〈六〉与えられた猶予
宿の廊下の窓から外を眺めて、シェイは静かに拳を握り締めた。外には戦闘の名残があったが、それもここ三〇分でかなり元に戻りつつある。盗賊の遺体は村の安置所へと運ばれ、汚れた雪は片付けられた。その作業をするのは大半が
躊躇い傷の手当てで巻かれた包帯が、シェイの首をぎりぎりと締め付ける。息が詰まるような感覚に無意識のうちに手を当てるも、適切な力加減で巻かれた包帯は首の皮の形を変えることすらしていない。
「――お、シェイじゃん」
かけられた声にシェイがびくりと肩を揺らす。ゆっくりと振り返ればそこにはヒューがいた。彼は首を解すように左右に伸ばしながら歩いてきて、「事後処理ホント面倒
「盗賊に襲われたら軍に届け出るんでしたっけ」
「そうそう。電話口で長ったらしく状況説明させられるのよ。昼間の分連絡したばっかだっつーのに、そいつらの仲間だって言っても省略させてくれないどころか余計あれこれ聞かれるしよー」
「連絡しなかったらどうなるんですか?」
「そりゃお前、
死んだような目で言うヒューにシェイは僅かに顔を引き攣らせた。今の彼の発言こそが
ヒューは言葉を失っているシェイに気が付くと、「それが俺らだよ」と苦笑を零した。
「正当防衛っつってもな、やってることはほぼ奴らと変わらない。お上が許可してくれてるかどうか――変な話だよな」
「……殺さないって選択肢はないんですか?」
「勿論ある。だけどヘルグラータや治療薬を奪おうとするのはどの国でも極刑だからな、俺らがやらなくても捕まればどうせ殺される。逃がせば他で被害が出るかもしれないし、動けなくしたところで誰かがそいつの世話をしなけりゃならん。うちみたいな
そう語るヒューが困ったような表情をしているのは声で分かったが、シェイは彼の顔を直視することができなかった。代わりに胸のあたりまで上げた自分の手のひらに視線を落として、「僕はおかしいんでしょうか……」と小さく呟く。
「なんで?」
「
「怖いか」
「……ごめんなさい。みんながいい人だって分かってるんです。なのに怖くて動けなくなる……あんなにたくさん人が簡単に死んでいって……」
震える声でシェイが言えば、頭の上に大きな手が置かれた。「これは怖いか?」優しく聞いてくるヒューに、シェイはふるふると首を振る。
「ヒューさん達が怖いわけじゃない……と思います。ただ、あの光景が……」
「そうか」
ヒューの声は淡々としていた。だが冷たいわけではない。責めるのではなく、慰めるのではなく、ただ相手の気持ちを聞いている――その声の向こう側にある気遣いを感じ取って、シェイは自分の胸が苦しくなるのを感じた。焦りにも似たその感情にシェイの顔が歪む。なんで自分はと、やるせなさがその口を動かす。
「みんながやってるのは自分や周りの人の命を守るためのもの……だからこんなこと思っちゃいけないって分かってるんです。だけど……いくらそう言い聞かせても、いざ目の前にしたら動けなくなる……さっきだってせめて隠れなきゃいけなかったのに、僕はそれすらできなくて……っ……役立たずどころか足手まといでしかない……!」
ぽろぽろとシェイの頬を涙が伝う。頭の上にあったはずのヒューの手はいつの間にか小さな背まで下りてきていて、落ち着かせるようにゆっくりとしたリズムで震えるシェイを優しく叩いていた。
「思っちゃいけないなんてことはねェよ」
ヒューが静かにシェイに語りかける。
「怖いモンは怖い、それでいいじゃねェか。人間の感情なんて理屈でどうにかなるものでもないんだ、無理に押し込めることはねェよ。大体、シェイのその感覚の方が多分普通だしな」
「でも……! それでみんなに迷惑を……!」
咄嗟にシェイは顔を上げたが、ヒューと目が合うことはなかった。ほんの少しだけ細められた相手の目は自分の首に向けられていて、それに気付いたシェイはうっと顔を強張らせた。
「だから死のうとしたのか」
相変わらず落ち着いた声に、シェイはまた胸が締め付けられるのを感じた。
「だって、どっちにしろ同じだから……最期の場所を見つけるために乗せてもらってるのに、そのせいで迷惑をかけるなら……早く死んだ方が……」
言い訳がましく聞こえてしまう自分の声から逃げるように、シェイは乱暴に涙を拭った。そうして新たなそれが出ないよう目元に力を入れて、ヒューの目を真っ直ぐに見つめる。
「……僕、この村に残ります。ここで降りればこれ以上みなさんの邪魔にはならない」
シェイの方を見ていたヒューの顔が、ゆっくりと窓の外へと向けられる。彼は何かを思い出すように顎髭に手をやって、「イヒカの手よォ、」と口を開いた。
「全然深くはなかったんだけどな、縫ったから二、三日は重い物持っちゃ駄目らしいのよ」
「…………」
責められているように感じて、シェイは顔を俯かせた。胸がまた苦しくなる。自分のせいで――眉間に皺を寄せながら、下唇に歯を立てた。
「普段に比べれば大したことない怪我なんだけどよ、あいつ馬鹿だからすーぐ忘れていつもどおり使おうとすると思うんだよな。そうなりゃ傷の治りも遅くなるし、あいつの手がうまく使えないとその間武器のメンテする奴が減っちまう。他の奴でもできないことはねェけど、あいつめちゃくちゃ仕事
「ごめんなさい……僕のせいで……」
「そう、お前さんのせいだ」
「ッ……」
はっきりと言われた言葉に、シェイの顔がくしゃりと歪んだ。止めたはずの涙が再び滲む。
そんな彼の背をポンッと少しだけ強く叩いて、「だから責任取ってくれよ」とヒューが言う。言葉の内容とは裏腹に明るい声音にシェイが思わず顔を上げれば、優しく自分を見ている相手と目が合った。
「シェイさ、イヒカのこと見張っててくれねェ? あいつが無茶しそうになったら止める――言うは簡単だがやるのはだるいぞ。何せあいつは馬鹿は馬鹿でも体力馬鹿だ、作業に集中でもしてない限り大人しくしておくっつーのが大の苦手」
「えっと……?」
言われていることが理解できずシェイが首を傾げるも、ヒューは困ったように眉尻を下げるだけだった。
「なァ、頼むよ。みんな嫌がる仕事なんだ。イヒカを大人しくさせる必要がなくなるまででいい。その時にお前さんが住みたい場所が近くになけりゃ、知り合いの
「でも……」
「イヒカのお守り係をやってくれるっつーならみんな歓迎してくれるよ。それとも報酬が足りないか? だったら飯と寝るトコの他にも小遣い程度なら――」
「ッ、そんなのもらえません!」
ヒューの提案に慌ててシェイが声を上げる。するとヒューはニッと口角を上げた。
「お、労働条件はオッケー? ってことは決まりだな、シェイはイヒカのお守りに任命」
「えっ……いや、
混乱するシェイの肩をヒューが掴む。そのまま小さい体を窓の方へと向けて、「見ろ」と外を指差した。
「ほらシェイ、初仕事だ。あそこでジルと喧嘩しそうになってるイヒカを止めてこい!」
「えっ……ええ!?」
窓に向けられていた体が、今度は宿の出口の方へ。抵抗しようにもヒューの力には全く敵いそうもなく、シェイは事情がよく飲み込めないまま宿の外へと押されていった。
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