〈四〉狭間の混乱

 銃声は幌馬車の前方からだった。通常よりも高いその特徴的な音はシェイも聞いたことがある。誰かを傷つけることを目的としていない、空へと向かって鳴らされる音――


「警告用の空砲が二回……盗賊だね」


 リタの言葉にシェイは勢い良く身体を起こそうとしたが、うまく力が入らず途中まで持ち上がった上半身は再び床に沈んだ。「無理しちゃ駄目だよ」起き上がろうとして乱れた毛布をリタが掛け直す。「でも……!」シェイが声を上げれば、「大丈夫」とリタは笑った。


「みんなここに私達がいることは知っている。ちゃんと守ってくれるよ」

「だけどイヒカ達は疲れてるんじゃ……!」

「さっき凄い勢いでご飯食べてたよ。問題ないさ、休む時間もなく立て続けに襲われることもあるんだから」


 そう言うリタの手は近くに立てかけてあった小銃を取っていた。それを慣れた手付きで確認し、マフラーを鼻の上まで巻く。そしてシェイを背に隠すように幌馬車の後方にある出口へと寄ると、幌をほんの少しだけ開けて外を見ながら「おや」と小さく呟いた。


「困ったね……場所が悪い」

「え?」

「道が狭いんだ。崖の間みたいになってる。もう少し進んで広いところに出られればいいけど――」


 リタが難しそうな顔で言った時、それまで動いていた幌馬車が止まった。「駄目みたい」苦笑したリタがシェイに目を向ける。


「ごめんね、隠れててくれる? 上から狙われたら厄介だ。私も外に出ないと」

「はいっ! あの、大丈夫なんでしょうか……?」

「大丈夫じゃないと困るな。駄目な時は全員で仲良くあの世行きだからね」

「え……」

「冗談だよ。回復者スタネイドは物好きに高く売れるから、そうと知られたら生け捕りにされるしね」

「そうなんですか!? っていうかそういう問題じゃ……!」


 顔を引き攣らせるシェイに、リタの目元が優しく弧を描く。


「ああ、そうだ。だから念の為口は隠しておいた方がいいよ、回復者スタネイドだって言っているようなものだから」


 呆気に取られたようなシェイにもう一度リタは微笑みかけると、「また後でね」と言って幌馬車から出ていった。


「ッ、だからそうじゃなくて……!」


 やや遅れて発したシェイの言葉は、外から聞こえ始めた戦いの音に掻き消された。



 § § §



 最初の銃声が聞こえる少し前。グレイはグイに乗って隊商キャラバンの先頭を行っていた。移動中は特に襲われることが多いため、この隊商キャラバンでは幌馬車の列を前後から挟むようにして見張りが付くことになっているのだ。


「…………」


 嫌な道だ――前方に現れた崖を見て、グレイは顔を顰めた。小高い丘を抉るようにしてできた道。道幅は隊商キャラバンの幌馬車が通るには十分だったが、その両脇を一〇メートルほどの高さの崖に囲われているのだ。

 遠目に見てもその崖はしばらく続いているのが分かり、グレイは警戒を強めた。全身を覆うマントの下から腰に括り付けた単眼鏡を取り出して、崖の上を覗き見る。……怪しいものはない。


 ふう、と重たそうに溜息を吐いて、グレイは単眼鏡をしまった。代わりに警報用の拳銃を片手に持ちながら、マントの上から背負った小銃のベルトを引っ張り膝の上に回す。


 そうして崖の間の道に入って、二分。道の先がこれまでよりも少し狭くなっていることに気が付いたグレイは目を細めた。

 多少狭くなっているとはいえ幌馬車は通れそうだ。距離はそれなりにありそうで、今の速度なら抜けるまで数分かかるだろう。グイ達を走らせればもっと早く通り抜けられるが、狭い分速度を上げれば幌馬車を壁に打ち付ける危険性が高くなる。

 それに――


「やっぱりいましたか」


 一瞬、崖の上で何かが光ったのをグレイは見逃さなかった。即座に警報用の拳銃を持った右手を高く突き上げ、迷うことなく引き金トリガーを引く。


 二発。


 気付いているぞ――仲間に警戒を促すだけでなく、自分達を襲う者へも向けた音。グレイは敵が引くことを願ったが、はらりと上から降ってきた雪の塊がそれを否定していた。


「全く……」


 進むか、止まるか。一瞬悩んだグレイだったが、すぐに両腕でグイの手綱を引いた。ゆっくりと減速し、そして完全に止まる。後方のグイ達も先頭の個体に続いたのを確認しながら、グレイは拳銃をしまって小銃を構えた。


 直後。


「行け!」


 崖の上から声が響く。出てきた影を即座にグレイが撃ち抜く。しかし崖上の気配は減らず、それどころか一気に数を増して雄叫びを上げながら隊商キャラバンに迫ってきた。


「馬車は狙うなよ!」


 頭上から聞こえてきた声に胸を撫で下ろしながら、グレイは見える敵を銃で撃ち抜いていった。どうやら隊商キャラバンの荷を狙う彼らは、それを守る人間に狙いを絞っているようだ。相手が無鉄砲でないのなら、守る方もやりやすい。


 時間の経過と共に銃声の数が増えていく。近くから聞こえてくるのは隊商キャラバンの仲間達の放つ音だ。


「上からって卑怯じゃね?」


 嫌そうな声でイヒカが言う。真ん中の幌馬車の近くにいる彼の手には布の巻かれた鉄の棒があって、遠方を狙う銃弾から逃れた敵を自分達の元に辿り着く直前で地面に叩きつけていた。


「人のモン横取りしようとする時点で卑怯だろ!」


 先頭の幌馬車から出てきたヒューが豪快に笑う。その手に彼の大きな拳銃が握られているのを見て、グレイはぎょっと目を見開いた。


「ヒュー! その銃は崖に当てないでください! 崩れたら厄介です!」

「ええ!? じゃあどうすんだよ、素手でやれってか!? こんなせめェのに動きづらいだろ!」

「少しは頭を使ってください!」

「頭ってお前ッ……!」

「ぶッ! ヒューってば言われてやんの! ほらほら頭使えよ!」

「うるっせェな、イヒカ! 俺はお前と違ってこの隙間を通るのでさえなァ!」


 ヒューのすぐ近くに敵が迫る。それを彼はイヒカに文句を言いながらも迎えようとしたが、その腕が届く直前で相手の頭が撃ち抜かれた。


「びっ……くりしたァ……誰だコラ、危ねェだろ!」


 ヒューが敵が倒れたのとは逆方向に目を向ける。その先にはトーズともう一人の隊商キャラバンの仲間がいたが、どちらも彼と目を合わせようとしない。


「知らばっくれ――」

「私ですが?」

「え……ああ、そう……」


 幌馬車の向こう側からグイに跨るグレイに冷ややかな目を向けられ、ヒューは顔を引き攣らせた。


「無駄話していないで動いてください。銃も使えないのにただそこに突っ立ってられたんじゃ邪魔でしかありません」

「邪魔ってお前……」

「邪魔です」


 きっぱりと言い切られ、ヒューは諦めたように「……はい」と頷いた。「グレイ怒らせんなよ」近くで戦いを続けるイヒカが呆れたように眉を顰める。ヒューは「好きで怒らせたんじゃねェよ」と返しながら幌馬車にかかっている梯子をよじ登ると、自分でも動けそうな場所を見つけて列の後方に向かった。


「数で押せ! どうせ一〇人かそこらしかいないんだ!」


 盗賊の指示する声が崖の間で反響する。その言葉どおり崖の上からは大勢の男達が休むことなく押し寄せ、イヒカは「多くね!?」と顔を歪めた。


「片付けるしかないよ」

「そうだけどさァ……!」


 近くからのリタの声にイヒカが答えた時、グイのけたたましい悲鳴が轟いた。


「はァ!?」


 怒りを滲ませた目でイヒカが悲鳴の方を見る。と同時に悲鳴に影響されたのか、幌馬車を引くグイ達がその場で暴れ始めた。落ち着いているのは背中に人間を乗せた先頭と最後尾のグイだけだ。

 グイ達が暴れるせいで幌馬車が激しく揺れる。前方へ走り逃げようとするのはどうにか先頭のグレイが止めているようだが、行き場を失った恐怖がグイ達の中に伝搬していく。

 幌馬車を守るようにして戦っていた隊商キャラバンの者達は、自分達の背で巨大な肉体を持つ動物が暴れているのが気になって崖からの敵に集中できなくなっていった。


「イヒカァ!」


 後方からヒューが怒鳴り声を上げる。「分かってる!」イヒカは答えながら幌馬車の上に飛び乗って、グイ達の混乱の中心へと向かった。


「――ッ、撃ちやがったのか!」


 幌の上からその姿を確認したイヒカは顔を歪めた。一頭のグイの後ろ脚から血が流れているのだ。「落ち着け、大丈夫だから!」地面に飛び降りたイヒカが近付くも、混乱したグイは彼の手を拒絶する。それでも暴れる巨体に近付こうとすれば、イヒカの口元を覆っていたマフラーが解けた。


「痛いな。後で手当てしてやるからもう少しだけ待っててくれ」


 どうにかグイにしがみつきながらイヒカが宥め続ければ、やっと怪我をしたグイは落ち着きを取り戻し始めた。一頭が落ち着けば周りも冷静になっていく。真ん中の幌馬車を引いていた四頭のグイが混乱を収めた頃、彼らと繋がる幌の中からドンッと大きな音が響いた。

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