〈四〉見せかけの自由

 地下道の発達したこの街では、地上に人影はほとんどなかった。それでもマーケットのある中心街を抜けて外れの方へと行けば、まばらではあるものの人の姿が増えてくる。

 何故ならそこにはたくさんの馬車があるからだ。グイの引く馬車は地下道を通ることができないため、それを使う人々はどうしても外に出なければならない。


 逗留所には大小様々な馬車が停められており、その中の一角に揃いのマークの入った一際大きな幌馬車が三台並んでいた。少年はその大きさに目を瞬かせたが、自分の手を引くイヒカがそちらに向かっていると気付くと訝しむような表情を浮かべた。


「――ヒュー!」


 自分達の幌馬車に着いたイヒカは力いっぱい声を張り上げた。「そんな大声出さなくても」と後を付いてきたリタが苦笑するが、イヒカが振り向くことはない。

 周りからは「どうした?」と疑問の声が聞こえてきたものの、イヒカの様子を見た隊商キャラバンの人間は呆れたようにそれまでしていた作業に戻っていった。「喧嘩もほどほどにしとけよ」そんな声がどこかから向けられる。それを聞いたリタは困ったように溜息を吐き、何も知らない少年は困惑した面持ちでイヒカの背を見上げた。


「なんだよ、イヒカ。買い出しはもういいのか?」


 一番奥に停まっている幌馬車の影から、ヒューが不思議そうに顔を出す。整備でもしていたのか手には工具を持っていたが、イヒカとリタの傍に見慣れぬ人物がいるのを見つけると、それらを置いて厳しい顔で彼らの方へと歩いていった。


「一応聞こうか」


 まるで全て分かっているとでも言わんばかりのヒューの雰囲気に、少年はゴクリと喉を動かした。ヒューの顔を見るために上げた少年の顔は気を付けないとマフラーから口がはみ出そうで、それが二人の身長差を物語っている。「熊じゃないから大丈夫だよ」後ろからリタが安心させるように言ったが、それでも少年の肩から力が抜けることはなかった。

 しかし――


「コイツを雇ってくれ!」

「ええ!?」


 イヒカの言葉が聞こえた途端、シェイは素っ頓狂な声を上げた。先程まで強張っていた身体の力はすっかりと抜け、目の前の大男への緊張も忘れてイヒカの顔を驚愕の面持ちで見上げている。


「あはは! どんな手でいくのかと思えば雇えって! でもそれは駄目だろう、イヒカ。少年の事情もあるだろうに」


 リタがおかしそうに笑い声を上げる。だがイヒカは至って真剣な表情でヒューを見つめており、ヒューもまた険しい顔でイヒカを見下ろしていた。


「……冗談を言ってるワケではねェんだよな?」

「真面目に言ってる」


 未だ笑い続けるリタと、一触即発とも言える空気を放ちながら睨み合うイヒカとヒュー。そんな彼らの様子を少年は交互に見て何とも言えないような顔をした。困惑しているのは明らかだが、この状況をどう取っていいのか全く分からないのだろう。

 しかしイヒカが口を開く気配を感じたのか、少年は恐る恐ると言った様子で彼へと目を向けた。


「コイツは氷の女神症候群スカジシンドロームなんだ。薬を買う金はない。でもまだ見た感じ初期患者だ、今から金を集めれば間に合うかもしれない」

「こんなガキがそんなすぐ大金を集められるワケねェだろ」

「普通にやればな。だけどコイツならイースヘルムに行ける」


 その瞬間、ヒューが表情を固めた。笑っていたリタまでもがその声を止め、怪訝な眼差しでイヒカを見つめている。


「あの……イースヘルムって……僕が?」


 そう尋ねた少年の顔もまた強張っていた。信じられないことを聞いたとでも言わんばかりにイヒカに問いかける。


「あそこは人間の生きられない土地でしょ……? しかも凄く危険だって学校でも習う。確かに僕は死のうと思ってるけど、わざわざそんなところまで行かなくても……!」

「は?」


 少年を睨みつけたのはヒューだった。その低い声と鋭い視線に少年が全身を竦み上がらせる。ヒューは睨みつけたというよりはただ訝しむような目で見ただけだったが、それが分かったのは彼とより目線の近いイヒカとリタだけだ。


「死のうと思ってるって……あァ、そういうことか。だからこんな必死なのか、イヒカ」


 ヒューが呆れたように言う。イヒカはそんなヒューに怒りの滲んだ目線を向けて、「当たり前だろ」と低い声で言った。


「まだこんなガキだぞ。それなのに死のうと思うだなんておかしいだろ!?」

「それはお前の感覚だ。この坊主が何をどう考えようと自由だろ」

「死ぬ以外の選択肢がないのに自由もクソもあるか!」


 イヒカの怒声に少年は視線を落とした。だがイヒカはそれに気付かない。ヒューを睨みつけたまま言葉を続ける。


「ヒュー、こないだ何日か後にはイースヘルムに行くって言ってたよな。それくらいならまだコイツは動ける。オレらと一緒に行って、自分で薬草を採ってくればいい。それを売っぱらうか自分に使うかはコイツの自由だ」

「自由じゃねェよ。雇うって話なら雇い主である俺の指示に従ってもらう。お前だっていつも自分で採った分が丸々全部自分のモンになるワケじゃねェって分かってるだろ」

「それは……」


 ヒューの言葉にイヒカは声を詰まらせた。彼が反論の言葉を探すように唇を動かそうとしているのを見て、ヒューが先に口を開く。


「あれを採りに行くには金がかかるんだよ。実際に現地へ行く俺らは自分達の食糧だけで済むが、荷を安全に輸送するためには隊商キャラバンも武装しなきゃならねェ。毎度毎度飽きずに賊がわらわら群がってくるんだ、そいつら片すのにどれだけの銃弾を使ってると思ってる? 負傷者の治療費は? 破損した幌馬車の修理代は? そういうのに使ったら大した額が残らないってお前にも教えたことあるよな?」

「ッ、分かってるよ! だけど一人分の薬くらいどうにかなるはずだ!」

「ああ、どうにかなるさ! なるけどな、それは空振りだった時の保険なんだよ! 毎回必ず十分な量採れるワケじゃねェのに費用は絶対かかる。薬を持ってなくてもうちが扱ってるって知ってるから賊は関係なく襲ってくる。そういう時に蓄えがなきゃ隊商キャラバンが終わっちまうだろうが!」

「ッ……」


 顔を歪めたイヒカをヒューが厳しい目で見つめる。そんな二人の様子に少年は不安そうな表情を浮かべ、リタは安心させるようにその肩に手をやった。


「大体な、イースヘルムがどんだけ危ないかはお前もよく分かってるだろ? 慣れてる俺らでも怪我は珍しくねェんだ。それを子供で、病気で、死んでもいいって思ってる奴が行って無事に帰ってこれるワケねェだろ!? お前がやろうとしてるのは人助けでもなんでもねェ、ただの無責任って言うんだよ!」


 ヒューの怒声がビリビリと空気を揺らした。どこからか積もった雪が落ちる音が響く。周囲で作業をしていた人々は何事かと彼らの方へと体を向け、隊商キャラバンの幌馬車からも心配するような顔がいくつか覗いていた。


 イヒカは辛そうに眉根を寄せながら顔を俯かせた。少年の目に映る彼の背は小さく震えている。身体の横にある拳が固く握られているのを見て、少年は申し訳なさそうに「もういいよ」と声を上げた。


「お兄さんが僕のために何かしてくれようとしてくれてるのは分かる。だけどそれでお兄さん達が喧嘩しちゃ駄目だ。僕のことはいいから、もう――」

「ヒューの分からず屋!」


 少年の声を遮るようにイヒカが声を張り上げる。リタが「聞いてなかったみたいだね」と苦笑すると、それを聞いた少年は「えぇー……」と声を漏らした。


「お前、坊主の話くらい聞けよ」

「コイツの言うことなんか知らねェよ! どうせ『自分は死んでもいい』って馬鹿の一つ覚えみたいに言うだけなんだ、聞く価値もねェ!」

「えっ……」


 呆気に取られたのは少年だけではなかった。ヒューもリタも、周りで会話を聞いていた者達すらも何を言っているんだとでも言うように目を丸くしている。


「はァ? そりゃおかしいだろ、イヒカ。お前はこの坊主を助けたいんじゃないのか? なのに本人の話を聞かないって……」

「選べる選択肢もないのに聞いたって意味ないだろ! そんなことも分かんねェのか!? ヒューのボケ!」

「ボケ!?」

「ああ、ボケだよ! 馬鹿だしハゲだ! あと加齢臭!」

「ッ、ハゲてはねェ!!」


 ヒューが大声を上げた時にはもうイヒカは背を向けて走り出していた。途中でくるりとヒュー達の方へと顔を向けて、「頭冷やしてよく考えろ、クソ馬鹿ハゲ!」と吐き捨てて逗留所を街の方へと駈けていく。


「そりゃこっちの台詞だ!」


 小さくなっていく背にヒューはそう叫んだが、近くから視線を感じて困ったように眉尻を下げた。


「すまねェな、坊主。うちの馬鹿が好き勝手やらかしてるみたいで」

「いえ……流石に放置されるとは思いませんでしたけど……」

「どうせ何も説明されてないんだろ?」

「そうですね……正直何が起こったのかすらさっぱりです……」

「だろうな。俺もよく分からねェ」


 そう言ってヒューと少年が視線を向けたのはリタだった。「ん?」と首を傾げたリタは二人の意図を悟ると、「私に聞かれても困るよ」と肩を竦めた。


「どうせイヒカ本人だって深く考えてはいないだろうさ。それを他人が推し量ろうとしたところで、ってやつだよ」

「……んじゃ経緯だけでも説明してくれ」

「中でお茶を飲みながらでもいいかい? イヒカが置いていった荷物もあるし、それにさっきからあいつに付き合っていたせいですっかり冷え切ってるんだ。少年もどう? こんなむさい大男と二人きりは辛くてね」

「えっ……あ、じゃあ……いただきます」

「むさい言うな」


 ヒューがジロリとリタを睨む。その声に少年と共に幌馬車の方へと歩き出していたリタは足を止めると、涼しげな笑みを浮かべた。


「でも自覚はあるんだろう? さっき加齢臭は否定していなかったし」

「……薬作ってくれ」

「いいじゃないか。ここまで無事に生きてきた証だよ、誇っていい。生物としては正常だしね」

「じゃあお前、俺の使った枕使える?」

「嫌に決まってるじゃないか。臭い以前の問題だよ」

「……ああそう」


 ヒク、とヒューは顔を引き攣らせたものの、諦めたようにリタ達の後を追った。

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