■翻弄される候補者
第8話 王子ナディウス②-1
「くそ……くそっ! 嘘だろう、どうなってるんだ!? なんでこんなにも無いんだ!」
ナディウスは、王宮書庫の書類をぶちまけ両手で頭を抱えた。
シュビラウツ家から戻ってきたナディウスは、しばらくはどうしたものかと考えあぐねる日々を送っていた。印章が墓の中だとは分かったが、さすがに墓を暴くことはできない。
いくらその女のせいで困った状況に立たされていようが、最低限の倫理はもっている。
ナディウスとしては、正直シュビラウツの全てなどそこまで欲しくはない。
『墓の中ならどうせ誰も手出しできないし、もうこのまま国に接収されるのを待てば良いのでは?』と、思い始めていたくらいだ。
しかし、父親である国王がそれを許さなかった。
顔を合わせる度にやれ「進捗はどうなっている」だの「いつになったら結婚できるんだ」などと、まるで生きた花嫁との結婚準備を尋ねるような神経質さだった。
元々父は、国民に賢王と言われるほどの人物だ。
リエリアを婚約者にしたのだとて、もしかすると若くして両親を失い、他家からの支援も望めぬからと、手を差し伸べたのかもしれない。王家が後ろ盾となれば、他の貴族も滅多なことは言えなくなる。
国民に対しては優しい王であり、王家の長としては怜悧であり、父としては尊敬できる人だった。
それが今やどうしたことか。
ここまで苛立っている父は初めて見た。
猫が毛を逆立てているような、迂闊に触れてはならない雰囲気がある。やはり、王家の威信というものに、傷がつくのを恐れているのかもしれない。
渋々、ナディウスは印章探しから『どうやったらリエリアと結婚できるか』という方向に思考を切り替えた。なんとしてでも結婚しなければ、父にそれこそ本当に殺されそうだった。
そこで考えついたのが『偽造印』。
印章には必ず、印影と家名が記された『登録証』があり、しかし、それは貴族院によって厳重に管理保管されている。
たとえ王子といえど、簡単には閲覧できない。
それもこれも、ナディウスのような者に偽造させないためだ。
「くそっ! 登録証さえ見ることができれば、こんな苦労は不要なのに……っ!」
それ故に、ナディウスは今現在、王宮書庫に保管された膨大な書類の中から、シュビラウツの印章が押してある書類を探す羽目になっているのであった。
しかし、捲れど読めどシュビラウツの印章どころか、名前すら見当たらない。
「そうか……っ、中央から締めだしていたせいで、シュビラウツの意見なども当然ないんだ……」
本来、伯爵位であれば議会に呼ばれることもあるだろうが、他の貴族達から疎まれていたシュビラウツは、当然議会に臨席したこともない。招集すら掛かっていなかったのだろう。
おかげで、何年遡ろうとも、議事録には他の貴族達のサインと印章はあれどシュビラウツのだけは見当たらなかった。
「陳情書くらい出してくれていれば良いものを」
領地や政治に関する不満をツラツラと書き、『どうにかしろ!』と訴えてくるのが陳情書なのだが、それすらない。
自分たちの置かれた立場にも、領地にも、何ら不満はなかったということか。
「そういえば、シュビラウツが何かしたって話は聞かないよな……リエリアも静かだったし」
書類の中でも、シュビラウツはとても静かだった。
ナディウスは、壁をつたうようにずるずるとしゃがみ込み、散らばった書類の上に腰を落とした。
天井を仰ぐと、後頭部を壁に打ち付けた。大して痛くはない。
「ミリス……君は今、どうしているんだい」
ミリスに会いたい。
もしかして、無理矢理引き離され泣いているかもしれない。
父には、リエリアと結婚できるまで、ミリスとは接見禁止と言われている。
「大丈夫だよ、ミリス。絶対に迎えに行くから……。リエリアとの結婚式の日、会いに来てくれて嬉しかったよ。婚約破棄以降ずっと会ってくれなかったのに……やっぱり、お互い忘れられなかったんだな……」
そんなミリスを妻に迎えるためにも、なんとしてでも見つけださねば、と両頬を軽く打って気合いを入れた時だった。
「殿下っ! ナディウス殿下!」
扉を叩く音と、侍従の焦った声が書庫の入り口から聞こえてきたのは。
自分が書庫に入っている間、誰も近づけるなと、書庫の入り口に待機させていた侍従だ。
「何かあったか」
重い身体をのそのそと起こし、ドアを少しだけ開けて様子を窺えば、侍従は途端に声をひそめて耳打ちしてきた。
瞬く間に、ナディウスの怠惰な顔が驚愕のものへと変化する。
「――っい、印章が見つかっただと!?」
◆
王家が必死になって印章を探していることは、王宮内でも最大の秘事だ。
ただでさえ自ら結婚式を逃げておいて、シュビラウツの全てが手に入ると分かった瞬間、血眼になって結婚しようとしていることが露見すれば、さらに王家への風向きが悪くなるというもの。
できれば、『実はリエリアから愛の証として印章は渡されていた』くらいでないと、と思っていたところだ。
そんなところへ、現れた印章。
「神はまだ僕を見捨ててはいなかった」
ナディウスは印章を持ってきたと言っている男が待つ部屋へ、上機嫌で足を踏み入れた。
「やあ、シュビラウツ家の印章を持ってきたというのは君か――っ!?」
待っていた少年のような青年の姿に、ナディウスは口にはしなかったものの、「うっ」と歓迎に広げた両手を硬直させた。
青年は上から下まで汚れに汚れ、白いところがひとつもない。
見るからに分かる、平民以下の者だ。
全身から近寄りがたい臭いを発しており、正直なところ今すぐ追い返したい。
しかし、印章を渡してもらうまでの辛抱だと、ナディウスは顔に笑みを貼り付ける。それでも近くには寄らず、入り口で足は止まったままだが。
「はい! オレ、テオって言います。シュビラウツの印章ってやつを、王子様が探してるだろうなって思って持ってきました」
「そうか、テオ。さっそくだが、印章を見せてもらえないかな」
テオはズボンのポケットから何かを取り出し、ナディウスに取りに来いとばかりに拳を突き出す。王子に向かってなんたる態度か、と思ったものの相手が相手だ。ナディウスは部屋にいた侍従に顎先で『取って持ってこい』と命令した。
ナディウスが手にした直方体の印章には、確かにシュビラウツ家の家紋が鏡映しに彫りこまれている。
――マルニードが身につけていると言ったから、てっきり指輪型だと思ったが……。
「……この印章はどうやって手に入れたんだ?」
「リエリア・シュビラウツの墓を掘り返して」
あっけらかんと言い放ったテオの言葉に、ナディウスも侍従も「は?」と、目も口も丸くした。
「墓を……?」
暴くなど、そんなことを本気でする奴がいるとは思わなかった。
死者の冒涜どころではない。死者の凌辱だ。
平民以下だと思ったが、どうやらこういう類いの人間は、人間ですらないのかもしれない。嫌悪感がこみ上げるが、同時に手の中にあるものへの興奮もわきおこる。
――リエリアの墓の中から出てきたのなら、間違いなく本物じゃないか!
「テオ、この印章を他の貴族などには見せてないね?」
「もちろんです! 真っ先に王子様のところへ来たんですから」
ナディウスは安堵に眉を下げた。
「君の忠義に感謝す――」
「だって、一番お金持ちでしょ」
汚い歯をみせてにっこにこと笑う男の顔面を、衝動的に殴りたくなった。
「それで、いくらで買い取ってもらえます?」
さも、それが当然だとでも言うように、テオは掌をこちらへと差し出してくる。
――このドブネズミが。
「確かに、君にはお礼をしなければならないな」
「じゃあ――!」
目を輝かせたテオを、ナディウスは待てと手で制す。
「だがまずは、これが本物かどうか確かめてからだ」
「ほ、本物ですよ! だって、確かに彼女の棺の中から盗ったんですもん!」
「静かに、テオ。本来、墓荒らしは裁かれるべき罪だ。黙っていてほしければ騒がないことだ」
「……っ」
「ひとまず、これは僕が預かろう。真贋の確認が済むまで君は王宮に滞在するといい」
ナディウスは侍従に目配せをすると、部屋を出て、国王のもとへと向かった。
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