第17話 さあ、嵌まれ
国王と共にナディウスは、シュビラウツ家へと向かっていた。
つい先ほど、リエリア・シュビラウツの名と印章が押印してある、ナディウスとの婚姻書を教会に提出してきたところだ。
さすがに受け取った司教は、微妙な顔をして何か言いたそうにしていたが、小言など聞いている暇も余裕もない。呼び止めようとする声も無視してそのまま出てきた。
馬車がデコボコとした石畳に乗り上げるたびに、ガコンと車内に鈍い音が響く。それがまた、無言の国王とナディウスの間では、より重苦しい音となって聞こえていた。
王家の馬車が教会を訪ねたことで、町衆も色々と察したらしい。
皆、シュビラウツ家領のある南部へと向かう馬車を、「国王様ー!」や「殿下ー!」などと、まるで祝い事のような熱量で見送っていた。
「民も、お前がリエリアと結婚してホッとしているだろうな」
「これで父上の言う、王家の体面とやらは守ることができて何よりですよ」
ハッ、とナディウスはどうでも良さそうに鼻で嗤って、窓の外へと視線を向けた。
リエリアと結婚したところで、ミリスとはもう結婚できないのだし。半ば自棄だった。
そういえば、あのゴシップ誌の記者はどうしたのだろうか。
ハルバートの一件のあとから姿を見ていない。てっきり騒ぎを聞きつけてやって来るかと思ったのに。
「……どうせなら、最後までしっかり取材してほしいものだな」
そうナディウスが呟いたときだった。
コンコン、と馬車の扉を叩く音がした。
窓の外を見てみると、見覚えのある青年が馬車と併走しているではないか。彼の手にはトレードマークであるメモとペンが握られている。噂をすればなんとやらだ。
ナディウスは窓を開けて、ハイネに声を掛ける。
「随分と遅かったじゃないか。新聞屋がそれで良――」
「殿下、ご存知でしょうか!? 商人のイースさんが亡くなられたことを!」
「は?」
「あの貧民街の少年と同じように、ルベル川で遺体が上がったんです!」
さすがに並足とは言え、ずっと馬車と併走するのには無理があったのか、ハイネはビリッとメモ帳を破ると、手を伸ばしてそれを差し出してきた。
窓から手を出して受け取ると、ハイネは足を止め、どんどんと遠ざかっていく。
メモを広げると、そこには商人のことが書かれていた。
ルベル川で遺体があがったこと。
それがつい最近の出来事ということ。
身につけていたものに印章はなかったこと。
くわえて、ハイネの考察だろうことも記されていた。
『貧民街の少年と同じ? 溺死ではなさそう。外傷なし。ならば毒殺?』――と。
「…………」
気付いたら、メモを手の中でくしゃくしゃに丸めていた。
「あれは、今回の件を色々と書いていた記者か?」
「……はい」
「死体の取材までとは、やはりゴシップ記者とはそれなりだな」
国王はナディウスが握りこんだ拳を一瞥し、フッと鼻を鳴らした。
「……父上、本物の印章はどうやって手に入れられたのです……」
足元に視線を落としたまま、ナディウスが尋ねる。
「どうやってかなど重要か? 我々の手の中に本物の印章がある。それだけが真実で重要だ。まあ、有志の者が寄贈してくれた、とは言えるかな」
「寄贈? あり得ない……。この印章は商人が持っていたものです。商人と会ったんですか」
「さあ、どうだったかな。何せ、毎日多くの謁見者と会っていて、よくは覚えておらんのだ」
「――っでは、元の持ち主がどうなったかはご存知でしょうか!?」
「それこそ私の知るところではない。王宮を出た者など、私の管理下にはないのだからな」
「父上……あの……浮浪者の少年は確かに王宮を出たんですよね……?」
父ののらりくらりと躱したような否定が、胸に嫌な焦燥を抱かせていた。
「商人と印章についての交渉をしたとして、その後、商人もちゃんと王宮を出たんですよね?」
青ざめていくナディウスの肩を、国王は優しく二度叩いた。
「ナディウス、偶然だよ。王宮から出て来る者を狙った物盗りも多い。少年は足を滑らせたのだろうが、商人は物盗りにやられたに違いない。不幸な偶然が重なっただけだ」
本当に偶然なのか。
しかし、ナディウスにはそれ以上はもう聞けなかった。
内心では答えが導かれようとしているのに、本能がそこにたどり着くのを拒んでいる。
自分の父親が、賢王と讃えられている国王が、もし、万が一、そうだったとしたら……。
「――っ!」
ナディウスは唇を噛んで、頭を抱えた。
――なぜ、こんなことに……っ!
もう後には引けないところまできていた。
◆
何度来ても、シュビラウツはひっそりとしていた。
ただ、相変わらず使用人達は仕事を続けているのか、庭や屋敷が荒れているということはない。シュビラウツにはもったいない実に忠義者達だ。
「これは、国王陛下までご足労いただきまして……」
出迎えたマルニードは恭しく腰を折り、ナディウスに対する時よりも深く頭を下げていた。
「先ほど教会に婚姻書を提出してきた。だから、これで私がリエリアの夫だ」
「左様でございますか」
では、とマルニードは、以前商人に通された金庫のある部屋へとナディウスと国王を通した。
相変わらず真っ白で何もない。まるで、金庫を目立たせるためだけに作られたような部屋は少々不気味だ。
「では、こちらの中にシュビラウツ家の全てが入っております」
マルニードが金庫の背後へと控えると、「おおっ!」と声を上げて、国王が金庫へと一歩一歩と近付いていく。
「ナディウス早く印章を!」
ナディウスよりも目をキラキラと輝かせ、国王は早く開けろとばかりに印章を急かした。そして、ナディウスが印章を取り出すと、ひったくるようにして金庫の側面にそれをはめ込んだ。
が――。
「あ? お、おい!? どういうことだ、はまらないではないか!」
印章のほうが穴よりも僅かに大きかったのだ。
「何故だ――ッ!」
「開くわけないわ。だって、その印章は偽物なんですもの」
男達しかいない部屋で、場にそぐわぬ可憐な声がどこからか聞こえてきた。マルニード以外が驚きに目を丸くして、動きを止めていると、何もないはずの部屋の奥の壁がギィッと軋みながら開かれる。
そこから出てきた者の姿に、ナディウスと国王は驚愕に目も口も丸くしていた。
「リ……リエリア……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます