〈四〉終わりの場所

 サウナから戻ったシェイ達を待っていたのは豪華な夕食だった。宿に備え付けの食堂では次々に料理が出され、テーブルの上をあっという間に埋め尽くしていく。食堂の席の関係で隊商キャラバンの面々は二つのテーブルに分かれているのに、それでも所狭しと置かれた料理にシェイは目を丸くした。


「こんなにたくさん?」


 シェイが驚いたように言うと、同じテーブルを囲っていたイヒカは「普通じゃね?」と首を傾げ、ヒューは「そういやシェイはまだ野営しか知らなかったか」と豪快に笑った。


「野営の時はみんな狭い幌馬車の中で食べるからな、極力皿一枚でやりくりするんだよ。おかわりは自由だけど、全員でどれだけ食ってるかだなんて分からねェもんなァ」

「いつもこんなに食べてたんですか?」

「そりゃ体力仕事だからな。寒けりゃ腹も減るし、イヒカやジルみたいな十代はよく食うだろ? お前さんも育ち盛りなんだから腹いっぱい食え。雑用してくれてンだから変な気は遣うなよ」


 ヒューの言葉にシェイは頷いたものの、彼が視線を料理に戻した時にはもう皿の上にはかなりの隙間ができていた。「え!?」思わず声を上げれば「早い者勝ちだぞ」とイヒカが笑う。それを聞いたシェイは慌てて目の前の皿から自分の分の確保を始めた。


「しっかし安心して食べれるのはいいな! 普段は誰かが最初の一口食べるの見ないと食べれねェもん!」


 どんどん口に料理を運びながらイヒカが嬉しそうに言う。「イヒカ……!」慌てて左隣を見ながらその名を呼んだシェイは、ちらりと窺うように向かい側に座るジルの方を見た。


「……なんだ」

「えっ、いや、」

「シェイを睨むなよ、ジル。お前のメシが時々すげェ不味いって話してるだけだろ」

「イヒカ、そんなはっきり言ったら……!」

「いいんだよ、ジルだって自覚してるし。なァ?」


 イヒカの言葉にジルがムッと眉間に皺を寄せる。少し長い前髪の隙間から、不機嫌そうな瞳がイヒカを睨みつけた。


「作れない奴が文句を言うな」

「お前の失敗作全部食ってるのはオレだぞ」

「捨てればいいだろ、人間の食い物の味じゃないんだから」

「うっわ、お前そこまで自覚してたの!? じゃァなんでしょっちゅうあんなクソ不味いの生み出せるんだよ!?」


 信じられないと言わんばかりにイヒカが顔を歪める。それを涼しい顔で一瞥したジルは「さあ?」と言うと、自分の食事を再開した。


「『さあ?』じゃねェよこの劇物製造機! 他の奴誰も食べれないから気を付けろって言ってんの!」

「お前も文句があるなら食べなければいいだろ」

「だから! それが勿体ないって言ってんだよこのボンボンが!!」


 再び喧嘩を始めてしまったイヒカとジルに苦笑いしながら、シェイは「食べないと駄目なんですか?」とヒューに問いかけた。


「ん? 勿体ねェけどそんな毎回無理して食べなくてもいいんじゃないか? たまに本気で毒の時もあるしな。ま、俺らは美味い方のメシの取り分が増えるからどうぞ食っててくれって感じだけど」

「確かに……」

「つーかどうせ全部食うなら味見もシェイじゃなくて自分でやればいいのにな。毒味係だっけ? イヒカになすり付けられたんだろ?」

「なすり付け……そうですね」


 はは、と乾いた笑みを浮かべたシェイはそっとイヒカを見やった。

 隊商キャラバンへの同行が決まった時にイヒカからやれと言われた毒味仕事。最初は何事かと身構えたが、実際にやらされたのはジルの料理の味見だった。

 ジルの料理が店で出されるもののように美味しいと感動したのは最初だけ。その中に時折同じような見た目でとんでもない味のものが混ざっていることがあると知ってからは、シェイは食事のたびに嫌な緊張感を味わうことになった。隊商キャラバンの者達はシェイの反応を見て食べる物を選び、ハズレの料理には手を付けない。

 ならばそのハズレの料理は捨てられるのかと思いきや、毎回イヒカが文句を言いながらも鍋ごと抱えて平らげていた。目に涙を浮かべ、大量の水で無理矢理流し込む姿は明らかに無理をしているのに、それでもイヒカは食材が勿体ないと言って食べきるのだ。

 つまりシェイのやっている毒味はそこまで意味がない。他の者達にとっては違うが、イヒカにとってはただの心の準備にしかならないのだ。

 どうせイヒカが食べるのであれば自分がやる必要はないのではないか――シェイは薄々感じていたが、一人でジルの失敗作を処理するイヒカを見ているとなかなか言い出せずにいた。


「大体なんでお前時々薬入れちまってんの!? 瓶も大して似てないだろ!?」

「俺が知るか」

「お前しか知らないんだよ!!」


 未だ喧嘩を続ける二人を見ながら、シェイはふっと顔を綻ばせた。


「――隊商キャラバンの人達は元気だねぇ。しかも本当によく食べる。村の人間はジジババばっかだからみんな食が細くって」


 元気な声と共に、中年の女性が追加の料理を運んできた。「出す側もやりがいがあるよ」嬉しそうに言う彼女にシェイが咄嗟に口を隠そうとすると、相手は「気にしないの」と笑った。


「氷の病の子ってあんたでしょ? まだまだ移りゃしないんだから普通にしてなさいな。温かいものは足りてる? スープか飲み物ならすぐ出せるよ」

「え……えっと……」

「おばちゃん、オレ冷たい炭酸欲しい! キンキンに冷えたやつ!」


 戸惑うシェイの隣から、喧嘩を終えたらしいイヒカが身を乗り出す。


「冷たいの欲しがるってことは、あんた回復者スタネイドかい? 暑いんだったら外走っといで!」


 言葉は乱暴だが、女性の顔には満面の笑みが浮かんでいた。


「扱い雑じゃね? なんでシェイは良くてオレは駄目なんだよ!」

「妖精は元気でしょうが! この子は病人なのよ、優しくして当然!」

「えー!」


 イヒカが不満げな声を上げると、「冗談よ。ちょっと待ってな」と言って女性は厨房へと戻っていった。


「おーおーイヒカ、冷たくされて可哀想になァ。俺が添い寝してやろうか?」


 最後のやり取りが聞こえてなかったのか、テーブルの反対側からヒューがニヤニヤとイヒカに笑いかける。「もう酔っ払ってんのかよ」顔を顰めたイヒカはヒューを見ると、「てゆーか最近お前添い寝したがりすぎ」と心底嫌だと言わんばかりの表情で吐き捨てた。


「いいだろ別に。昔はよく隣でひっついて寝てたんだし」

「いつの話してんだよ! そんな昔の話なんて持ち出すな!」

「たかが五年だろ? お前からしたら大昔でも俺にとっちゃァついこないだなんだよ!」


 イヒカとヒューが睨み合う。イヒカは本気で嫌そうな顔をしているが、ヒューは相変わらず楽しそうに頬を緩ませていた。

 二人の様子を見ながらシェイが誰かに助けを求めようとするも、周りは何も気にせず食事や談笑を続けている。どうしよう、とシェイが思っていると、不意にリタと目が合った。

「まかせて」口の動きだけでリタが言う。そうしてヒューの方へと顔を向けた彼は、「ねえ、ヒュー」と口を開いた。


「私が添い寝してあげようか」

「いいえいりません、俺は一人で寝ます」


 隣に座るリタが妖艶に笑えば、ヒューは顔を青ざめさせ姿勢を正した。不思議な光景にシェイが首を傾げると、彼の右隣に座っているグレイが「ああ言うとヒューは大人しくなるんですよ」と耳打ちするように告げた。


「一緒にサウナに行ったなら、リタが男なのは知っているでしょう? ヒューは昔彼のことを女性だと思って本気で口説いてしまったらしいですよ」

「あ、襲ってトラウマになった人って……」

「なんでシェイが知ってんだよ!? 無闇に言うなって言っただろリタ!!」


 小声のやり取りが聞こえたのか、ヒューが怒鳴り声を上げる。怒られたリタは表情一つ変えず、「名前は伏せたんだけどね」と食事を続けた。


「あと詳しくも言ってないよ。シェイはまだ子供だし」


「ね?」と自分に向けて首を傾げてきたリタに、シェイは若干顔を赤らめながら首をぶんぶんと縦に振った。慌てて頬をパンッと叩き、気を紛らわそうと試みる。

 そうしてシェイが自分の頬の熱さを誤魔化していると、イヒカが「いきなりキスしたんだっけ?」とリタに尋ねる声が聞こえてきた。


「そうそう、しかも深いやつ」

「言うなよ思い出させんなよ! 男とキスしたとか思い出すだけでも嫌なんだよ俺は!! しかも噛み千切られかけたし……」


 ヒューがテーブルに項垂れる。リタはそんな彼の肩に手を置いて、「正当防衛だよ」と笑いかけた。


「それにそんな汚点みたく言わなくてもいいじゃないか。私はもう気にしていないし、あんなに熱烈な告白だってしてくれたのに。なんだっけ、『何があっても俺がお前を守る』とかなんとか……ふふ」

「あーあーあー!!」


 耳を塞いで大声を上げるヒューを見るリタは意地悪く笑っていた。珍しい彼の表情にシェイが呆気に取られていると、グレイが「自業自得ですよ」と溜息を吐いた。


「大体、身内で手なんて出すから悪いんでしょう。そういうのはどこでも後から面倒なことになるって決まっているのに」


 冷静なグレイの言葉を聞いたヒューは耳を塞いでいた手をどけると、「ああん?」と機嫌悪そうに彼を睨みつけた。


「そういうお前はどうなんだよ。グレイの浮いた話なんて聞いたことねェぞ」

「私は仕事一筋ですから」

「どうなの、ジル。本当か?」


 ヒューに確認を求められたジルが、リタの向こう側で顔を顰める。


「俺が知るか」


 それだけ言って食事を再開してしまったジルに、「手厳しいですね」とグレイは苦笑いを浮かべた。



 § § §



 夕食後、シェイは一人で村の中を歩いていた。その前にサウナで温まった身体はもうすっかりと冷え切り、歩いていても僅かに口元から白い息が出るだけだ。

 のどかな村は道なりに行灯の柔らかな光で照らされていた。見慣れないそれに最初こそシェイは足を止めたものの、今ではゆらゆらと揺らめく光の中を穏やかな表情で進んでいる。


 ヒューが言っていたとおり、村の人々は氷の女神症候群スカジシンドロームであるシェイにも友好的だった。無闇に恐れず、かと言って腫れ物に触るようにするわけでもなく、ただの風邪を引いた時と同じくらいの気遣いがシェイにはとても心地良く感じた。


「ここなら……」


 揺らめく小さな火を見つめながら、吐息のような声で呟く。行灯の中で風から守られているそれは、やがて燃料である蝋が尽きれば静かに消えていくのだろう。誰にも気付かれることなく、ひっそりと。


「僕も、誰も巻き込まずに……」


 シェイが自分の両手に視線を落とした時、聞き覚えのある悲鳴のような声が、彼の鼓膜を乱暴に貫いた。

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