第16話 さあ、進め
「ナ、ナディウス様……!?」
「ミ、ミリス……誰だい、その男は……」
足元がふわふわする。固い地面を踏んでいるはずなのに、どこか身体がぐらぐらしてしまう。
ナディウスは縋るようにミリスに手を伸ばすが、ミリスはナディウスにしかめた顔を向けると、ふいと視線を切った。
「ミリス……!?」
彼女の態度にショックを隠しきれないナディウスは、ミリスに捕まりかかろうとするが、それを隣にいた男が阻む。
「失礼、殿下。私の妻に何かご用でしょうか?」
「……は? 妻?」
何を言っているのか、この男は。ミリスは自分と結婚する予定だというのに。
「じょ、冗談だよな、ミリス……僕があまりにも待たせてしまったから、こんな手の込んだ悪戯をしているんだろう? な、なぁ……」
「冗談ではありませんわ!」
まだも手を伸ばすナディウスを拒むように、振り向いたミリスは鋭い視線でナディウスを刺していた。
「大体、先に婚約破棄をなさったのは、ナディウス様じゃありませんか!」
「あれは僕の意思じゃなくて! それに結婚式の日だって、僕と一緒に逃げてくれただろう!? わざわざそのために僕に会いに来てくれたんだろう!?」
「勘違いなさらないで! あの日だって、私はある人に言われて王宮前にいただけで、決してナディウス様を待っていたわけじゃないんですから。それを、突然やって来たかと思えば私の話も聞かず、馬車に押し込んで……っ!」
「殿下、あの時すでに私とミリスも結婚を控えておりまして。ミリスが殿下と駆け落ちをする可能性などありはしなかったのですよ」
「そ、そんな……っでも……」
「突然、婚約破棄されてどれだけ私が惨めだったか……っ。しかも、代わりの相手はシュビラウツの令嬢だと言うじゃありませんか。どれだけ私が社交界で嘲笑を向けられてきたか……ナディウス様はご存知ありませんでした? ……あなたはいつもそう。人のことなど見ず、自分のことばかり」
ずっと彼女は別れても、自分のことを待っていてくれていると思っていた。
しかし、彼女の口から出て来たのは自分を否定する言葉ばかり。
「僕は……ただ君のことが好きで……」
「相手に伝わらなければ、それは独りよがりというものですわ。無意味です」
バッサリと好意を斬り捨てられ、ナディウスは紡ぐ言葉を失っていた。
「それに、ナディウス様は今、リエリア様とご結婚されるために忙しいんですよね。私のことなど、どうぞ今まで通り放っておいてくださいまし」
ミリスは夫という男に肩を抱かれて行ってしまった。
◆
これ以上街をうろつく気にもなれず、王宮へと戻ったナディウスだったがそれから数日、部屋から出ることは無かった。
父親が怒鳴り込んでくるかと思ったが、それもなかった。
「僕はなんの為に……」
ナディウスは、茫然自失でベッドに横たわっていた。
最初は、リエリアが自分のせいで首を吊ったと、世間に叩かれないためのパフォーマンスだった。正直リエリアが死んでくれて良かったとすら思っていたのだから。
しかし、ではミリスと結婚をと考えれば、リエリアと結婚しなければ認められないと言われた。
だから、ミリスを後妻に迎えるためにも浮浪者の少年から偽造印を奪い取り、ハルバートに偽造印の汚名を着せて消えてもらったというのに。
「そういえば、あの少年は確か死んだんだったか……」
新聞記者の青年が教えてくれた。川に落ちて死んだと。
「偶然……だよな……?」
墓荒らしなんて悪いことをした罰でも当たったのだろう。
「それより、これからどうしようか」
全てはミリスの為だったのに。
その彼女はとっくに別の男のものになっていた。
しかも、リエリアとの結婚式の日に王宮前にいたのは偶然だという。こんな虚しいことがあるものか。
「商人が出した条件も父上のせいでのめないし……もうこのまま商人がリエリアと結婚すれば良いんだ。そうすれば父上も諦めるだろうさ……ハハッ」
しかし、次に父親である国王から呼び出しを受けたとき、全てはナディウスの思惑とは違う方向へと進んでいた。
「――え?」
「だから、本物の印章を手に入れたと言った」
「いや……え?」
本物の印章を? どうやって。
「商人と交渉した……のですか?」
印章を金で買ったということか。いや、しかしそれはおかしい。
シュビラウツの全てを手に入れられるチャンスがあったのに、あの商人はわざわざ交渉を持ちかけてきたのだ。
金がほしいなら、勝手に婚姻書を出して、こちらより先にシュビラウツの全てを手に入れれば済む話。それとも父はシュビラウツ家が持つ財よりも、はるかに多くの何かを積んだのだろうか。
「父上?」
「さあ、これで婚姻書を作れ。できたらばすぐにでも教会へ出しに行くぞ」
近付いてきた父親は、ナディウスの手を掴むと掌に印章を乗せた。それは確かに、あの時商人の男が手にしていた古くさい指輪だった。
ナディウスは父親と指輪とを、訝しげな目で交互に見遣る。
「あの、父上……だからこれはどうやって……」
「気にするな。王にはそれだけの力があるということだ」
分厚い手がズシリと肩に置かれた。
まるで『それ以上は聞くな』と押さえつけるかのように。
そこへ報告書を手にした廷臣がやって来た。
「陛下、例の南部鉱山についてですが、やはり埋蔵量は大したことなく……」
「ああ、その件なら近々新たな鉱脈が出て来るだろうさ」
父は用はもう済んだとばかりに、ナディウスを手で払っていた。
父の勝手に腹が立ったものの、二人の話には鉱山やら聞き覚えのない鉱物の名前が出てきて、とても一緒にという雰囲気でもない。
ナディウスは手にある指輪を握りしめ、自室へと戻ったのだった。
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