★ゴシップ専門『ローゲンマイム社』の新人記者・ハイネの取材日記②
■10月8日(取材3日目)
なるほど。
教会がなんであんなに簡単に、婚姻書片手に詰めかけた男達を追い返せたのか分かった。
貴族の婚姻書は、僕たち平民とは少し違ったようだ。
『印章』というものが、サインと一緒に必要だとか。だから、婚姻書を一目見ただけで分かったのか。となると、きっと平民じゃ遺言状をクリアするのは無理かな。
僕たちはその印章ってのがどんなのか知らないし……。
結局、こういったのは貴族達が総取りしていくんだね。世知辛いねえ。
■10月9日(取材4日目)
取材先を貴族に切り替えなくちゃいけないけど。
そういえば、よくよく考えてみると僕、リエリア様についてよく知らないような……。シュビラウツ家に関することは色々と聞くけど、彼女本人についての噂はそんなに聞かない気がする。嫌われてる自覚があったからか、領地からほとんど出てこなかったみたいだし。
災難があって17歳で当主になって、王子様の婚約者になって、結婚式すっぽかされて、悲しくて首吊った……悲劇の少女?
せっかくだし、早速訪ねてみるか。
◆
「と、というわけで……ローゲンマイム社の記者で、ハイネと言いますが……しゅ、取材をさせていただいても……」
「なんとまあ、最近はお客様の多いことで……」
初めてお貴族様の屋敷を訪ねてみたが、ドアをノックするのですら勇気がいった。そして叩いて中から出てきた、ロマンスグレーの髪が美しい老紳士を目の当たりにして、もう僕の勇気は枯渇しかけていた。
こうして自己紹介して、申し訳程度に首から提げた社員証を見せるので精一杯。ごめんんさい、平民が訪ねちゃって。しかもゴシップ誌だなんて。普通に嫌だよね。
ところがどっこい。
家令だと言った老紳士は、快く屋敷に僕を迎え入れてくれた。
見たこともないような照明に、家具。壁には壁紙なんかが貼ってあって、廊下にも絨毯がひいてあって、まるで夢のような世界だ。通された部屋も、僕の家がすっぽり収まりそうな広さで、座ったソファは空から雲をかき集めてつくられたような柔らかさだった。
「当主がいなくなってからのほうが来客が多いとは、なんともですな。それで、ローゲンマイム社と言いますと、『ルーマー』という新聞を出してらしてる……」
「え! ご存知なんですか!?」
ゴシップ誌ですけど!? そんな低俗なものを貴族様が読まれるんですか!?
向かいに座った家令さんは、ほほと柔らかく微笑んだ。僕はもうこの時点で、この家令さんのことが結構好きになり始めていた。
「代々の当主様皆様、全ての新聞には目を通しておりましたから。必然と、わたくし共も詳しくなるのですよ」
「全ての新聞って……毎日ですか?」
「ええ、もちろん。日々、情勢は移り変わりますから。特にシュビラウツ家は貿易商を営んでおります故、情報に疎くては始まりません」
「そ、そうなんですね」
単純だが、少しシュビラウツ家に関する見方が変わったかもしれない。
代々引き継いだ安定的商いでぼろ稼ぎする豪遊貴族。たとえ社交界で他の貴族と交流がなくとも、ひとりで立っていける金満家。
そんなイメージがあった。
「それで、そこの記者様が本日はどのようなご用件で? 何をお知りになりたいのでしょうか」
遺言状の件で訪ねてきたのがばれてる。
まあ、それもそっか。このタイミングで記者が来るってそれしかないもんな。
僕はペンとメモを取り出して、取材する気満々の姿勢をとる。
「家令さんは、ここに勤められて長いんですか?」
「ええ、うちの家は、まだシュビラウツ家がロードデール王国にあった頃から、代々仕える家系でして。わたくしは先々代当主様から存じておりますが、正式に仕え始めたのは先代当主様からです」
まさか南隣国にあった時代からとは……長い。
「それでは、シュビラウツ伯爵家について教えてください。知っていること全てを」
そして、僕は知りたくなかったことを知った。
◆
南隣国であるロードデール王国。
元々由緒ある貴族家であったシュビラウツ家が、堂々と歴史の表舞台に立つこととなったのは、名宰相にして智将とまで言われた『カウフ・シュビラウツ伯爵』の出現からだ。
彼の知略により、戦争は長引き両陣営に多大な損害を出した。
そこでロードデール側の呼びかけにより、停戦協定が結ばれることになる。
両者合意の停戦協定でならば本来、両者平等のはずだが、ファルザスは停戦協定を言い出したロードデールにひとつだけ条件をつけた。
最初は、停戦に条件などおかしいと反発したロードデールだったが、しかし、ファルザスは条件を呑まなければ戦争を続けると言ったのだ。これ以上自国民を犠牲にしたくないロードデールは、ひとまず条件を聞くことにした。
その条件が『カウフ・シュビラウツを寄越せ』というもの。
貴族として迎え入れるという好条件もついていたが、傍らに『そのかわり永代ロードデール王国に仕えること』という、シュビラウツ家を縛り付けるような条件もついていた。
さすがにこれには、ロードデール側は反発した。
いきなり国政の柱である宰相を奪われてしまえば、国が揺るぎかねない。
しかも戦後なのだ。復興処理は並の者では務まらない。当然、カウフも難色を示した。しかし、このまま戦争を続ければ多くの自国民を不幸にするだけである。夫や息子が帰ってこない女性をいたずらに増やすのは躊躇われた。
ロードデールの当時の国王は最後までカウフを手放すのを拒否した。
宰相がいたから、北隣国であるファルザスと張り合えるほどに大きくなったというのに、その同志ともいえる片腕を失いたくないと。それに、貴族待遇とは言え、敵国に行くのだ。どのような処遇や目を向けられるのか分からない。
しかし、当のカウフがそれをよしとはしなかった。
自分ひとりが敵国へ行けば、これ以上の犠牲は出ない。カウフにとっては、自国民が傷つくことの方が耐えがたかったのだ。
そうして、カウフはファルザス国へ行くことに了承したのだが、そこで条件を二つつけた。
『停戦期間を各国の王の五代目までとし、合わせてファルザス王国にシュビラウツ家が仕えるのも五代目まで。それ以降はその時の国王、当主の判断に委ねるものとする』
『今のシュビラウツ領をそのままファルザス王国へ編入させ、必ずシュビラウツ家が治めるものとすること』
具合の良いことに、シュビラウツ領はちょうどファルザス王国との国境に隣接して存在し、編入させても、国境線が領地を挟んで前後するだけだ。もしかすると、かねてより戦争の危機にさらされていた辺境領であったからこそ、カウフという智将が生まれたのかもしれない。
前者は和平条約でなく停戦という、一時の条約で子孫の自由まで奪ってしまうことはできないという理由のもと。そして後者は、ファルザス側にとってはむしろ喜ばしいことだった。
ふたつ目の条件の理由はファルザス側には分からなかったが、国土が増えるのだ。つまり税収も上がる。新たにシュビラウツに領地を割く必要もない。
この好条件があるのならと、ロードデールは前者も合わせて了承した。
これが、ファルザス王国の貴族となったシュビラウツ家の歴史だった。
◆
「無論、わたくしの話を信じられるかは、ハイネ様次第ですが」
僕は、途中からメモを取る手が完全に止まっていた。
聞いていた話と違う。
僕が知っている話とは、シュビラウツ家の印象が全然違ってしまう。
「ちなみに、このお屋敷に仕える者達は全員、ロードデール時代から仕えてきた家の者達です。カウフ様は、シュビラウツ領がファルザス王国に編入される際、領民に全てを話されました。その上で領民も一緒に元敵国に行く必要はないと、引っ越しを勧められました。もちろんその際、ひとりひとりに多額の補償金を出すとまで仰って。しかし、ほとんどの領民は、わたくし共のように残りました」
「それはなぜ……ですか……」
家令さんの目が細められた。目尻にできた鴉の足跡に愛おしさを感じてしまう。
それほど、彼が醸し出した空気は、焼きたてのパンのように温かく丸っこいものだった。
「わたくし共はカウフ様を存じ上げませんので憶測にはなりますが、おそらく、皆カウフ様が……シュビラウツ家が大好きだったのでございますよ」
彼の言葉は、到底嘘や見栄とは思えなかった。
◆
「また来ます」との言葉とお礼を言って、僕はシュビラウツ家を後にした。
ちょっと衝撃が強すぎる。
僕が見ていた『裏切りの悪徳貴族』はどこにいった。いや、もしかして本当に家令さんが良いように言っているだけかもしれない。自分の主を悪く言いたくなくて嘘をついたのかもしれない。
「いや……それこそ矛盾するだろ。噂通りの悪徳貴族なら使用人にもきっとひどい振る舞いをしたはずだし、そしたら庇い立てする必要なんかなくて、むしろ悪く言うはずで……」
つまり……どういうことだ。何が本当で嘘か分からなくなってきた。
「リエリア様のことを聞くつもりだったけど、その前段階でお腹いっぱいになってしまった……」
と言いつつ、僕の手は腹ではなくこめかみを揉んだ。
「どうしよう……こんなの記事にできないよ!」
僕の取材を載せるのは由緒正しき情報新聞ではない。
下世話な話や嘘を面白おかしくまぜた、平民の娯楽新聞であるゴシップだ。
「誰も、正しいシュビラウツなんか望んじゃいない」
傲慢で、金満で、孤高を気取った独善的な貴族。そんな物語の悪役みたいな姿を望んでいたのに。事実、国民の間ではそう認識されているのに。
頭の中で、家令さんから聞いた話がグルグル繰り返されている。
「――ん? そういえば、停戦協定が五代目までって」
そんな話、初めて聞いたぞ。
「それと、シュビラウツ家がファルザスに仕えるのも同じく五代目まで?」
死んだ彼女は何代目だっただろうか。
そんなことを考えていると、不意に声を掛けられた。
「――へえ、君。面白いこと言ってるな」
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