第2話 悪役令嬢の遺言状

『わたくし、リエリア・シュビラウツは次の通り遺言する


リエリア・シュビラウツが死んだ後のシュビラウツ家に関するすべての財産は


わたくし、リエリア・シュビラウツと結婚した者に相続させるものとする


これは現シュビラウツ伯爵家当主であるリエリア・シュビラウツの意思であり


何人たりとも改変・侵犯することは認められない



また、この遺言状の執行者兼管財人として下記の者を指名する


シュビラウツ伯爵家令 マルニード


また、この遺言状が執行される際に前記の執行者が不在の事情がある場合は


当該時点でのシュビラウツ伯爵家家令に委任するものとする



皇統紀211年 9月 10日  

遺言者:シュビラウツ伯爵家当主 リエリア・シュビラウツ』





        ◆





 広報誌に掲載されたことから、この遺言状の話は王都から遠く離れた僻村の農民の口の端にすら上っていた。

 遺言状の影響は大きなものだった。

 平民達は皆、シュビラウツ家の莫大な資産を手に入れるチャンスが巡ってきたと喜びに沸き、商人達はシュビラウツ家が持っていた莫大な利益を生む交易ルートが手に入ると闘志を燃やし、貴族達はあのシュビラウツ家のものだったとは言え、領地も資産も増えるのは見過ごせないと水面下で動き始めていた。


 そして、この遺言状と最も関わりが深いものが二家。




 そのひとつが、先日の結婚式で騒動を起こした王家である。


「――ッこの馬鹿者が!!」

「ぐッ!?」


 骨と肉とがぶつかり合う痛々しい音が、国王の執務室に響いた。


「お前が馬鹿なことをしでかしたせいで……っ! どうしてくれる!!」


 父親であるルゴス国王の拳を頬に受け、第一王子のナディウスは床に転がった。

 いくら五十も近い老齢な王と言えど、肉厚な手から繰り出された拳が軽いはずもなく、ナディウスは口の端から血を滴らせる。口内が切れたようだ。


「あ、あれは僕のせいでは……っ」

「結婚式をすっぽかし、他の女とかけおちをしたその三日後に花嫁は首を吊った。これを聞いて、誰がお前に責任はないと思うだろうなあ?」


 事実をそのまま言われ、ナディウスの顔が歪む。

 ナディウスは出奔をしたその日に、一緒に逃げていたミリスと共に捉えられ王宮へと連れ戻されていた。

 荷物をたくさん積んだ王家の馬車が、のんきにパッカラパッカラと王都を出ようとしていたら、さすがに門兵も声を掛けるだろう。そして中から、結婚式に出ているはずの王子が顔を出せば、当然捕まるというもの。


「どうして、こうも馬鹿に育ってしまったのか……」


 ぼそりとこぼした国王の言葉に、ナディウスの顔がカッと赤く染まる。


「――っ元はといえば! 父上がいきなりミリスとの婚約を解消させて、あのシュビラウツの娘なんかをあてがったのが原因でしょう! ミリスの家は金で黙らせたんなら、シュビラウツの今回の件も金で黙らせれば良かったじゃありませんか!」

「お前が黙れッ!!」


 ビリビリと窓ガラスが揺れるほどの怒号を降らせ、国王は顔を真っ赤にして肩で息をする。ここまで怒りを露わにした父を、ナディウスは見たことがなかった。


「なぜそこまで……」


 国王は目を丸くしているナディウスを一瞥すると、溜息と一緒に白くなった髪をぐしゃりと握りこんだ。綺麗に撫でつけられていた髪型が崩れてしまう。そのボサボサ具合は、きっと彼の心情を如実に表しているのだろう。


「このままでは、民からの我が王家への忠誠心が揺らいでしまう。これはナディウス、次期国王であるお前にも関係がある話だぞ。自分の汚名は自分ですすげ」

「し、しかし! リエリアはもう亡くなっていて……」

「しおらしい態度で、やはり愛していたのは君だけだったなど叫びながら屋敷の前で泣いてみせろ。それで大抵の民の目はマシになるだろう」

「そこから後は……」

「それくらい自分で考えろ。結末はどうであれ婚約者だったのはお前なのだから。リエリアと結婚できたのならば、今回の失態は不問にしてやる」


 国王は言い終えると、出て行けとばかりにナディウスを手で払う。


「あのっ、ミリスはどうなるんですか!?」


「……お前がリエリアと結婚できたのなら、その後は娶ろうが何しようが好きにすればいい。まあ、肩書きは側室か後妻ということにはなるだろうがな」


 もう話すことはないと国王はおもむろに背を向け、ナディウスは僅かな希望と、それ以前に死者と結婚できるのかという絶望との曖昧な顔で、執務室を後にしたのだった。

 


        ◆



 そしてふたつ目が、シュビラウツ家の分家に当たるルーイン子爵家である。


「おかしいでしょう! シュビラウツ家の財産は全てルーイン家のものになるはずだ!」


 ルーイン子爵家の長男であるハルバートが、夕食の席で声を上げた。

 ナイフとフォークを持った手でテーブルを殴打し、乗っていた食器がガチャンと騒がしい音を立てる。

 同じテーブルについていた両親は眉をしかめるが、しかし、取り上げるべきは息子のマナーよりも言葉の方だと、自らの銀食器をテーブルに置いた。

 父親が威厳のある動きで、テーブルに肘を置いて手を組む。それは大事な話をするときおなじみの格好で、ハルバートも大人しく銀食器を置く。


「私も、当然シュビラウツ家の遺産は全て、我がルーイン家のものになると思っていたさ。だから遺言状が出たのを見て、公証人にも有効性を尋ねたんだ」

「それで……」


 ハルバートの喉が上下する。


「……問題はないと」

「そんなっ!? では、相手がいなかった場合はどうなるのです!」

「国に接収されるだろうな」

「クソッ!」


 なんとか今度は拳を落とすのは耐えたが、それでもテーブルの上に置かれていた拳は震え、やはり食器を揺らした。

 そこへ、今まで黙っていた母親が口を開く。


「ねえ、あなた。マルニードが管財人なら、彼に頼んで遺言状を撤回させることはできないの?」


 マルニードというのは、長年シュビラウツ家に仕える家令である。

 枝のように細い身体に、シルバーヘアと白髭が目立つ細面が乗っている、火の消えたマッチ棒みたいな男という印象があった。


「マルニードはただの管財人で、遺言状を撤回させる権限などない。これが遺言状が公表される前なら、まだやりようがあっただろうが……」


 忌々しそうに父親が舌打ちを鳴らす。


「マルニードめ……葬儀の時に会ったのに、あえて遺言状の存在を黙っていたな。使用人風情でこざかしい」


 おそらく先んじて言えば父親に妨害されると踏んでいたのだろう。あながち間違いではないが、親族なのに面白くない。


「だが、不幸中の幸いで、リエリアはナディウス殿下と結婚しなかった。つまり、本来殿下のものになるはずだったすべてが、今は宙ぶらりだ」


 ニヤリ、と父親が大きな口で弧を描けば、母親とハルバートとの顔も、意味深な笑みを浮かべる。


「公証人はこの遺言状を有効と認めた。つまり、死者との婚姻も問題ないということですよね」

「そういうことになるな」

「なるほど。であれば、他の者達よりも我が家に一日の長がある」


 父親とハルバートが頷きあえば、母親の「さあ、いただきましょう。冷めちゃうわ」という安堵の声で食事が再開される。

 ハルバートは豪快に切り分けたラム肉を口に詰めながら、「この狭い屋敷ともおさらばだな」と、特に感慨も籠もってない目で部屋を見渡していた。


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