第9話 王子ナディウス②-2

「――ということですので、父上……もうご安心ください」


 国王の執務室に入るなり、ナディウスは印章を見せて経緯を話した。

 結婚式の日以降、厳しい顔しか向けてこなかった国王の顔が、やっと国民に見せるような柔和なものになる。


「正しい行いをしていれば、こうして運も味方してくれるというもの。分かった、登録証の件は私から貴族院へ指示を出そう」


 国王は侍従を手招きで呼び寄せると、サラサラと書き付けた紙を渡す。受け取った侍従は、分かったようにすぐ部屋を出て行った。


「貴族院の保管庫は鍵が二つ必要でな。それぞれ別の者が鍵を管理しておる。今、侍従のロブに貴族院宛の手紙を持たせたから、明日には鍵を持った者たちがやって来るだろう」

「ありがとうございます、父上!」


 親子で久しぶりに笑みを交わした瞬間であった。


「して、その印章を持ってきたという者はどうした? まさか、そのまま帰してはいないだろうな?」

「大丈夫ですよ。真贋がはっきりするまでは王宮に留まらせるつもりです」

「よろしい。当然、他者の目がないところにな」


「もちろん」と、ナディウは力強く頷いた。

 ドブネズミには王宮に留まるよう言っているが、王宮は広い。今頃侍従が上手いこと連れて行っているだろう。


「ドブネズミには地下牢がお似合いですよ」


 ナディウスの言葉に、国王の口端がふっと歪んだ。




        ◆




 翌日、貴族院の者が呼んでいるとの知らせを受け、ナディウスは「来た!」とはやる心を抑えつつ、貴族院の者達がよくつかう部屋へと向かった。

 部屋に入ると、飴色に輝く重厚な一枚板の机の上には一冊の本が用意されていた。

 古びた革表紙は角やページをめくる場所が擦れており、随分と古さを感じさせる。


「殿下、シュビラウツ家の印章のご確認と窺っておりますが」


 立ち会いだろうか、二人の貴族が机を挟んだ反対側に立っていた。


「ああ、間違いない。リエリアと交際していた時、私にと贈ってくれたものの中に入っていた。私の一時の気の迷いで彼女をこんなふうにしてしまい、しばらくは触れることすらできなかったが……彼女との思い出を振り返りたくて、先日いろいろと見返していたら印章がでてきてな」

「リエリア様の件につきましては残念でございました」


 三人の間に哀感が漂う。

 実に白々しい。

 どうせ、三人が三人とも残念ともなんとも思っていないのだから。

 遺言状の件は当然この貴族達も知っているだろう。それに関わることということで、一応の格好は必要と言ったところか。


「それではどうぞご確認を」


 どうやら、立ち会いの二人は最後まで一緒に見守るようだ。


 ――だが、それじゃ困るんだよ。


 印章が本物であれば、このまま印章を自分のものにしてしまえばいい。

 だが、もし偽物であれば当然公表できない。しかし、この二人は自分がリエリアから贈られた印章を持っていると思っている。なのに公表されないとなると、あらぬ疑問を抱かせることになる。

 ナディウスは紙にシュビラウツ家の印章を押印し、印章は二人に見せないようすぐに懐にしまった。


「すまないが、どちらかひとりは部屋の外を見張っていてくれないか? 私が印章を持っていることはまだ知られたくない。余計な人間を部屋に近づけないようにしてほしいんだ」

「かしこまりました」


 ひとりが部屋を出たのを確認して、ナディウスは本を自分の方へと引き寄せる。分厚い表紙をめくり、パラパラとめくっていく。


「これだけの貴族家があったとはな」

「もちろん廃位済みの家も含まれていますよ。同じ物を与えてしまわないようにと」

「なるほどな」

「シュビラウツ家ですと、まだ比較的新しい貴族家でしたので、おそらく前のほうにあるかと」

「あ、ああ……では見逃したかもな。もう半分にきてしまった」


 前のページに戻ろうと、慌てたナディウスが本を手にして立てた瞬間――。


「うわっ!」


 バサバサと、本はページをはためかせ床に落ちてしまった。


「すまない、大切なものを!」

「いえ、それより殿下にお怪我は!」


 机の向こう側に消えたナディウスを立ち会いの貴族が心配するが、すぐにナディウスは本を抱えてひょっこりと頭を出す。


「私は大丈夫だ。ありがとう」

「見た目よりも重いのでお気をつけください」


 再びナディウスは本を広げ、シュビラウツ家の登録証を探し始める。すると、一枚めくったところでナディウスは「あった」と、押印していた紙を重ねた。


「……どうですか、殿下」


 緊張感が含まれた貴族の声に、たっぷりと間を持たせてナディウスは口を開く。


「…………ああ、リエリアは私を心から愛してくれていたようだ」


 パタン、と本が閉じられた。

 貴族の顔を見ると、目が面白いくらいに見開き、何か言いたそうに口が半開きになってるが、何と言っていいか分からないのだろう。その口から漏れ出るのは空気のみだ。

 丸くなった瞳には、「まさか」という驚きと「やはりな」という納得が半々といった感じに浮かんでいる。

 ナディウスはもう用事は済んだと、踵を返した。


「すまないが、このことは内密に。まだ……私の中で心の整理がついていなくてね」


 顔を俯け、眉根をキュッとよせる。


「公表するタイミングは自分で決めたいんだ」

「か、かしこまりました」

「助かるよ」


 ナディウスは、弱々しい笑みを見せて貴族院を後にした。






「――あっははは! 楽勝だ!」


 自室に戻るなり、ナディウスは懐から折りたたまれた紙を取り出したのだが、それは印章が押印された紙ではなく。


「こうも簡単に盗めるなんてな」


『シュビラウツ伯爵家』と書かれた登録証だった。

 本を落とした時に、素早くシュビラウツ家のページだけを破りとっていたのだ。

 元々ナディウスの狙いは、印章が本物か確かめることよりも、登録証を手にすることにあった。登録証さえ手に入れてしまえば、本物であれば捨てればいいし、偽物であった場合手にいれた登録証を使って、本物を作ることができる。

 シュビラウツ家は断絶したのだ。この先、登録証を調べようとする者もいまい。なくなっていても気付かれはしないだろう。


「まあ、どうせ本物だろうし、ここまでする必要はなかったかな」


 しかし、万が一の場合の影響は無視できなかった。何せ、これ以上ヘマをしようものなら、父親から頬に拳をもらうだけでは済みそうにない。


「さて、それじゃあゆっくりとあらためさせてもらうか」


 今度こそ、ナディウスは登録証に押印した紙を重ね、真偽を確認しようとしたのだが。


「――ッそなん馬鹿な!?」


 重ね合わせるまでもなかった。


 登録証に記された印影は楕円。

 しかし、ナディウスの手元にある印章は四角。


「よくも偽物を……ッ」


 噛んだ唇からは血の味がした。




        ◆



 

 王宮に留まるようにと言われ、なぜか連れてこられたのは薄ら寒い地下の部屋。

 石造りで窓もなく、正面は鉄格子。

 さすがに王宮などに詳しくないテオでも、ここが牢屋だということは分かった。


「ねえ、誰かぁー! なんでオレをこんな所に入れるわけぇ!? ねえってば! ちょっと誰か王子様呼んできてよぉー! ねえってばあっ!」


 昨日からこうして何度も声を上げているのだが、反応ひとつ返ってこない。


「あぁもう……腹減ったし……どういうことなんだよぉ……」


 テオは鉄格子を掴んだまま、ズルズルとその麓へと滑り落ちる。もう丸一日食事もとっていない。叫び続けて、もう喉もカラッカラだ。

 すると、コンッと革靴が石畳を踏む、初めて自分の声以外の音が聞こえた。


「あ、ちょっと! そこの人、話を聞いてほしいんだけど!?」

「誰がそこの人だ、無礼な。まったく……キーキーキーキー耳障りな鳴き声だな。さすがはドブネズミ」

「えっ、王子様!」


 鉄格子の向こう側に現れたのは、印章を渡した王子だった。

 そして、隣にはがたいの良い初老の男が、どっしりとした威厳をたたえて立っており、テオは男の顔を見た瞬間、瞠目して口をわななかせる。

 二人の顔立ちはよく似ており、また初老の男の頭の上には冠が乗っている。

 テオは「まさか」と、鉄格子から後ずさりして離れた。


「あ、あんた……」


 震えで喉が絞られるのか、テオは掠れ声を発しながら、初老の男を指差す。


「おい、国王を指さしてあんたとは無礼だぞ。やはりドブネズミに礼儀は備わってないのか?」

「こ、国王!? う、うそ、だっ――」

「騒ぐな」


 混乱に声を荒げたテオを、国王の体躯に似合った重い声が遮った。


「口を閉じたままで聞け。君が持ってきてくれたシュビラウツ家の印章は偽物だった。これは王家たる我らを欺き金品を搾取しようとした……ということになる」

「う、うそだ!? だってちゃんとリエリア・シュビラウツの棺から盗って――!」

「口を閉じたまま、というのが分からなかったか?」


 声を荒げてはいないのに、国王の声を聞いていたナディウスとテオはぶるりと全身を震わせる。テオにいたっては口を両手で塞いでしまった。


「つまり、そういうことだ。君には罰が下される」

「舌を引っこ抜かれるくらいの覚悟はしておくんだな。まあ、命を奪われないだけマシと思え」


 二人が去った薄闇の中、テオは顔を青くしてガタガタと震えていた。




 それから数日後――王都を流れるルベル川で、あどけなさが残る青年の遺体が上がった。



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