第15話 さあ、少しずつ……

 ナディウスは馬車の窓から、小さくなるシュビラウツ家をぼうと眺めていた。


 商人は全て知っていた。

 テオという浮浪者のような少年が自分を訪ねてきたことも、その際に偽造印を奪っていたことも。

 ハルバートが貴族院で印章の真贋を確かめる時、預かった押印してある紙と、以前自分がテオの偽造印を押印していた紙とをすり替え、ハルバートの印章を偽物と判じたことも。

 そして、出来上がって手元にある印章が当然偽物であることも。


 なぜだ。

 なぜ、知っていたのか。


「――っやはり、あの印章が本物なのか」


『交渉しよう』という言葉を前に、反応を返せずにいたナディウスに、商人はまるで道ばたで拾った石ころを見せるような気軽さで印章を見せたのだ。

 指輪型の少し古びれた印章。

 商人は、それを掌に乗せて『これが本物の印章ですよ』と言った。


 たとえば第三者なら、商人か自分、どちらが本物の印章を持っているのが分からなかっただろう。しかし、自分の持っている印章が偽物であるという自覚があるナディウスには、相手のものが本物だと分かってしまう。

 この際、なぜ商人ごときが本物と思われる印章を持っているのかなどどうでもいい。

 考えるべきことは、もうそこにはないのだから。


「まさか交渉ときたか……」


 商人が出した条件は――

『シュビラウツ家の屋敷、墓所、岩山のある北西部を商人のものとしてくれるのなら、ほかのシュビラウツの土地、権利、財産、婚姻相手という立場は全て王子のものにする』

 というものだった。

 もちろん、この分割は口外無用とし、ナディウスは国民に、自分が正統な印章でもって婚姻相手となったと発表できる。


「これなら王家の名も守れるし、財も手に入る。土地も北西部程度なら特に困ったことはないし、むしろ墓地まであっちが面倒見てくれるのなら万々歳だ」


 シュビラウツ家の収入は、領地収入よりも貿易収入のほうが大きい。

 多少領地を削られようと痛みはない。

 むしろ、交渉と言う割りには、こちらの得のほうが大きい気がする。


「さて、僕としてはまったく問題ないが……」


 問題は父がなんと反応するかだ。

 商人への即答は避け、後日改めて返事をするということにした。

 これに対しても、商人はどこか余裕そうに『もちろん、じっくりと考えられてください』と笑ったのみだった。

 あの余裕はどこから来るのか。

 シュビラウツ家の財産がほしいから参戦したのではないのか。

 それか、あの屋敷になにかあるというのか。あの場所に。


「なんだっていいか。シュビラウツになんか興味ないんだし」


 もういい加減、さっさと終わらせたかった。






 しかし、そう思っていたのはナディウスだけで。


「馬鹿者がッ――!!」

「……っぐ!?」


 頬に拳を貰うのは二度目だった。


「お前は、その商人の言うことをホイホイとのんだと言うのか!?」

「ま、まだ返事は……っ」

「たかが商人にいいように弄ばれおって! 王子であるというのに、お前は情けないと思わないのか!?」

「ですが、相手は本物の印章を持っていましたし、その印章が無ければ金庫が開かないというじゃありませんか! もし、私が婚姻書を出したところで、その先で詰むのは目に見えていたのですよ」


 国王は太い腕を抱え、僅かに視線を下に向けるとそのまましばらく黙考に入った。


「……商人は本物の印章を持っていたのだな?」

「登録証で確認したわけではありませんが、古めかしい指輪型の印章でした。何より、金庫が印章で開くといのを知っているということは、誰よりもシュビラウツに近しい存在であり、持っていてもおかしくはないと」


 だから、ここらでもう終わりにしたい。


「て、提示された条件も悪くはありませんし、もうこのまま――」


 しかし……。


「ならん」

「――ッどうして!!」


 ナディウスは両手で頭をぐちゃぐちゃに掻き乱した。


「なにがいけないんです! こちらが欲しいものは全て手に入る! 国民からの信頼にも傷はつかない! なのに、何が不満なんですか!!」

「本当、お前は甘ちゃんだな……譲られたものなど無意味だ。王とは全てを手中にしてこそだ」

「そんな……っそんなの、父上の勝手じゃないですか!! リエリアと結婚しなきゃならないのは僕なのに――っ! そんなにほしいのなら、父上が母上と離婚してリエリアと結婚すれば良いじゃないですか!!」


 ナディウスはぶつけるように叫ぶと、国王の制止の声も聞かず部屋を飛び出した。




 王宮には使用人だけでなく、宮廷官達も多くいる。

 今や、彼らひとりひとりの視線が「早く結婚しろ」と責めてくるようで、ナディウスは王宮を出た。


「ミリスに会いたい……」


 全てが終わるまで接見禁止とされているが、もう構うものか。

 そうして彼女の家の前まで来たとき、ちょうど彼女が屋敷から出て来た。


「ミリス! ――って、え?」


 ミリスは隣に知らない男を連れ立たせていた。


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