悪役令嬢の遺言状
巻村 螢
■悪役令嬢死す
第1話 さようなら、皆様
大聖堂には司教と国王、大勢の貴族、そして純白のドレスに身を包んだ花嫁がいた。
今日は、シュビラウツ伯爵家当主である『リエリア・シュビラウツ』と、この国、ファルザス王国の第一王子である『ナディウス・ウィルフレッド』の結婚式が行われる――予定だった。
大聖堂中央の祭壇の前で、花嫁がぽつんとひとり佇んでいる。
傍らには、本来いるべき新郎の姿はない。
すでに花嫁が入場してから五十分は経っている。
高い大聖堂の天井の反響するのは祝福の声ではなく、ヒソヒソざわざわとした不穏な声ばかり。
しかしその中でも、花嫁であるリエリアは背筋を真っ直ぐに伸ばして、ただ正面に掲げられている神が描かれたステンドグラスを眺め続けていた。
南の大国ロードデールとの国境を有する、辺境伯のシュビラウツ家。
そこの女当主と、次期国王である第一王子の結婚である。
当然、その注目度は計り知れない。
また、シュビラウツ家というこの国では少々いわく付きの家だからこそ、さらに注目度はうなぎのぼりだった。
そのような中迎えた、結婚式だったのだが。
「大変です、陛下! ナディウス殿下が!?」
大聖堂に不似合いな静粛さを打ち消す声を上げながら、国王の侍従が転がり込むようにして飛び込んできた。いや、本当に新郎新婦のための赤い絨毯の上を、ゴロゴロと三回は転がっていた。
「何事だ!」
国王の声に、皆がいっせいに目を向け侍従の動向を見守る中、侍従はずり落ちた眼鏡を掛け直すことも忘れ、手にした一枚の手紙をかかげ叫んだ。
「殿下が、アドネス侯爵家令嬢のミリス様と出奔なさいました!」
大聖堂の空気が一瞬にして凍りつく。
そして、侍従に向けられていた視線は、次に正面で未だ背を向けているリエリアに向けられた。
何を考えているのか、リエリアは大聖堂と一体化したような静寂を保っている。
年季の入った顔を歪め、国王がおずおずとリエリアへと手を伸ばす。
「――っこ、これは……何かの手違いで……ッリエリア卿……」
しかし、その時。
カーンカーンという、本来であれば祝福の鐘の音となるはずだった大聖堂の大鐘が鳴り響き、国王の声をかき消した。
同時にそれは、ナディウスが来ずに一時間経ったということを示していた。
そうしてようやく、一時間ずっと神と向かい合っていたリエリアが振り返る。
レースベールから透けた長い黒髪がひるがえり、ヴァイオレット色の瞳が無感情に輝く。
「リ……リエリ――」
「もう、わたくしはこの場には不要ですね」
「待て、リエリア卿!? 待ってくれ!」
国王が手を伸ばして引き留める声にすら微塵も反応せず、リエリアはただひとり赤い祝福の道を歩く。泣くことも笑うこともせず好奇と戸惑いの視線の中、リエリアは大聖堂の入り口に立つと、顔だけで振り返った。
「さようなら、皆様」
それだけを言い残し、唖然とした衆人だけを残して大聖堂の扉は閉じられた。
この騒ぎは、その日のうちに王都中の民が知ることとなったのだが、その三日後。さらなる急報が再び王都を騒がせることになった。
『リエリア・シュビラウツが首を吊って死んだ』
結婚式の日、新郎に他の女と駆け落ちされ、結婚式をすっぽかされただけでも充分にゴシップにされていたというのに、さらに彼女が首を吊ったということで、騒ぎは国中の誰しもを巻き込んで加速することとなった。
しかし、驚きの展開はまだまだこれだけでは終わらなかった。
葬式も終わり、リエリアの死から一週間が経った頃。
国一番の広報誌に、シュビラウツ家当主の遺言状が掲載されたのだ。
生前に書かれていたと思われるそれは、貴族だけでなく王家や平民までも巻き込んだ大騒動へと発展することになる。
『わたくし――リエリア・シュビラウツと結婚した者には、シュビラウツ家の全てを譲るものとする』
彼女は、すでに土の下だ。
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