〈三〉後ろ向きな最適解

 イヒカ達はマーケットを出ると、少年をその建物の脇に連れて行った。この街は地下道が発達しているらしく、外からマーケットに入る人間は少ない。彼らの向かったそこもまた人影はほとんどなく、周りに聞かれたくない話をするのにはうってつけだった。


「リタ、寒さ平気?」

「平気なわけないだろう。一〇分が限界だ」

「ん、辛くなったら言って。お前は?」

「僕は……どこにいても寒いから……」


 少年がおずおずと答えれば、イヒカは「知ってる」と笑った。


「どんだけあっためても寒いんだよなァ。でも周りの気温がいくら低かろうと感じ方は変わらないだろ?」

「……うん」

「んじゃ気分の問題。外寒いわーって思ったら言えよ」


 イヒカの言葉に少年が控えめな笑みを浮かべる。しかし思い出したように自分の口元を覆う借り物のマフラーに手をやって、遠慮がちに持ち主を見上げた。


「あの……お兄さんは回復者スタネイドなの……?」

「ああ。……嫌いか?」


 イヒカは茶化すような声音で問いかけたが、どこか困ったような雰囲気を出していた。


「嫌いって、薬を飲めた人だから?」

「そうそう。大抵の患者には嫌われるからさ」

「……どうだろう。さっきされたことは嫌だったけど、でも嫌いってほどじゃないよ」


 少年の答えに「珍しいね」とリタが声を上げる。


「正直、君はそんなに裕福には見えないのだけど」

「おい、リタ」

「だってそうだろう? 薬が買えないのなら普通はイヒカみたいな回復者スタネイドを妬むはずだ」

「そうかもしれねェけど、もうちょっと言葉をさァ……」

「いいよ、お兄さん。お金がないのは本当だから」


 二人に向かって少年が力なく笑う。イヒカは僅かに口を開きかけて、しかし言葉が見つからなかったのか何も言わずに視線を落とした。


「リタ、さん? あなたの言うとおりだよ。うちには薬を買うお金なんてない」

「だから医者にもかかっていないのかい?」

「うん。……氷の女神症候群スカジシンドロームって診断されたら街中に知られちゃうからね。それに……父さんも母さんも、どうにかお金を集めようとしてくれるかもしれない」


 少年が静かに眉根を寄せる。そんな彼の様子を見たイヒカもまた顔を顰めた。


「金を用意してくれるんだったら甘えればいいじゃねェか。借金になるかもしれないけど、自分の親なんだから頼ったって問題ないだろ?」

「僕だけの親じゃないんだよ。うちには下に小さい妹達がいる……僕のためにした借金で、妹達にまで苦労をさせたくない」

「だから君はイヒカに何も思わないのか」


 納得したようなリタの言葉にイヒカは怪訝な面持ちを浮かべたが、少年は眉をハの字にして微笑んだ。「どういうことだよ」二人の間だけで伝わった言葉にイヒカが声を低くする。リタはその顔を一瞥すると少年に視線を戻した。


「君は諦めてるんだろう? 生きることを」

「なッ……」


 イヒカが慌てて少年に目を向ける。だが相手はリタの言葉を肯定するように俯いていて、それを見た途端、イヒカは「なんだよそれ……」と顔をくしゃりと歪めた。


「おかしいだろ……なんでそうなるんだよ!」


 自分に向けられた声の大きさに少年がびくりと身を竦ませる。それでも彼はイヒカを見上げると、「そうするしかないんだ」と口を開いた。


「僕が生きたいと願えば家族が苦労をする……でも僕が死んだなら、悲しませてしまうことにはなってもお金に困らせる心配はなくなるんだ」

「事故で、って……お前まさか、自分から死ぬつもりなのか?」

「氷の病だってバレないうちに死ななきゃ」


 少年の真剣な目にイヒカが表情を固まらせる。しかしそれは段々と険しくなっていって、その顔が怒りに染まりきった瞬間、イヒカは「そうじゃないだろ!?」と怒声を上げた。


「なんでお前が自分から死ぬんだよ!? リタからも何か言ってやれよ! 『お前が死ぬ必要なんてない』って!」


 そうリタに言葉を求めたイヒカだったが、視界に入った相手の表情に小さく目を見開いた。不安を抱いた目で彼が見つめるリタは、先程から表情を変えていなかったのだ。


「話を聞く限りでは、少年の選択は現状最善だろうね」

「は……?」

氷の女神症候群スカジシンドロームの患者は管理される。この街では差別もあるだろう……恐らくそれは少年の家族にも向くはずだ。解決するには治療して他者に感染させる心配はないと証明することが必要だが、それでも完全には噂は消えないだろうし、そもそも少年の家族に治療薬を買う金はない。だからといって借金をすることも少年本人が望まない――となるとこの子に待つのは死のみだ。そうなった時に〝病の息子を治療もせずに死なせた〟のではなく、〝健康な息子を事故で失った〟と周りに認識された方が、彼の家族は後々生きやすいだろう」

「そんなふざけたこと……!」

「でもお前は知っているだろう、イヒカ。氷の女神症候群スカジシンドロームの患者に向けられる恐れも、その家族に対する悪意も。それからこの子みたいな考えが、そう珍しくはないということも」

「ッ……」


 ぐっとイヒカが顔を歪める。揺れる瞳はリタに向けられていたが、彼の視界に相手の姿は映っていない。


「イヒカ。この子とその家族に、お前と同じ苦しみを味わわせたいのかい?」

「ッ、だけど……! 今諦めるなんておかしいだろ!? コイツにはまだ時間があるんだ、薬だって……!」

「施しは駄目だよ。この前の子が駄目で、この少年ならいいだなんて道理が合わない」

「分かってるよ……!!」


 絞り出すような声で言いながらイヒカは自分の顔を両手で覆った。触れているのは顔だが、どちらかと言えば頭を抱えているという表現の方が正しいかもしれない。

 そんな彼をリタは感情の読めない目で見つめているだけで、それ以上言葉をかける気配はない。二人のやり取りを聞いていた少年は複雑そうに視線を彷徨わせたが、少しすると「気にしないで」とイヒカに語りかけた。


「そういうふうに思ってくれるだけで十分だよ。さっきマーケットで思い知ったんだ……いくら隠そうとしたところで、ちょっとしたことで周りには気付かれちゃう。あんな一気にみんなに広まってさ、僕が通るだけで悲鳴を……。すごく、怖かったんだ……妹達にまであんなに怖い思いはさせられないよ……っ」


 途中から少年は涙声になっていた。辛うじて涙は流れていないが、必死に零さないよう耐えているのは疑いようもない。

 顔を覆う手を退けてその様子を見ていたイヒカは強く奥歯を噛み締めていたが、すぐに「ああもう!」と大声を上げた。


「ついてこい!」

「待て、イヒカ!」

「小言は後で!」


 そう言って少年の手を引きずいずいと歩き出したイヒカの後ろ姿に、リタは呆れたような笑みを向けた。

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