第636話 『琉球から台湾、そして呂宋へ』(1578/1/9)

 天正六年十二月二日(1578/1/9) 京都 会議所周辺 織田家宿舎


「ひゅ、日向守殿! 日向守殿!」


 木下藤吉郎秀吉は、真っ青な顔をして叫ぶ。


「そうぞうしい。なんですか。もともと貴殿は落ち着きというものがない。城持大名となったのですから、威厳というものを……」


 このころの光秀は史実通りに坂本城主となって、延暦寺の監視も含めて滋賀郡を治めていた。


 それに対して秀吉は、南近江の日夏城主となって犬上郡を領している。


「それどころではありませぬ! 聞けば日向守殿、殿が呂宋に向かわれたそうではありませんか! 反対はしなかったのですか! ?」


 光秀は読んでいた陳情書を読み直し、ため息をついて折りたたみ、静かに机の上において答えた。


「はぁ……。ではお聞きします。筑前殿は、殿が一度こうと決めた事を、危ないからと止めるとお思いですか? また、止めていただく事能いますか?」


「……それは」


「能う! とは言えぬでしょう。おそらく筆頭の柴田殿でさえ、丹羽殿であっても滝川殿であっても、無理でござろう。理屈をしかと述べても、得心されぬ事ばかりじゃ……」


「? 日向守殿? ……それは確かに、これまでたびたびあったが、なにゆえ勘九郎様まで参戦させるのでござろう。万が一の事があれば、いかがされるのであろうか」


 光秀は秀吉の返事に一呼吸置いて答えた。


「それは陸の上の戦でも同じにござろう。いかに構えておっても、何が起こるかわからぬのが戦じゃ。船戦もしかり。それに……殿は焦っておいでなのかもしれぬ」


「殿が焦っておいでだと?」


 秀吉は光秀の言葉に驚いたようだ。


「この老骨のわしが言うのもなんじゃが、人間五十年。勘九郎様に少しでも経験を積ませようとの考えなのかもしれぬ」


「(……? 日向守どのはどうしたのであろうか)さようでございましょうや」


「いずれにしても、もう発ってしまわれたものは、どうにもできますまい。無事を祈りつつ、領内の治に努めるほかござらぬ」


「……そうですな」



 


 ■同日同刻 マニラ


 那覇港を十一月の十四日に出港した第四艦隊と織田艦隊は、二十日に台湾の基隆に寄港した。


 織田艦隊の艦内で発病した時の事も考えて、キナの葉を用いたマラリア薬も準備し、一泊した後に台湾島の東岸を南下して、マニラに到着したのは十二月二日である。





「暑い。琉球も暑かったが、師走のこの時期もこのように暑いのか」


「それがしも台湾より南は初めてにござるが、呂宋は今より、四月から六月にかけてが一番暑うございます」


「なんと。それに……この蒸し暑さはかなわん」


「ははは。それがしも同感にございます。されど日ノ本とは大いに天気が違いますゆえ、水をこまめにとって、日中は帽子を忘れぬようにせねばなりませぬぞ」


 マニラに到着し、あまりの気温と蒸し暑さに閉口する信長と加雲である。


「さらに南にいくと赤道というものがあり、むろん実際にそのような道があるわけではありませぬが、そこが暑さの最たる土地にて、そこを過ぎて南に行けば行くほど寒くなり申す」


「加雲殿、物知りであるな」


「ははは。海軍の将兵のみならず、小佐々の学校に通う者ならば誰でも知っておりまする」


 加雲は笑い、信長も笑うが、信長は内心穏やかではない。伊勢の大湊を出港してからずっと、わかってはいたが、あまりの違いに驚きとともに焦りが湧き出て仕方ないのだ。


 寸分違わぬ時計や見たこともない計測器具を使い、詳細な地図にコンパスを使って手際よく現在地を記していく乗組員。特別士官室があてがわれていたが、海上とは思えぬ料理の数々。


 見るもの聞くもの全てが新しかったのだ。


「さあ中将様、着きました。降りましょう」


 加雲に促されて、信長はマニラの地を踏んだ。

 

 軍人だけではなく、商人や港で働く労働者でごった返している。着岸前から見えていた台場と城壁が、いっそう大きく目に入る。


 マニラの町は、入植当初の規模をはるかに超える人口と広さを備えた、貿易都市と軍事拠点、軍港となっていたのだ。


 日本人もいれば中国人もいる。


 ムスリム・ムスリマ(イスラム教徒)にポルトガル人、原住民と南方の国々の商人が、所狭しと活動している。琉球や基隆とはまた違った雰囲気である。


 さらに、小佐々海軍の軍艦総数33隻、輸送船・補給船含む艦艇を大小いれると50隻を超える。まさに異様な風景であった。





 ■マニラ 小佐々軍駐屯地


「小佐々海軍、連合艦隊司令長官、深作肥前介にございます」


 勝行は頭を下げた。


「右近衛中将様、台湾・マニラ方面軍、第四師団を指揮しております陸軍少将……ああこれは、わが軍でそう呼称しているだけで、官職とは全く関わり合いございませぬ。深作宗右衛門と申します」


「海軍第一艦隊司令官、海軍中将鶴田上総介賢にござる」


「同じく第二艦隊司令官、海軍中将姉川延安にござる」


「同じく第三艦隊司令官、海軍中将姉川信秀にござる」


「……第四艦隊、司令官、中将、佐々清左衛門加雲にござる」





「織田右近衛中将である」


「織田海軍、大将、九鬼右馬允(嘉隆)にござる」





「小佐々内府にござる」


「!」


 遅れて入ってきた純正に対して、信長が声をかける。


「内府殿。こたびの戦には参陣せぬと聞き及んでおりましたが?」


「なに、織田軍に助勢を求めたら中将殿も参陣されるとの由。それがしも参らねば、礼を失することになりましょう」


「ふふふ。相変わらず、喰えませぬなあ」


「ははは。それはお互い様にございましょう」


 二人の不思議なやりとりが、場を妙な緊張感で包んでしまった。純正は信長が参陣すると聞き、自らも参陣を決めていたが、驚かしてやろうと企んでいたのだ。


 もちろん小佐々軍内では決まっていた事で、種子島周辺を警備していた沿岸警備隊の艦で、第四艦隊の後をつけてきた。


「では、全員そろったところで、軍議といたしましょう。中将殿、一応決めておかねばならぬが、作戦行動において織田海軍は軍議の策のもと、小佐々軍傘下となることでよろしいか?」


「異論はない。されど、その策のなかで逸脱せぬかぎり、その方が良いと判断すれば、そう動く。それでよろしいか?」


「無論です。君、海図を」


 そういって純正は、会議室係の陸軍当直士官に、マニラ周辺とビサヤ諸島が描かれた海図を持ってこさせた。





 次回 第637話 『通商破壊か、要塞各個撃破か、サン・ペドロ要塞壊滅か』

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