第5話 従兄ハルバート①-2
メイドの制止も声も聞かず、ハルバートはノブを回した。
「――――っ!?」
視界に飛び込んできた部屋の中は、驚くほど何もなかった。
本棚もカーテンも机も椅子も絵も窓も絨毯もない。そこは、到底部屋とは言いがたい、ただの白い四角い箱でしかなかった。
そして、箱のド真ん中にひとつだけ置かれた妙な照りのある黒い箱。
酒樽程度の大きさのものが、ぽつんと置いてある。そのあまりにも異様な光景にハルバートは思わず、踏み入りかけた足を後退させてしまう。
「な、なんだ……あの箱は」
「金庫でございます」
メイドが傍らから、手を伸ばしてドアを閉める。
「あの火事の中、唯一残ったものです。他のものは灰になるか、崩れ落ちた衝撃でバラバラになったりしたのですが、こちらは奥様が抱きかかえられており、破壊を免れました」
「抱き……かかえ――――ッう!」
見つけた時の光景を生々しく想像してしまい、胃から酸っぱいものがこみ上げた。確か、夫妻の遺体は誰かも分からぬほどに燃えていたと聞く。
「……っ悪趣味だな」
よくそんな者が抱えていたものを、大事にとっておけるものだ。
中身を入れ替え、さっさと捨てればいいものを。
しかし、そこでハタと気付く。
「もしかして……捨てられないのか? 金庫の開け方が分からないのか……?」
メイドは答えない。
みるみる目を見開いたハルバートが、閉められたドアを平手で叩いた。バンッと空気を振動させる大きな音が響く。
「まさか、印章はあの中にあるんじゃないのか!?」
「印章が気になりますか? ハルバート様はお屋敷を懐かしんでおられただけでは?」
「……っ! そ、それはそうだ。シュビラウツ家が断絶するならば、その手続きは親族であるルーイン家がしないとならないからな。印章の所在は知っていないといけないだろう」
事実、貴族家が断絶した場合、印章は貴族院に返還しなければならないのだし。何もおかしいことは言っていない。
すると、メイドは何か思い出したのか、視線を斜め上に投げ「ああ」と呟いた。
「先日、ナディウス殿下も訪ねられたのですが、ハルバート様と同じように印章を探しておいででしたねえ」
「なに!? 殿下もだと!?」
そんな話は聞いていない。
というか、自ら結婚式を逃げ出しておいて、今更印章になんの用があるというのだ。
そんなの答えは一つしかない。
王子もシュビラウツ家の財産を狙っている。
「チッ!」
婚姻書に印章が必要など知らない平民は気にすることない。
印章を手に入れられない他の貴族も、どうせ指をくわえて見ているだけだ。
そう思って、少々余裕に胡坐をかきすぎていたのかもしれない。
「……それで、殿下は印章を持って帰られたのか」
「申し訳ありません、その先は分かりかねます。家令のマルニードが応対しておりましたので」
「……そうか」
もし、手元にあったとしても、おそらくマルニードは渡していない。
あの家令が、自分の主人を馬鹿にした王子の言うことに、素直に応じるとは思えない。
「ちなみに、印章はあの金庫にはございません。お嬢様は最期まで印章を身につけておいででしたから」
「最期? まさか棺に入れたなんてことは……」
またもや、メイドはただの人形になってしまった。
「――っこんな場所にいる時間はない!」
もし王子も同じことを知ったとしたら、考えることはひとつ。
今、自分が考えていることと同じ事だろう。
王宮には様々な書類が保管されている。当然、シュビラウツ家の印章が押された書類もだ。
偽造印――それしかない。
ハルバートは踵を返すと、来た道を早足で戻った。
早く家に戻って、シュビラウツ家との書類を探さなければ。王子が王宮で見つけるよりも早く。
「ったく……他に同じ考えをする者が出ないことを祈るよ」
ハルバートは、そうぼそっと呟いて、唇を噛んだのだった。
◆
ハルバートが応接室を出て行ったあと。
「ルーイン子爵様がこのお屋敷を訪ねられたのは、いつぶりになるでしょうか」
子爵夫妻は、マルニードに息子の邪魔をさせないため、なるべく話が途切れないように会話を続けていた。
今頃息子は屋敷の中を探し歩いているだろう。
さすがに素で印章が置いてあるわけではないだろうが、当たりくらいはつけられる。
「そうそう。先代のご当主様――リエリア様のお父様が当主に就かれた時でしたね。リエリア様が新当主になられた際は、特にはなかったかと……」
「あ、ああ。あれは、両親が亡くなったばかりだったし、その中で当主になった祝いの言葉を贈ってもと思ってな……私なりの配慮だったが。もしや、リエリア嬢はそのことを根に持っていたのかな?」
「ご配慮いただき主に代わり感謝申し上げます。ですが、リエリア様はそのようなことで、他者を恨むような狭量な方ではございません。どうぞご安心を」
「それなら良かったが」
別に良くはない。
小娘が自分より上の爵位を継ぐなどと、本当に良識のある者ならば、ここは親族であり年長者である自分を仰ぐべきだ。爵位まるごと寄越せとは言わないが、せめて自分を後見人にするくらいはあっても良かっただろうと思う。
「ほら、息子のハルバートと年も近いし、リエリア嬢の何か力になれればと思ってな。しかし、色々と考えているうちに、あっというまに王家が後見人になって……」
そう。より近しい自分を後見ではなく、王家を後見につけたのだ。あの娘は。
「ルーイン子爵家は確か、シュビラウツ家がファルザス王国の貴族となった次の当主様のご兄弟が分かれられた家でしたよね」
「そうだが、急にどうした」
それ以降はお互いの家は、後継者以外は騎士爵で一代限りか、別の貴族家へと嫁入るか入り婿となっている。後者はほぼもらい手がなかったが。
だからシュビラウツの血が当主となっている家は、今はもうルーイン家しか残っていない。
名字も違うし分かれたのが随分前と言うこともあって、一般的にはあまり知られていないが。
「では、シュビラウツ家の領地について何かお聞きになられたことは?」
「領地? いや、特には……」
背後にロードデール王国を置き、その南隣国との交易の窓口になっていることくらいしか知らない。
この立地こそ、シュビラウツ家が貿易で莫大な利益を上げる理由だ。
だからこそ、シュビラウツ家の全てがほしいのだ。
一時的な財産を得る以上に、この土地と貿易の権利を手に入れ、末代まで名を残す貴族家になりたいのだ。
「この領地に何かあるのか?」
「いいえ。ただ、もしルーイン子爵様が遺言状の条件を満たされたとき、この土地は戦場になる可能性を承知の上かと、少々心配になったものですから」
「戦場!? どういうことだ!」
たしかにここは辺境領でもある。
しかし、停戦協定のおかげで、今まで長きにわたり平和を維持できている。
それがなぜいきなり、戦場などという物騒な言葉が出て来るのか。
「おや? ご存知ありませんでしたか」
マルニードがきょとんとした顔で首を傾げた。
「停戦協定の有効期間は、各国の王の五代目までですよ」
現在この国の王は――六代目だ。
そして、南隣国であるロードデール王国の国王もだ。
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