〈三〉優しさの孤独
シェイは個室のベットにちょこんと腰掛けていた。
とはいえ二台のベッドと椅子が置かれただけの部屋では何もすることがない。これはヒューの言うとおり村を見てきた方がいいだろうかと考え始めていた時、個室のドアが勢い良く開いた。
「シェイ! サウナあるって!」
現れたのは同室のイヒカだ。「サウナ?」と聞き返すシェイにイヒカは嬉しそうに頷いてみせた。
「そう、サウナ! しかも結構立派なやつ! オレは入れないからリタとでも行ってこいよ」
「え!? だってリタさんは……」
「別にいいだろ? アイツああ見えてサウナ大好きだからきっと付き合ってくれるよ。お前も寒いの誤魔化せるしさ」
「でも……」
渋ってるシェイに目もくれず、ドアの近くに立ったままだったイヒカは何かを探すように廊下へと身を乗り出した。「お!」少しして響いたのは目的のものを見つけたような声。その声にシェイはイヒカを止めようとしたが、間に合うことはなかった。
「おいリタ! シェイがサウナ連れてってくれって!」
「ちょ、イヒカ!」
イヒカが廊下の奥に向かって大声を張り上げてから、数秒。体勢を元に戻す彼と共に、薄い金色の髪を後ろに括ったリタが微笑みながら顔を覗かせた。
「いいよ、行こうか。支度しておいで」
シェイは頬を赤らめたが、諦めたように「……はい」と準備を始めた。
§ § §
宿の外にある道を、シェイとリタが歩いていく。二人共しっかりと顔までを覆い隠し、寒さと氷の毒から身を守っていた。
彼らの向かう先には一軒の建物があって、「あれらしいよ」というリタの声にシェイは目を丸くした。
「思ったより大きいんですね」
「大人数で入れるようにしているみたい。でも今は私達以外に宿泊客はいないから貸し切りだね」
防寒着の合間から覗く楽しそうな目に、シェイは自分の頬が紅潮するのを感じた。胸のあたりに手を当てて、リタに聞こえないよう深呼吸を繰り返す。そうこうしている間にも二人は件の建物のすぐ前まで辿り着いていて、シェイが心の準備をする間もなくリタがそのドアを開けた。
「……廊下?」
外側のドアを開けると、すぐ右側にまたドアがあった。それ自体はこの地方ではよくある造りだ。外から冷気を入れないように、そして内側の暖かい空気が外に逃げないように、外と繋がる窓やドアは大抵二重になっている。
だからシェイが驚いたのはドアが二重になっていたことではなく、内側のドアの先が予想外のものだったことに対してだった。そこは細く長い廊下になっていて、シェイも初めて見る構造だったのだ。それでも素早くその廊下へと身を滑り込ませたのは、屋内に外気を入れないようにする習慣のため。しかし一方で彼の口からは無意識のうちに疑問が出てしまっていた。
「こういうサウナは初めて?」
「はい。いつも家の中のを使っていたので」
「なら驚くのも無理はないか。ここら辺だと外にあるサウナはね、こうやって外側を廊下で囲んで中が冷やされるのを防いでいるんだよ。それにこの廊下を歩いているうちに服に付いた毒も解ける」
リタの言葉どおり、長い廊下は建物を覆うように続いていた。明かりが少ないせいで薄暗さを感じるそこは進むごとに気温が上がっていって、ちょうど入り口の反対側あたりでその温度が一気に上がった。「この向こうがサウナだね」リタの言葉にこれはその熱なのかと納得しながらシェイが歩いていくと、入ってから三回左に曲がったところでようやっと建物の内側に着いた。
「わ、あったかい」
「三五度だって。これなら脱いでも安心だね」
リタはドアを閉めながら、その隣にあった温度計をシェイに示す。シェイも安心したように頷いたが、リタの言葉を思い返して再び顔を赤く染めた。
「こっちは七〇度。十分だ」
建物の中は二つの部屋に分かれており、奥のドアを覗きながらリタが嬉しそうに笑った。暑そうにしながら帽子とマフラーを外し、脱衣所となっている手前の部屋の棚にそれらをしまう。
「さ、早く入ろうか。あんまりのんびりしていたら夕食に遅れちゃう」
リタは分厚いコートを脱いで、その下に何枚も重ねて着ていた衣服もどんどん脱いでいった。その様子を見ていたシェイははっとしたように目を見開いて、「ちょっと待ってください!」と言いながら顔を背けた。
「ぼ、僕あっち向いてるんで!」
「なんで?」
「なんでって、見られたら嫌でしょう? いくら僕が子供でも十四だし……隠すまで待ってるので……!」
シェイの慌てたような声に首を傾げたリタだったが、すぐに「ああ!」と納得したように声を上げた。
「分かった分かった、ちょっと待ってね。……うん、これで大丈夫。もう見ていいよ」
その言葉にシェイは恐る恐る顔をリタの方へと向ける。だが目は閉じたままだ。
「開けていいのに」
リタが笑えば、シェイは意を決したように目を開いた。
「ッ、わ!?」
視界に入ったのは肌色。それも想定よりもかなり面積があり、シェイは慌てて手で目を覆った。なんで隠していないんだ――浮かんだ疑問と、僅かな違和感。それらを確認しようとそろりと指の隙間からもう一度見てみれば、シェイの口は驚愕したようにあんぐりと開いた。
「……お、」
「お?」
「男の人……?」
「そうだよ。言ってなかったっけ?」
その答えを聞いてシェイは気が抜けたように手を下ろした。目の前にいるリタの顔は女性のように美しいのに、衣服の取り去られた上半身は完全に男性のものだったのだ。
「しかも結構がっしりしてる……」
「力仕事だからね。鍛えるつもりがなくてもそれなりに筋肉は付くんだよ」
その肉体に見慣れてくると、シェイはリタの顔までも男性のように見えてきて思わず額を押さえた。リタの顔立ちは確かに美人だが、こうして見てみると十分に中性的と表現できる。服装だって確かに男のものだ。「思い込みって怖い……」小さく呟いたシェイはもう一度リタの方を見て、「本当に男の人なんですよね……?」とためらいがちに問いかけた。
「うん。下も見る?」
「え!? いや、わざわざそこまでしなくても……!」
「そう? まあどうせ脱ぐんだけどね。裸の付き合いってやつだ」
楽しそうにリタが笑みを浮かべる。それをシェイがじっとりとした目で見ていると、「早くシェイも脱ぎなよ」と急かされ、シェイは慌てて衣服を脱ぎ始めた。
「――よく間違われますか?」
服を脱ぎながらシェイが尋ねる。
「うん。勘違いした男の人に襲われたこともあるよ」
「襲ッ……!?」
「と言っても途中で私が男だって気付いてやめてくれたけどね。女好きの人だったからトラウマになったみたい」
長い髪を高い位置で結び直しながらおかしそうに笑うリタを見て、シェイは「僕も間違えてごめんなさい」と頭を下げた。
「気にしないでいいよ、私もちょっと楽しんでるんだ。女性の振りをすることはないけど、わざと自分からは言わないようにしてるしね。すぐに気付いたのはイヒカくらいだよ。他のみんなは全員シェイみたいにいい反応をしてくれたんだ」
「うッ……」
先程のことを思い出してシェイは顔を顰めた。気を紛らわすように残りの衣服も脱いで、「行きましょうか……」とリタを促す。
「ふふ、サウナ久しぶりだなぁ」
機嫌良さそうに言うリタはイヒカの言っていたとおりサウナ好きなのだろう。シェイはその声に救われるのを感じながら、脱衣所から続くドアを開いた。
「うわ……!」
途端、ムワッとした熱気がシェイの全身を包み込む。既に汗なのか蒸気なのか分からない水滴が肌に付いているのを感じながら、階段のようになっている椅子に二人並んで腰掛けた。
「いやぁ、これだよこれ。この後に冷たいお酒なんて飲んだら最高だ」
「本当に好きなんですね、サウナ」
「ああ、好きだよ。シェイも少しは温まるんじゃない?」
問われて、シェイは自分の胸に手を当てた。
「そうですね……でも、不思議な感じです。体の外側は温かいのに、内側はずっと冷たくて、寒くて……温かいものを飲んでも、すぐにまた冷えちゃって……」
「せめて症状を和らげる薬があればいいんだけどね」
目を細めて自分を見てきたリタに、シェイは「どうでしょう」と小さく呟いた。
「治ると分かっている人だったら欲しいかもしれません。だけどそうじゃないなら、この症状がなくなると、自分が死ぬ時に人に迷惑をかけてしまう存在だって忘れてしまうかもしれない……」
そう言って俯いたシェイに、リタが「シェイは責任感が強いね」と声をかける。「……そうでしょうか」居心地悪そうにシェイが答えれば、「うん、強いよ」とはっきりと返された。
「自分が苦しいのに周りに気遣える人は、普段からそうしている人だ。だからいざという時に自分を優先できない」
「え……」
シェイの表情が固まる。だがそんな彼を一瞥したリタの顔はいつもと変わらず、それが余計にシェイを混乱させた。
「大抵の人は余裕がなくなると自分のこと以外は考えられなくなる。だけどたまに自分のことは二の次で、ずっと他人のことを考え続ける人もいる。と言ってもそういう人は圧倒的に少数派だ。その人のことは、一体誰が考えてくれるんだろうね」
そう言ってリタは僅かに目を伏せた。色素の薄い長い睫毛が、同じく白に近い瞳の上半分に影を落とす。明かりが少ないせいで大きく広がった瞳孔が、まるで自分を飲み込もうとしているかのような錯覚をシェイに与え、言葉を奪った。
「私は逆でね、常に自分のことしか考えられない。他人を優先すべき場面でそうすることができない自分に気持ち悪さを感じても、結局は自分の欲求を優先してしまうんだ。私みたいな人間は、よく身勝手だとか自分本位だとか言われるんだよ。だけどそんな私から言わせると、他人のことしか考えられない人間もまた身勝手だ。周りのことが大切だと言いながら、その周りが自分を想う気持ちは
シェイはきゅっと両手を握り締めた。湿気のせいで指が滑る。温められているはずなのに、体の内側から広がる冷たさのせいか、握った手はひんやりとしていた。
「……リタさんは、僕の行動が気に入りませんか」
意を決したようにシェイが問う。それを聞いたリタは彼の方を向いて、ふわりと微笑んだ。
「言っただろう? 私は自分のことしか考えられないんだ。君の行動にいちいち何か思っていられないよ」
そう言って肩を竦めたリタは、「でもね、」と言葉を続けた。
「うちには君みたいなタイプが多いんだ。しかもみんなそれで派手に失敗したことがある。君にとってはお節介で余計なお世話だとしても、簡単に引き下がってくれるような人達じゃないよ」
ゴク、とシェイが唾を飲み込む。そんな彼に向かって、リタが白藍の瞳を細める。
「君の意志を貫きたいなら彼らを黙らせないとね。正直なところ、薬を手に入れるより面倒臭いと思うよ」
悪戯っぽく笑ったリタに、シェイは何も返すことができなかった。
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