★ゴシップ専門『ローゲンマイム社』の新人記者・ハイネの取材日記①

「今日の一面記事、すぐに差し替えだ!」


 編集室の扉を壊さん勢いで入ってきた編集長の第一声に、皆の顔が苦悶に歪んだ。

 僕はと言うと、今し方今日の分の印刷版を作り終えたのに、その大半を崩さなければならない悲しみで胸が張り裂けそうだった。いや、言い過ぎだけど。


「もう昼ですけど、夕方までに間に合いますかねえ」


 暗に、無茶ですよという声が飛ぶ。


「間に合わせろ! 王子様批判よりも、もっと面白ぇニュースが飛び込んで来やがった! お前ら、今朝の『フィッツ・タイムズ』読んだか!?」


 方々から「他紙読んだら怒るじゃないですかー」やら「読む暇なくここ一週間缶詰ですがぁ?」やらと、『読めるか!』の大合唱が沸き起こる。


「おい、ハイネ。お前は読んだか?」


 下っ端らしく口を挟まずにいた僕に、編集長が気を遣って声を掛けてくれた。

 しかし、申し訳ない。


「僕も読んでませんよ」


 理由は、諸先輩方と同じだ。

 編集長は大合唱という名のブーイングを、「今度昼飯おごってやるよ」の一言で鎮圧すると、部屋の奥にいた僕の方へと近寄ってきた。


 ズボンの上にのった贅肉が、彼が歩く度にボヨンボヨンと揺れている。

 その丸っこい体型とこめかみから顎を囲んだ濃いひげ面というミスマッチが、編集長の魅力のひとつでもあるのだが、サスペンダーの疲労度合いを考えると少々魅力を抑えた方が良いと思う。

 きっとこの部屋の中で一番仕事しているのは、編集長のサスペンダーに違いない。


「なぁんだ、お前! まだ読んでねぇのか。情報に疎いなんて新聞屋失格だな」


 パシン、と彼が手にしていた新聞で胸を叩かれた。

 どうやら読めということらしい。


「……っていうかうちはゴシップ屋ですけどね」


 僕が前職の荷運び人をやめて、ついひと月前、二十二歳の誕生日の日に入社したここ『ローゲンマイム社』は、ゴシップ専門社だ。

 さっき彼が名前を挙げた『フィッツ・タイムズ』は、王室の広報誌としても使われるくらい大きくまっとうな新聞社で、僕たちとは趣が異なる。まあ、情報新聞と娯楽新聞といった感じだ。


「あの王子様の愚行と、シュビラウツの自死以上のことなんてそうそう起こらな…………」


 編集長から渡された丸まった新聞に目を通して、僕は言葉を失った。


「ゆ、遺言、状……?」


 その内容に唖然としていると、ポンと肩を叩かれる。


「そういうこった、今にいろんな奴等が動き出すぞ」


 イヒヒ、と編集長は欲がにじんだ変な笑い声を漏らす。


「いろんな奴等って誰ですか……」

「んなこたぁ、自ずと分かるよ。お前はこの件について追え。誰が、そこにある〝全て〟を手に入れるか見届けろ!」


 さあ行ってこい、と思い切り背中を叩かれ、こうして僕の取材の日々が始まった。




        ◆




「とは言っても、どこから取材を始めれば――」


 と、そんな杞憂は社屋を出た瞬間、吹き飛んだ。


「はぁ!? お前、奥さんいただろ」

「その婚姻書どこで手に入れたんだよ、寄越せっ!」

「僕が先に教会に行くんだ! 邪魔するな!!」

「黙ってたけどなぁ、俺はシュビラウツ様と付き合ってたんだよ!」


 教会へと続く道を、数多の男達が闘牛のような勢いで駆け抜けていく。


「……なるほど」


 編集長が言った『いろんな奴等』が垣間見えた。

 今回の遺言状は、対象者に限りはない、と新聞社からのコメントが添えられていた。それはつまり平民でもお貴族様の夫になれる――つまり、シュビラウツ家のすべてを手に入れられるということ。


「まあ確かに……シュビラウツ家の全部なんて言われちゃ、誰だって欲しがるよな。しかも今や、リエリア様が亡くなったことでシュビラウツ家の血は途絶えた。実質、シュビラウツ家に入らずとも、莫大な財産を手に入れることができるなら納得の状況だ」


 シュビラウツ伯爵家というのは莫大な資産家であるというのに、長年、娘のリエリアには縁談話や浮いた話がひとつもなかった。

 その理由は、『シュビラウツだから』に他ならない。


 このシュビラウツ家は、なかなかに複雑な歴史を持った家である。

 六代前、長きにわたる南隣国との戦争を、停戦という提案をのんで決着させた時、対価として当時の王が南隣国に提示した条件が、『シュビラウツ伯爵を寄越せ』というものだった。

 そう、元々シュビラウツというのは、南隣国――敵国の貴族だ。

 当時から軍事力に長けていた我が国ファルザスが、農産物しか取り柄がない南隣国ロードデールをなかなか下せずにいた理由が彼だった。

 ロードデールの名宰相にして智将のシュビラウツ。


 当時の我が国の王は、たとえ停戦が決まってもシュビラウツがいる限り安心はできないと、彼をファルザスの貴族として迎え入れることを提案した。

 本来なら敵国の将を貴族待遇で、しかも上級貴族の伯爵位で迎え入れるなんて、破格も破格だろう。他にも免税やらなんやらと、とにかく条件が凄かったらしい。

 そこまで王に言わせるシュビラウツもすごいが、問題はそのシュビラウツだ。


 もちろんロードデール側は拒絶したらしいが、結局はシュビラウツの判断に委ねられた。

 そうして、シュビラウツはファルザス側が提示した好条件にくわえて、さらに条件を色々とつけた上で、あっさりとロードデールを捨てたという話だ。


「何が智将だよ。最後にあったま悪い裏切りやってんじゃん」


『裏切りの悪徳貴族シュビラウツ』――それが我が国ファルザスでの、シュビラウツ伯爵家の衆評だ。


 また、先日まで当主だったリエリア・シュビラウツは、巷で流行の読み物の影響もあって『悪役令嬢』なんて密やかに呼ばれていた。

 それは彼女が三年前、当主の座についたあとも呼ばれ続ける、一種の符号のようになっている。


 しかし、その悪役令嬢様も死んだ。

 しかも、特大の置き土産を残して。


「彼女も、まさか遺言状を書いた時は、こんな早く開封されるなんて思ってなかっただろうね。ご愁傷様」


 例に漏れず、僕もシュビラウツが嫌いだ。


「自分の国をさらっと裏切って、好待遇で迎え入れた国で荒稼ぎしてるんじゃあ、当然だよね」


 誰がその財産をシュビラウツから奪い取ってくれるか楽しみだ。


「さて。じゃあ、まあ……結婚志願者が豊富な教会から行ってみようかな」


 その中に、未来の大富豪がいるかもしれない。




■10月5日:取材1日目

 教会へ行ってみた。

 街の男達が案の定たくさん押しかけていた。

 手には『かつてリエリア・シュビラウツと一緒に書いた婚姻書だ』という紙を持って、皆我先にと教会へ入ろうとしている。九割婚姻目的の男達で、一割野次馬というところだ。

 男達の内訳は、平民がほぼだが、中には商人もままいた。

 だが、少々様子がおかしい。

 貴族の姿が一切見えない。

 こんな平民が群がる場所には行きたくないと避けているのか、それとも貴族には別の窓口でもあるのか。

 しばらく様子を窺ってみる。

 また変なことに気付いた。

 婚姻書には当然両者のサインがいる。

 まあ、これだけ婚姻書が集まったということは、十中八九以上は偽物だが、万が一、本当にリエリア様と交わした婚姻書があるかも知れない。

 にも関わらず、婚姻書を受け取った司祭は一瞥しただけで、リエリア様の筆跡照合もせずに「無効だ」と突き返していた。

 どういうことだ?

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