第702話 『公方の京都帰還と北条の減封、佐竹と宇都宮』

 天正十一年十二月二日(1582/12/26)  小田原御所


「嫌じゃ嫌じゃ! 何ゆえ余が官を辞して上洛し、信長と純正に頭を垂れねばならぬのだ!」


 新政府からの通達を聞いた義昭は、書状を破り捨て、激昂げきこうしている。


 新政府の情報を探りつつ、自分をどう扱おうとしているのか、まだ将軍として返り咲く見込みがあるのなら、条件次第では上洛に応じ、将軍として政務を執ろうと義昭は考えていたのだ。


 もちろん、そうでなかった場合の為に、氏政と協議して信長の暗殺をも企てた。用意周到に準備をして、決して足の付かない方法で実行するよう促したのだ。


 いわゆるダブルスタンダードと呼べるだろうか。二枚舌外交である。


「上様、事ここに至っては、是非もありませぬ。朝廷からは解官ではなく、みずから官を辞する事を促しております。これは、最後の情け、上様の体裁を考えての事かと存じます」


 御供衆の細川陸奥守輝経が悲痛な面持ちで義昭に告げるが、どこかそこには諦めに似た気持ちがあった。名実ともに室町幕府は滅んでしまったのだ。そう思わせる書状である。


「体裁? 体裁だと? おのれ、この期に及んで見せかけのお情けをかけるとは! 余がこれまで、どれだけの屈辱を耐えてきたか知っておろう?」


 義昭の怒りの声が部屋中に響いた。輝経はその言葉を聞いてもなお、事実を述べ、義昭に決断を迫るほかなかったのだ。


「上様、そのお気持ちは重々承知しております。然れど……如何いかんともしがたい仕儀にございます」


 義昭はその言葉に少しだけ息をついたが、納得するには至らなかった。


「ふふふふふ……余は信長に担がれ、そして要らなくなって捨てられてしまうのか。自業自得と人は言うであろうが、この世とは何と残酷なものよのう」


 義昭の胸中には怒りと悲しみ、そして将来への不安が交錯していた。





 ■天正十二年一月十六日(1583/2/8) 京都 肥前国庁舎


 在京小佐々大使館という名称は変更され、肥前国庁舎となった。小佐々家としての日本国内の外交業務がなくなった事と、肥前国の各省庁が暫定的に大日本政府の省庁を兼ねるためである。


 大日本同盟合議所は、暫定新政府の庁舎となって合議が行われている。


 将軍義昭は、正式に官を辞するために御所へ向かい、朝廷へ上奏した。これにより室町幕府は完全に消滅したわけだが、氏直も上洛し、北条家は武蔵・相模・伊豆の三国へ減封となった。


 北条家中では、小佐々何するものぞ、新政府など敵ではないという家中の意見もあったようだ。

 

 しかしもともと穏健派であった氏直をはじめとして、当主氏政が家督を譲って隠居、穏健派に転向したことで、完全に家中は降伏論でまとまった。


 佐竹や宇都宮との争いで獲得した常陸と下野の領土は新政府の直轄領となり、いずれ代官が派遣され統治される事になるだろう。





「内府様、此度こたびの北条の儀、誠にめでたき事にて、慎んでお慶び申し上げます」


「此度の減封、誠に正しき仕置きにて、祝着至極に存じます」


 北条の減封が決まり、氏直の挨拶が終わってしばらくした頃、常陸の佐竹義重と下野の宇都宮国綱が面会にやってきた。二人は何かをするでもなく、進呈品を持ってきては純正の次の言葉を待っていた。


「御二方、わざと(わざわざ)来ていただき感謝する。然れどその儀について祝っていただくのは有り難いが、何か御用があって来られたのではないか?」


 二人は顔を見合わせた後に黙ってしまったが、佐竹義重が口を開いた。


「御屋形様、単刀直入に申し上げます。此度の北条の所領の差配にて、減封となりました常陸と下野の土地を、我らにお返し願いたく、お願い申し上げます」


「ふむ」


 と純正は一言だけ言い、しばらく考えた。と言うよりも、この事態を想定していたと言った方がいいだろう。


「はて、これは異な事を承る。常陸と下野の旧領なら、北条から返してもらえば良いではないか」


「「な、何を……」」


 義重と国綱の二人は言葉に詰まってしまった。


如何いかがした? 何ゆえ二人とも何も言わぬのだ。我らの元にせ参じ服属を願った後も、北条と密約を交わし、我らを裏切り北条に与するならば、失った旧領を返してもらう手筈てはずではなかったのか?」


「そ、それは、滅相もございませぬ。大方北条が世迷い言を申しておるのでございましょう」


 義重は額に脂汗をかきながら答えた。国綱を身を守るために続く。


「然様、我らが御屋形様を裏切って、積年の敵である北条に寝返るなどあり得ませぬ」


 純正は二人の慌てぶりを冷ややかに見つめながら、ゆっくりと口を開いた。


「ほう、然様か。では北条の言い分は全くの嘘偽りというわけだな」


 純正は皮肉っぽく言って立ち上がると、部屋の隅に置かれた箱から一通の書状を取り出した。


「これは氏政が出した起請文と、お主ら二人と交わした密約がつぶさに記されている。読んでみるか? 見よ。花押もおされ、血判まであるぞ」


 義重と国綱の顔が青ざめた。


「お、御屋形様……」


 国綱が震える声で言葉を絞り出す。


「確かに、北条との間で……いくばくかの約定はございました。然れどそれは……」


「もう良い。お主らの裏切りは明白である。然りながら今はそれをとがめる時ではない。また既に、我が家中はただの小佐々家ではなく、大日本国の小佐々家となった。諸大名にそう無事令を出しておる手前、戦ではなくとも、召し上げた所領を我が所領とするなどできるはずもない。お主らに与える事も無論である。その地は、大日本国の国土である」


 純正は手を上げて義重の言葉を遮り、その後に二人の顔を見据えながら言った。


「よく聞け。今、我らは新たな世を築こうとしている。し方(過去)の争いや裏切りにこだわっている時ではないのだ。お主らには、その力を新しい秩序のために使ってもらう」


 義重も国綱も状況が飲み込めないようだ。


「二度と裏切りは許さん。此度は大目に見るが、次はないぞ。わかったな?」


「は、はは!」


 二人は声を揃えて答えた。


「よし。では改めて言おう。南常陸と南下野の地は大日本国の蔵入地となる。お主らにはその地を安んじ、より栄えるために力を尽くしてもらおうと考えて居る。合議にて諮らねばならぬが、よいか、国人や土豪らから過言かごと(不平)や不足(不満)の出ぬよう致すのだぞ」


 土地本位制ではなく、金本位制による小佐々の統治方法は義重・国綱ともに理解はしていた。しかし、南下野と南常陸で反乱が起きぬようにしっかりと説明を行い、治めなければならないのだ。


「ははっ」


 義重と国綱は深々と頭を下げた。しかし、純正の頭の中には不安もあった。蔵入地となれば、それはすなわち全てが新政府の財源となる。ではそれまでの支援はどうするのだ?


 同じように街道を造り、産業を興して雇用を促進し、金の巡りをよくして経済を活性化させる。新政府の財源だが、諸大名の懐には一文も入ってこない。


 かと言って佐竹や宇都宮に返すのもおかしな話だ。


 なぜなら両家とも小佐々に服属しているのだから、結局小佐々家の力が強くなるだけなのだ。もちろんそれは間接的に新政府の力にはなるのだが、傍目にはそうは見えないだろう。


 また、合議にかけなければならないのか。


 そう思う純正であった。





 次回 第703話(仮)『南常陸と南下野の統治について。第一次港湾整備予算』

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