよ、殿下」

「……どういうことだ」

「言ったじゃないですか。彼女は私の妻だと。殿下が出すよりも先に婚姻書を出しただけですよ、本物の印章と彼女本人を伴って」

「な――っ!?」

 

 教会での司教達の妙な態度が思い出された。

 婚姻書を出したときの微妙な反応といい、何か言いたそうに、しかし言いにくそうに口をまごつかせ、出て行こうとする自分を呼び止めようとしていた。あの時点で、すでに婚姻書が本人から提出されていたのだ。

 リエリアの隣へとやってきたイースは、見せつけるようにリエリアの腰を抱き寄せた。リエリアも抵抗する素振りを見せない。

 カッ、とナディウスの顔が赤くなる。


「もし殿下が、私と婚約したときからきっちり向き合ってくれていたら、その指輪の印章が偽物だと気付いたでしょうに」


 リアリアはハーフアップに結ってある部分に挿してあった髪留めを、するりと引き抜き見せつけるようにして前に出した。


「これが本物の印章よ」


 先端が円錐形になっており、その先が印章になっていた。

 そして金庫のくぼみに、その髪留めは本物だと証明するかのようにキッチリと収まった。

 カチリ、と音がして金庫の扉がゆっくりと開く。


「な、何がしたかったんだよ、リエリア……こうやって、目の前で全てを奪い取って、僕たちの落胆をあざ笑うためか……」

「私がそんな無意味なことするはずないじゃない――って、あなたは私のことなんてちっとも知らなかったわね」


 リエリアは開いた扉の隙間から手を入れ、中から一枚の書類を取り出した。


「私はね、知りたかったのよ」

「何を……」


 ヒラヒラと彼女の顔の前で振られる書類は、いったいなんの書類だろうか。


「父と母を殺した犯人を」

「は?」


 彼女の両親は、火事での事故死だったはずだ。


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