第635話 『織田海軍と第四艦隊、信忠と澄隆の乗艦』(1577/11/24)

 天正六年十月十五日(1577/11/24) 伊勢国大湊


「おい、あれが小佐々の船かよ……」


「あの大砲の数はなんだ。織田の倍はあるじゃないか」


「何隻だ? 何隻いるんだ?」


「十隻はいるぞ。何日留まるのだ? 酒屋に旅籠が繁盛するぞ!」


 佐々清左衛門加雲海軍中将が率いる第四艦隊が伊勢国大湊に到着した。

 

 三日に呉で指令を受け、織田信忠と九鬼澄隆を乗せた海軍艦艇が呉に到着、出港してから十日後の事である。


 大湊の領民の期待をよそに、艦隊はわずか1日の滞在であった。

 

 すでに堺で数日の上陸を許可していたのだ。それに、次の寄港予定は琉球である。


「小佐々海軍第四艦隊を預かっております、佐々清左衛門加雲にございます」


「左近衛中将(信長)である。こたびは水先案内に感謝いたす」


 織田海軍は航海訓練を行っているとは言え、日本近海である。フィリピンまで単独で航行するのは自殺行為に等しい。航海技術の未熟な船で行こうなど、考えられないのだ。


「お久しゅうございます叔父上」


「おお、久しいな弥五郎よ! 息災に……うお!」


 九鬼嘉隆は海賊の頭領(仮)らしく筋骨隆々で、この時代には珍しく170cm以上の身長である。その嘉隆が、見上げている。


「おかげ様で。小佐々家の海軍兵学校は厳しゅうございましたが、なんとか卒業できましてございます。今は海軍少尉として、旗艦富士の砲術士を仰せつかっております」


 もともと細かったので、嘉隆のような筋骨隆々の体ではないが、いわゆる細マッチョだ。


「さようか。ゆくゆくは九鬼をしょって立つのであるから、頼もしい限りじゃ」


 わはははは、と二人が笑う。その横では信忠が、父信長に挨拶をする。


「父上、息災にございましたか」


「うむ。そなたも何よりじゃ。変わりないか?」


「は。変わりございませぬ」


 こちらは打って変わって静かだ。信忠は最初の1~2年は休みの度に帰省をしていたが、小佐々のなんらかを、少しでも吸収するために、帰らずに勉強に励んでいたのだ。


 他の学生達も、同じである。


 やがて旗艦富士には信長と信忠が乗り込み、澄隆も砲術士として戻った。嘉隆は、艦隊の指揮のために織田海軍の艦隊旗艦へ戻ったのである。





 ■十月二十一日(11/30) 北緯30度8分40秒 東経131度25分49秒 海上


「おい……もう海の上にでて六日になるぞ。陸なんざ一つも見えやしねえ。一体どこを進んでんだ? ここはどこなんだ?」


 沿岸航法しかやった事のない織田海軍にとって、遭難するのではないか? すでに遭難して現在地が不明なのではないか? との憶測が飛び交っているその頃~。





「これは……何をやっているんだ?」


「これは、あの太陽や月、星の位置を調べて、今われらがどこにいるのかを調べているのです」


 戦艦富士の甲板上で、六分儀を使った天体航法をしている乗員をみて、信忠が澄隆に聞いている。


「今十二時です(信忠は小佐々の生活が長いので理解できる)。そこで太陽の高さが三十七点三度です。方角が百七十九点十六度となるので、この天測暦や天測計算表を使って緯度経度を求めて現在地を算出するのです」


「ほおおおおお」


 信忠は感心している。


 分厚い本が二冊あって、それに基づいて現在地を算出するのだ。

 

 それに正確な時計、これがないと経度とやらは測れない。こんなものを作る小佐々の技術力のすごさを、改めて知る信忠であった。





 ■十一月一日(12/10) 那覇港 


「おおこれは、なんともにぎやかな湊ではないか。それに暖かい。時に暑さすら感じる。とても霜月とは思えぬ」


 琉球王国第一の湊である那覇は、日本の船はもとより東南アジア各国の船、そしてポルトガル人の船もあった。中国の船はごくわずかである。


 信長は快晴の空を見上げ、まだ上陸するまえから那覇港の熱気を感じている。


「日ノ本よりかなり南にありますからな、琉球は。薩摩よりもはるか南にござる。今は……二十一度にござるな。暑いと感じるのも無理はございませぬ」


 加雲は信長と信忠を上陸させ、補給と休息のため3泊停泊する事とした。もちろん、乗組員も上陸を許可され、那覇の湊を堪能する。


「それがし、琉球のハブ酒には目がないのでござる。他にもミヌダル(豚ロースのごまだれ蒸し)をはじめ、ターンム(田芋)の唐揚げやクティンプラ(小てんぷら)、花イカにビラガラマチ(青ネギ巻き)も絶品にござる」


「ほう、それほどか。来たことがあるのか」


 信長はとりあえず、という感じで加雲の言葉に相づちをうつ。


「は。何度かございます。それから……明日は琉球王である第六代王、尚永王陛下との謁見が待っております故、今宵はゆるりとおくつろぎくださいませ」


「なに?」


 さすがの信長も絶句した。国王との謁見だと? 琉球の存在は知っていたが、信長はてっきり呂宋に行くまでの補給基地程度にしか考えていなかったのだ。


「明日、謁見の儀が行われます。ああ、そうだ……どうやらお越しになったようです」


 信長と信忠、そして加雲と嘉隆達の前に、正装した一団が近づいてきたのだ。


「初めまして。長嶺と申します。首里の朝廷にて中央閣僚、そして外交を司っております。畿内王様」


 横に在琉球りゅうきゅう小佐々大使館付きの通訳が、長嶺親方の挨拶を通訳する。


「何? 畿内王だと?」


 加雲をはじめ一同は一歩下がり、それぞれ挨拶をする。


「加雲よ……これはいったい? 畿内王とはどういう事じゃ?」


「は。御屋形様は左近衛中将様を、日ノ本における畿内王と称して、尚永王陛下と共に琉球の方々に紹介しております。こたびは琉球に立ち寄り、そのまま南下して呂宋の視察に向かうと説明しております」


 信長はニヤリと笑う。


「(純正め、このわしの自尊心をくすぐるような事をしおって)左様か。されどそれならばそうと、正装を用意しておいたものを」


 そう言って右腕と左腕を交互に見るジェスチャーをするが、加雲が笑いながら言う。


「中将様、その出で立ちは中将様の正装ではないのですか? 朝廷に参内するときは別としても、正式に人と会うときも着ておいでだと聞き及んでおりますよ?」


 そう、あの、信長と言えばの格好である。マント。それにフリルのついた南蛮風のあれ、である。


「まあ……よい。(ゴホン)織田左近衛中将にござる」


 そういって信長は軽く頭を下げた。日本国内では純正に次ぐ二番手のイメージを負いながらも、ここでは盟友として同列の『王』としての待遇なのだ。





 しばらくの談笑の後、一同は歓待の宴の会場へ向かった。


 次回 第636話 『琉球から台湾、そして呂宋へ』

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