〈五〉透ける心

 悲鳴は逗留所の方、村の入口にあたる方角からしていた。一度ではなく何度も響くのは、声の主が一人ではないからだろうか――事情は全く分からないものの、シェイは咄嗟に駆け出していた。時々歩くように速度を落として息を落ち着けて、焦れるように悲鳴のする方を睨みながら進んでいく。


 近付くごとに音は大きく、はっきりしていった。悲鳴だと思っていたものには雄叫びや金属同士がぶつかり合う音も混ざっていたのだと、シェイが気付いたのはその鼻が硝煙の匂いを嗅ぎ取ったのとほぼ同時だった。


「一体何が……!」


 身体が震えたのは寒さのせいではないだろう。びくりと何度も肩が揺れる。そのたびにシェイの顔は強張っていって、一目で恐怖しているのだと判断できるほどになっていた。


「――村の連中避難させろ!」


 遠くからヒューの声が響く。


「狙いは俺らだ! 昼間の賊が追いかけてきやがった!」


 短く切られた言葉が冷たい空気を伝う。既に外に出て応戦していた者達のうち何人かが村の方へと散っていく。残ったのはヒューとイヒカ、それからジル。他にもいるのかもしれないが、シェイが確認できたのはその三人だけだ。


「あ……」


 初めて直視したその光景に、シェイの足が竦んだ。

 ヒューが轟音と共に右手に持った拳銃で盗賊の体を撃ち抜いていく。彼の手の中でも大きいと分かるその銃は威力もそれに見合うものがあるのか、銃口の向けられた先にあった肉体は大きく抉れ血しぶきを上げた。

 敵の中を縦横無尽にイヒカが走り回ると、彼の通った場所から鈍い音が響いた。イヒカの手にある鉄の棒が相手を殴りつける音だ。そう大きくない体つきのはずなのに、頭を殴られた者達が勢い良く地面に叩き付けられていく。

 そしてヒューやイヒカよりもシェイに近い位置では、ジルが剣を振るっていた。流麗な剣技は美しく、それだけ見ていれば剣舞か何かと身間違えてしまうような美しさがある。けれど彼の周りを舞うのは赤い液体。ジルが動くたびに流線型を描くそれは、真っ白な雪を着実に染めていった。


「ッ――おぇッ……!」


 胃からこみ上げた熱にマフラーを外せば、夕食で見たようなものがシェイの足元を汚した。生理的に出た涙が彼の頬を濡らす。その頬を拭うシェイの目は悔しそうに細められていた。


「なんで……!」


 ギリ、と奥歯を噛み締める。震える手を睨みつける。未だに熱を持ち続ける腹を抱えるように押さえつけ、ふるふると首を横に振る。


「シェイ! どこかにいるなら隠れてろ!」

「ッ……!!」


 遠くから聞こえたイヒカの声に、シェイの顔には一層歪な力が入った。


「くそッ……!」


 決意したように足を動かす。竦んだそれは数歩進んだものの、すぐに絡んでシェイの体は雪の上に投げ出された。


「動け……動けよぉ……!」


 シェイの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。言うことを聞かない自分の身体。四肢は震え、立ち上がることすら阻んでくる。

 どんなに力を入れても顔を雪から離すのがやっと。あまりの情けなさに大粒の涙が零れ落ちた時、雪を踏み締める音がシェイの耳に届いた。


「ッ!?」


 シェイが顔を上げた先にいたのは見知らぬ男だった。けれど村人ではない。武装し、拳銃を彼に向ける者はこの村にはいない。


「奴らの仲間か? 震えてるなぁ……それに――お前病気だろ」


 ニヤリと男の目元が歪む。彼の人差し指に力が込められる。直後。


 ガウンッ……――銃声が空気を突き刺し、銃口から硝煙が広がった。


「ぐッ……」


 シェイの顔を覆い隠すように雪が舞う。その隙間から覗く泣き腫らした目は、銃を構えた男の胸に向けられていた。


「…………!!」


 理解した状況に、シェイの目が大きく見開かれる。

 先程呻き声を上げたのは銃を撃った男の方だった。彼にそうさせたのは、後ろから胸を貫く鈍色の剣。


「こんなところで何してる」

「ジ、ジルさん……」


 グチャ、と音を立ててジルが腕を動かせば、胸を突き刺す支えを失った男はその場に崩れ落ちた。「ッ……!」男を避けるようにシェイがうつ伏せのまま身体をずらす。同時に視界に入ったのは穴の穿たれた雪。元いた位置の、目と鼻の先。


 少しでもずれていれば――目の前の現実にシェイの全身が一気に粟立つ。しかし一方でもう終わったのだという安堵が、シェイの強張った身体から緩やかに力を引き取っていった。


「シェイ!」

「イヒカ……!」


 シェイが呆然としていると、遠くにいたはずのイヒカが駈けてきた。この村に着いてからずっと隠されていない顔には焦りが浮かんでいる。イヒカはあっという間にシェイの元までやって来ると、倒れている彼に怪我がないことを確認してほっとしたように肩の力を抜いた。


「こっちはあらかた終わった。そっちは?」


 気を取り直すように棒を肩に抱え直しながら、イヒカがジルに尋ねる。


「これが最後だ」

「なら後は周り見てくるだけか。シェイ、立てるか? 宿の中は安全だからそっちに行こう」


 伸ばされた手を取って、シェイはどうにか立ち上がった。普段は分厚い手袋に覆われているイヒカの手には何も付けられていない。通常ならかじかんでいるであろう露出した指先は、寒さなど全く関係ないかのように力強くシェイの手を掴んでいる。


 そんな二人の様子を見ていたジルは目を細めて、「一人で立てもしないのか」と嫌そうに零した。


「ぁ……」

「おいジル、そういうこと言うなよ。シェイは慣れてないんだぞ」


 ジルの言葉で俯いていたシェイは、イヒカに庇われると更にその顔を下へと向けた。


「だから何だ。戦えないのに隠れることもできない。ただ邪魔なだけだ」

「おい!」


 掴みかかろうとするイヒカを避けて、ジルが一歩シェイに近付く。その気配に気付いたシェイがおずおずと窺うように顔を上げれば、ジルは腰から取り出したナイフをシェイに差し出した。


「あの……?」


 不思議そうな顔でシェイがジルを見上げる。相手が刃部分を持っているため恐怖は感じない。「受け取れ」表情一つ変えないジルに強く言われて、シェイは思わずそれを手に取った。


「どうせ死に場所を探してるんだろ? なら今ここで死ね。生きる気がない奴を守るのは御免だ。そんな奴のためになんで俺達が命を張らなきゃならない」

「ッ……」

「ジル!」


 顔を強張らせたシェイを庇うようにイヒカがジルを睨む。ゆっくりと視線をシェイから移したジルは冷たい目でイヒカを見て、「ならお前がやれ」と淡々と告げた。


「文句があるならお前が殺せ、イヒカ。お前が持ち込んだ面倒事だ」

「面倒事って……!」

「いい、イヒカ!」


 一触即発といった空気に、シェイが慌てて声を上げる。「いいって、お前……」イヒカが物言いたげに自分を見ているのを感じながら、シェイは手に持ったナイフを見つめた。


 光沢があるわけではないが、傷や汚れは見当たらない。素人目にも曇っているように見えないのはそれだけ手入れがされているからだろう。刃にも刃こぼれはなく、試しに分厚い手袋の端に弱く当てて引けば浅い傷ができた。

 緩んだマフラーを引き剥がし、両手で柄を持つように右手を上から左手で覆う。刃を外気に触れた首筋に当てれば、更にひんやりとした感触がシェイの全身に鳥肌を立たせた。

「シェイ、やめろ!」制止しようとするイヒカの前にジルが手を伸ばす。「本人の意思だろ」冷たく言うジルをイヒカが強く睨みつけるのを見ながら、シェイはナイフを握る手に力を込めた。


「ッ……」


 細く赤い線が、シェイの首筋に走る。悔しげに顔を歪ませたシェイがもう一度ナイフを当て直すも、今度は一滴血が流れただけ。

 震えるように深呼吸をしながら、何度も何度もシェイは自分の首を切ろうとした。けれどいたずらに躊躇い傷が増えていくだけで、本来の目的は果たせない。


「もういい! もういいから……!」


 耐えられないと言わんばかりにイヒカが悲痛のような声を上げる。だがその声は、シェイの耳にはどこか遠くのことのように聞こえた。


「止めるな、イヒカ。お前の勝手でこいつを生かすのか?」

「なんでそういう話になるんだよ! 病気だからって自分から死ぬのはおかしいだろ!? それともそう思うのが変なのか!?」


 向かい合うイヒカとジルを見て、シェイはくしゃくしゃに顔を歪めた。右手を押さえる左手の力が緩む。するとカタカタと右手は震え出し、それが余計にシェイの顔に歪な力を入れる。

 けれどそれは、イヒカ達の視界には入らない。


「変だろ、お前のそれはただの押しつけだ。薬を買えないこいつは生きられない。なら今死んだって同じだ」

「まだ分からないじゃねェか! もしかしたら薬は手に入るかも……!」

「『もしかしたら』だろ、お前が与えられるわけじゃない。こいつの生き死にはお前の持てる責任の範疇外なんだよ。それを思いつきの言葉で無駄に期待持たせて楽しいか? 期待した分落胆するのはお前じゃない、こいつだ。お前の自己満足のために周りを巻き込むな」

「ッ、てめェ!」

「――やめて! ちゃんと死ぬから!」


 シェイが声を張り上げる。その勢いのまま両手に持ったナイフを大きく突き上げる。

 自分を見つめる切っ先にシェイが恐れをなしたのは一瞬だけ。恐怖に強張っていた顔は、自棄を起こしたかのように鋭く刃を睨みつけている。そしてぎゅっと強く目を瞑って、シェイは自分の腕を力いっぱい首へと引き寄せた。


 ドッ……――これまでとは明らかに違う感触がシェイの手に伝わった。鋭く、しかし鈍く、何かを切り裂くような感覚。痛みはない。それなのに動かない。


 不思議に思ったシェイが目を開けると、そこにあったのはイヒカの手だった。肌からつうと血が伝って、ぽたぽたと赤い雫となってシェイの足元を汚す。

 雫は不思議と周りの雪には溶けなかった。落ちる前に凍っているのだとシェイは気付いたが、口から出るのは呻くような、言葉にならない声だけ。目の前の事象を疑問に思う余裕すらなく、ただただそこに血が落ちていっているのだという事実だけがシェイの胸を苛んで、言葉を発することすら許してくれない。


「やっぱおかしいだろ……!」


 イヒカの耐えるような声に、シェイははっと我を取り戻した。


「イヒカ……」


 その名前を口にした瞬間、シェイの顔から力が抜けた。ほっとしているとも取れる表情だ。それを一瞥したジルは自分を睨むイヒカを感情のない目で見返すと、「好きにしろ」と低い声で吐き捨てた。


「俺はもう知らないからな」


 ジルが背を向けて宿の方へと歩き出す。「分かってるよ」小さく呟くイヒカの声を聞きながら、シェイは二人の姿を見ていることしかできなかった。

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