〈四〉不満の矛先
「アンタ……昼間の姉ちゃんだよな……?」
イヒカが確認するように問うと、相手はさっと顔を背けた。しかし否定はしない。二人の様子を見ていたジルは少女の反応を肯定と判断したらしく、「知り合いか?」と銃を下ろしながらイヒカに尋ねた。
「知り合いっつーか、昼間ちょっと会ったんだよ。――なァ、もしかしてアンタが盗もうとしてたのって……」
少女に問いながらイヒカが表情を曇らせる。顔を横に向けたまま彼の言葉を聞いていた少女だったが、やがて「……そうよ、薬よ」とイヒカを見上げた。
「どうせ自分達の分は隠し持ってるんでしょ? じゃなきゃいくら馬車が暖かいって言っても野営なんて怖くてできるはずがない!」
開き直ったように少女が声を上げる。イヒカは小さく息を吐きながら眉根を寄せると、「だから対策しとけば平気だって言っただろ?」と首を少し傾けた。
「薬だって本当にないし、あればちゃんと昼間そう言って――」
「嘘よ! アンタの言葉なんて信じられるわけがないじゃない!!」
少女の目はイヒカへの敵意に満ちていた。その目に睨まれて、イヒカはうっと顔を歪ませる。
「信じてもらえなくても実際にないものはないんだよ!」
「やめとけ、イヒカ。何言ったって無駄だ」
「でも……」
イヒカがジルに食い下がろうとした時、騒ぎを聞きつけてきたのか、周囲に人が集まってきた。
「何か盗られたのか?」
「まだ何も。漁ってたから捕まえただけだ」
ジルの返事に頷いたイヒカは、町の住民達の方へと向き直った。
「だそうだ。聞こえてただろ? これはオレ達
イヒカの声に住民がざわめく。しかし彼らはなかなか去ろうとはせず、それどころかどんどんその数を増やし、かと思えば次々に声を上げ始めた。
「泥棒までするなんて……これまで起こした騒ぎもあるし、もう町から出てってくれよ!」
「お前ら親子がいるとこっちは安心して外も出歩けない! ずっと店を閉めてるから生活だって苦しくなる一方だ!」
「早く出ていってよ! クオンが死んだところで娘のアンタが病をもらってない証拠にはならない!」
住民達の言葉はどれもが少女とその家族の追放を望むものだった。「は? なんで……!」イヒカの顔に強い怒りが浮かぶ。思わず食いかかりそうになったイヒカだったが、肩を後ろから強い力で掴まれたためその動きを止めた。
ばっとイヒカが勢い良く振り返れば、そこにはヒューがいた。少し眠ったことで酔いは覚めたのか、マスクに隠されていない目は真剣な色をしていた。
「ヒュー……」
「お前には関係ない話だ、イヒカ」
「はァ!? これは流石に関係あるだろ! うちに盗みに入ったことがきっかけになってるんだぞ!?」
「関係ねェよ。確かに盗みはきっかけになったかもしれないが、出てって欲しいと望まれるのはこれまでの行いのせいだ」
「――私達が何したって言うのよ!」
少女が怒鳴り声を上げる。立ち上がった彼女が見る先は住民達で、ヒューの言葉が聞こえていたのかは定かではない。
「お父さんだって好きで病気になったわけじゃない! 油断してたわけでもない! 仕事中の事故なのよ!? それを寄ってたかって好き放題責め立てて……騒ぎを起こした? 違うでしょ! そっちが責めてくるから反論しただけじゃない! せめてそっとしておいてくれればいいのに、いちいち突っかかってきて……少しは自分達がお父さんの立場だったかもしれないとは考えられないの!?」
そこまで言うと、少女はイヒカ達に顔を向けた。
「アンタ達もアンタ達よ! いくら否定したってどうせ薬は隠し持ってるに決まってる! コイツだってすぐに私を見つけたってことはずっと外にいたってことじゃない! そんな自殺行為、薬がなきゃできるはずがない!!」
少女がコイツと指差したのはジルだ。彼は自分が引き合いに出されても興味なさそうにしていたが、それが一層少女の目を吊り上げさせた。
「ほら、否定しないじゃない! まだ必要ないならこっちに頂戴よ! お父さんの体温はもう一〇度を切ったの……! 早く薬を飲ませないといけないの!!」
「薬があってもどうせ買う金がないだろ」
ジルが静かに言えば、少女は眉間に皺を寄せた。
「ッ……そうだけど! お金はなんとかして工面する! それとも今お金がなければ薬を見せてすらもらえないの!?」
「当たり前だろ、それが商売だ」
「なッ……!?」
「――待て!」
イヒカが止めに入った時には遅かった。少女がジルに掴みかかったのだ。ジルは当然のようにそれを避けたが、少女の指が彼のマフラーの端を捉える。手袋越しに少女の指に引っかかったマフラーは本来の位置から大きくずれ、隠されていたジルの顔が顕になった。
「あっ……」
ジルの顔を見て少女が動きを止める。それは彼の整った顔立ちのせいではない。住民までもが目の前の光景に身を強張らせ、固唾を飲んでその様子を見ていた。
「ッ、ごめんなさい! そんなつもりじゃ……!!」
恐れをなしたように少女が後ずさる。「私、なんてことを……」酷く震えた声が彼女の動揺を物語る。
「別に」
ジルはどうでも良さそうにそう呟くと、緩んだマフラーを巻き直した。
「カーリャ、お前なんてことを! 人殺しと同じだぞ!?」
「クオンが罹ったならそいつも確実だ……」
「うちの宿にはもう入ってこないでくれ!」
怯えたような住民達の声に、ヒューの後ろにいる
「あー……とりあえず嬢ちゃん、ジルなら平気だ。俺達はこんな商売だからああいう時に咄嗟に息くらい止められる。そうだろ、ジル?」
完全に動揺しきっている様子の少女にヒューが優しく声をかける。彼に問われたジルは表情を変えなかったが、「……まあ」とその言葉を肯定した。
「んで、宿の方は心配ない。ジルは今日見張りだから元々風呂以外で入る予定もないしな。他の奴らは宿に戻っても構わないか? 俺らが駄目だと、ここにいる全員が駄目ってことになっちまうが」
「あ、ああ……その兄ちゃんが入らないなら……」
その場にいた宿の主人が頷いたのを見届けると、ヒューは「んじゃ解決。この件はナシで」と少女に笑いかけた。
「それじゃあ駄目だ! いくらアンタらが大丈夫だって言っても、カーリャがやったことはとんでもないことだぞ!?」
「ぁ……」
住民の言葉に少女が身を縮こませる。それを見たヒューは小さく息を吐くと、声の主の方へと顔を向けた。
「マフラー取ったのはどう見てもわざとじゃなかったし、当事者である俺達が問題ないと言っている。この件に関してお前さんらは部外者だ。この子を攻撃したいのは勝手だが、それにさっきの件を持ち出すな」
大男であるヒューが睨みつければ、騒いでいた者達が水を打ったように静まり返った。それでも彼らの中の不満は収まらないのか、「だけど……」と渋る声がいくつも聞こえてくる。
「もう嫌だ! なんでこんなに怯えなきゃならないんだ! この町ではもう一〇年以上氷の病なんて出てなかったのに……クオンが罹るから!」
悲鳴のような声が上がる。その声を皮切りに、静まっていたはずの住民が口々に不満を吐き出し始めた。
それはやがて苛立ちと怒気を孕み、お互いの声が油となってより大きな怒りとなっていく。怒りが憎しみにまで膨らんだ時、「クオン達が悪いんだ」と誰かが言った。
「――もうあの家を燃やしちまおう」
息を呑んだ人間は少なかった。少女と、イヒカ達
「どうせ死ぬんだろ? だったら同じだ。病で死んだら毒を吐き出すんだ、その前に殺しちまえばいい」
「そうだ、たとえ毒を吐いても炎で燃やせば無毒化できる! ただ閉じ込めておくよりよっぽど確実だ!」
住民達を見ながら、イヒカは「なんだよそれ……」と声を漏らした。琥珀色の瞳が揺れる。しかし一方で先程まで怒りに震えていた身体は固まっていて、イヒカはそれに気付くとぐっと眉根を寄せた。
「――ッ……アンタらいい加減にしろよ!」
自分の中にこみ上げたものを振り払うように、イヒカは声を張り上げた。だがマフラーのせいでくぐもったそれでは、恐怖と憎しみで狂ってしまった住民達の耳には届かない。彼らはもはや歓声を上げるように騒ぎ立てながら、少女の周りを取り囲んで歪んだ笑みを浮かべている。
「クソッ……!」
「待てイヒカ!」
ヒューの制止も聞かず、イヒカは少女を囲む住民の壁に突っ込んでいった。相手のマフラーやマスクを外してしまわないように気を付けつつも、乱暴に彼らの腕を掴んで人混みをかき分ける。
そうして少女の前までやってくると、恐怖で身を竦ませる彼女の前に立って周囲を睨みつけた。
「邪魔だ」「そこを退け」――住民達はイヒカをただの邪魔者としか見ていない。彼らの腕が自分を掴もうとした瞬間、イヒカは自身の口元を覆うマフラーを勢い良く外した。
「いい加減にしろって言ってんだろ!!」
はっきりとした大声が辺りに響く。住民達が動きを止める。彼らの視線が集まるのはイヒカの口元。それを見て誰かが「正気じゃない……」と呟いた。
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